営業を再開いたします。

21日まで臨時休業の予定でしたが、本日より営業を再開いたします。どうぞご利用ください。

今朝の地震ですが、皆さま、ご無事だったでしょうか?私は大阪南部なので大したことはなかったのですが、大阪北部方面はかなりの被害がでているようです。余震に注意してお過ごしいただければと思います。
本来は休業中に渡航して、筆の検品・入荷をしたかったのですが、のっぴきならない用件で渡航をキャンセルいたしました。なんとか夏中には新しい筆を入荷したいと考えております。

店主 拝
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6/12〜21日 臨時休業いたします。

......6/12から6/21日まで、在庫整理と商品入荷のため、営業をお休みいたします。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承ください。

新しい筆を入荷しますが、現在欠品、品薄になっている筆を再入荷します。工業製品と違って、手工業製品なので、前回ロットとまったく同じというわけにはいかないのが難しいところです。しかし昨今、書道用品業界全般の質的な凋落傾向の中にあっては、かなり高い水準で品質を維持してくれていると確信しています。これで価格も同じなら良いのですが.......こればかりはいかんともしがたいところがあります。巷間の人件費の高騰、物価の高騰と比較すれば、文房四寶に関してははまだしも穏やか、と言えるかもしれません。現在のベテラン職人は、むかし国営の製筆工場で働いていて、今は年金をもらいながら、物価の安い地方で筆を作っている、という事情も働いています。

昔に比べて大陸の筆や紙が悪くなった、という声を聞くことが多いですが、私の印象でいえばここ数年、価格も高くなりましたが、一部で質の高い製品をつくるところも出てきています。こういった製品は、職人の手から離れたときからすでにそれなりの値段がついているため、輸入して日本で販売するのが難しくなっている、という事情もあります。大陸経済の先行きに関しては、どうこういっても、あまり楽観できないですが、反面、70年代などに比べれば、全般的に格段に豊かになったのは事実です。(全体ではないにせよ)ゆとりのある生活を送れるようになった人々の一部が、書画篆刻といった古典文化に目を向ける中で、文房四寶に対する要求も年々高度になっている傾向が感ぜられるます。高価でも、品質が良ければ購入するユーザー層が生まれている、という事でもあるでしょうか。
日本国内に目を向ければ、70年代、80年代に大量に輸入されていた高い品質の文房四寶が、雪崩をうって大陸に還流していっています。その勢いを目の当たりにしていると、ただただ茫然とするよりありません。
往時、大陸で生産された品質の高い筆や墨、紙、あるいは硯のほぼすべては、外貨獲得のために日本へ輸出されたのでした。70年代初頭の鐵齋翁書畫寶墨などは、当時で5000円前後はしたものですが、大卒初任給が4万円の時代です。今の物価感覚にもどせば、2万円〜2万5千円はくだらないでしょう。それでも当時、書をたしなむ人々は競って買ったものでした。そう考えてみると、半世紀たたずにまったく価値観が変わってしまった、ということなのかもしれません。

大阪、とくにミナミを歩いていると、外国からの観光客の人の流れ、その勢いが衰えないなあ、という印象を持ちます。彼らは食文化をはじめとして、日本のさまざまな文化に惹かれてはるばるやって来られているのだとすれば、日本人としてうれしい気持ちもあります。そもそも海外に旅行する、というのは、おそらく異文化に触れることが一大目標になるのでしょう。和服を着て、日本の街を歩く美しい女性たちも目を引きます。日本の伝統文化が、海外の人に魅力的に見えるというのは喜ばしいことでしょう。世界に誇る日本の伝統文化、のようなこともいささか臆面不足なまでに、盛んにメディアに喧伝されまています。
初めて来日した海外の人にとっては、割りばしの箸袋だって珍しく目に映るかもしれません。しかし、いつまでもそうでしょうか。特に日本を気に入ってくれた人ほど。

