携行LED美術灯
手軽に持ち運べる、太陽の光に近い光源をつくれないか....という事をずっと考えていた。
光によって見え方が違う、というのは自明の理なのであるが、意外に意識されていないところがある。
たとえば硯を撮影する場合、私は自然光を採光し、光源としている。太陽の光.....自然光が最も”公平”な光であると考えるからだ。室内の照明のみで撮影したとすると、撮影条件を常に一定にすることが可能だが、それと同じ照明の条件を、ほかの人が用意できるとは限らない。だからこちらが提供した写真を観て判断したとしても「全然違うじゃないか」という事になりかねない。
蘇易簡は「明窓浄机,筆硯紙墨皆極精良」とうたったが、「明窓」とは、明るい窓の事で、すなわち陽の光を机上の光源に取り込むことを意味している。宋代にはすでに油脂を燃焼した照明が用いられていたが、油というのは昔は高価なものだった。経済的にも、見やすさの面でも、やはり自然光の下で書見なり、書写をするに越した事はないのである。
ゆえに「硯は日の下で観る」のが基本なのである。いや、本来は硯に限らないかもしれない。むろん、自然光といっても、曇天と晴天ではまるで違う。曇天では波長の長い赤い光線が雲にさえぎられるため、暖かい色味に乏しくなる。むろん朝と昼間、夕方でも異なる。さらに季節でも違いが出る。季節は仕方ないにしても、硯やモノを撮影するのは、晴天の午前中、と決めている。
ところでLED照明が普及して久しい。日本人の中村修二氏が発明した青色発光ダイオードは、すでに開発されていた赤色と緑色のLEDと合わせて”光の三原色”を構成し、白色の光が可能になった。さらに青色の光に反応して白く発色する蛍光剤が開発された。白熱電球に比べて劇的に消費電力の小さいLED照明の登場により、CO2排出量規制に伴う各国の政策もあり、世界の照明は白熱電球や蛍光灯からLED照明に置き換わろうとしている。
しかしこのLED照明の普及により、(あまり認識されていないかもしれないが)新しい問題が生じるようにもなった。照明の”色”の問題である。
光源の下、モノを見る場合、たとえば「赤い」モノを見ようとする場合、当然ながら、光源に赤い波長の光が含まれていなくてはならない。青や緑にしても同様である。少し前まで高速道路やトンネル内で使われていた(今でもあるかもしれないが)ナトリウムランプのオレンジ色の光は限定された波長域の単色光である。トンネル内に入ると、車内はオレンジ色の”モノ・トーン”に見えたものだ。照明に照らされたモノが色彩豊かに見える為には、光源にあらゆる可視光の波長がバランスよく含まれている必要がある
LED電球は低消費電力で明るい、という利点があるにしても、普及している安価な製品はこの”色”に問題が多い。特定の色の波長が弱い、という事が多いからだ。たとえ明るく見えたとしても、自然光と比較して、印象が変わってしまうのである。これは単に照明の”明るさ”だけを問題にする向きには関係のない事かもしれない。しかし美術品や骨董、工芸品を観る事を仕事とする方面では、なかなか頭を悩ませる問題である(そうでもない?)
