新老坑硯数面

.......「四体筆勢」を自分で宿題にしておきながら、諸事情で立て込んでしまって内容が進まない。まずは近日中に、店頭の在庫も残り少なくなった新老坑硯を何面か追加したいと考えている。以下はそのうちの四面。
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宿題といえば、いつか何傳瑤の「寶硯堂硯辨(ほうけんどうけんべん)」も解説してみたいのであるが、いつになることやら。
愛硯家のバイブルと言われる「寶硯堂硯辨」が面白いのは、老坑水巌を説きながら他の雑坑の記述に及んでいるところである。すなわち大西洞の後に小西洞について述べられるわけではなく、大西洞と似た雑坑を列記し、しかる後に正洞について説き、続いて正洞に似た雑坑を列記......これを以下小西洞、東洞、として老坑四坑洞について述べている。
要するにそれだけ老坑四洞の特徴に似た端溪の雑坑が存在するというわけで、「寶硯堂硯辨」で老坑以外に言及される”雑坑”は三十一にも及んでいる。その中には現在ではどこの坑洞なのかわからないような坑洞もある。大西洞に近似の”雑坑”の中には坑仔巌も麻子坑も入っているから、ひとからげに雑坑と言ってしまうと語弊があるだろう。
しかし何傳瑤の価値観では、老坑水巌以外の諸坑にはとるべきところがないのである。宋坑に至っては砥石あつかいなのである。
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「寶硯堂硯辨」の初版は道光十年(1830年)であり、この時代にはむろん新老坑(戦後に開坑)はまだ開坑されていない。もし新老坑を見ていたら何傳瑤がどのように述べたことだろう。さらにいえば、70年代以降に大規模に開坑され、現在も採石が続いている、俗にいう沙浦石というものがある。沙浦は老坑のある斧柯山とは離れた場所の石であるが、なんと露天掘りで麻子坑、坑仔巌、老坑水巌に似た石が採れるのである。しかも巨材にも事欠かない。これも何傳瑤が知っていたら、どのように評価したであろう。
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雑坑でも老坑水巌の石品の特徴を持っていれば、これを強いて老坑として売れば高く売れるわけである。端溪の硯工達が雑坑の中から氷紋の出る硯石を老坑としている旨も「寶硯堂硯辨」には述べられている。
古今、硯にかけては百戦錬磨の硯工達がそのようなことをするからこそ、老坑水巌と雑坑の弁別が重要なのである。そこが何傳瑤をして「寶硯堂硯辨」をあらわしめさせた、主たる動機であるともいえるだろう。
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以前「金線があれば老坑なのか?」という記事で述べたが、たとえ金線銀線があっても、あるいは氷紋があっても、かならずしも老坑とは断定できない。このことはすでに「寶硯堂硯辨」の大西洞近似の雑坑の中で述べられている。
そもそも金線の類は石瑕(いしきず)とされている。また老坑にあっても特に佳材の出る二層三層の石層ではなく、四層以下、底の方の石層にこれが多いと述べられている。石品として珍重されるのはまず青花、魚脳、蕉葉白等であって、金線などではないのである。
大西洞は頂石、二層、三層、四層、と続き、五層をもって”底石”としてこれは硯材にならないと述べている。二層、ないし三層が佳材であり、大西洞の三層をさらに二つの層に分けて論じている。
何傳瑤は三層目を特に佳材としているのであるが、ここには金線や銀線の記述はない。また底石に近くなるにつれて金線銀線が増えるのは、大西洞以下の老坑全般の傾向であることが「寶硯堂硯辨」からは読み取れる。
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昨今、特に金線をもって”老坑の証”と主張する向きがある。これは近年、経験の浅い業者が多数参入した結果の”胡説(でたらめ)”である。古くから老坑水巌を扱っている者なら、魚脳や蕉葉白、青花、天青といった石品を珍重するが、金線をもって老坑水巌とみなす、という見方はまずしないものである。
また新老坑には金線が比較的多くみられるのは、経験にてらせば事実である。新老坑は老坑の近傍の石脈であり、老坑水巌の”底石”に近い性格を持っているということなのだろう。
しかし金線が出るからと言って、新老坑とは限らない。また金線が認められないような新老坑も存在するのである。
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新老坑を弁別する過程で、金線のある硯石を多く過眼することになる。冒頭に掲げた四面の新老坑硯にもすべて金線が認められる。

逆に金線がありながら新老坑ではない、といって、では逐一どこの坑洞であるか?というところまでは正直わからない。しかし少なくとも「新老坑ではない」と言い切れるのは、墨を磨るための基本的な特性である”鋒鋩”がまるで違うからである。

言うまでもなく、老坑水巌が何故貴とばれたかといえば、石品が美しいのは二の次で、緻密で強靭な鋒鋩を持つからである。新老坑は石品の美しさや温潤さという面では老坑水巌に及ばないものの、やはり強靭で密生した鋒鋩を持ち、墨をよく溌墨させてくれるのである。実用的価値において、新老坑を推す由縁である。
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金線、銀線、あるいは氷紋であっても、老坑水巌と比較した場合には、やはり雑坑や新老坑では微妙に違う形態が認めることができるのである。しかしそれは「おおむね」の話であって、中には非常によく似た格好で現れる場合もある。
以下の写真は、新老坑の金線に非常に似ているので悩ませるのであるが、この硯石は鋒鋩がまるでなく、つるつるしているだけで墨が全く下りない。詳細はつかみかねているが、あるいは端溪の硯石ではない可能性もある。
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また老坑水巌にせよ、新老坑にせよ、巨材はなかなか出ない。直方体をなすような、いわゆる四直の硯板をつくろうと思えば相当部分を捨てなければならない。手のひらに乗るような小さな硯板でも、もとは幼児の頭ほどの硯石であったと考えなければならない。
ゆえに材を惜しんだ結果、老坑ないし新老坑は天然の不定形をしている場合が多く、四直に切った硯板であっても、四辺のどこかに天然の趣をのこしているものである。また”四辺天然硯”といって、四辺のすべてに天然石の面影を残した形勢を貴ぶ向きもある。
なので硯板状の硯で8インチを超す大きさがあり、四直に切ってあって氷紋や金線が出ている硯材というのは、老坑水巌であれば珍しい部類といっていい。そんな硯材は始終お目にかかれるものではなく、少し疑ってかかった方がいいくらいである。特に沙浦は巨材を産し、氷紋や鸜鵒眼など、老坑水巌固有の石品が出ることがあるから注意が必要である。
新老坑にせよ、沙浦にせよ、何傳瑤の時代には開坑されていなかった点は改めて注意していいだろう。

以下の写真は新老坑硯であるが、天然の石の皮を残した作硯例である。
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新老坑を扱っていて、まれに老坑水巌に近い温潤な性格を示す硯に出会うことがある。老坑も四層以下の石は金線が多く出、その質はやや粗燥であるという。それでも同じ老坑水巌の二層や三層と比較した場合であって、新老坑に比べればもう少し温潤な性質をもつものかもしれない。
何傳瑤曰く「底石は硯にならない」というが、老坑は貴重である。底石ないし四層の石であっても、ある程度見どころがあれば、硯に仕立てられることもあっただろう。そのような材が新老坑硯のような顔をして世に現れていたとしても、それを弁別するのは相当難しいだろう。自身、そういった硯を新老坑に区分してしまっている可能性がないとは言い切れない。
巷間、老坑水巌と新老坑を区別している者は少ない。新老坑もすべて”老坑”にしてしまった方が、売るには都合がいいのは確かである。それ以前に区別ができない、というのが実際なのだろう。新老坑が区別できないのはすなわち老坑水巌がわからないのと同義である。新老坑と老坑水巌を混同している方面には、用心してかかった方がいいかもしれない。

ともかくも扱う硯は墨を繰り返し磨ってみて、鋒鋩の堅実なることを確かめたものに限っている。老坑水巌の端くれが混じっている可能性はあるが、沙浦そのほかの雑坑が入り込んでいる可能性はまずない、と考えている次第である。
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金線があれば老坑なのか?