ところでひと昔前の書道教室といえば、初学者は徹底的に臨書、とくに楷書の臨書に励んだものでした。楷書の基礎が無いと、行書や草書には進めない、と言われて我慢したものでした。初心者ほど、やはり流麗な行書を書いてみたい。あるいは仮名にも触れてみたい。という欲求があるものです。ところが現代は「まずはみっちり基礎を」式の教え方は大変不人気で、いきなり王羲之の蘭亭序とか、はたまた呉昌碩とか、気に入ったのを自由にやるのが良い、ということになっているようです。時代の流れでしょうか。近頃、私が通っていた大学の書道部の書展を観に行ったのですが、学生たちが自分の書いている作品の内容を読めないという事実に愕然としました。まあ、直接読めなくとも、注釈で確認するなり出来るでしょうが........適当に、黄庭堅や王羲之の一部を、文章の切れ目も関係なく抜き出して書いて得々としているのですね........自分が読めない文字をかいて書だという.......いよいよ書芸術もコンセプチュアル・アートに昇華したようです。漢文は、私のころは理科系でもセンター受験科目でしたが、今は変わったのでしょうか.......
幕末維新、都会のなまくら剣法が、実戦的な田舎剣法に文字通り太刀打ちできなかった歴史がありました。町道場は弟子のやる気の程度にあわせて、適当に目録、免許を与えていたのも、月謝がなければ経営がなりたたないので仕方ない一面があったといいます。自給自足の田舎道場はそんな必要がないので、ひたすら強さを追求できた、という事情もあります。平和な江戸時代、剣術が実用の手段ではないからこそ、ハク付けだけが通用したのでしょう。
毛筆で書を書くという行為に実用上の必要性が無い現代、書の稽古も果てしなく”自由”になってゆくのだろうと思います......是非はともあれ、それに一抹の危惧をおぼえるあたり、私も古い人間の部類に入ってしまったようではあります。
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豪雨・欠航

.......少し前の話題。2017年9月の渡航で、帰国の前日。泊まっていたのはいつもの上海浦東新区である。その一帯が夜半近くから、時ならぬ驟雨に見舞われた。
ちょうど腹ごなしに、宿泊先付近をひとりで散策していた時であった。空模様を油断していただけなのであるが、丸腰である。とはいえ、仮に傘などを持っていたとしてもまるで役に立たぬ雨勢である。上海旧市街とは違い、浦東新区はすぐに駆け込めるような店舗はあまりない。このようなときに、タクシーなど全然捕まらない。手を挙げていてもアッサリと素通りされる。幸い、深夜まで空いていたカフェがあった。そこに駆け込んで暫時雨宿りである........しかし雨は強弱緩急をつけながらも降りやまない。閃光がまたたき、雷鳴が轟く......
コーヒーが空になったところで、就寝が遅れるのもどうかと考え直し、若干雨音が弱まったスキに店を出た。雷雨特有の冷たい雨ではあるが、このときは例年になく暑い9月で、多少濡れても寒いということは無い。とはいえ歩き出してしばらくすると、再び雨脚が強くなる。もともと人口密度の低い上海郊外の浦東地区であるが、この深夜の豪雨で無人の街のようである。
道路はたちまち小川のような流れにかわる。うっかり流れに足をいれて、排水溝などの深みにはまると危険である。十字路の、側道の交わるあたりは、浅瀬なのか淵なのか、深さが見当もつかない。矢玉のような雨がたたきにたたいて白く水煙があがり、まるで煮えたぎった湯が流れているかのようである。LED街灯の無機質な白い光だけが、煌々と水の流れを照らしている。
全身濡れそぼりながらも、ようよう宿に帰ることができたのであるが、時刻は午前2時を回っていた。眠りにつきながらも、この雨で上海周辺の航路は大混乱に陥っていることが思いやられた。
翌日、帰国便は夕方6時の離陸予定である。雨はほそぼそと降り続いてはいるが、勢いはだいぶん弱まっている。友人が手配してくれた車で、定石どおりに離陸予定の2時間前に空港に到着する。が、果たして、というべきか、大幅な遅延である。チェックインカウンターで『出発は夜の11時30分』と案内される。むろん、空の便の混乱は自分が搭乗予定の便にとどまらず、浦東空港を利用する航空各社各便に及んでいるようだった。なので空港ロビーは便をまつ人々でごった返している。
後で知ったことであるが、昨夜の豪雨で上海の浦東、虹橋の両空港で数百便が遅延・欠航していた、という。今日はかろうじて離陸可能な状態のようであるが、昨夜欠航・遅延になった便の離陸が押しに押していて、今日の便も遅れに遅れている、という事である。雨は弱まったとはいえ、空港上空は厚い雲が覆い、離発着のコンディションは必ずしも良くは無いであろう。
チェックインは済ませたものの、このまま出国審査を済ませて、搭乗口に向かうべきか?と、ふと考えた。何度も利用したことのある浦東飛行場であるが、搭乗口周辺に時間をつぶせるような、手ごろな(気の利いた)店舗は乏しいのである。この時、多くの人が搭乗口で待たされているであろうから、混雑も予想される。充電できるような場所もあまりないから、パソコンを開いて仕事をするにしても不便である。いっその事であるが、空港を出て、近郊の適当なカフェなりで時間を待とうと考えた。
そこで空港の荷物預かり所に荷物を預け、地下鉄2号線で上海市街に向けて数駅戻った”川沙鎮”という街に向かったのである。
川沙鎮は、上海市街の喧騒に飽いたときに、時折訪れる小鎮である。上海旧市街からは距離があるが、宿泊している浦東からはほど近い。清朝の昔、上海周辺の水郷小鎮は富商一族で栄えていたのであるが、川沙鎮もそのひとつである。再建された楼閣が往時の繁栄をしのばせるが、今やこれと言った歴史文物があるわけではない。しかし上海市に属しながら、江蘇省の小さな田舎町のような雰囲気がある。以前は夜になると屋台が軒を連ねたり、骨董を売る露店などもあったのだが、ここ数年で屋台の取り締まりが厳しくなってからは姿を消している。

