発売 筆四種

長らくお待たせいたしました。新入荷の筆を四種、リリースいたしました。どうぞご覧ください。

先月末に少し頼まれていた原稿があり、他にも諸々の所要が立て込んでしまい、準備がずいぶんと遅くなってしまった事をお詫びいたします。新老坑袖珍硯はもうしばらくお待ちください。止まっていた『三国志正史』のお話も続きがあります。

ところで三国時代というのは文房四寶の歴史を考えるうえでも重要な時代なのですが、調べるほどによくわからない時代でもあります。いや、現代から見れば”よくわかっている”時代なんか無い、と言えるのかもしれませんが、後漢から三国時代というのは、『三国志演義』で有名だけに良く知られてはいるけれど、よく分かっていない時代なのではないかと思います。

後漢から三国時代が文房四寶の歴史を考えるうえでなぜ重要かといえば、この時代から”能書家”が多く現れます。以前に”四体筆勢”の訳出を試みましたが、これが途中で止まっているのは、著者の衛瓘の生きた三国時代について、言うほど自明ではないな、と思ったからです。
有名どころでは蔡邕や鐘繇、韋誕が知られていますが諸葛孔明や息子の諸葛瞻、あるいは呉の張昭など、伝記に”隸書が巧み”というように書かれている人物は少なくないのです。能書家の出現は、それを支える道具の発達を意味します。それ以前の時代で能書家といえば、始皇帝に仕えた李斯が有名です。他、程邈、趙高、胡母敬などいずれも秦に仕えた人物の名が見られます。しかし他を見渡すと、戦国春秋時代を彩った縦横家にしても楚漢戦争で活躍した策士達にしても、水準以上の知識人であったはずなのに”書が上手”というような事が書かれていないのですね。もちろんこれは秦による文字の統一と関係があると思いますが、ともかく少ない。また前漢では蕭何、嚴延年、揚雄、陳遵、史遊が能書家という事になっていますが、やはり多いとは言えません。

後漢から三国時代に”能書家”が現れるのは、書が上手であることに技能として価値が認められた事を意味し、それは書の鑑賞が進み、また能書家それぞれが個性を発揮しうるだけの道具や材料が改良された、という事でもあります。現在からみれば書がうまいかどうかは”趣味”の範囲で語られてしまいますが、筆記が統治の根幹をなす手段であった以上、それに長けているという事は、趣味性以前の重要な意味を持っていた、と考えなければならないでしょう。

漢代に紙が発明されたといわれていますが、後漢から三国時代にかけてもおおむね木簡・竹簡が使われていた、とみてよいでしょう。くわえて石刻も重要な筆記の材料でした。しかし竹簡、木簡では重さや体積に比べて、記述できる文書量がやはり少ない。
紙の量産が可能になるという事は、今で言えば半導体産業で従来とは桁違いの容量を持つ記憶媒体が開発・製造可能になった、という事に等しいわけです。そのような意味では古代の製紙業、あるいは製墨業というのは現代の半導体産業に匹敵するような、高度な知識と技術を要する、当時としては極めて重要な産業であったわけです。


『三国志正史』には実際に紙の使用を思わせる記述が散見します。たとえば魏書の『程郭董劉蔣劉傳』には


帝納其言、卽以黃紙授放作詔


とあり、また『呉書』の「張嚴程闞薛傳」には、


居貧無資、常爲人傭書、以供紙筆。


など、後漢から三国時代には紙がある程度は使用されていた事がうかがえます。とはいえ当時の出土文物には依然として竹簡・木簡が多く、書籍と言えるほどの紙の出土例は多くないわけです。


知識が非常に貴重な時代、知識の媒体もまた貴重だったはずです。実は書きかけの”黄祖=黄承彦?”は孔明の事を調べているうちにたどり着いたのですが、孔明について調べていたのは、孔明が当時の知識人としてはかなり特異な存在だったからです。それは孔明だけではなく、当時の琅琊の諸葛氏がかなり突出した存在だったことでもあります。ある意味、魏を簒奪して晋王朝をたてた司馬氏と表裏をなす存在、と言えるほどに一種異様なほどの存在感を放っています。それには理由があったはずで、それが何であったのか?という事を考えながら、後漢から三国時代における知識人像がつかめれば、というような事を構想している次第です。
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筆四種

......昨今の物流事情にかかわらず、比較的順調に入荷が出来、一安心というところ。中国の地方都市から品物を送ってもらう場合、まずは深圳や上海の知り合いの元へ中国国内便で発送してもらいそこからDHLなりで送ってもらうと早い。地方都市から直接となると運輸会社も限られるうえに、余計に日数がかかる場合が多いのである。


