携行LED美術灯

手軽に持ち運べる、太陽の光に近い光源をつくれないか....という事をずっと考えていた。

光によって見え方が違う、というのは自明の理なのであるが、意外に意識されていないところがある。
たとえば硯を撮影する場合、私は自然光を採光し、光源としている。太陽の光.....自然光が最も”公平”な光であると考えるからだ。室内の照明のみで撮影したとすると、撮影条件を常に一定にすることが可能だが、それと同じ照明の条件を、ほかの人が用意できるとは限らない。だからこちらが提供した写真を観て判断したとしても「全然違うじゃないか」という事になりかねない。
蘇易簡は「明窓浄机,筆硯紙墨皆極精良」とうたったが、「明窓」とは、明るい窓の事で、すなわち陽の光を机上の光源に取り込むことを意味している。宋代にはすでに油脂を燃焼した照明が用いられていたが、油というのは昔は高価なものだった。経済的にも、見やすさの面でも、やはり自然光の下で書見なり、書写をするに越した事はないのである。
ゆえに「硯は日の下で観る」のが基本なのである。いや、本来は硯に限らないかもしれない。むろん、自然光といっても、曇天と晴天ではまるで違う。曇天では波長の長い赤い光線が雲にさえぎられるため、暖かい色味に乏しくなる。むろん朝と昼間、夕方でも異なる。さらに季節でも違いが出る。季節は仕方ないにしても、硯やモノを撮影するのは、晴天の午前中、と決めている。

ところでLED照明が普及して久しい。日本人の中村修二氏が発明した青色発光ダイオードは、すでに開発されていた赤色と緑色のLEDと合わせて”光の三原色”を構成し、白色の光が可能になった。さらに青色の光に反応して白く発色する蛍光剤が開発された。白熱電球に比べて劇的に消費電力の小さいLED照明の登場により、CO2排出量規制に伴う各国の政策もあり、世界の照明は白熱電球や蛍光灯からLED照明に置き換わろうとしている。
しかしこのLED照明の普及により、(あまり認識されていないかもしれないが)新しい問題が生じるようにもなった。照明の”色”の問題である。
光源の下、モノを見る場合、たとえば「赤い」モノを見ようとする場合、当然ながら、光源に赤い波長の光が含まれていなくてはならない。青や緑にしても同様である。少し前まで高速道路やトンネル内で使われていた(今でもあるかもしれないが)ナトリウムランプのオレンジ色の光は限定された波長域の単色光である。トンネル内に入ると、車内はオレンジ色の”モノ・トーン”に見えたものだ。照明に照らされたモノが色彩豊かに見える為には、光源にあらゆる可視光の波長がバランスよく含まれている必要がある

LED電球は低消費電力で明るい、という利点があるにしても、普及している安価な製品はこの”色”に問題が多い。特定の色の波長が弱い、という事が多いからだ。たとえ明るく見えたとしても、自然光と比較して、印象が変わってしまうのである。これは単に照明の”明るさ”だけを問題にする向きには関係のない事かもしれない。しかし美術品や骨董、工芸品を観る事を仕事とする方面では、なかなか頭を悩ませる問題である(そうでもない?)

ここではLEDという光源の、技術的な詳細について、あまりくだくだしく述べるつもりはないが”演色性”と”色温度”については、簡単に触れておきたい。

照明の色の良さを表す指標として”演色性”という言葉がある。Raという指標が用いられる。LED電球の普及に伴い、この言葉も知られるようになったかもしれない。白熱電球の時代は、照明の明るさや消費電力はともかく、色の良さについては、あまり意識されていなかったように思う。
白熱電球は消費電力が大きいが、演色性は良い。白熱電球の元祖、エジソン電球の演色性は100である。またクリプトン球も演色性は95くらいはある。だから昔の照明は、消費電力の大きさはともかく、色はよかったのである。
しかしLEDの白色電球となると、一般的には演色性は70〜85くらいである。高い演色性をうたう製品もあるが、高価であまり普及していないのが現実である。
美術館や博物館で使用することを考えると、LED照明の利点は確かにある。紫外線や熱線(赤外線)を出さない光線をつくることが出来るからだ。しかし、美術品を見る以上、色が悪いというわけにはいかない。紫外線を全く出さず、高い演色性を発揮するLEDの開発・製造には実のところ高度な技術が必要であり、照明も高価なものである。

