新老坑硯五面 〜有眼荷葉硯

新老坑硯を五面、あらたに店頭にお出しした次第。今回、弊店にしてはややおおぶりな、ハスを模した荷葉硯もある。この新老坑硯、珍しいことに眼がある。
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......寶硯堂硯辨には、老坑水巌は大西洞の三層の石をさらに上下二層に分け、この上層の部分を”腰石”と呼び、よく眼が出ると述べている。手のひらに載るほど大きさながら、眼が必ず数個はあると。
正直、この"腰石"に相当するであろう大西洞の硯石については、恥ずかしながら過眼している自信がない。”かならず数個の眼が出る”というあたり、そのような老坑水巌の硯石が存在することが、やや信じがたい思いがする。
大西洞の三層であれば必ず佳材に違いない。いや大西洞に限らずとも、佳材にしてかつ眼が数個もあるような老坑水巌自体、記憶の中でも片手に満たない。
一般に老坑水巌に眼の出ることは極めてまれで、それは老坑水巌近傍で発見された新老坑においても同様なのである。

端溪を特徴づける石品として珍重される眼、ないしは石眼であるが、端溪だからと言って眼が必ずあるわけではない。
比較的よく眼がみられるのは坑仔巌であるが、坑仔巌の眼はおおむね丸くて黄色味の勝った色をしている。老坑水巌といえば淡い緑色、ないしはさらに青の勝った翡翠色をした、いわゆる鸜鵒眼(くよくがん)である。しかし現実、老坑系の硯石では鸜鵒眼はおろか、死眼ですらめったに見られるものではない。

端溪といえばやたらと石眼を珍重する向きがある。以前にも触れたが、夏目漱石の”草枕”では、田舎の温泉を訪問した主人公が寺の茶席に呼ばれ、蜘蛛を模した端溪硯を見せられる。じつに九つもの眼のあることをもって、非常に貴重な硯であるとしている。
 
「中央から四方に向って、八本の足が彎曲(わんきょく)して走ると見れば、先には各(おの)おの鸜鵒眼(くよくがん)を抱かえている。残る一個は背の真中に、黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく煮染(にじん)で見える。 」

この石眼、蜘蛛の足上にひとつづつと、背中にひとつの、合計9つであったと描写されている。その眼のいちいちが蜘蛛の足の配列に従ってほぼ等間隔に並んでいる旨が”草枕”には描写されている。むろん自然に生まれた配列ではないだろう。後から別所の眼をもって補填した、いわゆる”嵌め眼”と考えられる。
背中の眼だけが黄色く、他が鸜鵒眼であるという。自然に表れたのは背中の黄色い眼であり、鸜鵒眼は”嵌め眼”に相違ない。およそ一硯の一面に現れる眼の、あるモノが黄色く、またあるモノが緑がかった鸜鵒眼、これらが混ざり合っているということはまずない。
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実のところ弊店で扱ってきた新老坑硯も、明瞭な眼の出るものはなかったはずである。眼の出た硯だけ秘蔵しているわけではなく、眼の出ていて、かつ材質のいい硯は滅多にお目にかからないからである。
硯としての性能を全うするだけの堅牢な鋒鋩であるとか、材の温潤さを重視して選別していると、眼の出る硯ははじかれてしまうことが多い。とはいえ眼だけを重視して硯を選んでいると、それなりの数の端溪硯が出てくるのである。しかしあいにくと材質が劣っていることが多いのである。
眼が出ているからと言って材質が悪い、ということではないが、材質が良くかつ眼が出ている硯は不思議と少ないのである。

石眼にかぎらず、硯に現れるさまざまな外見上の特徴、すなわち”石品”でもって硯石、とくに端溪硯の良しあしを判断するのは危険である。良い石品が出ているからと言って、鋒鋩が堅牢であるという保証はどこにもない。また確たる石品が現れていないからと言って、材質が優れていないとは限らない。硯をもっぱら観賞用の石の彫刻とするならば、石品をもって価値を決めるのもひとつの価値観であろうけれど、その見方を当方は採らない。
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しかし強いて石品を重視するのであれば、それは”青花”であろうか。寶硯堂硯辨でも、天青に続いて石品の筆頭に挙げている。また青花に付随して現れる蕉葉白や魚脳凍、などがたっとばれる。「寶硯堂硯辨」に限らず、幾多の『硯説』が述べるところでは、青花は硯石の精華であり、佳材の証であるとしている。
太陽の下において、水に沈めた時に青花が浮かび上がるさまは硯石が脈動するかの如く、生命力を感じさせて好ましいものである。
しかし注意を要するのは「寶硯堂硯辨」が説くのはあくまで老坑水巌において、という点である。青花は麻子坑や坑仔巌にも現れる。しかし青花が出ているからと言って、他の雑坑の硯石が老坑水巌に勝る、ということを意味しないのである。このたありは言葉の論理をよくわきまえておかなければならない。別段”必要条件”や”十分条件”を持ち出さなくてもいいが「逆、必ずしも真ならず」は、常々頭に置いておかなければならない。老坑水巌であり、かつ青花が出ている場合において、という意味である。