ここではLEDという光源の、技術的な詳細について、あまりくだくだしく述べるつもりはないが”演色性”と”色温度”については、簡単に触れておきたい。
照明の色の良さを表す指標として”演色性”という言葉がある。Raという指標が用いられる。LED電球の普及に伴い、この言葉も知られるようになったかもしれない。白熱電球の時代は、照明の明るさや消費電力はともかく、色の良さについては、あまり意識されていなかったように思う。
白熱電球は消費電力が大きいが、演色性は良い。白熱電球の元祖、エジソン電球の演色性は100である。またクリプトン球も演色性は95くらいはある。だから昔の照明は、消費電力の大きさはともかく、色はよかったのである。
しかしLEDの白色電球となると、一般的には演色性は70〜85くらいである。高い演色性をうたう製品もあるが、高価であまり普及していないのが現実である。
美術館や博物館で使用することを考えると、LED照明の利点は確かにある。紫外線や熱線(赤外線)を出さない光線をつくることが出来るからだ。しかし、美術品を見る以上、色が悪いというわけにはいかない。紫外線を全く出さず、高い演色性を発揮するLEDの開発・製造には実のところ高度な技術が必要であり、照明も高価なものである。
演色性の他に、色温度、という指標がある。
「色温度が低い」というのは、おおざっぱに言えばやや黄色、オレンジ味のかかった電球色、と考えて良い。反対に色温度が高い、といえば電球色は白に近くなる。昼間の太陽光は色温度でいえば5500〜6000K(K:ケルビン)くらいになり、基本的に白色の光である。
巷間、演色性が高い事をうたう「高演色」「超高演色」と銘打ったLED照明も多くみられるようになったが、一般的に色温度が低いものが多い。色温度が低くいままで良いのであれば、演色性を高めるのは、技術的にそう難しくはないからだ。ただ太陽に近い5500〜6000Kの白色光であり、なおかつ演色性の高いLED照明となると、そう種類は多くはなく、価格も高価になる。
演色性の低い安価なペンライトは、一般的に青色が強く、赤味が弱い。色味が貧しいので、明るく照らし出されているとはいっても、色彩が貧相で、どこか冷たく見えるものである。
「高演色」「超高演色」をうたっていても「色温度」が低いペンライトは、赤が強く青が弱い。白い「白昼色」と書いてあっても、実際に買ってみると、おもったより赤味が強い事もある。たしかに赤が強いから、人間の肌は血色良く見える。ほとんどの種類の果物や花なども良いだろう。肉類も良い。ただ、青磁や青花の器を見たい時などは、赤の多さが邪魔をする。本来の青よりも、やや緑に傾いた見え方をしてしまう。やはり青色もバランスよく配合されていなければならないのである。
老坑の火捺を見る場合、演色性が高くても色温度が低く、赤味が強すぎると、地の色のとのコントラストが弱く、石品が明瞭には見えない。
また、光の拡散の仕方も問題である。レンズを使用する多くのペンライトは、光に環状のムラが出来ている。これはLED本体とレンズに組み合わせによる、光学的特性によって生じるものであるが、光の中心から放射状に光量が減衰するのは致し方ないとしても、極端に中心が明るいのも、近くからモノを照らすには不都合である。こうしたペンライトは、遠くまで照らせるようにレンズを選択しているのだろうが、文物を見る場合は近くから照らせればいいのである。
以上を踏まえて、結論的に言えば、演色性が高く、色温度が6000K近い、高性能な小型のペンライトが造れないか?という事を考えていた。これは最近になって考え始めた事ではなく、かれこれ2010年くらいから考えて、時折試作やテストを繰り返していたのである。当初はLED照明に関する技術的な知識の蓄積に時間がかかったのと、LEDの性能の限界もあって難航し、中断していた時期もあった。
当方の目的にかなうペンライトの制作には高性能なLEDが必須であるが、それはいうほど簡単なことではなかった。明るいLEDは安価なものでもいくらでもあるが、前述したように、明るければ良い、というわけではない。
少し入手は難しいが、演色性が高く、色温度の高いLEDが全くないわけではない。費用はかかったが、特注で何度か試作してもらったこともある。しかし単純に演色性Raという記号であらわされる数値が高いLEDが良い、というわけではない。ここでいう良い、というのは自然光に近いか否か?という事である。
LEDの色に関する様々な指標を見、スペクトルを分析し、回路や流す電流量、使用するリフレクタ、レンズなど、実に多くの組み合わせをテストし、試作を繰り返してきた結果、ようやく満足できるものが出来たところである。
以下に、使用の一例を示す。
上は今回開発したLED美術灯の色。iPhoneのカメラで撮影している。
上は、市販の安価なペンライト。美しくも見えるが、青が強くなりすぎている。