前にご紹介した令月和風は純羊毫の長鋒筆であるが、他に三種類の筆を試みた。一種は羊毫と狼毫の兼毫筆、ほか二種は兎毫を芯とした兼毫筆である。


狼毫と羊毫の兼毫筆は李鼎和の羊狼毫大楷という筆をモデルにしている。芯は狼毫であるが、副毛の羊毫も弾性の調整と含水性に貢献している。昔の和筆には和様・唐様ともにこうした羊毫と狼毫の兼毫筆が多かったものであるが、最近はどうであろう。”大楷”としているが大楷といっても昔の大楷の事で、せいぜい5僖泪抗僂暴颪韻襯汽ぅ困瑠棺颪了である。
”楷書用”をうたっているが、何々用、というのは目安程度にお考えいただいた方がよく、行書や草書、あるいは仮名に応用されても好適であると思われる。


また、さる筆の収蔵家からお借りした兼毫筆の構造を調べ、再現したのがこの二種の兼毫筆である。
「紅豆」ないし「金不換」という筆については以前に述べた。静嘉堂文庫美術館の「唐筆一式」、あるいは「米庵蔵筆譜」には「水筆」ないし「京水」あるいは「京毫水筆」というような呼称の筆がある。これらの筆は科挙の受験用原稿を筆写目的で造られた筆であると推察している。
ほぐしてみると、芯には兎毫が使われ、羊毫を副毛としている。この羊毫は「京水」と称する場合は筆鋒の副毛が紅く染められている事が多いのであるが、単に水筆として場合は紅以外の着色もみられる。本来は筆鋒を赤く染めるべきなのかもしれないが、今回はあえて白い羊毫のままとした次第。いうなれば寫卷を大きくしたような筆であるが、科挙用の答案を筆写するならこれくらいの大きさがちょうどよかったのかもしれない。むろん、現代では科挙に挑む方もおられないであろうから寫卷を用いるよりもやや大きめの小楷や行草、尺牘などにお使いいただけると考えている。


「小龍爪」は兎毫を芯とし、これに兎毫をかぶせた純兎毫筆である。兎毫を芯とした場合、羊毫を副毛としたりあるいは狼毫を芯とし兎毫を副毛に用いる筆はあるが、兎毫のみで製せられた筆は昨今あまりみないかもしれない。強い弾性が特徴で、やはり寫卷に準じた使用法が合っているであろう。


こうした兼毫筆は江戸時代の日本にも多く輸入され、唐様をもっぱらとする書家の需要にこたえたと考えられる。日本では製筆材料となるような兎毫さらには製筆用の羊毫の入手が難しく、こうした水筆は輸入に頼っていたのかもしれない。実用の筆だけに現存するものは少ない。完整な品としては静嘉堂文庫美術館に収蔵された「唐筆一式」があるが、ほか、稀に散見される品にしても実際に使用するわけにはいかない。
羊毫全盛の現在ではあまり顧みられない筆であるが、昔の「唐筆」の書き味を試してみたい、という方もおられるであろう、いや自分自身が試してみたくて作ったような筆ではある。


今月はやや多忙で宿題もあり、ちょと文章やお店の準備が滞ってしまっている。販売までにはもう若干のお時間をいただきたい。他に新老坑の袖珍硯を数面リリースする予定である。今回の四種類の筆のリリースと併せて、もうしばらくお待ちいただければ幸いである。
 

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発送遅延のお詫びとお知らせ。

新型肺炎の感染拡大防止に伴う郵便局、宅急便等の受付営業時間の短縮と外出制限の影響により、ご注文いただいた商品の出荷が若干遅くなることがございます。ご不便をおかけいたしますが、あらかじめご了承いただきますよう謹んでお願い申し上げます。
さて、「例年」という言葉がありますが、今年はあらゆる方面で極めて”異例”な年となりそうです。
好天の下で部屋に閉じこもるのはなんとも気鬱なことではありますが、硯に向かって墨を磨っていると不思議と気分が落ち着きます。寫經や小楷など、しばらく遠ざかっていた手本に立ち返って臨書を繰り返すのも、外出できない連休のひとつの過ごし方かもしれません。
”松麝”という言葉があり、これは墨を磨ったときに立ち上る松煙の香りの事です。好みは分かれるかもしれませんが、純粋で良質な松煙にはたしかに特有の芳香があります。
また先の見えない時こそ、過去に立ち返るということで、じっくりと歴史に取り組んでもいいのかもしれません。