昨今、金線銀線や氷紋のあるをもって老坑水巌である、とみなす傾向がある。また眼の出る端溪硯を珍重する向きも、やはり根強いものがある。しかしながら金線や銀線は古くは石瑕として扱われた石品である。また石眼も同様、削り取られてしまっていた時代もあった。金線も石眼もともに、それらが現れていたからと言って硯石の温潤なことを担保しないからである。
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さて、この荷葉硯は写真には写りにくいのであるが、細かい青花が一面を覆っている。弊店が扱う硯としては、今までの中で最も大きい部類であろう。しかし一般に老坑ないし新老坑に巨材は少ない。面積にして小さく、厚さが薄く、かつ不定形をしていることが多い。不定形の天然石を四直の硯板状にカットしようとすれば、相当部分を捨てなければならないのである。
硯背と硯面に数条の金銀線が走っているが、それはハスの葉の葉脈に見立て、荷葉硯に仕上げているのである。墨池を持たない硯板状の硯はいささか玄人好みである。もっとも大きな眼の周囲を若干もりあげ気味に仕上げているのも、古来からの有眼硯の作硯手法である。ゆえに硯面は完全な平面ではなく、緩やかな起伏がある。大きさが大きさだけに値段も値段なのであるが、当面、店頭を飾ってもらえればヨシ、という次第である。
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新老坑硯数面

.......「四体筆勢」を自分で宿題にしておきながら、諸事情で立て込んでしまって内容が進まない。まずは近日中に、店頭の在庫も残り少なくなった新老坑硯を何面か追加したいと考えている。以下はそのうちの四面。
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宿題といえば、いつか何傳瑤の「寶硯堂硯辨(ほうけんどうけんべん)」も解説してみたいのであるが、いつになることやら。
愛硯家のバイブルと言われる「寶硯堂硯辨」が面白いのは、老坑水巌を説きながら他の雑坑の記述に及んでいるところである。すなわち大西洞の後に小西洞について述べられるわけではなく、大西洞と似た雑坑を列記し、しかる後に正洞について説き、続いて正洞に似た雑坑を列記......これを以下小西洞、東洞、として老坑四坑洞について述べている。
要するにそれだけ老坑四洞の特徴に似た端溪の雑坑が存在するというわけで、「寶硯堂硯辨」で老坑以外に言及される”雑坑”は三十一にも及んでいる。その中には現在ではどこの坑洞なのかわからないような坑洞もある。大西洞に近似の”雑坑”の中には坑仔巌も麻子坑も入っているから、ひとからげに雑坑と言ってしまうと語弊があるだろう。
しかし何傳瑤の価値観では、老坑水巌以外の諸坑にはとるべきところがないのである。宋坑に至っては砥石あつかいなのである。
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「寶硯堂硯辨」の初版は道光十年(1830年)であり、この時代にはむろん新老坑(戦後に開坑)はまだ開坑されていない。もし新老坑を見ていたら何傳瑤がどのように述べたことだろう。さらにいえば、70年代以降に大規模に開坑され、現在も採石が続いている、俗にいう沙浦石というものがある。沙浦は老坑のある斧柯山とは離れた場所の石であるが、なんと露天掘りで麻子坑、坑仔巌、老坑水巌に似た石が採れるのである。しかも巨材にも事欠かない。これも何傳瑤が知っていたら、どのように評価したであろう。
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雑坑でも老坑水巌の石品の特徴を持っていれば、これを強いて老坑として売れば高く売れるわけである。端溪の硯工達が雑坑の中から氷紋の出る硯石を老坑としている旨も「寶硯堂硯辨」には述べられている。
古今、硯にかけては百戦錬磨の硯工達がそのようなことをするからこそ、老坑水巌と雑坑の弁別が重要なのである。そこが何傳瑤をして「寶硯堂硯辨」をあらわしめさせた、主たる動機であるともいえるだろう。
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以前「金線があれば老坑なのか?」という記事で述べたが、たとえ金線銀線があっても、あるいは氷紋があっても、かならずしも老坑とは断定できない。このことはすでに「寶硯堂硯辨」の大西洞近似の雑坑の中で述べられている。
そもそも金線の類は石瑕(いしきず)とされている。また老坑にあっても特に佳材の出る二層三層の石層ではなく、四層以下、底の方の石層にこれが多いと述べられている。石品として珍重されるのはまず青花、魚脳、蕉葉白等であって、金線などではないのである。
大西洞は頂石、二層、三層、四層、と続き、五層をもって”底石”としてこれは硯材にならないと述べている。二層、ないし三層が佳材であり、大西洞の三層をさらに二つの層に分けて論じている。
何傳瑤は三層目を特に佳材としているのであるが、ここには金線や銀線の記述はない。また底石に近くなるにつれて金線銀線が増えるのは、大西洞以下の老坑全般の傾向であることが「寶硯堂硯辨」からは読み取れる。
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昨今、特に金線をもって”老坑の証”と主張する向きがある。これは近年、経験の浅い業者が多数参入した結果の”胡説(でたらめ)”である。古くから老坑水巌を扱っている者なら、魚脳や蕉葉白、青花、天青といった石品を珍重するが、金線をもって老坑水巌とみなす、という見方はまずしないものである。
また新老坑には金線が比較的多くみられるのは、経験にてらせば事実である。新老坑は老坑の近傍の石脈であり、老坑水巌の”底石”に近い性格を持っているということなのだろう。
しかし金線が出るからと言って、新老坑とは限らない。また金線が認められないような新老坑も存在するのである。
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新老坑を弁別する過程で、金線のある硯石を多く過眼することになる。冒頭に掲げた四面の新老坑硯にもすべて金線が認められる。