老坑水巌や新老坑など、いわゆる老坑系の硯石に特徴的な石紋として、硯面上に認められる線状の模様、”金線”、”銀線”、あるいは”氷紋”がある。氷紋は古くは”氷紋凍”とも呼ばれた。長い年月をかけた造岩の過程で、地中の圧力によって岩石に亀裂が生じ、そこへ周辺の鉱物成分が浸透し、固化することで形成されたと考えられる。
黄色味を帯び、光の下でわずかに反射光を呈するものを金線という。また白色の勝ったものが銀線と呼ばれている。銀線のような白色の線状模様が複数本交錯し、あたかも凍結したるがごとく、あるいは氷板に亀裂が走っているように見える場合に”氷紋”と認められることになる。以下は老坑における金線、銀線の例。

金線、銀線、氷紋は、老坑水巌あるいは新老坑に特徴的な石紋、と述べたが、無論の事、すべての老坑系の硯石に金線や銀線、氷紋が認められるわけではない。金線、銀線ともに存在しない、あるいは存在しないように作硯された老坑硯もある。
また多く硯石を過眼してきた経験に照らせば、老坑水巌よりも新老坑のほうに、より金線、銀線が認められることが多いようである。

最近では金線の存在を以て「老坑」と認定する向きもある。たしかに老坑や新老坑など、老坑系の硯石に多く見られる金線であるが、金線が無いからと言って老坑ではないとは限らない。清の呉蘭修の「端溪硯史」などでは、金線は”石瑕”に数えられているくらいであるから、氷紋などと違い、あえて珍重すべき「石品」のひとつには数えられていないのである。
ゆえに金線が出ない、あるいは金線を避けて作硯された硯もあるから、金線が出ていないからと言って老坑ないしは新老坑とは言えない。すなわち

金線が無い→老坑(あるいは新老坑)ではない。

という命題は成立しない。金線が無いことは老坑ではない事の必要条件であって十分条件ではない。では、

金線がある→老坑(あるいは新老坑)である。

という命題は成立するだろうか?
これはただちに反証しうる。老坑ないしは新老坑以外の硯石にも、金線が現れるからである。以下は明らかな梅花坑であるが、明瞭に金線が認められる。
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すなわち「金線がある」ということは「老坑(あるいは新老坑)」であることの、必要条件であって十分条件ではない、というところなのである。
また梅花坑以外の、諸坑や雑坑にも金線ないしは銀線は存在しうる。以下はその例である。
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もっとも、白っぽい線については銀線以外にも、白線や水線、という言い方がある。「寶硯堂硯辨(ほうけんどうけんべん)」に曰く「白線巌」という老坑ではない坑洞があり、

”多白筋如粗銀線,石工以之充冰紋凍,然石筋粗大無活色,且一片紅灰混濁氣,無潔白融液如大西冰紋者。”

「粗い銀線のような白い筋が多く,石工は之をもって冰紋凍に充(あ)てる。然るに石筋は粗大で活色が無く,且つ一片の紅灰色の気が混濁としており,大西の冰紋のような潔白で融液のようなところがない」

と評される。また端溪硯史では、他の坑道について

”白紋如線,適損毫非所尚矣”

「線のような白い紋様は、(筆の)毫を損なうに適い、尚なり(=望ましい)とするところに非ず」

といって区別している。
言葉の定義というのは難しいのであるが、老坑に現れる白っぽい線は銀線で、そのほかの諸硯坑の硯石に現れる白っぽい線は水線ないし白線なのである、というように言ってしまうと何が何だかわからなくなる。黄色い線だの白い線だので安易に硯石を断定してはならない、というところだろう。
また以下の硯石は端溪かどうかも疑わしい硯石?の例。鋒鋩がまるでないのである。しかし金線は非常に新老坑のそれに類似している。
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「寶硯堂硯辨」によれば老坑水巌にのみ氷紋が現れるとしているが、当時はまだ新老坑が開坑されていない。新老坑にも氷紋と呼ぶべき石品は現れる。しかし老坑水巌のそれには及ばない。「寶硯堂硯辨」にも

”若冰紋帶青花乃千百中之一、二,謂之絕品可也。”

「もし氷紋の青花を帯びたものは千百中の一、二であり、これを絶品というべきなり。」

とあって、極めて珍しいとしている。老坑の金線、水線、氷紋については別の機会に詳述することもあるだろう。

ともかく、金線、銀線、ないしは水線ともいうべき、線状の石紋が現れていたからと言って老坑ないし新老坑と断定するのはまったくもって早計なのである。金線があるから老坑です、という売り方をしている向きがあれば疑ってかかったほうがいいかもしれない。
また金線や銀線にだけ注目して老坑をさがしていれば、あたら佳材を見落とすことになりかねない。ここに注意を喚起する次第である。
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新老坑硯五面をリリースいたしました。

先日お伝えの、新老坑硯五面をリリースしました。
新老坑と一口に言っても、老坑水巌と区別がなかなか難しい硯もあります。じゃあ、老坑水巌として、もっと高く値段をつければいいじゃない?とみる向きもあるようですが、それもいかがなものかと。老坑水巌は老坑水巌として、やはり新老坑と違った性質があるものなのです。
新老坑硯
ちなみに、老坑や麻子坑、坑仔巌といった歴史ある坑洞を有する斧柯山から西江を挟んでの対岸、北嶺とよばれるところから出る硯石もあります。北嶺も古くから採石が行われてきましたが、歴史のある所では、宋坑や梅花坑があります。
近代にあって、ともかく量が採掘されたのが沙浦です。沙浦からは大量の硯石が採石され、旧坑洞がすべて閉鎖された斧柯山に代わって、現在もここで硯石の採石が行われています。

沙浦は硯石としての性能はまったく劣るものの、華麗な石品を持ち、一見すると老坑や麻子坑、坑仔巌といった、旧坑洞の硯石に似た硯材が採石されます。これらの硯石は旧坑洞と区別され、新麻子坑や新坑仔巌、そして新老坑というような区別がされる事もありますが、流通の過程で意図的に混同され、老坑や麻子坑という名で店頭に並んでいる状況が現在も続いています。
弊店や、一部玄人筋の言うところの”新老坑”は、あくまで旧坑洞、斧柯山の老坑水巌近傍の坑洞で採れた硯材です。斧柯山とは距離のある、沙浦や北嶺の諸硯石のことではありません。巷間、沙浦の石でも、新麻子坑や新坑仔巌とならんで、新老坑を呼称する硯も流通しているようなので、ここで注意を喚起しておきます。

硯が実用を離れ、もっぱら鑑賞に供されるようになった現在、彫刻用の石材としてみれば、沙浦で採石された材料でも良いのかもしれません。しかし沙浦の硯石は、巨大で価格も高いわりに、墨を磨ってもいいところが無いのが実際のところなのです。とはいえ、硯で墨を磨らず、部屋の装飾として硯を置いておきたい、というニーズが現在は多いのでしょう。観賞用のために、限りある旧坑洞の資源を浪費するよりは、そういった用途向けにたくさん採石される硯材を提供するのも一法でしょう。沙浦が無ければ、とっくに旧坑洞の硯石は枯渇し、価格が暴騰していたかもしれません。そういう意味では、沙浦の石も、存在価値があるとはいえるのでしょう。
しかしながら一方で「悪貨が良貨を駆逐する」状況が見受けられないとは限りません。そういった意味では、北嶺と沙浦、そして斧柯山の硯石を区別し、旧坑でも老坑水巌と新老坑を区別することは、意味のあることだと考えています。
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新老坑硯 数面