演色性の他に、色温度、という指標がある。

「色温度が低い」というのは、おおざっぱに言えばやや黄色、オレンジ味のかかった電球色、と考えて良い。反対に色温度が高い、といえば電球色は白に近くなる。昼間の太陽光は色温度でいえば5500〜6000K(K:ケルビン)くらいになり、基本的に白色の光である。
巷間、演色性が高い事をうたう「高演色」「超高演色」と銘打ったLED照明も多くみられるようになったが、一般的に色温度が低いものが多い。色温度が低くいままで良いのであれば、演色性を高めるのは、技術的にそう難しくはないからだ。ただ太陽に近い5500〜6000Kの白色光であり、なおかつ演色性の高いLED照明となると、そう種類は多くはなく、価格も高価になる。

演色性の低い安価なペンライトは、一般的に青色が強く、赤味が弱い。色味が貧しいので、明るく照らし出されているとはいっても、色彩が貧相で、どこか冷たく見えるものである。

「高演色」「超高演色」をうたっていても「色温度」が低いペンライトは、赤が強く青が弱い。白い「白昼色」と書いてあっても、実際に買ってみると、おもったより赤味が強い事もある。たしかに赤が強いから、人間の肌は血色良く見える。ほとんどの種類の果物や花なども良いだろう。肉類も良い。ただ、青磁や青花の器を見たい時などは、赤の多さが邪魔をする。本来の青よりも、やや緑に傾いた見え方をしてしまう。やはり青色もバランスよく配合されていなければならないのである。

老坑の火捺を見る場合、演色性が高くても色温度が低く、赤味が強すぎると、地の色のとのコントラストが弱く、石品が明瞭には見えない。

また、光の拡散の仕方も問題である。レンズを使用する多くのペンライトは、光に環状のムラが出来ている。これはLED本体とレンズに組み合わせによる、光学的特性によって生じるものであるが、光の中心から放射状に光量が減衰するのは致し方ないとしても、極端に中心が明るいのも、近くからモノを照らすには不都合である。こうしたペンライトは、遠くまで照らせるようにレンズを選択しているのだろうが、文物を見る場合は近くから照らせればいいのである。

以上を踏まえて、結論的に言えば、演色性が高く、色温度が6000K近い、高性能な小型のペンライトが造れないか?という事を考えていた。これは最近になって考え始めた事ではなく、かれこれ2010年くらいから考えて、時折試作やテストを繰り返していたのである。当初はLED照明に関する技術的な知識の蓄積に時間がかかったのと、LEDの性能の限界もあって難航し、中断していた時期もあった。

 

当方の目的にかなうペンライトの制作には高性能なLEDが必須であるが、それはいうほど簡単なことではなかった。明るいLEDは安価なものでもいくらでもあるが、前述したように、明るければ良い、というわけではない。
少し入手は難しいが、演色性が高く、色温度の高いLEDが全くないわけではない。費用はかかったが、特注で何度か試作してもらったこともある。しかし単純に演色性Raという記号であらわされる数値が高いLEDが良い、というわけではない。ここでいう良い、というのは自然光に近いか否か?という事である。
LEDの色に関する様々な指標を見、スペクトルを分析し、回路や流す電流量、使用するリフレクタ、レンズなど、実に多くの組み合わせをテストし、試作を繰り返してきた結果、ようやく満足できるものが出来たところである。

 

以下に、使用の一例を示す。

 

上は今回開発したLED美術灯の色。iPhoneのカメラで撮影している。

上は、市販の安価なペンライト。美しくも見えるが、青が強くなりすぎている。

これは「高演色」をうたった市販のペンライト。色温度が低く、赤味が強く出過ぎている。

以上は青味の強い青磁に対して照射した場合の例だが、暖色系の対象に対して使用したのが以下の例。

LED美術灯

安価なペンライト。青色の光線が強いので、印象がかなり変わってしまっている。

市販の高演色ペンライト。色温度が低いので、赤が強調されている。

骨董や古美術品がお好きな方々は、ペンライトを携行されている方も少なくないかもしれない。日本の骨董店は今やそれほどでもないかもしれないが、大陸の骨董デパート”古玩城”は薄暗いところも多く、照明があったとしても十分ではないことが少なくないから、ペンライトは必携である。
市場に、LEDの小型懐中電灯、ないしペンライトはあふれかえっている。安価なLEDペンライトは、演色性よりも輝度の高さを重視しており、かつ安価な部品で構成されている。ゆえに非常に明るい製品も少なくないが、色は良いものではない。そもそも色にこだわった製品は、一部の医療用を除けば見られない。
文物を観る場合、明るければ良い、というものではない。明るすぎると、光が反射してかえって見難いものである。むしろ適度な光の量で、色の良いものが適しているのである。もう少し例をしめす。