逆に金線がありながら新老坑ではない、といって、では逐一どこの坑洞であるか?というところまでは正直わからない。しかし少なくとも「新老坑ではない」と言い切れるのは、墨を磨るための基本的な特性である”鋒鋩”がまるで違うからである。

言うまでもなく、老坑水巌が何故貴とばれたかといえば、石品が美しいのは二の次で、緻密で強靭な鋒鋩を持つからである。新老坑は石品の美しさや温潤さという面では老坑水巌に及ばないものの、やはり強靭で密生した鋒鋩を持ち、墨をよく溌墨させてくれるのである。実用的価値において、新老坑を推す由縁である。
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金線、銀線、あるいは氷紋であっても、老坑水巌と比較した場合には、やはり雑坑や新老坑では微妙に違う形態が認めることができるのである。しかしそれは「おおむね」の話であって、中には非常によく似た格好で現れる場合もある。
以下の写真は、新老坑の金線に非常に似ているので悩ませるのであるが、この硯石は鋒鋩がまるでなく、つるつるしているだけで墨が全く下りない。詳細はつかみかねているが、あるいは端溪の硯石ではない可能性もある。
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また老坑水巌にせよ、新老坑にせよ、巨材はなかなか出ない。直方体をなすような、いわゆる四直の硯板をつくろうと思えば相当部分を捨てなければならない。手のひらに乗るような小さな硯板でも、もとは幼児の頭ほどの硯石であったと考えなければならない。
ゆえに材を惜しんだ結果、老坑ないし新老坑は天然の不定形をしている場合が多く、四直に切った硯板であっても、四辺のどこかに天然の趣をのこしているものである。また”四辺天然硯”といって、四辺のすべてに天然石の面影を残した形勢を貴ぶ向きもある。
なので硯板状の硯で8インチを超す大きさがあり、四直に切ってあって氷紋や金線が出ている硯材というのは、老坑水巌であれば珍しい部類といっていい。そんな硯材は始終お目にかかれるものではなく、少し疑ってかかった方がいいくらいである。特に沙浦は巨材を産し、氷紋や鸜鵒眼など、老坑水巌固有の石品が出ることがあるから注意が必要である。
新老坑にせよ、沙浦にせよ、何傳瑤の時代には開坑されていなかった点は改めて注意していいだろう。