年末にかけて、また何面か(数は未定。せいぜい数面)新老坑硯をお出し出来そうである。
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硯の値段をつけるというのはなかなか難しいのであるが、新老坑の場合は、当方ではおおよその大きさで決めている。それはあくまでおおよそ、であって、作行きや材質にも判断が引きずれられる場合もあるのだが、作行き、デザインは好みもあるのであまり自分の主観が入らないように心掛けている。龍が彫ってあるから高貴で高く、キノコや白菜をモチーフにしているからと言って、庶民的だから安い、という事は基本的にしないようにしている。龍がキノコより偉い、という見方は、現代の価値観にはないからである。しかし彫琢の出来栄えは、たしかに希少性もあるから、多少は反映してあげないと作硯に失礼である。それくらいの匙加減は許されるであろう。それもあまり行き過ぎると、硯ではなく彫刻を売っているのに他ならなくなる。
上品といい、品格という。品の良い品物は、ながらく手元において、飽きがこないものである。それは味覚であっても、あるいは人物であっても、本来そういうものなのかもしれない。
上品な作硯というのは、確かにある。それはあまりゴテゴテとしたものではもちろんなく、大抵の場合、硯石の自然な形状を生かした、至極あっさりとした造形なのである。淡白が上品というのは、それはお前の主観だろう、というのはそうかもしれないが、上品なクドさ、というのは寡聞にして聞かないのである。
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また、昔は古硯が高く、新硯は安かった。新しい硯はいくらでも作れるから、という事情もあった。しかし端溪の旧坑洞が閉鎖されて何年もたち、旧坑系の硯があまり造られなくなって久しい。古硯という場合、100年以上は古い硯を言うが、当然、人の手を経ている。一般的に言うところの「中古品」なのであるが、硯の場合は地質学的時間を経た岩石が原料であるから、採掘されてからたかが数十年から数百年、人の手を経たかどうかで、使用法が適切であれば質は変わらない。
端渓に限らず、硯は作硯をしたばかりでは、ノミ跡が白く残っっている。これを消すために墨を塗るなどして、白っぽい線を消すのである。また新硯を仕入れた後で、それを鑑別するために、佳墨を磨って”養硯”あるいは”洗硯”という作業を行う。ゆえに鑑別が済んで、すぐに墨を磨ってもいいように状態が整えられた硯というのは、おおかれすくなかれ、墨が磨られ、薄く表面を墨が覆っているのである。
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ゆえに、古硯か新硯か、中古か新品か、という事も区別はしていない。硯の場合は、古いからといって価値は増すことがあるが、価値が減ずることは無いからでもある。
当方の手に渡った段階で、誰かの手を経ているかもしれないし、あるいは新品のまま在庫で眠っていた可能もある。新老坑かどうかの鑑別は重要であるが、新品かどうかはあまり重要ではない、という考え方である。なので、他人の手を経た硯などは触れたくないといったような、とても神経質な方にはお勧めできない。(作硯家以外、少なくとも当方の手は触れているのであるから)
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基本、硯には箱がついている。もとからついていた箱もあるし、当方であつらえた箱もある。それも、原則として値決めには影響させていない。巷間、良い箱のついた硯は高く売れるのも事実であるが、箱の出来栄えや状態を云々し始めると、実用本位の硯の提供が出来なくなるからである。硯に問題がないのに、箱に文句を言う向きも、ないことはないのである。とはいえ、箱の無い、裸の状態の硯をお出しするのも忍びないものがあるので、箱の無い硯は箱が出来てから店頭に出すようにしている。
なので商品写真にも、あまり箱は写らないようにしている。箱はオマケ、くらいにお考えいただければ、とも思う。
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新老坑が無い無い、と言いながら、まだあるじゃないか?と言われると恐縮である。しかし在庫が百ほどもあれば無い無いとまでは言わないが、数点づつ集めては出している状態なので、いつまで入手可能か、断言せよといわれても出来かねるのである。わからない、というのが正直なところ。
ともあれ、お買い上げいただいた硯も、幸い数十という数にはなっているようである。ありがたいことに、クレームや返品はまだ一度もないのは、新老坑の力か、お客様の見識高いことか、あるいはその両方か。
値段も、近頃の端溪硯の実情に合わせると高くなってしまうので、なるべく低く抑えているつもりであるが、大きさがあるとやはりある程度の値段にならざる得ないのが、心苦しいばかりである。
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新老坑小硯四面

新老坑小硯を四面、近日中に販売する予定である。前回のリリースで最後かと思っていたら、もう若干数の仕入れが可能になった運びである。そういうことを毎回言っていると、実は無尽蔵にあるのではないかと思われそうだが、資源に限りがあるためそういうわけにはいかない。ただ、本当にあと何面調達可能かというと、これも定かではないというのが本当のところなのである。

新老坑小硯 

掲載した硯のうちの一面は、硯の一部が破損した状態であった。この部分の欠片がどこかにあるのではないか?と思いたいが、残念ながら行方不明ということである。しかし洗硯が終わった状態で眺めてみると、この割れた面はうっすらと黄色がかった石色が認められる。

新老坑小硯

おそらくはかつては金線のようなものが硯面から硯背にかけて走っており、その線にそって割れてしまったものなのだろう。これも自然の造作、いわゆる天工とみなし、そのままにしておいたのかもしれない。惜しむらくは、墨池や彫琢の一部が失われてしまっている。まさしく作硯が終わって後のことなのだろう。欠片があれば修復が可能なものだが、なにゆえしなかったのだろうか。ともあれ、そういう状態の硯を販売することに躊躇も覚えるが、ご理解いただける方に愛用していただければと考えた。

ところでこの四面の端溪硯をよくご覧になったうえで、以下の写真をご覧いただきたい。

 歙州小硯

これらは手元にある、歙州硯の小硯の一群である。一体、端溪と歙州とでは、硯の作風も異なった傾向がある。今回販売する四面のほか、今まで販売してきた新老坑小硯の多くは、古い硯ではないにしても、その作風は端溪硯の特徴を備えている。一目見て、端溪硯らしいフォルムをしているのである。どういうところかというと、ひとつにはおおむね硯の上辺が狭く、下辺にかけてゆるやかな広がりがある。全体を台形の角をまるめたような恰好にして、安定した印象を与えているのである。そのフォルムは直線や平面ではなく、曲線と曲面で構成されているのである。

一方、歙州硯の方といえば、長方形を基本とし、ほぼ直線的に硯石をカットしている。このような形状が、歙州硯のひとつの特徴なのである。いかにも歙州硯らしい作風であるなと、見る人が見れば思うのものである。直線ではなく曲線を大胆に用いた硯もあるが、それは写真中にもあるように、円や楕円のような、幾何的な対称性を狙って構成されている。

歙州硯と端溪硯の作風にこのような違いが表れたのは、おそらくは産出する硯材の質や量に違いがあったと考えられる。長方形や楕円形など、一定の幾何的な形状を得るためには、採掘された自然の形状の硯材について、その多くの部分を切り捨てなければならない。端溪の佳材、とくに老坑や新老坑は、もともと大きな原石を得ることが難しかった。ゆえに天然形、ないしは原石の形状に沿ったうえで、なるべくバランスの良いプロポーションを求めたと考えられる。こうした傾向は、おそらく清朝あたりに定まったのではないか?と推測している。明代末期から開採された、老坑水巌に巨材があまりとれなかったことも影響しているだろう。

 

北宋あたりの作硯を見る限りでは、端溪も歙州と同じく直線的幾何的な形状を基本としていたことがわかる。時代を経るごとに両者の作硯様式に違いが表れるのは、やはり歙州硯と端溪硯の、硯材の産出量の推移の違いに理由を求めることができるのではないだろうか。