LED美術灯。

安価なペンライト。色のバランスが青に偏る。

市販の高演色ペンライト。色のバランスが赤に偏る。

 

(今回は焼き物の写真ばかりであるが、硯に照射すると、肉眼では違いがはっきり分かるのであるが、写真に撮るとあまり違いが現れないのである。iPhone13 Proのカメラで撮影しているが、色のバランスはセンサーが勝手に補正してしまうらしいので、肉眼で見るほどの差が現れていない。)

光源はこれでいい。ただペンライトのボディがどうあるべきか?という事も考えた。市場には、金属製の、削り出し加工されたボディのペンライトをよく目にする。ステンレスやチタン合金を削り出し、それなりに高級感を帯びた製品もある。より安価にするなら樹脂製が良いが、樹脂にするなら大量生産の必要がある。金属加工であれば、それほど多くないロットでも量産可能である。なにより光量を大きくしようとすると、大電流を流す必要があり、LEDは発熱する。放熱という観点では、金属製が良いのである。

ただ、個人的には、この金属製のボディというのは、文物を観るときはあまり良くないと考えていた。いうまでもなく、モノを瑕付けるリスクが高くなるからである。光を当てるためにモノにライトを近づける際に、目測をあやまって、ライトの先端がモノにあたる、という事が考えられないことではない。端溪硯なども、金属で軽くこすられると、薄く白い瑕が遺ってしまう事がある。文物を観る際に、指輪や腕時計など、金気のあるものは外すのが基本的なマナー、というよりルールなのである。そうであるのに金属製の、製品によってはそれなりの重さのあるペンライトをかざすというのは、いかがなものか?という事は考えていた。

そこで少し加工は難しくなるが、ボディを木で造ることにした。木製であれば、硯や陶器、ガラス類に接触しても、瑕を付けてしまうリスクはずっと少ないものになる。そうかといって、あまり脆弱な木材では駄目である。丈夫な木材も種類が多いが、どのような種類の木を使っても同じような加工が必要なのである。いっそのこと唐木を使いたいと考え、紫檀を使う事にした。いささか贅沢であるが、飾り棚や台、硯箱などに、唐木を使用したものは古来少なくない。使用される場面にふさわしい素材であると言えるだろう。紫檀には唐木の家具と同様、保護のために薄く漆を塗っている。
尾部にあるスイッチは、耐久性を考えて金属製であるが、目立つものではないし、観る対象に向ける部分ではない。

こういったペンライトに需要がどの程度あるか、正直わからない。だいぶコストの高いものになってしまったのも事実である。
たとえば、墨色、と一口に言っても、一般的にはただの”黒色”と認識されているだけだろう。60gで3,000円程度の墨と、1万円の墨で、墨色の何が違うのか?という向きも当然あるだろう。単純な”黒さ”の違いを数値で表せば、95と100という違いかもしれない。ただ人間の視覚、認識というのは、おそらくそう単純なものではない。自分でも気づかない、あるいは言葉に表現できないほど、深く複雑なものなのである。
市場にLED照明は無数にあるが、ひとくちに高演色である、高色温度である、といっても、実際にどこまで用途を考えて開発されているか?という問題がある。

このペンライトは、むろん、太陽の光には及ばない。ただ、屋内の照明の影響を低減し、様々な照明環境下で、モノの見え方をフラットな方向に補正するのに、役に立つであろうと確信している。構造上、あまりたくさんは作れないので受注生産になると考えている。ご興味のある方々には、ご期待を乞う次第である。

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BlueSkye:鑑璞斎

ブルースカイアカウントつくりました。

”ブルースカイ”にアカウントつくってみました。

”鑑璞斎”といいます。ご自由にフォローいただければと思います。
https://bsky.app/profile/solidink.bsky.social

日本語でも300文字入力できるので、ある程度の情報は発信できるのではないかと考えました。SNS活動というより、ミニブログにような位置付けになります。
「断箋残墨記」にまとめきれない、まとめきる以前の草稿のようなつぶやきになるかもしれませんが、御静観いただければ幸いです。

宜しくお願い申し上げます。

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令和六年 謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
本年も、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