以前に訪れた武漢の事を調べていたのですが、武漢はかつて江夏と呼ばれた大陸南部における戦略上の要衝にあたる地域です。三国時代は”黄祖”という人物がこの地を守り、孫堅・孫策・孫権と三代にわたる”孫家”と戦いを繰り広げました。史料では野戦で度々敗北を喫していますが、結局黄祖の守る江夏は孫家によって攻略されることはありませんでした。
この黄祖は、三国志に登場する武将の中でもおそらくは人気の無い武将のひとりでしょう。孫堅を射殺し、名士の禰衡を処刑し、最後は甘寧に見限られて敗死しています。そんな黄祖ですが、実は諸葛亮の舅なのではないか?というような面白い話を見つけました。

諸葛亮は襄陽の名士の黄承彦という人物の娘を嫁にもらうのですが、この黄承彦が黄祖、すなわち黄承彦=黄祖、という事なのです。ちなみに黄承彦の承彦は字(あざな)であると考えられますが、名はわかりません。一方の黄祖の祖は名ですが、黄祖の字(あざな)はわかっていません。つまりは黄祖、字は承彦、という事で黄祖と黄承彦は同一人物ではないか?という事なのです。
「そんな、まさか!」と三国志を愛読する人は思うかもしれませんし、私も初めはそう思いましたが、中国のネットで見つけた文章の論拠を読む限り、あながちな話でもないな、と思うようになりました。
これは 南城太守(ペンネーム)という人が書いた「大爆料!諸葛亮的嶽父黃承彥其實就是黃祖」という文章なのですが、興味のある方は”百度検索”などで調べると出てくるので読んでみてください。
アウトラインはこの「大爆料!諸葛亮的嶽父黃承彥其實就是黃祖」を参照しながら自分なりの解釈も交えた文章を作っているところです。

『演義』では孔明こと諸葛亮は歴史の舞台に忽然と現れ、劉備に仕えるや大車輪の活躍を始めます。しかし晴耕雨読に日を送っていた人物が、何の経験もなしに行政や軍事に手腕を発揮するということは、現実的にはあり得ないことです。
前に「読留候論」で、劉邦の軍師張良が世に出る前の、いわば修業時代に関する蘇軾の考察を紹介しました。要は不思議な兵法書を学んだぐらいで天下の軍師になどなれるはずがない、という事を蘇軾は指摘していいます。それは三国時代の諸葛亮についても言えるでしょう。
襄陽の郊外で隠者のような青年時代を過ごしながら、とつぜん戦乱の表舞台に立って天下に采配をふるう姿には、『演義』やその元となった戯作の作者である読書人の夢と願望が色濃く投影されている、と考えられます。むろん、それは戯作の観衆や年若い読者の期待に沿うものでもあったでしょう。
しかし現実的には、孔明が行政や軍事について経験を積む機会や、力をふるう事が出来た背景があったことでしょう。
黄祖=黄承彦、という図式がもし成立するのであれば、当時の荊州の情勢や、その中での孔明の行動の理由が腑に落ちる点が多々出てくるのです。

ともあれ今は我慢の時期。ひとつ”臥竜”の心境で、そう遠くないであろう回復の時を、ここに雌伏して待つことにしたいと思います。
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年明け1/3-1/13臨時休業のお知らせ。

例年より暖かい冬といわれていますが、今日の大阪はグッと冷え込んできました。令和元年残り僅かの師走の時候、いかがお過ごしでしょうか。
1月3日から1月13日まで、大陸渡航のため臨時休業いたします。ご不便をおかけいたしますがなにとぞご了承いただければと思います。

今年は何かと多忙で、新しい商品の企画も文房四寶の研究も滞りがちだったことを反省しております。特に渡航回数と期間がここ10年で一番少なかったように思えます。
思い起こせば開店から10年を経過し、文房四寶の世界も様変わりしてまいりました。さらにさかのぼること20年前は、古典的趣味世界で遊ぶ、という事がまだしも理解されやすい時代だったと思い起こされます。それが今では「かなり珍しい趣味」のひとつになりかかっているような気配すらあります。

ところで外国人観光客が増えたのもここ10年ですが、「日本文化を深いところまで体験したい。」というニーズが高まっているという事です。単に食事や買い物、清水寺を観て帰るだけでは満足しきれていない、という事のようです。日本文化というと国を挙げてもっぱらポップカルチャーばかりを推しますが、どうもそういうことではなくなっているようです。消費の早いポップカルチャーでは、物足りなさを覚え始めたのかもしれません。
とはいえその国の文化を短期間に深いところまで体験するというのは、当人によほどの素養があらかじめない限り、所詮は無理な話なのではないかと思います。しかし外国人観光客、特に富裕層にそういったニーズが高まっているということで、すわ商売に結び付けようというわけなのでしょう。
しかしそういわれてみても、そのような外国人が求める日本の古典的な趣味性を理解しながら上手に案内できる日本人自体、非常に少なくなってしまっている、というのが現実なのではないかと思います。現代の中国に文人がいないように、現代の日本にニンジャやサムライはいないわけです。
その国の文化を知りたい体験したいという事であれば、相当期間滞在し、学ぶしかないというのが本来ではあります。