台北の故宮博物院に収蔵される、康煕、雍正、乾隆時代につくられた官作の松花江緑石硯を見渡せば、前述の事情のごく短期的な変化を追うことが可能である。すなわち康煕年間から乾隆年間にかけて、硯はおおむね小型化している。これは採掘される硯石が徐々に乏しくなってきたことに拠る、と考えるのが自然である。加えて康煕年間は四直方形を基本とした作硯が多いのであるが、時代を下るごとに天然の不定形、ないしは不定形を基礎とした意匠が増えるのである。これも硯材が枯渇に近づき、大きな材が払底した結果、大きさを残すために天然の形状を生かす作硯が増えたためと考えられる。

 

むろん、こうした硯の特徴をめぐる議論というのは常に必要条件であって十分条件ではない。逆は必ずしも真ではない。

歙州硯であっても、天然の不定形をとった硯もある。しかしそうした不定形の歙州硯が多くみられるのは、もっぱら近年、せいぜい数十年内の硯のうちである。たとえば以下に掲げる硯のごとくである。また古い時代の端溪硯であっても、四直方形の佳硯がないわけでない。しかし稀なものであり、しいて言えば硯板状に作硯されたものがある。

歙州新硯

 

三月にニューヨークのクリスティーズ・オークションで、日本の藤田美術館から青銅器をはじめとする多くの大陸文物が出品された。2.6億米ドルという落札総額は、南宋の五龍図や、青銅器の多くが牽引した結果であるが、その中に数点ながら硯をはじめとした文房四寶も入っていた。

そのうちの一点にAN INSCRIBED SHE INK STONEという硯がある。SHEというのはのことで、すなわち歙州硯ということなのであろう。サイトの中国語表記では『清歙石七襄報章硯』となっている。この歙石、クリスティーズのサイトには表から蓋をかぶせた格好で写した一枚の写真しかないのであるが、一見して歙州硯と呼ぶには違和感のあるフォルムをしている。全体的に丸みがあり、上辺が狭く、下辺が広い。それに日本で作られたという、紫檀の上下蓋がついている。写真からでは硯面の石色がよく見えないのであるが、歙州硯という断りがなければ端溪硯、と思ってしまいそうである。これは清朝の硯ということなのであるが..........近年、歙州硯でもこうしたしもぶくれの格好をした硯も作られることがあるのだが、歙州に硯材が豊富であった清朝の硯、と言い切るには苦しい。あるいは端溪と歙州を誤認しているのであろうか........?

硯背には”qi xiang bao zhang”という字が彫られているというが、これは”棋qi 祥xiang 宝bao 重zhang”、すなわち”祺祥重宝”であろう。”祺祥”は清の同治帝の代に公布されながら施行されなかった年号であり、この年号をいれた銅銭に”祺祥重宝”、”祺祥通宝”がある。すなわちこの硯は銅銭を意識した硯、ということになる。古銭を意匠にとった作硯は、陳端友のリアリズムに富んだ作例にもみられるが、金銭を”銅臭”と蔑む文人の価値観にはそぐわないものである。

 

さらに言えば、日本で作られたという上下蓋に緑がかった玉石がはめ込まれている。上下蓋というのは、たしかに日本の唐木職人特有の仕事ではあろう。しかし日本で産出したわけでもない玉石を嵌め込んであるのには、やはり違和感を覚えるものでる。玉石を麗々しくはめ込んだ唐木の硯箱というのは確かにあるのだが、古い時代の文人の趣味では、やはりない。おそらく後からはめ込んだものだろう。

 

そもそも文人にとっては良い硯こそ無上の宝なのであり、それをわざわざ玉石でもって飾るというのは俗悪である。王朝時代の知識人にはそぐわぬ趣味、というよりない。硯の価値のわからない者でも、この玉石をもって価値を認めるかもしれない。宝石箱を宝石で飾る愚と同様、硯の良し悪しのわからない者にもよからぬ心を抱かせる元になるものであり、実際忌避すべきところである。(参照:考槃餘事)

ついでに古硯に精通した知人に言わせれば、墨池の形状位置もまったくもっておかしい、という。確かに古い時代の歙州硯であれば、墨池はもっと上辺に寄っていてほしい。また台形基調の硯に、楕円〜紡錘形の墨池はいかにも安定感を欠くものである。あるとすれば半月形ないしは方形を基本とする墨池であって然りであろう。........このような疑問百出硯というのは、玄人ならば持ちたがらないものである。しかし結局は162,500ドルで落札された。数千万ドル単位で落札された青銅器などに牽引されたとはいえ、これも時勢のなせるわざであろうか。

 

..........縁遠いオークションのことはともあれ、この新老坑の小さな硯達、である。オークションに出品されるような硯ではむろん無いのであるが、小さいながらもいかにも端溪硯らしい作風を備えている。今日日稀な品であるとはいえるだろう。ご愛用いただける方に、ご検討いただければ幸いである。

 

※訂正 クリスティーズの中国語サイトをよく見ると「qi xiang bao zhang」はすなわち「七qi 襄xiang 報bao 重zhang」なのでした。「棋qi 祥xiang 宝bao 重zhang」ではないということで、訂正します......ただ両句をかけているのかもしれない。硯背の写真もほしいところであるが。また英語サイトには記載がなかったが、明治十年に天皇が御覧ということで、事実とすればそれくらいの時代はあるのだろう。ただ硯背に足が三本あり、石眼が三つある、ともある。とすればやはり端溪なのではないか?と考えたくなる。眼が出るのは端溪だけではないが、歙州に石眼はさすがに........端溪とすれば、まあ、清末でも納得できるのであるが。

 

※追記:英語版を読むと”amidst three raised circular bosses which reveal the gold inclusions in the stone.”とあるのだが、”gold inclusions"というのは金星のようなものだろうか。しかし”three raised circular”とあるから、眼柱のように盛り上げて造っている?金星が出るなら歙州なのだろうが、しかし金星を眼柱仕立てにしている作例は寡聞にしてきかない。やはり硯背の写真もないと.....
 

 

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新老坑硯五面

確実に使える硯をそろえるのも難しい時代になってきた。現在、かなりの勢いで、かつて日本に大量に輸出された硯が大陸に還流しているという事情もある。
昨今の日本人は、硯で墨を磨らなくなったので、大陸に硯が帰ってゆくのは良いのではないか?と考える向きもあるだろう。それもそうかもしれないが、大陸の硯が帰ってゆくばかりではなく、日本で採石された硯石で造られた和硯も、産業としてもはや風前の灯という有様である。
こういった現状を嘆かわしいと思うか、いやいやこれも時代の流れですよ、と達観できるかは人それぞれだろう。しかしこの”コンピューター”万能の時代に、毛筆を手に取って墨でもって紙に字を書こうなどという、はなから時代錯誤な事をものする人であれば、少し立ち止まって考えてみるくらいのことは、あってしかりなのではなかろうか。
新老坑
端溪は旧坑洞はすべて閉鎖されてしまったので、現在採石されるのは沙浦ないしは旧坑のある斧柯山から見て西江の対岸にある、いわゆる北嶺の硯石ばかりである。宋坑など、それなりに歴史のある坑洞も存在するのであるが、いかんせん質が粗慢な点は否めない。宋坑にしても沙浦にしても、使っているうちにどんな良い墨を使っていても硯が黒ずんでゆくのがいただけない。しかも鋒鋩も概して弱い物なのである。
大陸の市場では、新しい端溪硯として流通するのはこうした北嶺の石ばかりであるから、良質な硯石をもとめようと思えば日本で探すよりないところである。

