豪雨に思う

西日本が記録的な豪雨にみまわれています。被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

台風などではなく、長雨でこれほどの被害が出たのは記憶に無いと思います。その昔、昭和50年くらいから20年間ほどの降雨のデータを整理するような仕事をしていたことがあり、特に名称がつけられるほどの集中豪雨であるとか、記録的な大雨がどのくらいの降水量であるか、およそ見当はつくのですが、それにしても今回の雨量は尋常ではないと思います。今後、日本列島における水災害の性格が変わっていくのではないか?いや、すでに変わってきている、という気もします。

話がそれるようですが、先日、ワインを商っている人と話をしていたのですが、ヨーロッパのワインの世界では、2004年からはっきりと温暖化の傾向が出ているということです。
具体的に言えば、気温が高いためにブドウの皮が薄くなり、糖度が高くなっているということです。全般的にワインが甘くなる傾向があることと、ブドウの皮が薄いために渋み、タンニンが弱くなったと。
ワインは寝かせることでタンニンが軽くなり、渋みが抜けるのですが、はじめからタンニンが弱いので、あまり寝かせなくても飲みやすいワインが増えているのだそうです。
世界的にワインの消費量が伸びている中で、あまり寝かせないでも飲みやすいワインが出来ることは、ワインを供給する側からいえば有利な面もあり、醸造家も”若飲み”出来るワインを造る傾向にあるそうです。その反面、伝統的なワインの味わいからはだんだんと離れてきている、という事実もあるのだとか。

温暖化のメカニズムについては、解明されていないところが多いのが現状だという事です。CO2の増加が主要因に上げられ、それなら化石燃料を燃やすのはやめて原発にしましょう、という論理に基づく、産業界全般の流れのようなものがあったのも事実です。が、一説には原発が無駄に捨てていいる膨大な熱量が、冷却水で熱交換されて最終的に海に流れ込むため、海水温があがって温暖化を招いている、という説もあります。

印象として、たしかにここ10年で気候が毎年急激に変化しているように思えます。ちょっと思い当たるのが、雲の動きです。
雲は大気の熱を宇宙に拡散させない働きがあり、雲が少ないほど気温は冷えやすい、という事です。冬場に晴天が続くなかで強く冷え込む、いわゆる放射冷却がそれですね。
しかし一方で、地表の熱で水蒸気が生まれるとき、気化熱となって地表が冷却されます。水蒸気が高い高度で冷やされて雲になり、冷やされた水蒸気が雨となってまた地表の熱を冷ます効果もあるわけですね。
曇天の方が一般的に気温があがらないわけですが、逆に雲があることで宇宙に熱が逃げにくい、という見方もあるとすると、その差引勘定はきっと複雑で解析的には解けないような数理モデルになるのであろうなあ、という事はぼんやりと想像されます。

2004年からの、記憶に残るほどのやや急激な気象の変化を思い浮かべつつ、その間に人間社会に何が起きていたか?というと、ごく狭い個人的体験に照らせば、やはり大陸中国の経済成長です..........ただしもちろん、温暖化傾向を大陸の産業活動のみにこじつけよう、という意図はありません。
しかし一点、懸念されるのは、大陸で盛んにおこなわれている人工降雨です。


慢性的な水不足に悩む大陸では、各省でヨウ化銀をロケットで雲に打ち込んで降雨を促す、人工降雨が盛んにおこなわれています。隣接する省ごとに、雲の奪い合い、というような事態になっている、という話も聞きます。さらに今年の4月、チベットや新疆で、イベリア半島の数倍の面積におよぶ広範囲で、人工降雨を試みる、というプロジェクトがあることが報道されています。チベットには黄河の源流があるわけですが、ここの雨量を増やすことにより、特に水が不足する中国北部の水資源を確保しようという試みですね。ヨウ化銀を気化させる装置で降雨を促し、百億トンにもおよぶ降水量の増加を計画しているという事です........大陸の水不足の深刻さは昨日今日に始まったことではないですが、直感的に、こういうやり方が地球の気象環境に与える影響はどうか?というような事を考えないわけにはいきません。いずれ雨となって地表に降り注ぐにしても、本来上空にあったはずの雲が予定よりも早く消失してしまうという現象を人為的に起こしたときに、何も特別なことが起こりえないものでしょうか。
もっともこの人工降雨、なにも大陸だけではなく、いまや世界各国、もちろん日本でも行われています。