以下の写真は新老坑硯であるが、天然の石の皮を残した作硯例である。
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新老坑を扱っていて、まれに老坑水巌に近い温潤な性格を示す硯に出会うことがある。老坑も四層以下の石は金線が多く出、その質はやや粗燥であるという。それでも同じ老坑水巌の二層や三層と比較した場合であって、新老坑に比べればもう少し温潤な性質をもつものかもしれない。
何傳瑤曰く「底石は硯にならない」というが、老坑は貴重である。底石ないし四層の石であっても、ある程度見どころがあれば、硯に仕立てられることもあっただろう。そのような材が新老坑硯のような顔をして世に現れていたとしても、それを弁別するのは相当難しいだろう。自身、そういった硯を新老坑に区分してしまっている可能性がないとは言い切れない。
巷間、老坑水巌と新老坑を区別している者は少ない。新老坑もすべて”老坑”にしてしまった方が、売るには都合がいいのは確かである。それ以前に区別ができない、というのが実際なのだろう。新老坑が区別できないのはすなわち老坑水巌がわからないのと同義である。新老坑と老坑水巌を混同している方面には、用心してかかった方がいいかもしれない。

ともかくも扱う硯は墨を繰り返し磨ってみて、鋒鋩の堅実なることを確かめたものに限っている。老坑水巌の端くれが混じっている可能性はあるが、沙浦そのほかの雑坑が入り込んでいる可能性はまずない、と考えている次第である。
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金線があれば老坑なのか?

老坑水巌や新老坑など、いわゆる老坑系の硯石に特徴的な石紋として、硯面上に認められる線状の模様、”金線”、”銀線”、あるいは”氷紋”がある。氷紋は古くは”氷紋凍”とも呼ばれた。長い年月をかけた造岩の過程で、地中の圧力によって岩石に亀裂が生じ、そこへ周辺の鉱物成分が浸透し、固化することで形成されたと考えられる。
黄色味を帯び、光の下でわずかに反射光を呈するものを金線という。また白色の勝ったものが銀線と呼ばれている。銀線のような白色の線状模様が複数本交錯し、あたかも凍結したるがごとく、あるいは氷板に亀裂が走っているように見える場合に”氷紋”と認められることになる。以下は老坑における金線、銀線の例。

金線、銀線、氷紋は、老坑水巌あるいは新老坑に特徴的な石紋、と述べたが、無論の事、すべての老坑系の硯石に金線や銀線、氷紋が認められるわけではない。金線、銀線ともに存在しない、あるいは存在しないように作硯された老坑硯もある。
また多く硯石を過眼してきた経験に照らせば、老坑水巌よりも新老坑のほうに、より金線、銀線が認められることが多いようである。

最近では金線の存在を以て「老坑」と認定する向きもある。たしかに老坑や新老坑など、老坑系の硯石に多く見られる金線であるが、金線が無いからと言って老坑ではないとは限らない。清の呉蘭修の「端溪硯史」などでは、金線は”石瑕”に数えられているくらいであるから、氷紋などと違い、あえて珍重すべき「石品」のひとつには数えられていないのである。
ゆえに金線が出ない、あるいは金線を避けて作硯された硯もあるから、金線が出ていないからと言って老坑ないしは新老坑とは言えない。すなわち

金線が無い→老坑(あるいは新老坑)ではない。

という命題は成立しない。金線が無いことは老坑ではない事の必要条件であって十分条件ではない。では、

金線がある→老坑(あるいは新老坑)である。

という命題は成立するだろうか?
これはただちに反証しうる。老坑ないしは新老坑以外の硯石にも、金線が現れるからである。以下は明らかな梅花坑であるが、明瞭に金線が認められる。
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すなわち「金線がある」ということは「老坑(あるいは新老坑)」であることの、必要条件であって十分条件ではない、というところなのである。
また梅花坑以外の、諸坑や雑坑にも金線ないしは銀線は存在しうる。以下はその例である。
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もっとも、白っぽい線については銀線以外にも、白線や水線、という言い方がある。「寶硯堂硯辨(ほうけんどうけんべん)」に曰く「白線巌」という老坑ではない坑洞があり、

”多白筋如粗銀線,石工以之充冰紋凍,然石筋粗大無活色,且一片紅灰混濁氣,無潔白融液如大西冰紋者。”

「粗い銀線のような白い筋が多く,石工は之をもって冰紋凍に充(あ)てる。然るに石筋は粗大で活色が無く,且つ一片の紅灰色の気が混濁としており,大西の冰紋のような潔白で融液のようなところがない」

と評される。また端溪硯史では、他の坑道について

”白紋如線,適損毫非所尚矣”