月並みなご挨拶となりましたが、令和六年はしかし大変な幕開けとなりました。能登の志賀町は母方の実家で親戚がいるのですが、皆々避難所で無事という事で、ひとまず個人的には安堵しているところです。最大震度7ということで驚愕したのですが、被害は七尾や輪島、穴水など、もう少し北の方が大きかったようです。これらの地域は、昔はよく遊びに行った場所なので、惨状を目にするとやはり心が痛みます。2020年から震度6前後の強い地震が毎年のように続いていましたが、被害は能登半島先端部に集中していたように思います。
地域的には困難な状況が続くと思いますが、まずは一刻も早い復興を願っております。

おもえば能登半島も、少子高齢化が進む過疎地ではありますが、普段、我々が都市部で豊かに生活できるのも、日本の農業、漁業をこうした地方の、特に高齢の方々が支えている、という現実を忘れてはならないと思います。

地方のインフラ整備に回す予算があれば、都市に集中させ、人も都市に住めばよい、という極論もみかけます。しかしそのような事をやって、色々な問題が起きているのが現在の大陸ではあります。
都会に住む人が消費する生鮮食品のすべてを、輸入で賄う事ができると考えているのでしょうか.....新鮮な野菜や魚介類を享受できるのも、地方のおかげなのです。(輸入野菜と、冷凍や加工された肉類魚介類だけでいいじゃないか。という向きもおられるかもしれませんが。)
たとえば香港のような都市であっても、周辺の広東省で生産された食料を輸入することで成り立っているわけです。都市の近郊が荒廃してしまったとき、都市の生活も成り立たなくなる、という事が考える必要があるでしょう。また都市で災害が起こった場合、救援したり避難したり出来るのも、整備された周辺地域があるから、という事になります。人口の集中が生み出すインフラやライフラインの負荷の問題は、効率化、だけでは解決困難なところもあります。
『無駄を無くせ!』を掛け声に、いろいろなものを切り捨てて来た日本ではありますが、いよいよ地方までも切り捨てる事になるのでしょうか。災害が多い国だからこそ目先ばかりの『選択と集中』よりも、ポートフォリオによってリスクを分散し、必要に応じて冗長性を持たせる、というような考え方が必要なのではないでしょうか。

国をあげて観光誘致に躍起になっている日本の昨今ですが、外国人観光客が日本のどういった所に魅力を感じているか?というと、ひとつには緑豊かな自然に近く、よく整備された地方の生活にある、という事を聞きます。海外にももちろん美しい自然はありますが、アクセスが大変な事がよくあります。こういった事はたとえば大陸の農村などに行くと良くわかるのですが.....大陸の江南古鎮のような美しく、風光明媚な場所もありますが、必ずしもそういった地域ばかりではないのが現実で、荒涼殺伐としたところも多いのです。
日本の農村は、特に田畑が美しく整理されていると思いますが、そういった風景を見て感激する海外の人は今や少なくない、という事です。旅の目的が、観光スポット巡りから、海外での生活の体験に移ってきている、という事もであるという事です。換言すれば京都をはじめとする「名跡の美」ばかりではなく、日本の「生活の美」に関心が向けら始めているということで、そういった日本の豊かな郷村を、「効率化」の名の下に、このまま衰退するに任せていてはいけないのではないか......と思う次第ではあります。

店主 拝
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夏の終わりに。

ようやく涼しくなりました。今年は異常に暑い夏でしたが、いかがお過ごしでしたでしょうか.....無事、この記録的な酷暑の夏をのりこえられましたでしょうか?

かく言う私はすっかり体調を崩しておりました。おまけに8月中旬には流行り病にかかり、熱そのものは2日ほど寝込んで収まったのですが、2週間ほど嗅覚が回復しませんでした。嗅覚がない、というのは難儀なもので、食べ物がおいしく感じられません。匂いがしないものですから、おなかも空かない。また食べ物の匂いがわからないと、季節柄、食べ物が傷んでいるかどうかも、よくわからなくなります。それで食に対して消極的になり、期せずして体重を落としてしまいました。酷暑に体重落とすと体力に反映されるもので、這うように生き延びながら、ひたすら夏の終わりを願うような体たらくではありました。