とはいえ実のところ、現在大陸でさかんに硯を蒐集している人々の多くは、墨など磨らない。いまの中国で、ある程度お金に余裕のある階層と言うと、やはり50歳代以上、60代が中心なのであるが、彼等は書をやるといってももっぱら墨汁を使用する人々である。また墨を磨るどころか、書をたしなむようなこともない者も多いのである。
墨汁を多用する傾向は70年代から強まり、文革を経て、現在の名の通った書画家のほとんどが墨汁専家である。ゆえに大陸の現代作家の作品などは、いくら有名でも買わない方が無難である。
しかしながら20代から30代の若い人は、何に啓発されたのか、墨を磨り始めているという事実があるのも、見逃せない動きである。良質な硯石をもとめるのも、多くは若い人達である。それ以外の、蒐集の中心となっている中高年層は、やれ在銘硯とか、著名人の持ち物であったとか、硯譜に載っているだとか、日本の古い図録に掲載されているとか、箱が立派だとかが評価基準である。要は硯の本質などまるでわからない人々の集まりで、自慢できるような品、売りさばくときに売りやすいような硯が欲しいのである。

ところで日本では、若いグラフィックデザイナーの中には、コンピューターグラフィックスではなく、筆や刷毛でもって、手書きで仕事をするような人も増えてきているという話も聞く。この動きは、少し注目していいかもしれない。
おもえばここ半世紀、コンピューターは目覚ましい発展を遂げてきた。ひと昔前は、コンピューターは貴重で高価なものだった。大枚をはたいてやっとの思いで購入すれば、それはそれは今まで何日もかかって処理していた仕事が一瞬で終わることもあった。コンピューターを使いこなせなければ仕事がなくなるという、一種の強迫観念すらあった時代を経てきた人からすれば、なんでもコンピューター化、デジタル化しなければ、という意識が強いのも無理はない。
ソフトウェアで書道や水墨画のような効果が可能なツールが開発されたのも、あるいはこうした時代の産物であろう。
新老坑
しかし、かつて電卓がそうであったように、個人用コンピューターの価格がどんどん下がり、学生でも持っているのが当たり前という時代である。否、ただの携帯電話すら、十数年前の個人用コンピューターの性能をはるかに上回るのである。いうなればコンピューターが当たり前の時代になったところである。操作性も洗練され、ソフトウェアなどはほぼ無料で手に入る時代である。このような時代、かえって人間の手業が当たり前でなくなってきた、という事なのかもしれない。
あるいは今の若い人は、物心ついたころから、コンピューターが身近にあり、すでに珍しい物ではないので、コンピューターを使ったものに、さほど強い関心を持つようにはならないのかもしれない。ゆえにコンピューターグラフィックスなどはいくらリアルでも当たり前すぎて、かえって手書きが良い、という事なのだろう。むしろコンピューターの急速な発展と威力を目の当たりにしてきた今の中高年の方が、コンピューターを特別視し、ありがたがる傾向があるのかもしれない。

少し前、人工知能の囲碁ソフトウェアが、囲碁の世界チャンピオンに勝利して大騒ぎになった。これをもって、コンピューターが人間の知性を上回った、いやいずれ上回るなどという、まことにはやまった話も聞かれる。世の中、粗忽者は小生だけではないらしい。
しかしかつてチェスの世界チャンピオン、カスパロフ氏がチェス・コンピューターに敗れたのは1997年の事である。これは忘れられてしまっているようだ。チェスはただの遊戯ではなく、西洋においては”知性の証し”とも言うべき文化であり、コンピューターに人間のチャンピオンが敗れるなど、あってはならないことであった。当時、欧米の知識人は相当な衝撃を受けたはずである。それから20年後の今、囲碁のチャンピオンが敗れたからといって、計算能力の拡大の速度を思えば、さほど不思議な事ではないはずである。

人工知能のビジネスに投資している人々からすれば、派手に宣伝した方が資金を集めやすくていいのだろう。しかし”ニューラルネットワーク”という、囲碁の人工知能に使用されたアルゴリズムはいたって昔からあるものだ。別段、革新的に新しい技術というわけではない。囲碁コンピューターを開発した”グーグル”のエンジニアが、持ち前の膨大な計算資源を集中して、かろうじて人に勝ったというのが実情なのである。また人工知能は過去に人間の対局で生み出された膨大な局面を記憶、学習してはじめて強くなれるのであり、いうなれば敗れた囲碁のチャンピオンは、囲碁の歴史そのものと対局したようなものである。
囲碁にしろチェスにせよ、あるいは将棋にせよ、局面の情報は相互に完全であり、かつ偶然が入り込む余地はないままに手順にしたがって進行する。こうした事柄に限っては、処理速度の速い計算機がいずれ有利になるのは当然と言えば当然である。

しかし、人間の特定の能力を計算機が上回る、という点では、はるか昔に電卓の計算速度がこれを達している。電卓が人間の暗算能力を上回ったところで、電卓が人間の知性に勝った、などと考えるのであれば、それこそその人の知性を疑いたくなる話になる。あるいは写真機が普及し始めた頃、画家は必要なくなる、などという論がなされたのと同様の話ではなかろうか。いつの時代も粗忽長屋のような世間があり、実のところを知らない人が大勢いるもので、たしかにちょっとした騒ぎにはなるのだろう。

いずれ人間の仕事のある部分は、人工知能にとって代わられる、という話もある。それはあるいはそうかもしれない。人工知能によって自動車の自動運転が可能になると、タクシーの運転手は必要なくなる、というような話もある。しかしすでに、航空機の操縦は離陸から着陸まで、自動運転が可能なのだそうだ。それでもパイロットが必要なのは、不測の事態に備えるのもそうであるが、離陸をするかしないかの判断は人間にしか出来ない、という事なのだという。
しかし離陸するべきかどうかの助言をコンピューターがするくらいの事には、すぐになるかもしれない。過去の経験を蓄積し、現在の状況と照合して少し先の未来を予測する事という事が、コンピューターにも可能になって来るからである。
いうなれば、人間の独壇場であったはずの、経験を必要とする高度な判断......これが人工知能に可能なってしまう、という事である。ひとりの人間が、その限られた個人的経験に照らして判断するよりも、膨大なデータを集積、分析できるコンピューターの方が、より的確な判断が可能なになるかもしれない。そうなると、現在のいわゆる”ホワイトカラー”の仕事も、多くは陳腐化されてしまう可能性もある。
そういった時代に、人間の営みとしていったい何に価値があるのかという事は、少し立ち止まって考えてみるのも良いのかもしれない。
新老坑
現代は、書も大半はデジタル化されて流通している。書かれた作品が画像データとなり、インターネットを通じて拡散しているのである。あるいはお酒などの商品に使われている毛筆をつかった”書文字”も、一度はデジタルデータになってから印刷されている。いっそ、墨を使って書くのではなく、初めからコンピューターを使って書いてはどうだろうか......と思っていたら、そういうソフトウェアは既にいくつかあるそうな。もっとも、そういった書は”本物の作品”ではないし、あくまで広告やパッケージのデザインに使うものだ、という話もある。
しかし、やろうとおもえば”それらしい”作品を書くことが出来るソフトウェアも開発は可能だろう。墨の滲みは拡散のアルゴリズムでシミュレート出来るであろうし、”線の揺らぎ”といった偶発性の再現なども、計算機の得意分野である。高解像度のインクジェットプリンタで宣紙に印刷されれば、手書きとほとんど見分けがつかなくなるだろう。

いやいや違う、本物の書は、何百枚も書いて一枚を選ぶから価値があるのだ、という事も聞かれる。しかし怒られるかもしれないが、それはもはや強弁に近いものがある。パラメーターを少しづつ変えながら、いくつものパターンをシミュレートする作業というのは、現在のコンピューターは得意分野なのである。それこそ数千、数万通りの出力を一瞬で吐き出すことも可能であろう。
リッター単位の墨汁を用意し、何百枚も書いて偶然の一枚を選ぶ式の手法など、そのうちソフトウェアの書いた書と大差のない事になるかもしれない。少なくとも素人目にはわからないであろうし、世の中の大半は素人目なのである。
コンピューターの書いた書を床の間にかけて楽しいかどうかはともかくとして、商業的な場面ではこれで充分、と考える向きもあるかもしれない。速度や効率という角度から価値を考えている限り、人間がコンピューターに勝てるものではない。

