深圳の食卓にて

...........S小姐の旦那さんは、今なにかと話題の華為(ファー・ウェイ)にお勤めである。かなりのハードワークのようで、夕食時に帰ってこられないときも多い。深圳に滞在中はS小姐の家で夕ご飯をご馳走になる毎日なのであるが、ひとりで貿易会社を営んでいるS小姐は週に5日ほど、家政婦さんに来てもらっている。
家政婦さんはフルタイムではなく、一日4時間程度、お掃除と夕食をお願いしているという。家政婦さんを雇う費用がどれくらいかというと、仮にフルタイム8時間で週5日の場合、深圳だと5千元くらいだそうである。S小姐は月に三千元ほどを、家政婦さんに支払っている。曰く、「掃除はあまり上手ではないが、料理は上手。」とのこと。ちなみにS小姐は潔癖症ではないにしても、かなりの綺麗好き、掃除好きであり、いつも部屋はピカピカにしている。家政婦さんの掃除では飽き足らず、自分でもまめに片づけをしているような人である。
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家政婦さんは広東の人であるから、料理も広東風の家庭料理である。S小姐の夫婦は湖北省の出身であるが、湖北省も湖南省と同じく、家庭料理でも唐辛子辣い味付けを好む。以前は小生がとてもついてゆけないほど辣い料理も出てきたものであるが、現在は夫婦ともに広東の味に慣れ、たまに実家の料理を食べると辣さについてゆけないという。広東料理は全国の料理の中でも、比較的アッサリとした味付けで、油脂もあまり使わない。
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この日の献立は一品だけ、S小姐作の”バイ貝の十三香辣煮”が出た。広東、とくに深圳ではこのバイ貝が良く食べられる。青唐辛子が入って、少し辣い味付けである。
家政婦さんは年のころ40歳くらいであろうか。S小姐の家族からは「〇〇姐さん」と呼ばれている。食事を用意したら帰ってゆくのが普通なのであるが、そこは地方出身者の家庭の気さくなところであろうか、夕食時は家政婦さんも一緒に食卓を囲み、食事が終わると家政婦さんは帰ってゆく。フルタイムではないので、食材の買い物はS小姐が行うのであるが、材料をみて臨機応変にお菜(さい)を整えるのが手腕というものであろう。ちなみに中国の家庭の多数例にもれず、S小姐の旦那さんも簡単な料理はするし、S小姐のお父さんが滞在中は、夕食はもっぱらこのお父さんが作る。しかしなんといっても旦那さんは多忙であるし、S小姐も子供の世話と仕事でいっぱいである。そこでS小姐の両親が滞在して子供の世話や家事を手伝うことがあるのだが、S小姐は四姉妹で、姐のところにも去年女の子が生まれたため、両親としてはそちらの方を手伝いに行くときもある。現在の大陸には多い、一人っ子同士の夫婦の場合にはないことであるが、ご両親も娘たち家族の面倒を順番に見ないといけないのである。ゆえにS小姐の家庭で手が足りないときには、家政婦さんに来てもらっているのである。ちなみに、こうして家庭に入って家事や育児をサポートするのは、やはりほとんどの場合は妻方の実家である。

日本でも女性が働くのが普通となった時代であるが、日本の若い夫婦で家政婦を雇う余力のある家庭がどの程度あるか?という事は考えてみてもいいかもしれない。むろん、小なりとはいえビジネスをやっているS小姐に、旦那さんは今を時めく華為の正社員、という、収入的には比較的恵まれた家庭ではある。

家政婦さんへの報酬が、フルタイムで五千元(邦貨で八万五千円)というと、深圳では工場の工員の給与水準であり、決して高給とはいえない。もし地方から深圳に出て、部屋を借りて仕事をしているのであれば、今や余裕のある収入とはいえない。しかし、住むところのある近場の主婦であれば、それほど悪い仕事ではないという。

収入にしてもぶっちゃけた話をするのが大陸の人であるが、30歳を少し過ぎた旦那さんの年収は、月の給与で邦貨にして年に600万程度、またそれと同じくらいのボーナスがあるという。日本の30代前半のサラリーマンと比較しても、稀な高給取りであるとはいえるだろう。
しかしS小姐が少し浮かない顔をしているのは「会社に言われて、華為の株を5万株ほど買ったから、今は少し手元に現金がない。」という事であった。今年の旦那さんのボーナスはほぼ勤めている会社の株の購入に充てられた、というわけである。ちなみに5万株で40万元(邦貨で680万程度)だったそうだ。それは外資系の新興企業によくある”ストックオプション”というような、報酬代わりに自社株を譲渡するのではなく、あくまで社員による買取である。ちなみに華為は上場していない。上場して株価が上がれば大変結構なことであるが、上場の予定はあるのだろうか。

ハードワークで知られる華為であるが、S小姐の旦那さんの表情をうかがうと、特段の悲壮感のようなものは感ぜられない。帰宅して食事をして、1歳になる子供と遊んで実に楽しそうである。
「華為は今、日本で初任給40万円で新入社員を募集しているよね。」とS小姐に言ったら「華為は中国での採用でも、社員は最低2万元からよ。」と言われてしまった。ここのところ人件費も急激にあがって、上海の平均給与が9000元を超えることと比較しても、新人に支払うにしてはかなりの高給である。いや、日本の企業が若者に払う給与が、すでに安すぎるのかもしれない。

さて、私の滞在の最終日は、皆で火鍋を囲もう、という事になった。材料を買いに行きましょう、という事で、子供と一緒にS小姐の車でスーパーに出かけたのである。車は最近買った、BMWのSUVである。マンションの地下駐車場には外資系メーカーの、大型の車が並んでいる。好みもあろうが、特に子供の小さな家庭では、小型の車は事故に遭った際に危険、という考え方もある。しかし道が渋滞していて、いつもは5分で到着する会員制のスーパーに、30分かけてたどり着いた。
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こぎれいに商品が陳列されており、日本のスーパーのように販促のための試食をすすめるスタッフもいる。日本から輸入された調味料なども多く並んでいるが、値段は輸入品だけにやや高い。
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今夜は四川風の辣い鍋であり、肉を主体にしようという。そこで食肉のコーナーに行くと”火鍋用”という事でパッケージされて販売されているのは、多くは豪州や米国産の牛肉や羊肉である。おそらく向こうの工場でスライスされ、包装後に冷凍で輸入されたのであろう。日本のスーパーのように、食肉を加工する職人を置いていないのかもしれない。
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スライスされた牛肉、牛タン、野菜や豆腐類を適当に買い込み、お会計である。ところがこのスーパー、スタッフを置いたレジというものがない。買い物客は、機械にバーコードを読み取らせ、適当に袋につめて持ち帰る。会員制だけに、はじめからデポジットされたポイントから清算されるのである。スタッフレスにキャッシュレス、なのである。
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さて火鍋であるが、火に鍋をかけるから”火鍋”であって、日本のちゃんこ鍋や湯豆腐鍋や、てっちりも”火鍋”である。しかし大陸の火鍋は辛い場合が多く、個人的に”火鍋”から連想されるのは”口から火が出るように辣い鍋”である。事実、大陸では一般に四川や重慶を本場とする、辣い鍋が流行しているのである。今日は四川から直接取り寄せたという、”火鍋スープの素”を使うという。広東料理に慣れたからといっても、たまに辣い料理を食べたくなるのであろう。
とはいえ、火鍋は中央で分割されており、一方には豚のスペアリブとトウモロコシを煮込んだスープを使う。トウモロコシの芯の甘みが溶け込んで、こちらは当然辣くはない。