5月は例年並みだったように思いますが、6月からほぼ9月いっぱい、酷暑が続きました。異常に暑い夏の原因を自分なりに調べてみたのですが、巷間よくいわれるようなCO2による地球温暖化というよりは、太陽活動が観測史上最大級に活発だったことによるのではないか?というように思います。
太陽活動が活発化すると黒点の数が増えるのですが、平均して100個くらいの黒点が、今年は200個に迫る勢いで観測されているようです。そのためか、日差しが非常に強く、閉め切ってエアコンをかけていても、朝方の日が差し込む時間はカーテンが太陽に熱せられて暑いこと。日差しが強烈な分、紫外線も強いはずで、気象庁の観測データにもそれが表れています。
紫外線といえばオゾン層の事が言われなくなって久しいですが、これはオゾン層を破壊するフロンガスなどの規制によって、現在はオゾン層の修復が進み、今世紀後半には南極のオゾンホールも回復するという見通しがあるとか。
温暖化については、CO2の影響なのかどうか?という点には正直疑問もあるのですが、オゾン層に関しては世界的なフロンガス規制が奏功したようです。

話はかわりますが、先日、上海の朋友が来日していました。実のところ上海(だけではなく)は非常に景気が悪く、かつ物価も騰がってなかなか大変な状況のようです。
たとえば羊の串焼きは、20年ほど前の昔は、北京や天津の街角では五角(1元の半分)、日本円で10円しないくらいで一串買えたものです。2010年ごろでも、1〜2元、高くても3元くらいだったと思います。しかし現在の上海では1串10元、およそ200円ほどです。ついでに深圳の朋友にも聞いてみたのですが、深圳ではなんと15元、300円ほどもします。日本でいえば焼き鳥に相当する、手軽な庶民の軽食だったのですが......日本でも1串200〜300円の焼き鳥といえば、まあまあお高いお店になりますね。

また上海では先日、日本の回転ずし屋がオープンしたのですが、寿司好きな朋友が早速行ったところ、一皿10元、200円から、なのですね。もっとお高いお皿もあります。その回転ずしチェーンは、日本では一皿138円からです。もちろん、日本で食べたほうがずっとおいしい、と朋友は言っていました

先週の金曜日は仲秋ですが、この日から中国は8日間の大型連休になります。現在、日本から大陸中国に渡航するにはビザが必要で、その取得に非常に時間がかかる状況が続いています。ところが、中国側からは、比較的日本へは渡航しやすいのでしょうか、大勢の観光客が日本を訪れています。中国の大都市圏の物価を考えてみると、日本の大阪や京都などの観光地の宿泊や食事は、もはや高いものではない、という事が言えるかもしれません。

さて、物価高騰という意味では、文房四寶も例に洩れません。これは仕方がない事かもしれませんが、大陸の物価高騰と円安のダブルパンチで、非常に厳しい状況です。正直なところ、今の仕入れ値が、現在の販売価格を上回るものもあります。そこで大変心苦しいですが、近日、価格改定をせざる得ないかもしれません。当然、新しく仕入れした商品の原価が騰がっているのですが、それだけ値上げしてしまうと、明らかにアンバランスな事になります。なので、過去仕入れた商品も含めて、広く薄く、コスト上昇分を分散できないか、検討しているところです。

本当は新しい商品の企画もどんどんしていきたいところなのですが、かつて2週間ノービザで行けたころに比べて、渡航手続きは大変煩瑣になりました。やはり現地で顔を観ながら相談しないと、微妙なところは伝わらないのですね。加えて大陸の物価高騰、円安。どうしたものかと思います。

またひとつには、日本の筆や紙も考えてゆこうと思います。日本の筆や紙にも、やはり大陸中国にはない、良い性質のものがあります。また筆や紙について、新たな知見を得られることが多々あります。そこで得た知見で、新しい筆や紙が造れないか.....そんなことを考えてるところです。

店主 拝

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営業再開のお知らせ 2月4日

告知をここに投稿するタイミングが取れなかったのですが、2月1日より営業を再開しております。どうぞご利用ください。

 

非常に寒い日もありましたが、印象としては今年はそれほど寒くはないように感じます。

 

金剛山から水越峠にくだり、そこから大和葛城山へ登るのがいつものコースなのですが、日の短い冬場は、登り始めるのが遅い場合、水越峠からそのまま奈良側に降りてしまう事があります。日が傾くと山道は急に暗くなるものなので、安全のためには明るいうちに山道を抜けるのが無難です。山歩きに慣れているようでも、単独行は倍は慎重に行動する必要があります。

 