とはいえ、今や上海市内でも珍しくなった、昔ながらの湯包を売る店などもある。この徐盛昌湯包店は、いくつかの分店をもつ湯包店なのであるが、近年のシステム化が進んだチェーン展開の飲食店と違い、手作り感を残した店である。上海市街では、人手のかかる湯包店が次々に姿を消しているのであるが、川沙鎮はまだしも店舗の賃料なども安いのであろう。オーダーの仕方も、昔ながらのカウンターで先払い方式なのである。ここで軽く夕食をとることにして、湯包と三鮮砂鍋を頼んだ。砂鍋というのは、日本でいう土鍋の事で、粉丝(春雨)の入った小鍋料理である。蘇州周辺、江蘇省の湯包店や餛飩店ではたいてい供されている。簡単ながらも多少手の込んだ料理というのは、空港のカフェなどではまずお目にかからないのである。
食事を済ませて外に出ると、まだ雨が続いている。まだ離陸予定時刻にはたっぷりと時間がある。
川沙鎮には、瀟洒な雰囲気のBARやカフェなどが出来ている。駅から5分ほど歩いたところに、道路に面してテラスを出した(雨で座ることが出来ないが)水色のレストランカフェがあったので、そこで雨宿りがてら時間をつぶすことにしたのである。

こういった、大陸大都市に最近みられる西洋風のレストランカフェやBARというのは、資金に余裕のある人々が、自身の海外留学や海外赴任の経験をもとに、なかば趣味で経営している店が少なくない。この店も、輸入ビールやワインをメニューに載せているが、上海市内の......たとえば衝山路あたりの洒落たお店に比べると、ずっとリーズナブルなのである。
時間つぶしにビールと、フレンチフライを頼むことにする。瓶のビールにグラスを添えて持ってくる。ドイツ製のビールは良く冷えて本物であった。また、ほどなく運ばれてきたフレンチフライは黄色い山を成している。空調も寒からず暑からず、湿った衣服の身にはここちよい空気である。
川沙駅からしばらく歩くと、上海でも今流行りの”スーパー銭湯”と見受けられる建物が見える。ここで風呂にでも入りながら、駅へ行く時間を見図ろうと考えた。
ここの”スーパー銭湯”は、韓国資本と思しきこしらえをしており、目新しい思いがした。浴槽はまだ新しく清潔で、数種類のお湯が楽しめる。
ゆっくりと湯につかってから、休憩室で休んでいると、航空会社からメールが飛んできた。メールに曰く「出発は午前2時に延期になりました。」という事である......いかんともしがたい。中国語的に言えば、メイバンファ、没法子、である。夜2時に離陸という事であれば、夜の12時に空港に戻れば間に合う算段である。
この時点で、さらなる遅延が予想された。空港の商店も閉まっているであろうから、コンビニで水と若干の軽食を買い、タクシーに乗り込み、空港へ向かう。川沙鎮から空港までは30分くらいの距離である。
そこで再びチェックインカウンターに向かうと、のるべき便の航空会社のロゴが掲示されたカウンターには、乗客が列をなしている。ずいぶんと長い列である。しかしふと思うのは、皆、スーツケースを持っている。これはいささか妙である。というのは、大半の乗客はチェックインをすませて、預けるべき荷物は預けているはずだからである.........並んでいる人に「あなたは大阪へ向かうのか?」と聞くと「違う、東京だ。」という。東京方面の便もおそらく遅延していて、今になってチェックインするのだろうか.......最近は同じカウンターで別方面の便もチェックインするから、同じ列に混在しているのだろう、と考えているうちに自分の番がくる。