これは「高演色」をうたった市販のペンライト。色温度が低く、赤味が強く出過ぎている。
以上は青味の強い青磁に対して照射した場合の例だが、暖色系の対象に対して使用したのが以下の例。
LED美術灯
安価なペンライト。青色の光線が強いので、印象がかなり変わってしまっている。
市販の高演色ペンライト。色温度が低いので、赤が強調されている。
骨董や古美術品がお好きな方々は、ペンライトを携行されている方も少なくないかもしれない。日本の骨董店は今やそれほどでもないかもしれないが、大陸の骨董デパート”古玩城”は薄暗いところも多く、照明があったとしても十分ではないことが少なくないから、ペンライトは必携である。
市場に、LEDの小型懐中電灯、ないしペンライトはあふれかえっている。安価なLEDペンライトは、演色性よりも輝度の高さを重視しており、かつ安価な部品で構成されている。ゆえに非常に明るい製品も少なくないが、色は良いものではない。そもそも色にこだわった製品は、一部の医療用を除けば見られない。
文物を観る場合、明るければ良い、というものではない。明るすぎると、光が反射してかえって見難いものである。むしろ適度な光の量で、色の良いものが適しているのである。もう少し例をしめす。
LED美術灯。
安価なペンライト。色のバランスが青に偏る。
市販の高演色ペンライト。色のバランスが赤に偏る。
(今回は焼き物の写真ばかりであるが、硯に照射すると、肉眼では違いがはっきり分かるのであるが、写真に撮るとあまり違いが現れないのである。iPhone13 Proのカメラで撮影しているが、色のバランスはセンサーが勝手に補正してしまうらしいので、肉眼で見るほどの差が現れていない。)
光源はこれでいい。ただペンライトのボディがどうあるべきか?という事も考えた。市場には、金属製の、削り出し加工されたボディのペンライトをよく目にする。ステンレスやチタン合金を削り出し、それなりに高級感を帯びた製品もある。より安価にするなら樹脂製が良いが、樹脂にするなら大量生産の必要がある。金属加工であれば、それほど多くないロットでも量産可能である。なにより光量を大きくしようとすると、大電流を流す必要があり、LEDは発熱する。放熱という観点では、金属製が良いのである。
ただ、個人的には、この金属製のボディというのは、文物を観るときはあまり良くないと考えていた。いうまでもなく、モノを瑕付けるリスクが高くなるからである。光を当てるためにモノにライトを近づける際に、目測をあやまって、ライトの先端がモノにあたる、という事が考えられないことではない。端溪硯なども、金属で軽くこすられると、薄く白い瑕が遺ってしまう事がある。文物を観る際に、指輪や腕時計など、金気のあるものは外すのが基本的なマナー、というよりルールなのである。そうであるのに金属製の、製品によってはそれなりの重さのあるペンライトをかざすというのは、いかがなものか?という事は考えていた。
そこで少し加工は難しくなるが、ボディを木で造ることにした。木製であれば、硯や陶器、ガラス類に接触しても、瑕を付けてしまうリスクはずっと少ないものになる。そうかといって、あまり脆弱な木材では駄目である。丈夫な木材も種類が多いが、どのような種類の木を使っても同じような加工が必要なのである。いっそのこと唐木を使いたいと考え、紫檀を使う事にした。いささか贅沢であるが、飾り棚や台、硯箱などに、唐木を使用したものは古来少なくない。使用される場面にふさわしい素材であると言えるだろう。紫檀には唐木の家具と同様、保護のために薄く漆を塗っている。
尾部にあるスイッチは、耐久性を考えて金属製であるが、目立つものではないし、観る対象に向ける部分ではない。
こういったペンライトに需要がどの程度あるか、正直わからない。だいぶコストの高いものになってしまったのも事実である。
たとえば、墨色、と一口に言っても、一般的にはただの”黒色”と認識されているだけだろう。60gで3,000円程度の墨と、1万円の墨で、墨色の何が違うのか?という向きも当然あるだろう。単純な”黒さ”の違いを数値で表せば、95と100という違いかもしれない。ただ人間の視覚、認識というのは、おそらくそう単純なものではない。自分でも気づかない、あるいは言葉に表現できないほど、深く複雑なものなのである。
市場にLED照明は無数にあるが、ひとくちに高演色である、高色温度である、といっても、実際にどこまで用途を考えて開発されているか?という問題がある。
このペンライトは、むろん、太陽の光には及ばない。ただ、屋内の照明の影響を低減し、様々な照明環境下で、モノの見え方をフラットな方向に補正するのに、役に立つであろうと確信している。構造上、あまりたくさんは作れないので受注生産になると考えている。ご興味のある方々には、ご期待を乞う次第である。
お店:http://www.sousokou.jp BlueSkye:鑑璞斎