これに”火鍋油”という、缶に入った香味油をたっぷりつけて食べるのである。小鉢にたっぷりと油が注がれるのを見て、一瞬ひるんだが、この油に浸して食べることで、四川風のスープの辣さが緩和されるのである。この”火鍋油”に薬味としてネギと香菜を刻んだもの、おろしたニンニクと生姜をじっくり炒めたペーストを添える。
ありていに言えば、スライスされて冷凍輸入された牛肉などは、日本のスーパーの精肉コーナーでグラム100円前後で特売されている、外国産の牛肉や豚肉類に比べても、食味に勝るという事はまったくない。しかし四川風の激辛スープと、薬味を入れた”火鍋油”に浸して食べると、調味料の味でおいしく食べられるものである。しかし肉の触感はするのであるが、牛肉と羊肉の味の違いがあまりわからない.........羊肉に関しては、たとえば上海や北京などでは冷凍していない羊肉を使った火鍋を出す店がある。しかし食肉用の牛を飼育する歴史が浅く、サッと過熱して食べても美味しい牛肉の流通にはまだ時間がかかるのかもしれない。大陸の伝統的な牛肉料理と言えば、老牛の肉を長時間煮込み、薄く切って冷菜として供する料理が定番である。
ともあれ小生には四川風のスープはやはり辛すぎで、途中からはもっぱらトウモロコシを煮だした、白いスープの方で食べることにする。やはり湖北省出身の家庭であるから、たまにはとても辣い料理を食べたくなるものなのだろう。

不足を言い出したらキリがない、というのが生活というものかもしれない。S小姐の家庭はすでに平均以上の所得を持ち、いわゆる良い場所にお部屋もローンで購入している。しかしそれでも”生活が楽”、という実感に乏しいという気配が感ぜらるところがある。その根本的な要因はおそらく部屋のローンの支払いなのであろうけれど、深圳の物価高もあるだろう。一緒に買い物をしていても、野菜を除いた肉や魚は、日本と大差がないか、質的に比較すると高いくらいである。質を問わなければ安いモノは確かにあるが、質を求めれば日本の方がおそらくほとんどの分野で安価かもしれない。

「深圳の景気は?」と聞いたら、「良くない。」という返事。大陸の朋友等がはっきり「不景気」と言うようになったのは、今年入ってからである。たしかに、深圳に限らないが、かつての沸き立つような好景気はもう昔の話であり、経済は方向感を失っているようにも見える。GDPなどの指標と、巷間の景況感の乖離が開く一方、という実感がある。GDPが6%の成長率で何故不景気に感じるのか?というのは不思議としか言いようがないが、GDPというのも問題のある指標である。売れない住宅をたくさん建設しても、GDPの増加にカウントされてしまうのである。自由主義市場経済の国では、売れなくて在庫が増えれば生産が抑制されるものであるが、統制経済の国では生産を続けることが可能になるのである。

4年前に購入したS小姐夫婦のお部屋も、値段が倍以上に騰がっている。地下鉄の駅直上の、ショッピングセンターに直結する”好物件”である。しかし子供が生まれてしばらくたつと、「近くにあまり良い学校が無い。」ということを不満に思うようになって来たという。「深圳のGDPは中国で1番だけど、平均所得は16番目。貧乏な人も多いから、決して豊かな都市ではないのよ。海外の高級ブランドのお店も、中心市街に数店舗しかない。」ともいう。

大陸では公立の小中学校にも地域によってレベルの違いが厳然としてあるそうだ。そのうち”実験”の二字を冠した”実験小学校”、”実験中学校”が一番いいとされるのであるが、”実験”というのは新しい教育方法を実験的に実施するという意味である。そういうと生徒をモルモットにして学習法を研究しているかのような印象を受けるが、より先進的な教育法を試行するだけに、優秀な教員と生徒が集められる、という事でもあるそうな。半面、あまり良くないとされるのが、深圳に不動産を持たない外省人の子弟を集めた小中学校であるとされる。これは深圳に限らず上海や北京といった都市でも同様である。他所の省から来た住人の子供は、その都市に両親が住居を賃貸ではなく所有しない限りは、原則その都市の戸籍を持つことが出来ないのだ。そこに明確な差別があり、深圳籍や上海籍を持たない子弟が通える学校と、通えない学校があるのである。その都市の戸籍のない子供が通える学校は、市政府も予算をあまり割かないためもあり、また経済的に恵まれていない外省の家庭の子供が集められるということもあり、あまりよろしくない、というようにみなされているのである。
ゆえに外省から来た住人にとっては、その都市で不動産を持つという事は一大事なのである。日本のように賃貸で充分、というわけにはいかない。そうした切実な需要が、大陸の不動産バブルを下支えしてきた、という現実がある。その都市の政府にしてみれば、不動産開発によって財政を賄ってきたという経緯もある。その都市や地域の不動産を買う、というのは、いわば住民税を支払っているようなものなのであろう。不動産を持たない住民の子に上質の公共サービスは提供出来ませんよ、というところだろうか。

ともあれ、無謀な開発事業を重ねた結果、大陸の地方政府の財政の多くは事実上破綻している。唯一深圳だけは、債務がほとんどない。これからもインフラ整備や学校、病院といった公共事業を行う余力があるかもしれないから、S小姐の住んでいる地域の人口も増えるにしたがって、新しい学校も建設されるかもしれない。
以前は「深圳まで不景気になったら中国経済はオシマイ。」と言っていたS小姐であるが、その深圳の景気も思わしくはない。しかし外省人で成り立ち、民間経済が発達し、財政に余力のある深圳の先行きは、他の地域に比べればまだ明るさが期待できるところである。
大陸の今後の経済状況については考えさせられるとこが多いが、それとは別に、朋友達の小さな家庭の幸福が続く事を祈るばかりである。
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華強北電子市場の蒸菜店

深圳は華強北にある巨大な電子市場の中、お昼ご飯を食べようと思った。一人で行動していたので食事は簡単に済ませたい。大勢の人があつまる電子市場には、実際に飲食店が多数存在する。昼食の需要が最大であるためか、麺類やどんぶり等、軽食中心の店が多い。また弁当を売る店も多い。弁当といっても、中国の場合は出来あえの温かい惣菜を選んで、ごはんと一緒に弁当容器につめてもらうのである。
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しかし12時過ぎから食堂の類はどこも混雑している。午後1時をまわったあたり、混雑のピークを過ぎたころ合いに、電子デパートの一棟の六階にある食堂街をのぞいてみる.........行列の出来ている一角に懐かしい光景が........蒸し器の中の多数の小皿。湖南省は長沙で味わった、長沙蒸菜”である。