スタッフにパスポートと見せると英語で「大阪?この便は大阪へは行きませんよ。」という。「どうしてか?」と聞くと「えー、私にはわかりません.....」という事である。どうも、深夜の事とて、航空会社のスタッフではなく、空港の地上業務請負のスタッフなので、要領を得ないそうなのである。見渡したところ、目の前のカウンターには、搭乗予定の日本の航空会社A社のスタッフらしき制服が見当たらない.........これにはいささか愕然とした......とふと右手を見ると、同じカウンターのならびに主に日本人らしき人々が、荷物を持たずに並んでいる。あるいはもしや、と思ってその列の最後尾の人に聞くと、果たしてそこが、搭乗予定の飛行機の旅客たちの列なのであった。しかしこのカウンター、窓口頭上のディスプレイには、中国の他の航空会社のロゴは表示されている........そして列を受け持つ係員から手渡されたのが「欠航」の案内である.......

要はこの航空会社のスタッフも、乗客は皆、搭乗口で待っていたと思い込んでいたらしい。まさか遅延を見越して近郊の街で時間つぶしをしている旅客がいようとは、思いもよらなかったのかもしれない。
そう考えるのも無理は無いが、当方としても別段、規則に反することをしたわけではない。遅延の案内は事前に電子メールでも案内される。出発予定が大幅に遅れても、当初の出発時間に合わせてチェックインしなければならない、という事ではないのである。とはいえ、大方の人は定刻に合わせてチェックインを済ませたのであろう。そして搭乗口で待たされながら、再度の遅延をアナウンスされ、最終的に「欠航」という事で再入国し、チェックインカウンターまで誘導されてきた、という事なのであろう。
これが大陸の国内線の場合、遅延は常態化しているのであるが、そのような場合は搭乗口でおとなしく待つしかない。遅れる場合はさらに遅れるのが普通なのであるが、まれに出発が早まることもある。そうした時、乗客のひとりやふたりが勝手にどこかでレストしていたとしても、構わず出発してしまうものなのである。
しかし国際線、それも日本の航空会社の場合、遅れるといいっておいて離陸OKになったから時間を早めて出発、という事は(たぶん)無いだろう。
ともあれ「欠航」である。しかも深夜12時を回った上海で、である。封筒を渡され、中には人民元で100元札が10枚入っていた。これが今夜の宿泊交通費、というわけであるが「今夜の宿はご自身でお手配ください。」とある........いかんともしがたいので浦東のD君に電話して、家に泊めてもらう事にしたのであるが、もし大陸に不案内な個人旅行者であればどうしたであろうか。むろん、空港周辺のホテルはほかの便の旅客も合わせて、一杯になっているはずである。深夜のこの時間で、上海市内に一部屋確保する手腕など、誰にでもあるわけではないだろう。ツアー客などは、ツアーコンダクターなり、旅行会社がまとめて引き受けているようであるが。やはり空港のロビーで夜明かし、という事になるのではないだろうか。
後に知人に聞いたところ、そういう場合はあえて航空会社に、宿が手配できないか聞いた方がいい、という事だ。「各自手配してください」とは言うものの、どうしようもない客のために、若干の部屋は確保しているはず、という事である。仮に右も左もわからないような、年若い女性を深夜に放り出して、何か難儀な目に遭ったら、という事もありえるだろう。

その夜は再びタクシーを飛ばして浦東のD君宅に泊めてもらい、翌日、同じ時間の便で無事帰国したことまではくだくだしく書かない。D君曰く「日本の航空会社は旅費交通費まで出してくれて親切ですね。大陸の会社だったら、何もしてくれませんよ。」という事である。
いままで「遅延」は何度かあったが「欠航」は初めてであった。なるほど、相当な悪天候の場合、「欠航」にも備えておくべきなのだなと、これも一つの経験であった。
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