気象操作の元祖はやはりアメリカで、ベトナム戦争の際は、アメリカ軍が「ポパイ作戦」と称する降雨増加作戦をおこなっていました。
また北米を襲うハリケーンの中心に、爆撃機でもって大量のヨウ化銀やドライアイスを散布し、上陸する前に雨を降らせてしまう事で勢力を弱める、というような実験はかれこれ半世紀前にアメリカで実際に行われていました。その結果、予想されたハリケーンの被害は確かに相当減ったそうです。しかしその後継続されなかったのは、一回発生したハリケーンの被害を防ぐことで、後続して発生するハリケーンがさらに強大化するといった、副作用をもたらす可能性がある、という事が主張されるようになったから、という話があります。
大きな被害をもたらすハリケーンや台風も、地球上の壮大な熱の循環過程で、やはり理由があって発生しているわけですから、それを人為的に変えてしまう事で、どこかで別の被害が生じる、という事は考えられるわけですね。しかし、そのシステムは相当に複雑で、証拠を並べて「こうだ!」と断定するのは、実際の所は相当難しい、というところがあります。”十分条件”しか言えない”サイエンス”というものの、本質的な限界、という事かもしれません。

なので人工降雨と、甚大な被害をもたらした今回の豪雨を結び付けて因果関係を主張するのは、もちろんナンセンス、という事になります。
そうなってくると、やはり先人たちが持っていた、自然に対する畏れ、はばかりといったような、”知恵”のようなものを、あらためて見直す必要があるのかもしれません。
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営業を再開いたします。

21日まで臨時休業の予定でしたが、本日より営業を再開いたします。どうぞご利用ください。

今朝の地震ですが、皆さま、ご無事だったでしょうか?私は大阪南部なので大したことはなかったのですが、大阪北部方面はかなりの被害がでているようです。余震に注意してお過ごしいただければと思います。
本来は休業中に渡航して、筆の検品・入荷をしたかったのですが、のっぴきならない用件で渡航をキャンセルいたしました。なんとか夏中には新しい筆を入荷したいと考えております。

店主 拝
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6/12〜21日 臨時休業いたします。

......6/12から6/21日まで、在庫整理と商品入荷のため、営業をお休みいたします。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承ください。

新しい筆を入荷しますが、現在欠品、品薄になっている筆を再入荷します。工業製品と違って、手工業製品なので、前回ロットとまったく同じというわけにはいかないのが難しいところです。しかし昨今、書道用品業界全般の質的な凋落傾向の中にあっては、かなり高い水準で品質を維持してくれていると確信しています。これで価格も同じなら良いのですが.......こればかりはいかんともしがたいところがあります。巷間の人件費の高騰、物価の高騰と比較すれば、文房四寶に関してははまだしも穏やか、と言えるかもしれません。現在のベテラン職人は、むかし国営の製筆工場で働いていて、今は年金をもらいながら、物価の安い地方で筆を作っている、という事情も働いています。