「線のような白い紋様は、(筆の)毫を損なうに適い、尚なり(=望ましい)とするところに非ず」

といって区別している。
言葉の定義というのは難しいのであるが、老坑に現れる白っぽい線は銀線で、そのほかの諸硯坑の硯石に現れる白っぽい線は水線ないし白線なのである、というように言ってしまうと何が何だかわからなくなる。黄色い線だの白い線だので安易に硯石を断定してはならない、というところだろう。
また以下の硯石は端溪かどうかも疑わしい硯石?の例。鋒鋩がまるでないのである。しかし金線は非常に新老坑のそれに類似している。
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「寶硯堂硯辨」によれば老坑水巌にのみ氷紋が現れるとしているが、当時はまだ新老坑が開坑されていない。新老坑にも氷紋と呼ぶべき石品は現れる。しかし老坑水巌のそれには及ばない。「寶硯堂硯辨」にも

”若冰紋帶青花乃千百中之一、二,謂之絕品可也。”

「もし氷紋の青花を帯びたものは千百中の一、二であり、これを絶品というべきなり。」

とあって、極めて珍しいとしている。老坑の金線、水線、氷紋については別の機会に詳述することもあるだろう。

ともかく、金線、銀線、ないしは水線ともいうべき、線状の石紋が現れていたからと言って老坑ないし新老坑と断定するのはまったくもって早計なのである。金線があるから老坑です、という売り方をしている向きがあれば疑ってかかったほうがいいかもしれない。
また金線や銀線にだけ注目して老坑をさがしていれば、あたら佳材を見落とすことになりかねない。ここに注意を喚起する次第である。
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祝新元号 「万葉集 梅花歌併序」

万葉集 梅花歌併序

(原文)

天平二年正月十三日。萃於帥老之宅。申宴會也。
於時初春令月。氣淑風和。
梅披鏡前之粉。蘭薫珮後之香。
加以曙嶺移雲。松掛羅而傾蓋。
夕岫結霧鳥封而迷林。
庭舞新蝶。空歸故鴈。
於是蓋天坐地。促膝飛觴。
忘言一室之裏。開衿煙霞之外。
淡然自放。快然自足。
若非翰苑何以攄情。
詩紀落梅之篇古今夫何異矣。
宜賦園梅聊成短詠。

(書き下し)

天平二年正月十三日。
帥老(しろう)の宅(たく)に萃(あつ)まり、申(かさね)て宴(うたげ)を會(かい)すなり。
時は初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)
気(き)は淑(しと)やかに風(か)和(やわらか)し
梅は披(ひら)く鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)
蘭は薫(かお)る珮後(はいご)の香(こう)
以って加(くわ)うるに曙(しょ)の嶺(やま)は雲を移(うつ)し、
松は羅(ら)を掛け蓋(がい)を傾く。
夕岫(ゆうしゅう)は霧(きり)を結び、鳥は封(とざ)して林に迷う。
庭に新蝶(しんちょう)舞い、
空に故鴈(こがん)帰(かえ)る。
是において天を蓋(がい)とし地を座(ざ)とし、
膝(ひざ)を促(つ)めて觴(さかずき)を飛ばさん。
一室の裏(うち)に言を忘れ、煙霞(えんか)の外に衿を開く。
淡然(たんぜん)として自から放(はな)ち、快然(かいぜん)として自から足る。
若(も)し翰苑(かんえん)にあらざれば何を以って情を攄(の)べん。
詩に落梅之篇(らくばいのへん)を紀(しる)す、古今(ここん)夫(そ)れ何ぞ異とするや。
宜(よろ)しく園梅(えんばい)に賦(ふ)して聊(いささ)か短詠(たんえい)を成さん。