深圳は外省人の街である。つまりは広東省以外の地域から集まった人々が人口の大半を占めるのであるが、北方の人は少なく、長江流域、湖北、湖南、四川、広西、江西、福建などの人が多い。福建をのぞけば、およそこれらの地域の料理は辛いのである。辛い料理の雄といえば、湖南料理である。日本人が想起する辛い中国料理といえば四川料理かもしれないが、四川料理は辛さのなかにも様々な香辛料が加わる。しかし湖南料理はずっと直接的な、唐辛子の辣さである。この湖南料理は深圳の外省人の味覚における公約数なのか、実際に湖南料理の店は多い。
この”蒸菜”の店も、華北強の電子市場、すなわち深圳屈指のオフィス街には必須の種類の店なのであろう。一人の昼食には丁度いい店でもある。
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トレイをとって、学食よろしく列にならぶ。下からゆるく蒸気のあがる、四角いステンレス製の巨大な蒸し器の中に、小さな白い深皿にはいった料理が所狭しと積み重なっている。長沙では皿を指さして指示すると、従業員がハサミで皿をとってくれたものであるが、手で持つにはやや熱いからでもある。深圳のこの店では、さまで熱くないのか、自分でとるのである。皿は料理の汁や油脂で滑ることもあるので要注意である。ご飯も、陶器の深皿にすりきりで入って蒸された白飯である。たくさん食べたい人は、二皿のご飯をもってゆく。(ランチタイムから少し時間が過ぎると、陶器の蒸した白飯ではなく、普通に炊いたご飯が盛られる)
もっとも、トレイを持って料理を選んで、付近のテーブルで食べる人はそれほど多くない。ほとんどの人は料理を選んで、店員にテイクアウト用のランチボックスに入れてもらい、ビニール袋に下げて持って帰るのである。自分の店舗なりで食べるのだろう。
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”長沙蒸菜”は、湖南人の好みなのだろうが、辛い味付けの料理が多く、赤や緑色の生の唐辛子がふんだんに使われていた。これに黄色いコーンやニンジンのオレンジといった緑黄色野菜、あるいは淡い色合いのキノコ類やイモ類などの料理が加わり、目に鮮やかな印象が残っている。
対して、この深圳電子市場の”蒸菜”は、やはり地元の味の好みであろうか、はじめから辛い味付けの料理は少ない。色合いも若干地味である。よくみれば、湖南料理の特徴をもった料理は少なく、ごく一般的な広東の家常菜、のようである。長沙であればかならず一隅を占めている、赤唐辛子と青唐辛子の塩漬けのみじん切りを乗せた、淡水魚の頭の蒸し物「剁椒魚頭(トウジャオユイトウ)」がない。内陸の長沙とちがって、広州湾に臨む深圳らしく、小型のマナガツオの蒸し物である。またスープは、これも広東でよくみる、豚のスペアリブにクコなどの漢方薬をいれて蒸しあげたスープである。
日本だとマナガツオは高級魚の部類であるが、広州湾では小型のものが良く採れるのか、日本におけるアジ、のような位置づけで、わりと庶民の魚なのである。これを生姜とネギと一緒に蒸して醤油と香味油をかけた料理は、まったく広東の家常料理である。深圳の電子市場ともなれば、中国南西部のみならず、海外も含めていろいろな地域の人が集まるからだろう。野菜の小皿と、豆腐(油揚げや湯葉など)料理、それに一品くらいで充分である。
むろん、湖北や湖南、四川の人など、辛い料理を好む人も多くいる。大陸南西部の、農村の料理は概して辛い。辛い味が好きであれば、清算するレジの前に、真っ赤な辣醤が置いてある。好きなだけどうぞ、というわけである。
”蒸菜”は、食べたい分だけ料理を見ながら頼めるので、あまり現地語に詳しくない旅行者にも便利かもしれない。
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さて、こうした昼食をとる簡便な店も、今や携帯電話での決済が一般化している。またこのフード・コーナーは共通のプリペイドカードがあり、それにいくらかキャッシュをチャージして、決済時に支払っている人が多い。しかしいずれにせよ、短期滞在の外国人にはかえって不便である。実のところありがたいことに、現金での決済も可能なのである。さすがに深圳の電子市場、出張で来ている外国人も多いのであろう。
「現金決済が併用なのは当たり前では?」と言われるかもしれないが、さにあらず、である。少し大きなショッピングセンターの中にある、麺などの軽食を出す小さなテナント店では、オーダーも決済も、スマートフォンで”微信”という(日本のLINEのような)メッセージツールを使わないと、出来なくなっているところも多いのだ。いや、出来ない、といっても強いて言えば出来ることもあるのだが、なんとも面倒である。
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そういった店では、席についてからまずはバーコードを読み取り、その店の微信のアカウントを登録する。そして微信からメニューを開き、注文と決済を同時に行うのである。こうすると、小さな飲食店などでは、スタッフが注文を取りに来る必要もないし、清算時のレジを打つ必要もない。究極、人件費が削減できることであろう。ファストフードや、ファストフード化したチェーンの飲食店などは、こうした仕組みでも使わないと、回らないのかもしれない。
実際に、宿泊したシェアハウスの近くのショッピングセンターの地下で、昼食でひとりで麺を食べようとしたところ、これが微信を使わないと注文も出来ない店なのである。微信は持っているが、あいにくまだ決済機能の”微信支付”の準備がない。登録するには、引き落とす銀行口座の登録が必要なのである。中国人民銀行の口座はあるにはあるが、口座に登録した電話番号が必要なのであった。昔の携帯番号は長いこと使わない間に廃止されてしまったので、登録を終えることが出来ない........というわけで、10元ほどの麺ひとつ、食べられないのであった。
おもえばその昔、大陸を初めて旅した時などは、庶民的な店で簡単に食べようにも、言葉も今よりはるかに未熟であったし、注文の要領がわからなくてずいぶん難儀したものである。往時よりもはるかに便利になった現在に、ふたたび難儀しようとは、これは想像の埒外である。もちろん”微信支付”の登録を完了すれば、むしろ簡単に食事がとれるかもしれない。しかしいかんせん、短期滞在の外国人がこのシステムから疎外されていること、はなはだしいと思うのは自儘というものであろうか。
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10年位前は、小さな飲食店などは、地方から来た若いスタッフが大勢で切り盛りしていたものである。ところが現在は、人件費の高騰、さらに不動産の暴騰のために、スタッフ用の住居の確保もままならなくなってきている、という現実がある。
こうなってくると、都市部の飲食店は、ある程度の規模の資本力のあるチェーンや、フランチャイズの飲食店ばかりが増えてくる。たしかにある種の清潔感はあるし、味も悪いわけではない。しかしおしなべて大味で、個性がないのはいかんともしがたい。あの街に行ったらあの店に行こう、というような、惹きつける魅力には乏しいのである。それは、日本でも大手資本の巨大ショッピング・モールなどでもみられる光景かもしれない。資産インフレが昂進すると、こうしたつまらないことが起こってくるのである。
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実のところ、この”蒸菜”の店はむかし経験した”長沙蒸菜”というよりは、広東の家庭料理の”蒸菜”だったわけであるが、利用しやすいので電子市場を歩いた日の昼食は毎回ここにしていた。値段も、スープと魚料理をつけても、300円しないくらいである。”長沙蒸菜”ほどの料理のバラエティはなかったものの、辛くないので食べやすい。おしなべて平凡な味付けの”家常菜(家庭料理)”であるが、もちろん、華強北の電子市場は食に期待してゆくところではないのである。
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婺源 農村の料理店

今年一月に訪れた、江西省は婺源県のとある村。黄山市屯溪区から、婺源県へ向かう途上、屯溪から峠を越えて平野に出たところに位置している。遅くとも唐代から悠久に続く、街道沿いの小村落である。