昔に比べて大陸の筆や紙が悪くなった、という声を聞くことが多いですが、私の印象でいえばここ数年、価格も高くなりましたが、一部で質の高い製品をつくるところも出てきています。こういった製品は、職人の手から離れたときからすでにそれなりの値段がついているため、輸入して日本で販売するのが難しくなっている、という事情もあります。大陸経済の先行きに関しては、どうこういっても、あまり楽観できないですが、反面、70年代などに比べれば、全般的に格段に豊かになったのは事実です。(全体ではないにせよ)ゆとりのある生活を送れるようになった人々の一部が、書画篆刻といった古典文化に目を向ける中で、文房四寶に対する要求も年々高度になっている傾向が感ぜられるます。高価でも、品質が良ければ購入するユーザー層が生まれている、という事でもあるでしょうか。
日本国内に目を向ければ、70年代、80年代に大量に輸入されていた高い品質の文房四寶が、雪崩をうって大陸に還流していっています。その勢いを目の当たりにしていると、ただただ茫然とするよりありません。
往時、大陸で生産された品質の高い筆や墨、紙、あるいは硯のほぼすべては、外貨獲得のために日本へ輸出されたのでした。70年代初頭の鐵齋翁書畫寶墨などは、当時で5000円前後はしたものですが、大卒初任給が4万円の時代です。今の物価感覚にもどせば、2万円〜2万5千円はくだらないでしょう。それでも当時、書をたしなむ人々は競って買ったものでした。そう考えてみると、半世紀たたずにまったく価値観が変わってしまった、ということなのかもしれません。

大阪、とくにミナミを歩いていると、外国からの観光客の人の流れ、その勢いが衰えないなあ、という印象を持ちます。彼らは食文化をはじめとして、日本のさまざまな文化に惹かれてはるばるやって来られているのだとすれば、日本人としてうれしい気持ちもあります。そもそも海外に旅行する、というのは、おそらく異文化に触れることが一大目標になるのでしょう。和服を着て、日本の街を歩く美しい女性たちも目を引きます。日本の伝統文化が、海外の人に魅力的に見えるというのは喜ばしいことでしょう。世界に誇る日本の伝統文化、のようなこともいささか臆面不足なまでに、盛んにメディアに喧伝されまています。
初めて来日した海外の人にとっては、割りばしの箸袋だって珍しく目に映るかもしれません。しかし、いつまでもそうでしょうか。特に日本を気に入ってくれた人ほど。

ところでひと昔前の書道教室といえば、初学者は徹底的に臨書、とくに楷書の臨書に励んだものでした。楷書の基礎が無いと、行書や草書には進めない、と言われて我慢したものでした。初心者ほど、やはり流麗な行書を書いてみたい。あるいは仮名にも触れてみたい。という欲求があるものです。ところが現代は「まずはみっちり基礎を」式の教え方は大変不人気で、いきなり王羲之の蘭亭序とか、はたまた呉昌碩とか、気に入ったのを自由にやるのが良い、ということになっているようです。時代の流れでしょうか。近頃、私が通っていた大学の書道部の書展を観に行ったのですが、学生たちが自分の書いている作品の内容を読めないという事実に愕然としました。まあ、直接読めなくとも、注釈で確認するなり出来るでしょうが........適当に、黄庭堅や王羲之の一部を、文章の切れ目も関係なく抜き出して書いて得々としているのですね........自分が読めない文字をかいて書だという.......いよいよ書芸術もコンセプチュアル・アートに昇華したようです。漢文は、私のころは理科系でもセンター受験科目でしたが、今は変わったのでしょうか.......
幕末維新、都会のなまくら剣法が、実戦的な田舎剣法に文字通り太刀打ちできなかった歴史がありました。町道場は弟子のやる気の程度にあわせて、適当に目録、免許を与えていたのも、月謝がなければ経営がなりたたないので仕方ない一面があったといいます。自給自足の田舎道場はそんな必要がないので、ひたすら強さを追求できた、という事情もあります。平和な江戸時代、剣術が実用の手段ではないからこそ、ハク付けだけが通用したのでしょう。
毛筆で書を書くという行為に実用上の必要性が無い現代、書の稽古も果てしなく”自由”になってゆくのだろうと思います......是非はともあれ、それに一抹の危惧をおぼえるあたり、私も古い人間の部類に入ってしまったようではあります。
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