いや、本物である必要はない。それらしくその気にさせるくらいの演出で十分、という考え方もあるでしょう。しかしそういった演出が可能なのは、やはり演出する側が相当に造詣が深くないとなかなか難しい。日本式のおもてなしといっても、茶の湯で接待できる人はどれほどいるでしょう.......そう考えてみると、ちかごろ日本ではめっきり衰退気味の茶道華道、そして書道もまんざら捨てたものではない、という事なのかもしれません。

自国の文化の価値を他国の人から評価されて初めて気づくという事は、文化史上、何度も起こってきたことであります。あるいはこれが日本の古典文化の復興の契機になるのであれば、やはり歓迎したいと考える次第であります。

店主 拝
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新老坑硯 三面

.............近々、新老坑硯を三面、リリースの予定。
若干寂しい数であるが、なかなか数をそろえるのが難しくなっている昨今。先日渡航の際にも上海の南京東路にある某店をのぞいたが、店頭には老坑水巌はおろか新老坑すら見当たらない。むろん、値札には「老坑」と表記してあって、それなりの値段がついているのであるが。金線のある硯も散見されるが、新老坑には届かない。また作硯も軒並み凡庸である。
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新老坑が何たるものか?についての説明はいまさらこの場では不要であろう。以下、少し脱線。

大陸の景気でいえば、実のところ地方都市はかなり厳しい状況がみられるのが事実である。しかし北京、上海、深圳といった大都市はやや別格で、少なくとも表面的には景況感の悪化はそれほど見られない。市街地の商店がやや閑散としているのは、消費のかなりの部分がインターネットに重点が移っているということも割り引いて考える必要があるだろう。
大陸中国でインターネットによる通販が突出して伸びているのは、物流から小売りに至る消費財の流通のインフラが、たとえば日本ほど成熟していなかった、ということも考え合わせる必要がある。
これは中国でスマートフォンによる電子決済が爆発的に普及した事情とも似ている。小銭を含めた現金決済のシステムが便利に普及している日本では、少額の買い物にいたるまでカード決済で済ませるという習慣が根付きにくい。貨幣や紙幣を選別するメカニズムを、メンテナンスを含めて管理運用するノウハウが、そもそも大陸中国にはほとんどなかったのである(中国に限らないかもしれない)。それは大都市の地下鉄の券売機が始終故障しているような現状を見ているとよくわかる。

大規模小売店舗が地方にいたるまで出店している現在の日本では、地域による価格差はほとんどないといっていいだろう。しかしその昔、日本でも地方から秋葉原に家電を買いに行く、ような時代があったのである。地方の家電用品店にも品物があるにはあるが種類も少なく価格も割高、というような昭和の時代に、突如としてインターネットの小売網が出現し、全国どこでも平準化された価格で品物が買えるのだとすれば、地方の小売店などはひとたまりもなかっただろう。(日本の場合は法改正による大規模小売店の出現により商店街が衰退する、という過程を踏んでいる)。

大陸の不動産バブルを象徴する、万達集団という商業不動産を中心とする不動産デベロッパーがある。万達を率いる王健林は連年大陸中国の「首富」つまりは富豪ランキングの首位であったが、今は十数位に陥落し、かえってその負債総額の巨大さから「首負(借金王)」と揶揄されている。
この万達集団の中核事業である”万達広場”という複合商業施設については、すでに”富力”という他の大手不動産デベロッパーに売却済みである。その売却が2017年あたりから始まっていたというから、大陸の不動産バブルがピークアウトする予兆はそのころだったのかもしれない。

今後の万達集団がどのような道をたどるかは不透明であるが、日本の昔でいえばかつての某私鉄グループの盛衰に例えられるのではないだろうか。そう考えると大陸の不動産バブルもすでに不可逆的な低迷の過程に入っているとみていいだろう。