時間が無いから墨汁を使う式の書は、いうなれば効率、経済性の追求である。効率を求めている時点で、自らコンピューターに敗北する道を選んでいるようなものである。このような時代に、毛筆でもって字を書くという行為を、もう少し考えなおさなければならないのだろう。無条件無前提に”書”というものが価値を有していた時代ではもはやない、といっても言い過ぎではないのだから。

迂遠なようでも硯を洗い、紙を選び筆を選び、墨を丹念に磨って準備し、心静かに書をものす。そこに現れる満足感や充実感というのは、それこそコンピューターなど入り込む余地など無い。この価値がある限り、書は人間のものでありつづけるだろう。墨を磨る意味がわからない人間が、しかし毛筆でもって字を書く価値だけはわかるというのは、まったくもって本末転倒な話なのである。
新老坑
それはさておき、今回の新老坑硯である。いままで出してきた小さな硯よりも、一回り以上大きなサイズになる。小さな硯も手軽に使えるのでもう少し扱いたかったが、資源は有限である。ついに尽きてしまったのである。それらを集める過程で、ある程度の大きさの硯も集まった。その一部を今回販売するに至った次第である。
墨としては、一般的な唐墨の二両装(鐵齋翁書畫寶墨などの一般の大きさ)、ないし和墨の四丁型の墨も磨る事が出来るだろう。古硯に多い形状として、特別墨池といったものは掘られていない。そのかわり硯面が軽く凹面になっており、中央に墨が集まる仕組みである。まさに陸放翁の「古硯微凹聚墨多」というわけである。しかしこの形状には実用上の意味もあって、磨った墨は”焦墨”といって、少し乾かして濃度を高めてから使う事がある。このような使用法では、硯面に墨を広げて少し水分を蒸発させ、中央にたまった濃い墨を使う事が出来る、こうした墨池の無い硯が便利なのである。扱いに慣れておくと、技法上でも後々応用が利くであろう。

仕入れ段階ではすべて箱が無かったのであるが、箱の無い硯というのも寂しいので、漆の箱をつけてある。この箱は中身の硯に応じて少し古色をつけた仕上げになっているから、目に馴染むのも早いことかと思われる。

何度も繰り返しているが、新老坑は旧坑系(麻子坑や坑仔巌、老坑)の中でも優れた硯材を産出しており、唐墨から和墨まで多くの墨に対応するので、現代における実用性は老坑水巌に勝るかもしれない。なまじい、麻子坑や坑仔巌をもとめると、いまの市場にある多くは沙浦の中で似た硯石を選んだいわゆる”新麻子坑”や”新坑仔巌”である。その点、”新”がついても新老坑は、まぎれもなく斧柯山の硯石である。

価格は小さな新老坑硯よりは高価になってしまうが、考えてみれば硯はほとんど消耗することが無いわけである。これから20年、30年使う事が出来る。
今は消耗品の紙や筆を買うのにお金がかかって精一杯だから、いつか買おうというよりも、長い付き合いになるのだから、初めに買っておいた方が良いのが硯なのだ。
また使い終われば誰かに譲ることも出来ると思えば、消耗品の高い紙や墨や筆を買う事に比べれば、さほどの事はないのである。ろくでもない硯はいずれ二束三文になるかもしれないが、きちんとした品であれば、値が騰がっている事はかならずしも無いにしても、それなりの値はつくものである。その差額分、楽しんだ時間で割れば、実は硯がもっともお金がかからない道具である事がわかるであろう......おっと、こうした考え方こそ経済的合理主義か。

ともかく、そのような硯しか店としては扱いたくはないものだ。

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新老坑小硯三面

時々中国語を見てもらっている、四川省からの留学生のQさんがいる。この前のレッスンの折りに曰く、

「最近、絵を描き始めました。」

といって、パソコンを開いて水墨画........のような画像を見せてくれる。漫画やアニメではなかったのでホッとしたが、画面では、なにやら不思議な墨の滲み方をしている。筆線も何か不自然?

「これ、墨と紙はどんなのを使ったの?」

と聞いたら、

「これです。」

といって、タブレット・コンピューターと、タッチペンを取り出してきた。
タブレットの画面をペンでなぞると、ペン先の動きに合わせて、なるほど毛筆のタッチのような線が液晶画面に描かれる..........絶句。

「にじみやかすれなど、効果は色々と調整できます。墨の色も濃いのから淡いのとか......」
「うーん、不好(よくない)。ちゃんと墨を磨って毛筆で描いたほうが.......」
「いや〜、今の若い人はみんなこれ使ってますよ。」

といって、著名なCG水墨画(?)作家の作品をみせてくれた.........うーむ。大陸も今やこんな時代か。中国の古典文学の素養豊かなQさんも、毛筆の扱いには習熟していなかったか。

「墨や筆を使って水墨画を描けるようになるには時間がかかるでしょう?だからこういう道具を使うんです。」

とサラリという.......Qさんには以前「古典風の現代詩」というのを教唆してもらったわけであるが、今度は「水墨画風のCG」か......。これを入口に、毛筆を使った画の習得に関心を持つようになるのだろうか?

詩は文字情報であるから、究極、それが手書きによってなされたかどうかは問われない。しかし画の観賞というのは質感、素材感も大切なのであるが、CGではそれを出すことが出来ない。CGで描いている場合、黒はたとえばデータ的にはR00:G00:B00という数値でしか表現されないだろう。そういうものが純粋な”黒”と認識しているうちは、「黒は黒でも黒さが違う」というような事はわからないだろう。これは決定的な違いなのである。しかし現代社会でCGが必要なのもわからなくもない。それはそれでいいのだが.........

たまに行く日本の筆匠の店で、面白い話を聞いた。

「今の若い人は、手書きに戻ってきていますよ。」

という。

「CGだと結局みんな同じになってしまうんで、プロとして食えなくなるんですよ。」


ということだ。なるほど。現代中国語でいうところの「有道理!(ごもっとも)」。違いを出さなければ埋もれてしまうクリエイターにとっては、そういうものかもしれない。そう、「人と違う道具を使う」という事の大切さに、若いうちから気付いてほしいものだ。
CGを描くにしても、自分でソフトウェアの効果をプログラミングできる人は稀で、大抵はソフトウェアで提供された効果を組み合わせて画を描くのだろう。それはさまざまなツールが用意されているのだろうが、自分で工夫する余地が狭いのは致し方ないところだ。
趣味でやるなら”CGで水墨画”も良いかもしれない。しかしそれこそ趣味でやるなら”筆墨で水墨画”でもいいのでは?と思うのであるが、今の人にはそれが”面倒”なのだろうか。
「簡単に楽しめるもの」が悪いわけではない。が、ひとつだけいえるのは、簡単なものは飽きるのも早いのである。飽きの来ないモノゴト、というのはやはりそれなりの”奥行き”を有しているものである。奥行きが深いだけに、習得し、楽しめるようになるまでは時間がかかる。そう、難しいから面白いし、飽きのこない物なのだ。
昔に比べて難しい事が簡単になったのも事実かもしれないが、飽きる事も多くなったのではないだろうか。飽きてくれないと消費が先に進まないので、経済的にはそれでもいいのかもしれないが.......