水越峠からはJR御所駅まで2時間ほど歩くのですが、途中の田野の様子も、趣深いものがあります。

電柱や舗装道路が写らないと、ほとんど江戸時代と変わらないのではないか?と思えるような家屋のそばを通ります。

付近に歴史の古い神社も多いです。お寺もあるのですが、当然ですが仏教は伝来したものなので、神社の建立時期には及びません。

傍を通り過ぎて感心している分にはいいのですが、現実にこういった家屋に住んで、修繕しながら維持してゆくのは非常に大変なのだろうなあ、とは思います。

実は中国の友人が日本で買った家屋の面倒を時々みているのですが、これほど古い家でなくても、なかなか骨が折れる事もあります。住んでいないと、家というものは廃れてゆく一方であると言いますが、その事を実感しています。

冷え込んだり、寒さが緩んだり、を繰り返す季節ですが、くれぐれも体調にはお気を付けてお過ごしください。

 

店主 拝

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臨時休業のお知らせ 1/26-1/31

臨時休業のお知らせ

1月26日から31日まで、臨時休業いたします。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承ください。

さる22日は、旧暦の元日でした。下鴨神社に、旧暦の初詣に行きました。下鴨神社は京都最古の神社といわれますが、なるほど平安朝を偲ばせる建築です。近くの大学に通うM君が一緒だったのですが、彼の話では、思いのほか人出が多かった、という事です。考える事は同じで、旧暦、いわゆる春節の初詣もしようということでしょうか。最近は”パワースポット”と称して、若い人の参詣がひそかなブームになっているとか。

古い神社という事ですと、私が住んでいる堺市などは古墳時代、4世紀に創建の言い伝えの有る神社がかなりあります。金剛山から奈良に下山する道すがら、古い神社を目にします。金剛山の山頂の葛城神社も7世紀、飛鳥時代の創建で知られてます。

3〜4世紀は、後漢末から西晋東晋の時代で、三国志や王羲之が活躍した時代として知られています。同じころの日本では、まだ文字が本格的に使用されていなかったため、記録に乏しい、という事があります。筆記がないのに、巨大な古墳をよく造れたものだな、と思いますが......大きな謎ですね。

猛烈な寒波が襲来しております。くれぐれもご自愛のほどを。

店主 拝

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営業を再開いたしました。

大変長らくお待たせしました。

お店の営業を再開いたしました。ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません。

どうぞご利用ください。

思えば大陸へ自由に渡航が出来たころは、年末年始は渡航していて、お店は10日〜2週間ほど休業していたものでした。実は関東にいたのですが、用件が済んで帰りしな、三島によることになりました。その様子はまた後日拙い文章に書こうとしているのですが、三島は街の中のいたるところ富士山の融水が流れていて、それがどこか江南の水郷が思い起こされて懐かしい気持ちになりました。日本人が日本の街の光景を観て大陸を懐かしむ、というのも少しおかしい事かもしれませんが、久しく行っていないとそういう気持ちになりますね。そこで2019年の11月の終わりに訪れた紹興の街の写真を観返したりしていました。

写真家ではないので、もとより良い写真を撮る自信はありません。ただごく初心者的な心得ですが、なるべく余計な物は写らない様にする、という事は意識しています。これは写真に限らず、絵画や文章にも言える事でしょう。
日本に観光に来る外国人が、写真を撮っていて不満に思うのが、日本の”電信柱と電線”だそうです。曰く京都の古都の景観も、電線が縦横に走っているから台無しだと。それで最近ではこの”電線だけを消す”アプリなんかもあるそうです。

確かに電線や電柱というのは、古都にしても、自然の景色の中にあっても、余計なものに観える事があるでしょう。欧米では、地下に電力網が埋設されている国が多いようです。ただ地震が多い日本ですから、地下に電線が走るとなると、地震で断線した場合に復旧に時間がかかると思います。電柱と電線は、台風で被害を受ける反面、復旧作業も早く終わる、というあたりに理由があるのかもしれません。

紹興で撮った写真を観ていると、紹興の街にも電信柱と電線があります。たしか上海の老街でも、冬になると電線に鶏肉や魚を吊るして干していたような記憶があります。
この電柱と電線が無ければ、本当に明清の街のように観えるかもしれない、とするとやはり少し惜しい気持ちもしてきます。電線と電柱を避けて街を撮るのはなかなか難しい。江南の街の場合、地下に電線を埋設するとなると、縦横に走る水路を避けるのが難しかったのでしょう。そこには現在住んでいる人々の生活の、さしせまった要求あるわけですから、のんきな旅人の願望は聞いていられない、というところでしょうか。