とはいえ、全般的な統計データを見ると、大陸各都市の不動産価格は表面的にはさまで下落を見せていない。マイナス1〜2%がせいぜいである。しかし「有価無市」という言葉があり、要は「価格はあっても市場がない」という意味であるが、公表価格と実勢価格で大きな乖離がある、ということである。
実際、公表価格の2〜3割引きで不動産を売りに出しても、1年たっても買い手がつかない、というような話が多い。今や売れるのは有名小学校の近傍など、結婚して新しく家庭を築くうえ切実な需要のある物件のみで、郊外の豪華な別荘や別邸の類や、交通インフラや学校、病院などが未整備なエリアの不動産はまず買い手がつかないのが実情である。
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.............という硯と関係ない話題が長々と続いて恐縮であるが、文房四寶の需要や価格の動向を占ううえで、やはり大陸全般の景況感は気になるところなのである。特に硯に関しては不動産ならぬ”動産”としての側面と切り離せない部分があり、扱う側としては動向を注視せざる得ないのである。
実際、大陸の文房四寶市場の全般的な傾向を見ると、硯はやや停滞気味である。要はあまり売れない。しかし価格は下がるどころか騰がっている。これも不動産と同じ「有価無市」に近い状態なのかどうか。
一方で消耗品である筆、墨、紙の需要は底堅いものがあるが、これも一般的な普及品はあまり売れず、専門家仕様の高級品の需要が伸びているようなところがある。この傾向は数年前から見られたのであるが、今年に入っていよいよ顕著になってきている。

上海の福州路にも多くの書道用品店があったが、現在は書道用具を販売しつつも、筆や墨の陳列がめっきり少なくなっている。これは販売の主流がインターネットに移行した、ということもあるだろう。しかし実際のところ福州路では、以前からごく一部の店舗を除いて安価なだけの粗悪な筆や墨が売られていたものであるが、その程度の品ではユーザーの需要を満たせなくなっているのだろう。
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やや取り残された感のある硯であるが、その原因として、墨汁の使用は今に始まったことではないから理由にはならない。近年、大陸中国では専門家を中心に固形の墨の使用が広まっている。とはいえ硯への認識はまだそれほど深くないのかもしれない。またよほどの硯癖の持ち主でない限り、複数の硯を所有して楽しみたいという人は稀、ということもあるだろう。
しかし筆や墨のように、生産者がその気になればある程度の水準の製品が継続して生産されるのと違って、硯に関しては原材料である硯石の問題がある。特に老坑を含む旧坑系の硯石は採石が事実上不可能になって已に十年が経過している。いよいよ市場に払底してきたのかもしれない。とはいえ、世上に老坑をうたった硯は多く流通しているのであるが、大半は沙浦などのいわゆる山岩であろう。沙浦は70年代から老坑に似た硯石を輩出してきた硯坑であるが、閉鎖されてしまった旧坑洞と違い、現在も採石が続けられている。むろん硯石の性能は著しく劣っているのであるが、硯を置物にしたい向きには好適なのであろう。
70年代から80年代にかけて空前の硯ブーム(背景には空前の書道ブーム)に沸いた日本市場に対して、沙浦より採石された大硯が猛威を振るったものである。しかし現在は相当にスケールダウンしてはいるものの、その再演がみられるのである。
「悪貨が良貨を駆逐する」状況は消費の早い紙や筆墨よりも耐久消費財たる硯において顕著なのであるが、供給する側としては、選別をより厳正にしながらこの時期をやり過ごすよりないと考えている。
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ワインはやウイスキーは、製造して数年で販売、消費されることを前提にしたものと、10年、数十年と寝かせることを想定して造られたものでは、材料・製法ともに違いがある。安いウイスキーを12年寝かせれば12年物になるかといえばそうではない。
同じように、これも文房四寶全般に言えることであるが、年数が経過したからと言って悪いものが良いものに化けることはない。筆などは、寝かせることで毛質にコシが出て書き味がよりよくなるのは事実であるが、粗悪な古い筆が精良な現在の筆に勝ることはない。墨や紙にしても同様である。
インフレギャップの錯覚や、消費されて希少価値が出て相場があがるのは事実であるが、品物が本質的によくなるわけではない。
硯は硯石の時点ですでに勝負が決まっているのだから、古いからと言って良い硯ではなく、新しいからと言って悪い硯ということでは決してない。しかし質の劣った硯が供給過多気味な現在、割合でいえば良い硯がどんどん少なくなっている。
何事につけ変化の激しい時代ではあるが、その点については供給者としてよくよく注意していかなければならないと考えている。
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おしらせ 2019年12月

寒くなってまいりました。
実は短期決戦で仕入れと調査のために渡航していたのですが、出発前までドタバタでうっかりお店の休業告知と休業設定をしないまま渡航してしまいました。渡航中ご注文いただいたお客様には、お詫びの上で帰国後直ちに発送する旨ご連絡差し上げましたが、大変ご迷惑をおかけいたしました。改めてここで深くお詫び申し上げます。

企画していた新しい筆の注文をなかなか出せなかったのですが、ようやく発注にこぎつけました。今や仕様書を送ってもそれなりのレベルの筆が仕上がってくることも期待できますが、やはり顔を合わせて相談しないと、モノというのは思いがゆきとどくようには作られないと考えております。
発売は来春になるかと思いますが、ご期待ください。