前置きが長くなったが、新老坑。
以下が今回リリースした(のびのびになってしまったが)の新老坑小硯三面。
新老坑小硯三面新老坑の優秀な事については、改めて述べるまでもないだろう。”新老坑”と分類しているのは、日本の一部の厳しい業者だけで、平凡な書道用品店や大陸では”老坑”でもちろん通る。墨を選ぶ老坑水巌と違い、唐墨から和墨まで、幅広い墨に対応している。
唐墨は、墨の下りが悪いので使わない、という話を時折耳にするのであるが、どのような硯を使っているのかな?という事は気になるところである。日本に産する硯材で出来た硯、いわゆる和硯と唐墨の相性は、あまり良くないのは致し方ないところである。墨匠は磨れない墨は作らない。日本の硯に合わせて唐墨が作られているわけではないからである。
また硯が和墨と兼用で、かつあまり手入れが良くない場合、硯の鋒鋩が駄目になってしまっていることがある。和墨の多くは膠の粘性が高いので、使用後よく硯を洗浄しておかないと、硯の鋒鋩を膠の被膜が蔽ってしまい、墨が滑って下りにくくなる.......とここまで書いて、そういえば中国では唐墨(=中国の墨)をマトモに磨れる硯を使っている人が、現在どれくらいいるのだろうか?ということも考えてしまう。

しかしそれにしても、である。先日知人の篆刻家のお伴で、某書道用品店のセールに行った時の事。まあ、この店で硯を買う人はあまりいないのかもしれないが、それにしても並べられている硯がよろしくない........のはまあ、いたしかたないとして、問題は表記が間違っている事である。宋坑を宋坑として、それなりの値段を付けているのは良いとしても、やはり同じく宋坑や沙浦の硯が老坑や麻子坑として売られている。
ざっとみたところ、端溪硯といっても斧柯山の石はほとんどなく、ほぼすべてが斧柯山対岸の北嶺の硯材なのであるが、それでも老坑や麻子坑や坑仔巌として売られているのである。かなり大きな量販店であるし、スタッフもそれなりの人数がいるはずなのであるが、誰一人としてこの値札のおかしさに気が付かないのが摩訶不思議である。もっとも、ああいった店の硯は墨を磨るためではなく、墨汁を入れておく容器のようなものであり、石品があろうがなかろうが、そのうち墨液に染まって見えなくなってしまうのであろう。なので宋坑か老坑かの違いは、いずれ些細な事なのかもしれないが(値段はそれなりに違うのであるが)。

現状、本物の斧柯山の旧坑系の石を仕入れて一面数千円で売るというのは、まったくもって”不可能”なご時世になってしまった。山ほど取れる北嶺の石を仕入れるしかないわけであるが、それにしてもそれを”老坑”というのはいくらなんでも酷い気がする。骨董屋じゃないのだから、客の”目利き”に選択をゆだねきってしまうのも、これはいかがなものか。専門店の名が泣くというものではなかろうか。

書画や陶磁器の騰落に比べて、ここ数年の硯の価格上昇はゆっくりしたものだった。とはいえ端溪硯についていえば、良質な硯材の出る斧柯山の硯坑が閉じられてしまったためか、歙州硯よりも価格の上昇が著しいのは隠しようもない。
しかし日本でバブル崩壊によって硯石の値段が暴落したように、中国においても現在の資産バブルの崩壊とともに、硯の値段が凋落しないとも限らない。今買うのが正解かどうかについては、実のところ何とも言えないものがある。しかしどちらにせよ、「これからまた高くなるから、今買っておいた方が良いですよ。」というような、大陸の不動産仲介業者のような事は言いたくはないものだ。小売業者の任務は、安定した価格と品物の供給であるということは、忘れてはならない。事実、若干の値上がりを余儀なくされたものの、店を始めて以来、さほど値段を上げずに来れたのは、仕入れの妙と言うべきか、店としては自慢して良い事だと考えている。

日本はデフレで売値は下がる、大陸はインフレで仕入れ値はあがる、しかも人民元は高くなる(円は安くなる).......という状況で、大陸での安価な仕入れに依存した、従来型の書道用品店(ないし卸売業者)の経営は成り立たなくなってきている。
ここ数年、老舗の倒産が相次いでいるが、残念ながらこの流れはしばらく続くだろう。書道人口も減少傾向にあるが、業界としてある程度の規模は残るだろう。”ある程度”の規模が残った時に、問題は中身に何が残るか?なのであるが、これについてははなはだ心もとないところがある。かつて勇んで大陸へ渡り、丁々発止のやり取りを繰り広げた強者達も”老兵ただ去るのみ”な現状である。業者側の努力だけで市場は成り立たない。購入するユーザー側も、そろそろ考えていただかなくてはならない時に来ている事は、申し上げても良いのではないだろうか。

今年に入って新製品のリリースが少ないが、これには少し事情がある。たとえば新作の筆は四種類あがってきているのだが、筆銘を入れる必要のある三種類について筆匠が「筆銘を手彫りするのが難しい。」と言って来たのである。「レーザーで良いか?」と聞かれたのだが、さすがに”レーザー”は抵抗がある。「コストは構わないからやってくれ」と頼んでも、彫れる職人がいないというのである。全くいないわけではないが、高齢化して、あまりたくさんの筆銘は彫れないのだという。無理してやってもらうのも問題であるし、どうしようかと思案中なのである。筆の件だけではなく、他についてもいろいろと、用意はあるものの進めるのが難しい状況になってきているのは事実である。これをどう突破するか、対策を講じているところである。これまでもなんとかしたように、今回もなんとか出来るだろうと思っている。しかし本年中に新製品のリリースが少ないのは如何ともしがたいと、覚悟している。

とはいえ、新老坑三面、久しぶりの新商品である。ご覧いただければ幸いである。
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香港芸術館の端溪硯

最後の経由地、香港で少し時間が余ったので、香港芸術館を訪問した。ここは常設展示で虚白斎収蔵の良い作品が観られるので毎回楽しみにしているのだが、生憎今回は企画展の現代美術の展示が入っていて、書画を観ることが出来なかった。陶磁器は観ることができる。ここの陶磁器も悪くは無いのだが、どうもこのときは焼き物を見る気分ではなく、心に入ってこない。清朝の粉彩中心の展示は、いかにも大陸の観光客の趣向に迎合した観がある。小さな硯が1面展示されており、他に筆筒が何点かあったのが収穫であったか。
ここ2週間ちょっと、上海を起点に広東、湖南とめぐってきて、俗悪なモノには食傷気味だったところである。書画でなく陶磁器なら、さほど名品でなくてもいいから、出土品でもいいから、唐なり宋なりの質朴で優美なモノが観たかったところだ。粉彩がわるいわけではないが、この時の気分にはそぐわなかった。
入館料は10HKD(130円)くらいなので、観たいものがなければ足早に出てしまう。それでも1階の香港芸術館内の書店を少し覗いて行こうと考えた。図録や美術書は重たいので買うかどうかは別として、ここは良い本がそろっているので少し覗きたくなる。
ところが本を置いているスペースが大幅に減り、代わって書画や文房四寶が展示されている。画......とみると、特定作家の山水画が何枚も展示されている。価格がついているものもある。また価格は要連絡となっている作品もある。販売されているようだ。この傅抱石の山水を部分拡大して雑にしたようなその画風.......作家の名前に見覚えがある。
先月のいつだったか、香港で開催された北京保利のオークション会場で、間違って作品がゴミとして処分されたかもしれないとかなんとかいう、あの某氏である。聞いた時からなんだかたいそうに胡散臭い話だなあ、と思っていた。なんせオークションの主催はあの悪名高き北京保利である。この作家の作品のトップの落札価格は1億8400万香港ドル(25億円くらい)で、ゴミになったと言われる画は2880万香港ドル(3億8千万円)という。こうなってくるともう、”バブル”というより”量的緩和価格”とでもいおうか。濫作しやすい画風で、これから何百枚描けるかわからない存命作家の作品としては”付け過ぎ”としか言いようがない。しかし”ゴミ箱行き”というのがなんとも、その後のこれらの画、しいては書画市場全般の運命を暗示しているかのようでもあり、仮に話題作りとしてもセンスのない話である。
しかもそのニュースの切り抜きをカラーコピーして、これみよがしにおいてある。香港のちいさな飲食店では、紹介された雑誌の切り抜きを壁にベタベタ貼ってある。中には日本の雑誌の抜粋も珍しくない。それはそれで、小さな庶民のお店を一生懸命繁盛させようとしている意気も伝わってくるのであるが、あるいはそれと同じ感覚なのかもしれないが、香港を代表する美術館、そこへもって億円単位の作品を書く作家の作品の売り場にしては、これはなんとも品位の無い話である。
画はもうどうでも良いので、硯の方に目をやる。置いている硯はすべて端溪硯で、端溪の作硯家の新しい硯ばかりである。無論、大きいばかりで、材といい作行といい、良い硯などただのひとつもない。話のタネに写真を撮ろうとしたら、店員さんに「写真を撮らないでください。」とやんわりと制止されてしまった。本気で売る気があるなら、写真を撮るくらいは大目に見るべきなのだが.......それにしても唖然とするような新硯に、茫然とするような価格がついている。一番大きな硯に、百四十万香港ドルの値段がついていた時は、本気でゼロを数え間違えていないか勘定してしまった。控えめに言ってもゼロを3つくらい削り取ったほうが良いのでは?と余計な事を考えてしまう。端溪硯が高騰しているのは事実であるが、鑑別がまだまだ甘いということか。もっとも硯を”置物”にする向きには、材質などはどうでもいいことなのかもしれないが。