今年の春節は1月22日からで、大陸ではこれからいよいよ”年の瀬”になります。今月の21日はちょうど土曜日で、大陸では”越年(年越し)”という事になります。この日くらいはできなかった年越しを改めてしようかと、画策している次第。

時節柄、皆様方におかれましては、くれぐれもご自愛のほどをお願い申し上げます。

店主 拝

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臨時休業のお知らせとお詫び

告知が遅くなって申し訳ございません。実はさる27日の夕方から急用が入ったため、お店を臨時休業しております。お店を休業設定にする間もなかったため、ご注文いただいたお客様には大変ご迷惑をおかけいたしました。あらためて、謹んでお詫び申し上げます。
本来、告知をしてから休業するべきところでしたが、暫時その環境に入ることができなかったため、いきなり「休業」してしまい、失礼いたしました。

少し落ち着いたため、この文章を書いております。再開は早くとも年明け4日、ないし5日の見込みですが、状況いかんではもう少し後になるかもしれません。ご不便をおかけいたしますが、何とぞご容赦の程をお願い申し上げます。

慶事でもないですが、不幸でもなく......いや、正月返上というのはあまり良い事ではないとは思いますが.....時間が経過すれば片付く類のことではありますのでご心配には及びません。

写真は先週の土曜日の金剛山と大和葛城山です。大阪は例年にない急な冷え込みと雪で、奈良方面の山々は一晩で雪に覆われてしまいました。雪の降った山を見るとやはり登りたくなるもので、大掃除や整理を放棄して出かけてしまいました。登山客はまだ少ないのか、山の雪道はまだそれほど硬く踏み固められておらず、サラサラとした細かい雪は踏みしめるごとにキュッキュッと泣く声がします。雪山は充分気を付けなければならないことはもちろんですが、防寒をきちんとしてゆけば、夏の山よりも快適なところがあります。

荒れていた山道も雪で舗装された格好になり、軽アイゼンの爪が噛んでくれるので歩きやすく、特に下山中は雪がクッションになってくれるので、膝や足首への負担が軽いのです。
とはいえ、単独で行くこともあり、春夏秋の間に歩きなれたコースを選ぶことになります。最近の防寒着は非常に優れていて、歩いているとかなり汗をかくほどです。なので体が温まったまま歩き続けたほうが快適なのですが、万一、怪我で動けなくなると、途端に体温を奪われてゆくのが冬山の怖いところでもあります。

結局、正月を返上する格好ではありますが......仕方ないので来年1月22日から旧正月を正月という事にしようか、とも考えております。これは何度も書いていますが、1月下旬であれば元日に”新春”の語もより似つかわしく、七草ももう少し新芽を伸ばしている時期ではあります。

おもえば令和四年も、当初思い描いていたような事は何一つ進まなかったように感じます。寅年でありながら、さながら古い画題にあるところの『臥虎』のような一年だったと言えるかもしれません。来年は兎年ですが、果たして”飛躍”の年になりますかどうか......ウサギ穴に落ち込む事だけは、御免こうむりたいものです。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。

店主 拝
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成花軒の筆、発売。

お待たせいたしました。「成花軒」の筆三種、販売を開始いたします。

日本製の面相筆という事で、こういったお値段になってしまいましたが、大事に使えば思いのほか、長持ちするものです。「梅花」はいわゆる版下筆の事ですが、構造上は面相筆と同じです。なので極、微細な面相筆、という使い方もできると思います。
用途は書画に限らず、緻密さと正確性を要求されるアートワーク全般にお使いいただけるという自負があります。

デジタル化の波は工芸品の世界にも押し寄せてまいりましたが、しかしなんでも電子データの世界で完結する、という事にはならないと考えています。計算機の発達で、以前とは考えられないほどの表現がデジタルでもできるようになりました。AIが絵を描く時代なようです。囲碁や将棋、チェスではコンピューターにはどうやっても人間が勝てないようになってしまいましたが、だからといって将棋や囲碁が廃れてしまった、という話は聞きません。むしろ若い人でする人が増えていると聞きます。
絵画もAIが描いた絵にどうしても人間が及ばなくなったとしても、人間が描いた、というところの価値が見直されるようになるのではないでしょうか。