村の道端に肉屋の露店が開かれている。徽州の田舎では、今なおよく目にする光景である。お昼時であったせいか、肉屋の主の姿はそこには見えない。品物も道具おも置きっぱなしである。小さな村の事、さしたる心配も無いのだろう。丸太を皮付きのまま、縦に厚切りにして脚に横たえただけの長机が露店のすべてである。これは全体が巨大なまな板でもある。その上に厳冬の山間の冷気にさらされて固まった、大きな白い豚の脂身が横たわっている。その横には光沢のある深い小豆色の肝臓が、これも形よく並べられている。脂身の下に敷かれているのは、骨をも断ち切れそうな、手斧のような肉包丁である。ここに場合によっては豚の頭部がそのまま置かれていたりもするのであるが、今日は売れてしまったのであろうか、目にしない。豚の頭部は農村部では人気の食材なのである。また脂身の多い豚肉というと、日本ではかならずしも珍重されないが、大陸、とくに田舎の方ではよく肥えて脂肪の厚い肉が好まれる。季節は1月、昼間の気温も数度までしか上がらない。新鮮な豚肉を空気にさらしていても大丈夫、というわけであろう。そのおこぼれにいくらかでも預かろうという魂胆か、あるいは店の留守番なのか、日本の犬に似た犬が寝そべっている。
この時、例によって知友の作硯家の家を訪ねたのである。ちょうどお昼時で、近くの“農家菜(田舎料理)“の店に行く事になった。いつもは奥さんが自家栽培の野菜をつかった、美味しい田舎の家庭料理をふるまってくれるのであるが、今日は子供の塾通いのために留守にしていたからである。
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江南の場合、小さな村であっても、たいていはそれなりの料理屋はある。たとえ専業の農家でなくとも、自分の家で食べるくらいの野菜は、このあたりであればどこの家でも作っているから、このあたりの家庭料理はすべて“農家菜”なのである、といえばそうである。とはいえ食事が重要な社交の場である大陸の事、それとはまた別に地元料理のお店もある、というわけだ。
作硯家の家から車で数分の村の外れに、その料理屋はある。庭の前には、青菜が栽培されている、よく整理された畑が広がっている。料理屋というよりも、村はずれの農家の、やや大きな納屋そのものといった風情である。
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店の周りには鶏が駆け回り、時折犬がけたたましく吠えている。何度か訪れているこの小さな村で、この店に案内されるのは今日が初めてであるが、なんでも最近開業したそうである。大陸も自家用車が増え、田舎の方にドライブに行く都会の人もだいぶん増えている。そこで街道筋に、こうした料理店がちらほらと見受けられるようになったのである。
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料理のオーダーは、直接広い厨房に入り込んで、食材をみながら適当に頼むのであるが、要はたべたい食材を指示すれば、あとは適当に料理してくれるのである。調理法まで指定したければ出来るのであるが、お任せにしておけば、調理法や味が重なることがない。料理が出来るまでは、食卓に着かずに適当に庭でくつろいでいればいい。
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店の横には建築を途中でやめたかのような、がらんとした徽州建築風の大きな建物がある。ウダツをあげた白い漆喰の壁を残し、あとは屋根以外は柱と骨組みだけである。二匹の犬の吠える声が、屋根に反響してよく響いてくる。その傍らを、恐れる気配もなく数羽のニワトリが歩き回っている。
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料理屋の前庭は農家の庭そのもので、つるされた皮つきの褐色の豚の足や、よく肥えた塩漬けのガチョウの干物が、黄色い脂身をみせている。
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ほのかに燻製の烟の香が漂っている。ここでも先ほどの露店の肉屋ではないが、なかなかもって生生しい光景を目にするものである。また厨房の裏手には大きな水槽がいくつもおかれ、観賞魚の店さながらに、淡水の様々な生き物が泳いでいる。
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さて、料理が出来ると「料理が出来たよ。」と声がかかる。それから円卓を中央に置いた小部屋に通され、食事が運ばれるのを待つ。テーブルの上にはたいてい、各自、箸、小椀と小皿と湯のみが一緒になってセットされ、回転式の円卓の縁に等間隔に、ひまわりの種や落花生、漬物などが載っている。
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今回、うっかりしてあまり料理の写真は撮っていなかったのであるが、おしなべて質朴な料理である。野生の豚肉、というが、たぶん猪のことではないだろうか。これはしっかりした歯ごたえがある。もちろん野菜はとりわけ新鮮で、簡単な調理であるが、上海や北京の街の料理屋ではこれは味わえない。
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徽州では固形燃料をたいた小さなコンロの上に鉄の小鍋がおかれ、肉や小魚を煮た料理が2〜3出てくることが多い。この日も、渓流の小魚の醤油炒め、鴨肉、タケノコとハムといった三種類の小鍋料理が登場した。特に徽州の農家で自家製された硬いハムの塩味がしみ込んだ、厳冬の孟宗竹のタケノコはサクサクとして甘く、同行した上海や屯溪の友人等も、続けて箸を伸ばさない人はいない。また干したマダケを水で戻し、野菜といためた料理も徽州の定番である。
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寒さしのぎに、温めて刻んだショウガを入れた紹興酒(紹興産ではないが)を頼むと、小さなやかんに入って出てくる。

明朝初期に成立した水滸伝には、よく居酒屋に入る場面がある。旅をしていると居酒屋の旗がたなびくのが見え、居酒屋に入った豪傑が注文するのはたいていは酒、そして数斤の牛肉だけなのである。野菜や豆腐を使った惣菜や、漬物、あるいは米飯の類などは酒と肉を注文しさえすれば一緒についてくる、という事になっている。
その昔、大陸の牛は原則労働力なのであって、屠られるのは働けなくなった老牛である。肉の硬い老牛を美味しく食べようとおもえば良く煮込むしかなく、それでも硬く筋っぽいので、煮込んで冷えたところを薄く切って出すよりない。水滸伝にはそこまで書かれていないけれど、水煮にした牛肉を薄く切った料理というのは、いまでも中国各地に存在している。
話がそれたが、大陸全土をまたにかけた豪傑達が旅の道々で立ち寄るのは、やはりこのような農家が兼業していたような居酒屋だったのではないだろうか。晩唐の杜牧が「水村山郭酒旗風」とうたったように、そうした農家兼業の居酒屋はかなり昔から点在していたのであろう。

たっぷり時間をかけて食事を終えると、作硯家の家に戻り、休憩しながらの硯石選びである。真冬の歙州硯は、その色沢のせいであろうか、夏場に目にするよりもこころなしか冴え冴えとしている。寒い時期は膠が固まってうまく墨が磨れないものであるが、その寒さの中でもしっかりと硬い墨が溌墨する硯石こそ、まことに得難いものなのである。
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豆柿の味

1月に、婺源の作硯家を訪ねた時の事。この家は農家、ではないのであるが、家で食べる野菜くらいはほとんど自分の家で作っている。毎回、奥さんの手料理をふるまわれるのであるが、今回は遠く婺源市街の塾に通う息子さんに付き添って留守であった。それで近くの”農家菜(田舎料理)”の店に行こうという事になったのであるが、食事が終わって作硯家の家に戻ってきてから「口直しに」と出された一山の果物。

豆柿

色はオレンジ色、ピンポン玉よりもさらに小さく、プチトマトくらいの大きさである。季節外れであるが、やはりプチトマトであろうか。大陸ではプチトマトは果物扱いで、食事の後によく出されるのである。それにしてはヘタの部分がやや茂りすぎにも見えるのであるが.......手に取るとひんやりと冷たく、実はほうずきの実を揉んだように、薄皮の中に柔らかくなった果肉が感ぜられる。ほうずきも食用にするのであるが、ほうずきではない。ヘタを取って、中身を吸い出して食べよという。そう、これは柿の熟柿(じゅくし)なのであった。もとは渋柿なのであろう、濃厚な甘さの奥から渋みの残りが伝わってくる。渋みが後を引くので数は食べられないが、懐かしい甘味である。

大陸では甘柿を見ることは少なく、たいていは渋柿を渋抜きした柿である。冬場には干し柿も多く出回っている。日本で干し柿もすっかり高級になってしまった感があるが、大陸の方はまだまだ安価である。それにしてもこの小ささはどうであろう。日本でいうところの”豆柿”であろうか。

”豆柿”は接ぎ木の台木にされるというが、その実はほとんど出回っていないだろう。果物は大きく甘いが珍重される昨今、小さな渋柿なぞ、顧みられることは無いのかもしれない。柿はありふれた果物であるとはいえ、山村でこのように出されれば、やはりどこか珍奇な果物に思えてくるものである。