近日中に、新老坑硯を若干リリースしようと考えております。老坑、ないし新老坑を求める方もだんだんと増えてきている昨今ですが、確実な新老坑、しかも使い勝手の良い硯は探し始めると少ないのが現実です。新老坑は老坑水巌にみたててこれ見よがしな名硯風に仕立て上げられている硯も多く、価格面を考えても実用的にはどうか?というものもあるものです。
紹興
今回は少しだけ紹興を再訪しました。醸造で有名な紹興は江南屈指の古都で、越とよばれた戦国春秋時代から連綿と続く歴史ある街です。上海は近代に入って発展した都市ですが、蘇州と併称される杭州も大きく発展したのは宋代ですから比較的”新しい”とさえいえるかもしれません。
書法でいえば王羲之、思想家でいえば王陽明、明代には徐渭、近世には魯迅、というように、日本人と日本文化に多大な影響を与えた人物、文化を生み出した街でもあります。紹興酒でも有名ですが、とはいえ現在はあまり日本人が訪問しないようです。
紹興
およそ、江南観光というと上海を起点に北に蘇州・南に杭州に尽きる、というようなことが言われます。個人的な見解ですが、北なら揚州、南なら紹興がいいように思います。蘇州や杭州にくらべると市街の規模も小さく、経済発展も段違いに立ち遅れているようなところがありますが、それだけに「おや?」とおもうような発見もあるものです。
追ってご紹介できれば、と考えております。
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送料の改定につきまして。

今年は東日本を中心に水災害が多く、被害にあわれました皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

さて消費税率の変更に伴い、一部送料を改定いたしました。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承ください。

具体的には、今まで1万円以上お買い上げで送料無料とさせていただいておりましたところを、1万2千円以上お買い上げいただいた際に送料無料、というように変更させていただきました。商品の価格は据え置きいたします。内税にての営業のため、皆様方にはご理解のほど、お願い申し上げます。

昨年は大阪に台風が直撃し、私の自宅も四日ほど停電してしまいました。年々台風の威力が大きくなっているように思います。異常気象というよりも、なんらかの気候変動ともいうべき変化が地球上に起きているのかもしれません。

乾燥していた中国大陸の北部も今年は雨が多く、積年の水不足が解消しそうな勢い、という話も聞かれます。ひとつにはチベット高原で大規模な人工降雨が実施されている、という話もあります。スペインの国土面積に匹敵する範囲でヨウ化銀を揮発する装置を何百台も設置し、雨を降らせるというのです。いうまでもなくチベット高原は黄河の源流にあたり、チベットの降雨量が増加すれば黄河の水量が増え、北方の水不足が解消する、という仕組みです。

しかしながら気候の循環を人為的に修正することは思わぬ副作用を生むといわれています。そういった行為をも、ためらわず実行しようとする思想には、空恐ろしいものを感じます。
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消費税率変更に伴う、価格改定のお知らせ

いつもお世話になっております。
10月1日の消費税税率変更に伴い、一部の商品の価格、ならびに送料を改定するよていです。弊店は内税価格にての運用ですので、皆様方にはなにとぞご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

今年はなかなか渡航のタイミングがとれないのですが、新しい筆や墨の制作の件もあり、年内のどこかで渡航することを画策しております。

ここ半年くらいでしょうか、中国では豚肉と果物の価格が高騰していることをよく耳にします。豚肉に関しては現在大陸ではアフリカ豚コレラが蔓延しており、果物に関しては天候不順や水災害が影響しているといわれます。とはいえ、物価上昇は豚肉や果物にとどまらず、食品全般に及んでいるようです。
これは米中貿易摩擦が影響しているという話があります。それもあるでしょうが、おそらくはここにきて大陸の金融緩和政策が影響しているのではないか?とも考えています。
2017年から大陸の不動産市場は下落を始めた気配があるのですが、実勢価格と公表価格に乖離があります。また高騰をあおりたい不動産デベロッパーは価格上昇の偽情報をわざと流したりもするので、大陸の報道や公表されているデータだけを見ていると、よくわからないところがあります。
しかし昨年1年間で香港の不動産市場は8%下落した、というデータがあります。香港の統計が信頼できるとすれば、大陸の不動産バブルも、少なくともピークアウトしたことは間違いないでしょう。香港の不動産市場に投資しているのは多くは大陸資本であり、香港の不動産相場の趨勢は大陸不動産市場の先行指標でもあります。