デジタル化することで効率化する部分もあることは確かですが、効率化が世の中の価値すべてではないでしょう。
おもえばここ30年、無駄をなくせ、効率化だ、という掛け声で世の中進んできた感がありますが、その結果、果たして豊かになったのでしょうか?というところがあります。むしろ昨今、「日本は昔に比べてすっかり貧しくなった。」という声が聞かれないでしょうか?
楽しみとは贅沢なものだとすれば、贅沢は無駄、として真っ先にやり玉にあげられるものです。豊かさとは無駄から生れるもので、その無駄を国を挙げてせっせと削ってきたのですから、その挙句に社会が貧しくなってしまうのも道理かもしれません。

美術に限らず芸術全般は、最低限生きる、という上では不可欠なものではないでしょう。しかし「健康で文化的な最低限度の生活」を憲法では保証すべし、とあるので......最低限度がどの程度かは微妙ですが.....毛筆をつかってものするくらいは許されることなのではないでしょうか。

「成花軒」の筆、お試しいただければ幸いです。

店主 拝
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新老坑硯四面発売

大変長らくお待たせして申し訳ございません。新老坑硯を四面、発売しました。

実用硯の説明が多少淡泊になるのは仕方がないとしても、毎回文章にどう表すかが悩むところです。毎度、同じような説明の繰り返しになるかもしれませんが、ご容赦の程、お願い申し上げます。

値付けが悩むところですが......いつか書いたかもしれませんが、長方形の硯というのは、天然不定形、あるいは楕円形よりも少ないものです。当然ですが、四辺を直線にカットするためには、より多い硯材を捨てなければならないので、新老坑や老坑水巌など、あまり大きな硯材が採れない坑洞の硯では、長方形の硯があまり作れないことになります。小さくなりすぎるからですね。ただ、実用硯といった場合は収納のしやすさでしょうか、長方形の方が良い、という向きがあり、そうなるとますます新老坑の長方の実用硯はあまりない、という事になります。
とはいえ元の硯石の大きさや(これは想像するよりないですが)、希少性を加味して値段をつけると、それこそ”実用的”ではないため、およそ、硯の大きさで決めています。

......硯が売れない、という話は、もうかれこれ何十年も言われている事かもしません。そもそも墨が磨れない硯が大量に市場に出回るようになったこと、墨汁の使用の氾濫で、硯の手入れの仕方などがよくわからなくなった事、などが原因としてあるかと思います。
ただ販売する側が硯石をよく吟味しなくなった、できなくなった、という事は確実にあるでしょう。新老坑に至らない硯というのはハネるしかないわけですが、まれに新老坑というよりも、水巌にかかっているのではないか?という硯にも出くわすことがあります。以下は結論は出ていませんが、あるいは水巌かもしれない、という事で販売を見送った硯になります。見た目で硯石を判断するのは危険なのですが、一見して雰囲気が違う事が写真にも表れていると思います。


なぜ水巌を避けるかというと、価格もそうなのですが、ともかく和墨、特に新墨に合わない、という事があります。水巌でも東洞や小西洞であれば和墨にも適合するのですが、数が少ないです。購入される方がどんな墨を磨るか、当方は知る由がないため、どうしてもオールマイティに磨れる硯、とりわけ新老坑の優秀さに価値判断を傾斜したくなります。

端溪硯に限っても、磨れない硯はたくさんあります。正確には鋒鋩が弱く、始終研ぎなおさないとすぐに磨れなくなる、という事です。また和墨はどうしても膠分が硯面の鋒鋩をコーティングしてしまう傾向があるので、そうなってしまうとつるつる滑って磨れなくなります。そういった場合も、研ぎなおして、鋒鋩を覆った膠分を取り除く必要があります。墨汁の容器などにしてしまって、あまり洗わない硯なども、やはり墨液が硯面を覆って磨れなくなります。

手本を眺めながら墨を磨っている時間というのも、実は楽しいものだと思いますが、早く墨液が欲しい、という事もあるでしょう。磨っても磨っても墨が濃くならない硯などは、興を覚ましてしまいかねないでしょう。

そういうわけで、良い硯を一面持って置くのは悪い事ではないと思います。硯は墨や紙、筆のような消耗品ではなく......相当使い込まな限り、硯面が陥没する、という事もないでしょう。いい硯があると、それを基準として硯を探せるようになるので、思わぬ掘り出し物を見つけやすくなるかもしれません。

厳しい残暑の時候、また疫病蔓延の折、皆様におかれましては、くれぐれもご自愛いただきますようお願い申し上げます。

店主 拝
落款印01


お店:http://www.sousokou.jp
BlueSkye:鑑璞斎
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