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深圳の人参果

.......深圳のとある市場で、怪異な果物を見つけた。”人参果”、とある。これは....
人参果
南朝梁に書かれたといわれる「述異記」には、
”大食王國,在西海中。有一方石、石上多樹、幹赤葉青、枝上總生小兒、長六七寸、見人皆笑、動其手足、頭著樹枝。使摘一枝、小兒便死。這果子遇金而落、遇木而枯、遇水而化、遇火而焦、遇土而入。”
”大食(たいしょく)王國、西海(せいかい)中にあり。一方の石あり、石上に樹多く、幹は赤く葉は青く、枝上に総て小兒を生ず。長さ六七寸、人を見て皆な笑う、其の手足を動かし、頭は樹枝に著かる。一枝を摘(つ)ましめば、小兒は便(すなわ)死す。果子は金に遇えば落ち、遇木に遇えば枯れ、水に遇えば化し、火に遇えば焦(こ)げ、土に遇えば入る。”

この人参果であろうか。

あるいはまた「大唐三藏取經詩話·入王母之池第十一」には
”已有王母蟠桃入池化為小兒、再化為乳棗、猴行者取以食法師、“後東歸於唐朝、遂吐於西川、至今此地生人參是也”
”已に(西)王母の蟠桃(ばんとう)、池に入りて化して小兒と為るあり、再び化して乳棗と為る、猴行者(こうぎょうしゃ)取り、以って法師に食わす。後に(法師が)唐朝に東帰(とうき)するにおいて、遂に西川(せいせん)において吐き、今に至り此の地に生人參を生ずるは是れなり”
人参果
とある。これであろうか.......確かに皆笑っている.......しかし子供というよりはふくよかな僧侶を思わせる風貌であるが......皆死んでいるに違いない。ためしに5〜6個買って、夕食時に呼ばれた朋友の家に土産として持参してみた。

湖北出身の朋友も目にしたことが無く、「ひとつ食べれば齢三千年を得る」とか「収穫するときするどい叫び声をあげ、聞いたものは死ぬから訓練した猿にとらせる。」などと言い合って楽しんだが、しばらく飾って楽しもう、ということになった。
ところで朋友夫妻のところには子供が生まれていて、子供の面倒を助けるために実家から両親が来ていたのだった。夕食はお父さんが作ってくれるのである。食事が終わってくつろいでいると、お母さんが果物を切って運んできてくれた。赤いスイカの隣には、緑色のメロンのような切片が.......どうやら人参果を2個ほど切ってくれたらしい。皮をむいたら、メロンと大差ない。朋友は「あ〜、もったいない。」と言っていたが、せっかく切ったのだから食べるよりない。味は、というと......味のないメロン、胡瓜のような味である。とらえどころのない、昔風に言えば「タマシイのような」味である。
.......はたして延寿に功ありや否や。
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屯溪の毛豆腐

今まで書かなかったのも不思議なくらいの話題なのであるが......黄山の珍味に、毛豆腐、というものがある。
屯溪毛豆腐
その昔、初めて屯溪を訪れたとき、屋台の料理屋で勧められるままに食べたのが毛豆腐であった。生の唐辛子と一緒に、炒めたものが出てきたのである。辛そうな赤い油に、焦げた、ショートブレッドほどの大きさの固形の物体が沈んでいたのを覚えている。まわりに脱脂綿のような繊毛が切れぎれに付着しているのをみると、口にいれることにかすかなひるみを覚えたものである。皿からは、納豆を炒めたときのような、独特の香りが漂っている。箸で割くと糸、というよりも皮膜のような粘りがのびる。噛むと薄い皮の中から、木綿豆腐を柔らかくしたような、糸を引く濃厚な内容物が出てくるのであるが......
これがはたして口中強烈な臭いのする食べ物で、味をたとえるならやはり納豆に近いだろか。その納豆のアンモニア臭を強烈にして細かくすりつぶして裏ごしし、固めて焼いたような風味、というところだろうか。納豆を焼いたときの、あの臭いをさらに強くしたような.........珍味には違い無いが、ひとふた口で充分、というのが当時の印象であった。
ところがそれから屯溪行の回を重ねるごとにだんだん口になれ、今では屯溪にいったら一度は食べたい味になった。毛豆腐は、中国の人といえども当時はほとんど知られていなかったのである。なので同行の朋友に「屯溪に来たらぜひ毛豆腐を食べなきゃ。」とかなんとかいって食べさせているうちに、自分も慣れていったというわけである。子供のころから納豆に慣れている日本人の方が、あるいは慣れやすいのかもしれない。いまだに駄目な朋友もいるのである。
屯溪毛豆腐
屯溪毛豆腐
ひとつには毛豆腐自体の臭気が、だんだんと和らいでいったということもあるだろう。現在の毛豆腐は、かつて感じたほどの臭みがなく、いたってマイルドな味になっている。毛は生えているのであるが、毛豆腐同士は納豆のように糸を引くことがない。そのむかしは箸で割っても、しっかり糸を引いていたものなのであるが.......。
それは紹興や長沙の臭豆腐しかりで、個性的な風味が穏やかになるにつれて全国的に受け入れられるようになった、ということかもしれない。
それは日本の納豆などにも言えることだろう。納豆も思えば昔は臭かったもので、練り辛子と刻んだネギを入れないと子供心には抵抗感があったものである。それが今やネギを入れてしまうと納豆の味がしない。
屯溪毛豆腐
毛豆腐にもいくつか食べ方があるのだが、多くは「紅焼」つまりは醤油炒めである。唐辛子を入れて辛く仕上げている場合が多い。
毛豆腐は徽州全般で食べられているかというとそうでもなく、やはり屯溪地区に多いようである。績溪や、婺源では見たことが無い。その屯溪でも、全住民が好んで食べているかというと、敬遠する人もいるのである。
しかし屯溪でも、昔はもっぱら毛豆腐を売りにする店などなかった。各家庭で作るか、市場で売っているのを料理屋が仕入れて出していたのである。ところがCCTVの「舌尖上的中国」で毛豆腐が放送されてから有名になり、今や”毛豆腐専門”の小店が老街周囲にいくつかできている。朝食に餛飩を出す小さな店で、朝から毛豆腐を食べることができる.........しかしもともと、朝食向きの食べ物であったのだろうか.....?
もっとも、そういった「専門店」の毛豆腐はいわば万人向けのいたって食べやすい味で、日本の納豆が食べられる人であれば普通に食べることが出来るだろう。
屯溪は徽州、黄山観光の基地であるから、お立ちよりの際は”毛豆腐”を試してみるのも一興であろう。
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白岳のタケノコ

この季節になると、ソラマメとタケノコを食べたくなるのであるが、今年はどちらもめっぽう高い。まあ、それでも旬のものだから一度は食べようかと、398円のソラマメを一袋買って莢をむいたら、まともな大きさの豆が14粒しか入ってなかった。1粒あたりに換算すると28円もするのである。その話を深圳の朋友にしたら「3粒で朝ごはんが食べられる。」と言って驚いていた。たしかに深圳のような物価の高いところでも、100円も出せば河粉なり腸粉なり、簡単な朝食はとれるものである。昨年の天候不順から続く野菜の高騰、という事情があるにしても、難儀なことである。この時期、江南あたりを旅していたら、皿に山盛りのソラマメの炒め物を食べられたものであるが。

ついでに言うならタケノコも今年は高価である。子供の時分は、タケノコなどは近所の人の所有する竹藪のタケノコを山ほどもらって、これが毎日食卓に並ぶので食べ飽きるほどであった。実際、子供の舌はアクに弱いもので、タケノコを食べた後の舌やのどの奥が少し焼け付く感じが苦手でもあった。しかし今は数片の煮物でもありがたい感じがする。日本で孟宗竹のタケノコを食べるこの時期は、江南では真竹のような、少し細いタケノコを炒め物などにして旬の味として食べている。徽州の方では孟宗竹のタケノコはまだ雪をかぶっている時期に掘って食べるのであるが、初夏のこの時期になると、成長させてから乾燥し、保存して一年中食べるのである。