不動産バブルの崩壊は、その先に金融危機が待ち受けます。不動産バブルを延命ないしは安楽死させようと思えば、金融を緩和し市場に資金を流し込みつづけなければならないのですが、現にそれを人民銀行は実施しています。
凋落する不動産市場が吸収しきれない資金が、物価を押し上げている、という側面はあるでしょう。

大陸経済の先行きはともかくとして、筆や墨の製造原価も高止まりしています。筆でいえば兎毫や羊毫、筆管用の竹などが20年前の100倍ほどにも上昇してしまった、という事実があります。墨や、ある種類の筆などはもう日本で作った場合と大差ない状況でしょう。
そういった状況下で、あえて唐筆や唐墨を扱う意味については、これをさらに深めてゆかなければならないと考えています。

ありていに申せば、現在の日本で、書道用品店が廃業するなどして安値で放出される在庫品をキャッチした方が安い場合もあります。価格を見ると、その値段では今の大陸では工場の出荷価格をすら下回る場合もあり、まったくもってため息が出ます。
とはいえ、そういった過去に生産された品物もこれ以上増えることはないわけですから、やはり新しく作られる分も必要ではないかと思う次第なのであります。

引き続きご愛顧のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。
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新老坑硯五面 〜有眼荷葉硯

新老坑硯を五面、あらたに店頭にお出しした次第。今回、弊店にしてはややおおぶりな、ハスを模した荷葉硯もある。この新老坑硯、珍しいことに眼がある。
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......寶硯堂硯辨には、老坑水巌は大西洞の三層の石をさらに上下二層に分け、この上層の部分を”腰石”と呼び、よく眼が出ると述べている。手のひらに載るほど大きさながら、眼が必ず数個はあると。
正直、この"腰石"に相当するであろう大西洞の硯石については、恥ずかしながら過眼している自信がない。”かならず数個の眼が出る”というあたり、そのような老坑水巌の硯石が存在することが、やや信じがたい思いがする。
大西洞の三層であれば必ず佳材に違いない。いや大西洞に限らずとも、佳材にしてかつ眼が数個もあるような老坑水巌自体、記憶の中でも片手に満たない。
一般に老坑水巌に眼の出ることは極めてまれで、それは老坑水巌近傍で発見された新老坑においても同様なのである。

端溪を特徴づける石品として珍重される眼、ないしは石眼であるが、端溪だからと言って眼が必ずあるわけではない。
比較的よく眼がみられるのは坑仔巌であるが、坑仔巌の眼はおおむね丸くて黄色味の勝った色をしている。老坑水巌といえば淡い緑色、ないしはさらに青の勝った翡翠色をした、いわゆる鸜鵒眼(くよくがん)である。しかし現実、老坑系の硯石では鸜鵒眼はおろか、死眼ですらめったに見られるものではない。

端溪といえばやたらと石眼を珍重する向きがある。以前にも触れたが、夏目漱石の”草枕”では、田舎の温泉を訪問した主人公が寺の茶席に呼ばれ、蜘蛛を模した端溪硯を見せられる。じつに九つもの眼のあることをもって、非常に貴重な硯であるとしている。
 
「中央から四方に向って、八本の足が彎曲(わんきょく)して走ると見れば、先には各(おの)おの鸜鵒眼(くよくがん)を抱かえている。残る一個は背の真中に、黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく煮染(にじん)で見える。 」

この石眼、蜘蛛の足上にひとつづつと、背中にひとつの、合計9つであったと描写されている。その眼のいちいちが蜘蛛の足の配列に従ってほぼ等間隔に並んでいる旨が”草枕”には描写されている。むろん自然に生まれた配列ではないだろう。後から別所の眼をもって補填した、いわゆる”嵌め眼”と考えられる。
背中の眼だけが黄色く、他が鸜鵒眼であるという。自然に表れたのは背中の黄色い眼であり、鸜鵒眼は”嵌め眼”に相違ない。およそ一硯の一面に現れる眼の、あるモノが黄色く、またあるモノが緑がかった鸜鵒眼、これらが混ざり合っているということはまずない。
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実のところ弊店で扱ってきた新老坑硯も、明瞭な眼の出るものはなかったはずである。眼の出た硯だけ秘蔵しているわけではなく、眼の出ていて、かつ材質のいい硯は滅多にお目にかからないからである。
硯としての性能を全うするだけの堅牢な鋒鋩であるとか、材の温潤さを重視して選別していると、眼の出る硯ははじかれてしまうことが多い。とはいえ眼だけを重視して硯を選んでいると、それなりの数の端溪硯が出てくるのである。しかしあいにくと材質が劣っていることが多いのである。
眼が出ているからと言って材質が悪い、ということではないが、材質が良くかつ眼が出ている硯は不思議と少ないのである。