(補足)
和製漢文なので、語順の感覚に注意が必要かもしれません。あくまで漢文として読んでみます。
「申」は重ねて、の意味があり、正月の宴の二次会を会のリーダー的年長者の邸宅で開いたと思われます。
氣淑風和」は、漢語風にいえば「淑気」「和風」ですが、意図的に逆転したのでしょうか。
「粉」ですが、ここは次の蘭の句と対句になっており、対応する「香」がおそらく香炉を表すことから対応して「白粉」という解釈が可能でしょう。「鏡前」とありますが、白粉から連想して「鏡台」を指すかのように思えますが、庭に向けて魔除けにおいた鏡のことでしょう。いわゆる照魔鏡は、鬼瓦と同様大陸から伝来しましたが、貴族の邸宅では一般的な風習でした。それに庭の梅花が映っているのを、鏡台の前の女性の化粧になぞらえたと考えられます。
「珮」はしめた帯。
「蘭」ですが、旧暦の正月13日といえばまだ2月下旬で、梅はともかく蘭の開花時期としてはギリギリです。庭に咲いたのではなく、室内で鉢植えで育てられた蘭を想定していると思われます。ゆえに「香」一字で「香炉」、ということになります。また蘭の花は単独で君子を表します。しめた帯のあたりから蘭の香が漂うというのですから、集まった者達がいずれ劣らぬ君子ぞろい、ということを暗示しています。
「曙」は日本語ではもっぱら「あけぼの」、朝の光を指しますが、漢語では明るい太陽の光のことでもあります。夕暮れに向かう前後の文脈から「朝陽」のことではなく、山際におちかけて最後の光芒を放つ陽の光をいうのでしょう。
「松掛羅」の「羅」を「うすもの」としている訳例がありますが、松に羽衣をかける文脈は前後にないですね。「松羅」は松に寄生する和名サルオガセという地衣類で、漢語では女羅といいます。また蓋(がい)を傾くというのは、天蓋(屋根)のように広がり茂った松の枝葉のことです。
「鳥封」は、鳥が霧に閉じ込められて林で迷子になる、ように訳している例がありますが、それなら「封鳥」のはずです。「封」は口を閉ざす、という意味があります。鳥は鳴くのをやめて、というように解釈しました。
「煙霞」は「紅塵」と同じく、世俗、俗世間のこと。「煙霞」の外、ということですが、あつまった者達の間にも階級や職位の区別はあるわけです。それを忘れて楽しみましょう、という事ですね。なので「開衿」の対句の「忘言」の「言」は、身分に応じた言葉遣い、という意味に解釈できます。
「淡然」はたんぱくな気持ち。名誉や利益から離れた心境。
「詩」とあるのは詩経。古く詩経にも梅を詠んだ詩があります。

(大意)

天平二年の正月十三日、頭(かしら)だつ人の家にあつまって二次会の宴会をひらいた。
時節は初春の(正月)めでたい月。空気もようやく温かく、風も穏(おだ)やかに吹いている。
鏡には、白粉のような白い梅の花が映り、集まった君子たちのしめた帯の背中からは、蘭の薫(かおり)が香炉(こうろ)を置いたようにかすかにただよってくる。
傾いた日が山際にさしかかり、山裾には雲がながれるのが見える。
女羅がさがった老いた松は、屋根のように大きなその枝葉を庭にかたむけている。
山にかかる夕靄はふもとにおりて霧となり、鳥は鳴くのをやめ、林をさまようかのように飛びわたる。
目の前の庭には生まれたばかりの蝶が舞い、遠くの空には故郷へ帰る雁が飛ぶ。
(ああ、美しいこの場所、)ここでもって天地の区別なく無礼講で楽しむことにした。
そこで席順を崩し、膝をつきあわせ、酒杯を応酬する。
一部屋の中で言葉遣いも忘れ果て、世俗の身分に関係なく、衿(えり)を開いて打ち解けあう。
名利を忘れて自由な気持ちになり、楽しい気分になって満足する。
もし、文学に拠らなければ、どうやってこの楽しい感情を表し残したらいいのだろう。
詩経に落梅花を詠んだ詩があるくらいだから、昔も今も(この季節に梅を詠むことに)違いはないのだ。
だから皆でもって庭の梅をテーマにして、すこしばかりの短歌をつくったのである。


ともあれ「令和」が良い時代にならんことを。
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桜と新元号

明日、新しい元号が発表になります。とはいえ明日をもって平成の時代が終わるわけではないですが、気持ちの上ではひとつの時代の区切りの日となりそうです。

今年は三月下旬に寒い日が続き、桜の開花が遅いように感じるのですが、昨年がやや早かったからかもしれません。今日は全国的に気温が低く、関西では小雨がパラつく地域が多かったと思います。大阪ないし東京周辺のお花見のピークはやはりこの週末、あるいは来週末、というところでしょうか。
和歌はあまり勉強したことが無いのですが.......桜と新元号にちなんで(ご愛敬までに)四首ほどつくってみました。

三十一(みそひとの)すぎゆく御代をおくらむと
散りぬるころをまてし花影

咲きそめし花をさそいて春雨の
ふりゆくままにうつる御代かな

御代やあらむ、花やむかしの花ならぬ
うつりにけるは人ばかりなり

たいらかになりてのどけき春の日に
新しき世を迎ふるよろこび

一昔三十年と言いますから、平成をもってひとまず一昔、というところでしょうか。散る花や、昭和も遠くなりにけり.............
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