書こうと思って書ききれていないことはたくさんあるのだが、数年前に徽州の白岳に登ったのもその一つである。白岳や黄山は、清朝初期から墨の意匠として多用されるようになった名山である。白岳や黄山の山水画、いわゆる白岳図や黄山図が墨の図案に多く採られるようになったのは、おそらくは明末清初の石濤あたりが、白岳や黄山の山水図を描くようになったことと関連しているのではないかと考えている。
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それはさておき、いつかの夏に白岳に登った際、山中の飯屋で昼食を採った。白岳は山岳信仰の山であるから、山上に旅館やホテルがあり、小さな集落を成しているのである。一軒の飯屋に入ると、店には大学生くらいの娘さん一人しかいなかった。学校では日本語を勉強しているということで、今は夏休みで帰省し、店を手伝っているのだという。このような山上の小さな飯屋にはメニューなどはなく、その時あるものしか出せないのである。何でもいいから食事を、というと、しばらく食堂に引っ込んで作ってくれたのが、この料理。
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おそらくは干したタケノコを水に戻して、(自家製の)中華ハム少しと一緒に醤油炒めにしただけの簡単な料理である。空腹、ということもあったのだろうが、ひどくうまかった。日本では干したタケノコを常食するというのはあまりないように思えるが、江南では乾燥したタケノコを年中利用するのである。
20170428_R0051903.jpgそれも日本のようにラーメンの上に数本載っているかどうか、というようなものではなく、山盛りの一皿で出てくるのである。タケノコの年間消費量はいかばかりであろう。ついでに日本へも水煮のタケノコは大量に輸出されている。竹林も手入れをしないと良いタケノコが採れないというが、いったいいかばかりの竹林が地表を覆っているのであろうか.......?
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ちなみに大陸ではタケノコは肉と一緒に調理されることが多い。『浮生六記』では、タケノコを食べすぎて無性にのどが渇く、という話が出てくる。タケノコを食べると血を失うという考え方があり、たくさん食べるなら、増血のために肉を一緒に食べたほうが良いという。あるいはアクの強さを忌避する意味かもしれない。
そういえば、ソラマメもあまり食べすぎては良くないという。その割には皿に山盛りで出てくるのであるが。ソラマメは酸性が強い、という話を聞いたことがあるが、それが理由であろうか。もとより14粒で多いということはなかろう。タケノコもソラマメも、日本にいては、今年は食べ過ぎることは出来なさそうである。
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揚州燙干絲

揚州独特の料理に、”燙干絲(タン・ガン・スー)”というものがある。”燙”は湯を下から火であぶる格好の字なのであるが、熱湯という意味である。字形を見る限り、ポットのお湯などではなく沸かしたての、火からおろしたばかりの沸沸たる熱湯、という様相を想起させるところがある。
揚州燙干絲
”干絲(ガン・スー)”とは、”豆腐干(トウフ・ガン)”を細く切ったものである。”豆腐干”は、固く作った豆腐に重しをかけてさらに水気を抜き、かるく干した食材である。手で持っても崩れず、常温で放置しておくことが出来る。原料の豆腐自体が、かなり固い豆腐なのである。”絲”とあるように、これを細かく切るか、薄くスライスして料理に使われる。魚肉の練り物のような、しっかりとした歯ごたえがあるので、精進料理では肉の代わりをつとめることもある。
”豆腐干”を細く切った”干絲”を使った料理は揚州に限らず、江南各地に多くみられる。上海の家庭料理(家常菜)を出す店などでは、これに香菜などと和えた冷菜としてよく出される。
上海以外でも”干絲”といえば概ね、冷菜に使われる。しかし揚州の食べ方は少し独特で、”干絲”を温めて供するのである。その方法は、朱自清先生の「説揚州」に簡潔ではあるが、要玦が説き尽くされている。

”先將一大塊方的白豆腐干飛快地切成薄片、再切為細絲、放在小碗裏、用開水一澆、干絲便熟了、潷去了水、摶成圓錐似的、再倒上麻醬油、擱一撮蝦米和干筍絲在尖兒、就成。”

意訳すれば
『まず大きな一塊の”豆腐干”をすばやく薄くスライスし、ふたたび切って細かい絲のようにし、小椀の中に入れ、湯をかけて洗い、干絲が温まったら、椀を傾けて湯を捨て去り、円錐状にまとめ、上からごま醤油をかけ、ひとつかみの干しエビと干し筍の千切りを載せ、完成。』

ということである。

蛇足ながら補足すれば、干絲を深めの皿に入れ、熱湯を上からかけまわす。そして干絲が温まったら、箸で抑えながら湯を切る。これで豆腐の豆臭さを抜き、締まった干絲を温めて柔らかくするのである。この温まった干絲を、円錐状にうずたかくまとめる。この干絲の小丘の脇に、濃い醤油のタレとごま油を注ぎ入れ、少量の”海米”と呼ばれる小さな干しエビ、干し筍をもどして細く切ったもの、数切れの香菜、ないしは刻んだネギが小丘に載せられる。さらに細く刻んだ生姜を載せるところもある。
醤油のタレは、”老醤油”という黒いくらいの濃い色をした醤油を使っている。これは濃い色ほどに辛くはない醤油で、陽春麺などにも使われていて、濃い醤油色を呈するのである。これに干しエビ、沸かした酒などからできているようだ。干しエビが無ければ、醤油を酒で割って煮たてたくらいでも十分に思える。ごま油の量は店によるが、印象としてはかなりたっぷりとかけている。このごま油が、程よく枯れて香りの良いものでないといけない。日本の市販のごま油の多くでは、新しいと香りがキツ過ぎる嫌いがある。
揚州燙干絲
この燙干絲に載った香菜は、細く青いネギを刻んだものが使われる場合もある。香菜は大陸でも好まない人もいるから、嫌いであれば除けて食べればいい。干し筍は無い場合もある。熱湯をかけられているものの、やけどしかねまじき熱さではなく、舌にちょうど温かい程度である。
地元の人の食べ方を見ると、出された燙干絲をまず箸でよく混ぜている。そしてタレとごま油が干絲になじんで全体が褐色に、混然一体となってから食べ始めるのである。私はどうも、盛られた燙干絲の姿をすぐに崩してしまうのが惜しく、また部分的に醤油やごま油の濃淡があった方が面白いので、いつも崩さずに食べている。好き好きだろう。

燙干絲は、観光客向けに終日出しているところもある。しかし基本的に揚州では”早点”、すなわち朝食のメニューなのである。”治春”や”富春”といった、旧国営系の大手茶館の観光客向けの”早点套”(朝食の点心セット)にも、通常は一皿の燙干絲が入っている。他にも、朝早くから点心を供する揚州特有の”茶館”では、きまって出されている料理なのである。日常的に燙干絲を食べるのは、揚州の他、揚州に近い泰州だけなのだそうだ。
一見、かなり量が多いのであるが、もとが豆腐だけに軽く食べられてしまう。燙干絲を食べ終わってから、包子や麺を食べる人もいる。お腹にさほどたまらない、軽い料理なのである。しかしごま油のせいか、腹持ちは悪くない。とはいえもたれるほどではないから、なるほど朝食には適した料理であろう。
揚州燙干絲
揚州で干絲といえば、朝食に限ったわけではない。夜のメニューにも干絲を使った料理がある。これには鶏スープと煮込んだ”鶏火煮干絲”や、蟹味噌の黄色いスープに浸した”蟹黄干絲”など、夜の食事なりに豪華な料理に仕立てられている。
とはいえ、やはり揚州で干絲といえば朝の燙干絲の印象が強い。ホロッと崩れるような特有の食感、香り高いごま油と共に忘れ難いものがある。
日本でも朝食などにこの燙干絲を食べることが出来たら.........と思う事が時にある。作り方は至極簡単であり、”豆腐干”以外の材料は、日本で入手できる品でも妥協できよう。しかし主役の”豆腐干”が難しい。
燙干絲は繊細な姿の割に至極安価な、庶民的な朝の軽食なのである。とはいえもとは、揚州で栄えた塩商達の、夜ごとの酒宴の翌日、お腹に優しい朝食として考案された料理なのだという。考えてみれば、朝から豆腐の加工品をふんだんに使った料理を食べること自体、非常に贅沢な事であっただろう。やはりこれも昔日の揚州の富強なることを忍ばせる料理である。
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武漢の湯包