石眼にかぎらず、硯に現れるさまざまな外見上の特徴、すなわち”石品”でもって硯石、とくに端溪硯の良しあしを判断するのは危険である。良い石品が出ているからと言って、鋒鋩が堅牢であるという保証はどこにもない。また確たる石品が現れていないからと言って、材質が優れていないとは限らない。硯をもっぱら観賞用の石の彫刻とするならば、石品をもって価値を決めるのもひとつの価値観であろうけれど、その見方を当方は採らない。
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しかし強いて石品を重視するのであれば、それは”青花”であろうか。寶硯堂硯辨でも、天青に続いて石品の筆頭に挙げている。また青花に付随して現れる蕉葉白や魚脳凍、などがたっとばれる。「寶硯堂硯辨」に限らず、幾多の『硯説』が述べるところでは、青花は硯石の精華であり、佳材の証であるとしている。
太陽の下において、水に沈めた時に青花が浮かび上がるさまは硯石が脈動するかの如く、生命力を感じさせて好ましいものである。
しかし注意を要するのは「寶硯堂硯辨」が説くのはあくまで老坑水巌において、という点である。青花は麻子坑や坑仔巌にも現れる。しかし青花が出ているからと言って、他の雑坑の硯石が老坑水巌に勝る、ということを意味しないのである。このたありは言葉の論理をよくわきまえておかなければならない。別段”必要条件”や”十分条件”を持ち出さなくてもいいが「逆、必ずしも真ならず」は、常々頭に置いておかなければならない。老坑水巌であり、かつ青花が出ている場合において、という意味である。

昨今、金線銀線や氷紋のあるをもって老坑水巌である、とみなす傾向がある。また眼の出る端溪硯を珍重する向きも、やはり根強いものがある。しかしながら金線や銀線は古くは石瑕として扱われた石品である。また石眼も同様、削り取られてしまっていた時代もあった。金線も石眼もともに、それらが現れていたからと言って硯石の温潤なことを担保しないからである。
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さて、この荷葉硯は写真には写りにくいのであるが、細かい青花が一面を覆っている。弊店が扱う硯としては、今までの中で最も大きい部類であろう。しかし一般に老坑ないし新老坑に巨材は少ない。面積にして小さく、厚さが薄く、かつ不定形をしていることが多い。不定形の天然石を四直の硯板状にカットしようとすれば、相当部分を捨てなければならないのである。
硯背と硯面に数条の金銀線が走っているが、それはハスの葉の葉脈に見立て、荷葉硯に仕上げているのである。墨池を持たない硯板状の硯はいささか玄人好みである。もっとも大きな眼の周囲を若干もりあげ気味に仕上げているのも、古来からの有眼硯の作硯手法である。ゆえに硯面は完全な平面ではなく、緩やかな起伏がある。大きさが大きさだけに値段も値段なのであるが、当面、店頭を飾ってもらえればヨシ、という次第である。
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11/19 営業再開・再入荷のおしらせ。

本日19日の再開が遅くなって申し訳ございません。再入荷の商品準備に手間取っておりました。ながらくお待たせしましたところ、全般に2割を超える値上げの程、まことに心苦しく思います。諸式昨今の事情、ご理解の程、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
従来の高い品質は保証いたしますが、以前との若干の異同は、お含みおきいただければと思います。筆に使用する毛は、一般に年数がたったものほど良いとされます。その点、多少の使用感の違いはあると思います。年々、良質な原材料の入手が難しくなってきている現実がありますが、精選の上、ある程度の年数は寝かせた毛を使用してもらっております。お手元で長くお使いただくうちに、コシや粘りが加わってくるものと思います。筆を傷めず長持ちさせるためには、墨汁ではなく是非、固形の墨を磨ってお使いください。また、鋒鋩の細かい硯がお手元にない場合は、陶製の絵皿などで筆先を整えるなどしてお使いいただきますと、より筆鋒の状態を保てると思います。

今回は再入荷の筆以外には、新作の筆が一種類あります。新作と言っても、よく知られた形式の筆ではあります。この筆については準備が出来次第、店頭にてご紹介いたします。

三泊四日といえば、観光旅行では十分な日程かもしれませんが、商用の旅となるとタイトなスケジュールとなります。移動距離も長く、あまりゆっくりとは出来ななかったのですが、上海を起点に、蘇州、揚州に行きました。

写真は蘇州、獅子林周辺の”ケンタッキー”。看板がなにやら格調高いです......蘇州では、なんどか仕入れをしていた表具材料店が無くなっていたり、揚州では筆店の場所が移転していたりと、久しぶりに行くとやはり変化があります。やはり遠くとも足を運ばないといけないなと、思うばかりです。
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