以前、香港の至る所にある、エビワンタンのとある店に入った時の事。店にはエビワンタンの由来を記した小札が掲示してあった。そこには意外にもエビワンタンは武漢の発祥であると書いてあった。
エビワンタンというと広東料理のようなイメージがあるが、そのあと深圳をはじめ、広州や佛山、中山、珠海、新会といった地域に行く機会があるに及び、広東一帯の街の辻々にそのようなエビワンタン、ないしはエビワンタン麺を売る小さな店が存在するというわけではない、ということが分かってきた。
エビワンタンが街角の軽食として頻繁にみられるのは香港、あるいはマカオなどの、広東でも一部の地域である。香港、マカオといった特別行政区以外で多く見られる軽食というのは、腸粉や湯粉という、もっぱら米粉を使った料理なのである。

エビワンタンも、あるいはかつて広東一帯に広まっていたが、大陸側の近代における政治経済の混乱を経て、今や香港とマカオにしか残っていないのかもしれない。現在の深圳や広州で見られるエビワンタン(麺)の店は、多くは香港からの出店なのである。
エビワンタンにはほかにも湖南省の料理人が広東で創めた、という説もある。長江と洞庭湖を挟む湖南省や湖北省であれば、沿岸よりはるか内陸ではあるが、縦横に走る大小河川と無数の湖沼が存在する。巨大な湖の上に、切れ切れに陸地が浮かんでいるような地勢なのである。淡水の魚介が豊富に採れるのであるから、エビワンタンの材料にも事欠かないのであろう。
ワンタン自体は小麦粉を使う”粉もん”料理だけに、発祥は北方であるとされる。歴史的には概ね、北方は小麦粉ないし高粱を主食にし、南方は稲作による米食である。
湖北や湖南は北上すれば長安にあたるように、昔から北方の文化との交流が盛んだった地域である。北方由来の小麦粉の皮に肉を入れたワンタンに、エビやカニを入れるのは、淡水の魚介がよくとれる南方特有の発想であろう。川蝦はやはり温かい地域でよく繁殖する。

広東には"飲茶(ヤムチャ)”に供する”点心(ディムサム)”という、”粉もん”を主体とする豊富な軽食料理の一群があるが、その源流は揚州あたりなのだと考えていた。揚州料理の源流は、さらに徽州に求めることが出来る。塩商として揚州に進出して大いに栄えた徽州商人であるが、それも乾隆年間には複雑に証券化された塩業そのものが、規制によって衰微を見せる。揚州に盤踞した富商達は、清朝後期には広東に進出し、海外との交易や金融でふたたび栄えるのである。無論、富商らと共に、料理も伝播してゆく。現在の揚州にも残る、やや大ぶりな、小麦粉主体の点心群が、広東で米粉と海鮮と出会い、さらに消化しやすく洗練されていったのではないか?というのがおおよその(独断による)理解であった。
しかし広東は現在でも湖南や湖北、四川といった地域からの人口の流入が続く地域である。大陸というのは南北よりも東西の人の移動が多いのであり、それは大河川が東西を貫流しているからでもある。なので広東料理に、湖南や湖北の影響がないとは言い切れない。
どうも”江南中心主義”とも言うべきか、洗練された都会文化は江南地方にこそある、と考えてしまいがちなのであるが、湖南や湖北の影響力も見直してみる必要があるかもしれない。

軽食一般を”小吃”ともいう。武漢はこの”小吃”が豊富なことで有名なのである。おおよそ、独特な”小吃”が発達している地方というのは、繁華な都会としての歴史が古い地域である。
もっとも、現在は各地方の”小吃”が他地方にも進出して、どこの都市でも同じような”小吃”を食べることが出来るようになったのではあるが。

大陸の古い都会を歩く時、面白いのは”巷”をのぞいて回る事だと思っている。”巷”はすなわち大通りから入った路地裏のような狭い通りで、小さな商店や民家がひしめき合っている。近年の開発などで、昔ながらの”巷”の多くが喪われた。それがそのまま都市の個性の喪失につながっている事に、市の当局者達も遅ればせながら気づいたのであろうか。その再生を試みる街もあるのだが、それが再びその街固有の景観として馴染んでゆくのは、少なからぬ歳月を要するであろう。
湖北省の省都である武漢も近代化を強力に推し進めた結果、古い街の面目の多くを喪っているのだが、かろうじて昔から続く”巷”を幾つか残している。武漢固有の”小吃”を食べたければ、こうした”巷”を歩くのが良いという。

丁度、宿泊していた臙脂路の安宿から20分くらい歩いたところに”戸部巷”という、著名な”巷”のひとつがあり、ここは”武漢小吃”の小店がひしめき合っているという。
ともあれ暑い。ようようの事、この日の太陽が沈んだのは午後の七時半を回る時刻。夜の帳さえ降りてくるのが億劫な気配の、薄明るく蒸し暑い暮れを、とぼとぼと戸部巷へ向かう。臙脂路を民生路につきあたって右手にまっすぐ歩いてゆくと、戸部巷へたどり着く簡単な道順である。民生路に沿った数階建ての棟の屋根越しに、黃鶴樓が横目で見送ってくれる。
武漢の湯包
”戸部巷”は150メートルほどの一筋の通りである。この”巷”は明代に形成され、その名の通り”戸部衙門(ぎょもん)”、すなわち戸籍を管轄する役所(=戸部)がこの場所にあったことに拠る。大陸の今風に言えば、武漢の民生局、といったところであろうか。
武漢の湯包
役所とそこへ集まる人々の需要を当て込んでか、さまざまな軽食屋台や料理店や集まるようになり、清朝の頃にはすでに”小吃”を以て知られていたという。また後に”早嘗戸部巷、宵夜吉慶街”というように”朝は戸部巷で、夜更けは吉慶街で”食事をとるといった、武漢の都会生活人の符牒が出来た。吉慶街といえば、池莉の小説「生活秀」の舞台となった、これも武漢では有名な小巷である。

武漢の代表的な”小吃”と言えば”熱干麺”である。それはゆでた麺に胡麻や落花生のペーストでつくったタレで和え、漬物などを乗せた汁無しの麺料理である。これは全国に進出していて、江南諸都市のほとんどの街の辻々に、この”熱干麺”の店が出来ている。あるいは屋台料理として供されている。しかしこうした”地方熱干麺”は、武漢の”正宗熱干麺”とはまるで違ってしまっているという。ほかの地方に進出している”熱干麺”は、麺の量が多く、軽食の範囲を超えてしまっているような感じである。
(下図 武漢蔡林記の熱干麺)
武漢の湯包
この機会に”正宗”を体験するのも一興なのであるが................この日の武漢はとても暑く、”熱・干”の字面を見ただけで、どうにも食べる気が進まない。(翌日食べたが。)

”朝食は戸部巷で。夜食は吉慶街で。”ということであるが、その戸部巷は夕方から夜も賑わっている。路地に並ぶ店の軒先からは、調理の盛大な熱気とともに、様々な食べ物の匂いが漂って来る。
武漢の湯包
戸部巷も、地元の人の生活の一部というよりは、多分に観光地化されている。おそらく夜間は若い人や、他所から武漢に来た人でにぎわっているのだろう。戸部巷に軒を連ねるのも、必ずしもすべてが武漢特有の”小吃”、というわけではなく、他の地方でも散見される”流行”の軽食類も多い。しかしそれはさておき。

いささか空腹を覚えたが、とにかく蒸し暑い。覚悟を決めていくつかの行列に並ぶとか、串を焼く熱気に耐えながら料理を待つというのは、情けないことにこの日の気力がもちそうにない。
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どこか座れる店で落ち着いて食べたいと思って歩いていると、戸部巷から枝分かれした路地に入ったところに「湯包」の看板が出ている。「湯包(タンパオ)」ないし「小湯包(シャオタンパオ)」は、上海周辺で言うところの「小籠包(シャオロンパオ)」のことである。
店内に人はあまりいないようだが、雑踏と熱気を避けたい気持ちになっていたので、ともかく入ってみよかと考えた。店の奥には短く刈った白髪頭の店主らしき人物がおり、入り口でしばらく逡巡している私の姿を認めると、「座りなさい。」と声をかけてくれる。
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店内の奥には白い猫が2匹ほど、思い思いの恰好でくつろいでいる。
ごく小さな店であったが、ありがたいことにほどほどに空調が効いている。テーブルの上には、ステンレスの容器に入った透明な酢に浸した、千切りの生姜がおいてある。
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これは上海の小籠包にはつきものであるが、特にエビやカニを入れた小籠包に合せる。漢方の考え方では、エビやカニなどを食べるときは、これらは体を冷やす食べ物であるから、体を温める生姜を必ず添えるのである。今ではカニやエビが入っていなくても、酢生姜を添えるようになった。
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椎茸入りの小湯包をひとつと.....ビールを1本頼み、じゃれつく猫を適当にあしらいながらビールを飲んで待つことにする。小さな店の常として、注文を受けてから包み始めるので、少々の時間は必要なのである。壁には雄渾な書体で、この店の湯包の味の優れたることが記された書額が掲げられている。
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待っているうちに、店の表からおかみさんらしき年配の女性が入って来て、店主を手伝って手際よく湯包をつつみ始める。また一人、二人の客が入って来て、湯包をひと蒸篭づつ注文している。彼らは戸部巷の表通りの多勢を占めていた、観光客のような雰囲気が無い。地元の人にはやはりそれなりに知られた店なのであろう。
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盛大に白い湯気の立った蒸し器に、湯包のはいった蒸籠を重ねてから、蒸すことものの数分で運ばれてきた。意外、というべきか皮が薄く、中のスープも脂濃いこともなく、上品な味の湯包である。餡の肉はあまり練っておらず、口の中で崩れるような感触である。
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実は武漢には、この店の他にも小湯包を出す店は少なくない。
「四季美」「華美」「楚漢」「今楚」「湯包大王」など、多くの湯包の名店がある。そのうちもっとも歴史が古いのが「四季美」である。創業は1927年だという。四季美の創業者が、蘇州式の湯包を武漢に持ち込み、武漢人の味覚に合わせて調理を見直し、提供し始めたという.........そういえば、猫のいる湯包の店の名を記すのを忘れていた.....
(翌朝の朝食は戸部巷にある「四季美」の湯包にした。下図)

なるほど、武漢の湯包は蘇州の湯包に似て、やや大きめである。上海のように、出来る限り小さく、皮はぎりぎりまで薄く、という格好ではない。ただ蘇州の湯包はおおむね”甘い”、わりと脂濃いのであるが、武漢のそれは甘いということはなく、味も比較的清淡である。甘さを好まないというあたりが、武漢人の好みなのかもしれない。しかし四季美の湯包には、蘇州や鎮江と同じく、黒い酢(香酢)が添えられており、昨夜の店のような透明な酢ではない。このあたりが”ルーツ”のしるしであろうか。
”甘い”湯包というのは、概して、蘇州、無錫、鎮江のあたりに分布するのであるが、鎮江特産の黒い香酢の利用に関係するのかもしれない。揚州に至ると、甘い、という事はない。長江北岸と南岸での味の傾向の違いか。ともあれ湯包ひとつとっても、地方の特色があるものである。

エビワンタンの由来が武漢とする説があるように、あるいは湯包も湖北あたりから東に下った可能性もあると考えたのだが、逆らしい。それが20世紀の初頭の時期であるというのは、蒸気機関を積んだ船舶によって、長江の遡上が容易になった時代とも重なる。かつて武漢には各国の領事館が並び、租界もおかれていた。
武漢の湯包
古い”巷”の周辺には、上海の老街を思わせるような西洋風の建物の面影ものこっており、内陸に位置しながら国際色豊かな都会であったことを忍ばせる。そういった時代の是非はともかく...............上海の小籠包ならぬ武漢の湯包が著名なのも、あるいは当時の面影を今に残している、といえるのかもしれない。
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斬瓜刀

上海郊外の、とある田舎街を上海の朋友と歩いていた時の事。ちょっとした市場の体をした、広い果物屋の前を通り過ぎようとしたとき、異様に大きな刃物の存在が目についた。

細切れにされた、普通サイズの西瓜と比べると、その長大さがお分かりかと思う。どうも西瓜を切って、試食せよ、という事らしい。朋友に注意を促すと「ああ、そういうものは、不衛生だから食べてはだめです。」という。いやいや、そういうことではなくて、たかだか西瓜を切るのに、この青龍刀のような刃物はどうなのか?という事なのである。このような刃物を店先においていたら、日本であれば確実にとがめられそうである。日本の料理包丁の世界にも、マグロをさばくものなどに、実に長大な刃物がある。しかしそういった専門の職人が使うような刃物は、まず一般の人の目に触れることはない。

この刃物で西瓜を切っているところを実見したわけではないのだが、これを手にした人が実際に目の前にいたら、ちょっと遠巻きにしたくなるかもしれない。

実のところ、果物が好きなので、旅の間に果物ナイフ程度のものは買うことがしばしばある。果物は「水果」といい、果物ナイフは「水果刀」という。「五金」という、日本で言う金物屋で「水果刀」が欲しいというと、たいていは5元(100円)くらいであるものである。手のひらサイズの小さなものがほとんどであるが、その形状というと手裏剣か何か、大陸の武侠小説でいう「暗器」ともいうべき、かなり危険な恰好をしたものがある。そうしたナイフは、飛行機にはもちろん持ち込めない。うっかり手荷物検査で没収される事もおおいのであるが、いくつかは持ち帰っている。家で使う分には危険はないが、数が増えた時に、もし万一「家宅捜査」を受けた時などは、なかなか言い逃れが難しいのではないか?と思うような鋭利な刃物もある。

いつかまとめて紹介しても面白いと思っているが、やや物騒な雰囲気もあるので控えている。さすがに、この「斬瓜刀」ともいうべき刃物ほど長大なものはないのだが、峰に向かって反り返った刀身というのは、なにやら危険な雰囲気がするものである。また西洋風に言えば「ペティナイフ」といったところの、薄刃で小型で反り返ったナイフなども、その曲り具合が草刈り鎌のようなものもある。果物の皮を剥くよりも、喉笛を掻っ切るためにできているのではないか?というような、やはりある種の危険性を感じるものがある。別段、選んで買っているのではなく「五金」の店にそれしかおいていなかったから、という場合がほとんどなのであるけれど。

ともあれ、多種多様な料理用の「刃物」が存在する大陸の人が、日本に来た時に好んで買ってゆくのが「セラミック包丁」なのだというから、これもまた意外な印象をうけるものである。
 
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