文房四寶だけに墨も筆もおいていたが、もちろん観るべきものは無い。墨汁は北京一得閣、墨は胡開文、すべて今出来で良い品ではない。画宣紙はなし。もっとも、もともと書画や文房四寶が専門でも何でもないこの書店で、いろいろ置いたところで店員が対応できないだろう。香港で筆墨を買うなら中環の文聯荘に言った方が良い。
それにしても香港芸術館の品位も落ちたものだと、今回はやや憮然となった。
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端溪の高騰

端溪硯が高騰している。原因は良質な硯材の払底である。すでに老坑や麻子坑、坑仔巌といった、旧坑系の坑洞はすべて閉坑になっている。現在も採石されているのは、老坑などのある斧柯山の対岸でとれる、宋坑や沙浦といったいわゆる”北嶺(ペーリン)”の石である。
そういった事情は当然のことながら大陸の市場でも広く知れ渡っており、端溪硯が無いわけではないが「良い端溪硯は少ない」という認識が浸透しているようだ。
一方の歙州系の硯は、10数年前と比べると原石の価格はほぼ100倍になるまで高騰した。ただし、小生の印象ではここ3〜4年は価格は横這いである。もっとも、有名作家の硯は高い値段がついているのであるが、それも天井が見えた感がある。また歙州硯の硯材、すなわち龍尾石に関していえば、値段が高止まりする一方で、さほどモノが動いていない印象がある。

天然の硯のように、規格化が難しい品物には、ほんらい定価がつけられるものではない。その時々の相場があるのみである。値札が一応ついていたとしても、実際は売りたい人、買いたい人の間でモノが動いた時にはじめて値段が決まるのである。そういった取引が繰り返されることで、価格の情報が流通して”相場”が形成される。取引が不活発になると、値札だけが張り付いたままモノが動かなくなり、ある日突然”暴落”なんてことが起こりかねない。これは硯に限った話ではないだろう。
別段、歙州が「暴落」するなどと言うつもりはないのであるが、10年前に比べて高くなりすぎた感のある歙州硯にたいしては、ここ3年ばかりは模様眺めをしている。

反面、端溪は「越來越貴(だんだん高くなっている)」状況である。
上海で硯を扱う、とある店があった。古硯はほとんどなく、大半が現代作家の新硯である。しかし材が良くて作行きが良ければ新硯もいいものである。(材が悪く作行きも悪いのに、古硯というだけでありがたがる向きもあるが、これはどうかというところである)。
どうも徽州の作硯家とつながりのある店のようで、歙州硯が多かったのであるが、端溪硯も何面か置いていた。おにぎりくらいの大きさの小さな端溪硯があり、小さいながらも氷紋が出ていた。新硯であるが作行きもなかなか良い。しかし値段を聞くと、1万元を軽く超えている。”氷紋”が出ているという事だけで、これは”老坑”ということなのかもしれない。が、それにしてもいい値段を付けている。
この店につながる作硯家は徽州の出身らしく、龍尾石の硯に作行きも材質も良い品が散見される。値段を聞くと、これが思いのほか高くはない。端溪と比較した場合、である。厳密な比較は出来ないから、これは全般的な印象であるが、龍尾石でも滅多にないような佳材と、”老坑”と認定される端溪硯とでは、値段が3倍か4倍は端溪が高い雰囲気である。
どうなっているのだろう?と思って店の主人に聞くと「良い端溪硯は年々少なくなっている。」ということである。
おそらく「良い端溪硯」というのがポイントで、要は沙浦や宋坑のような粗慢な材ではなく、斧柯山で採れる旧坑系の硯材が「年々少なくなっている。」ということであろう。端溪硯であれば何でも高いということではないようだ。それはたしかにそうあるべきなのであるが、佳材が貴重なのはなにも端溪に限らない。歙州とのこの格差はなんだろう?と少し考えてしまった。

端溪の佳材の極め付きといえば”老坑水巌”に尽きるのであるが、そのせいかやたらと”氷紋”の出た硯をありがたがる傾向がある。”氷紋”すなわち”老坑”ではない.......”氷紋”は”老坑”の”必要十分条件”ではない.......のであるが、いまの大陸の鑑別の世界ではそういう事になっているようだ。そういうわけで、日本へ硯を買いにくる大陸の人が求めるのも”氷紋”のある端溪なのである。
実際は”氷紋”があっても老坑ではない硯材は多くあるし、また”氷紋”の出ない老坑の佳材もたくさんある。石品で珍重すべきはひとり”氷紋”のみにあらず、古人は”青花”や”蕉葉白”、”魚脳凍”といった石品も大層珍重したものである。ただしこういった代表的な石品は、沙浦のような粗慢な硯材にも盛大に出るのである。また日本に硯を買いに来るのは大半は”バイヤー”であって愛好家ではない。転売目的で”仕入れる”のであるから、”老坑”で通りやすい”氷紋”の出た端溪硯を買うのも致しかたないのかもしれない。

何はともあれ、端溪の良い硯、優れた硯材は高くなっている。天然石だけに、採石されないとなると、市場には品物が無くなる一方なのであろう。しかしもはや採石されないという点では、実は歙州龍尾石もそうなのである。なのでひとり端溪の高騰ぶりには疑問もなくはない。

ここ10年、大陸ではさまざまな文物が騰落を繰り返してきたが、端溪の高騰も一過性のモノで終わるのであろうか.......?。ただし少し注意しておくべきこととして、大陸での「国学」の振興がある。「国粋」発揚の一環として、古典文化に目が向けられているという。小学校では書法(日本でいう書道)が必修になったという。そういえば、最近知り合う若い人の中に、書画や古典文学に関心を持つ人が増えているような印象がある。また60歳以上の書画家は墨を磨らないが、20代〜40代くらいの若手は再び墨を磨るようになっているという。あるいはそういった傾向が、硯市場全体を底上げしてゆくのかもしれない。また現在はもっぱら”氷紋”に目が向いているとしても、将来的には硯材の質の違いに目覚め、氷紋の無い佳材が再評価されるかもしれない。
一方で、戦後大量に日本へ輸入された端溪硯は、日本に於ける文房四寶業界の凋落と歩をあわせて、大量に大陸へ帰還している。いずれ日本国内では端溪の佳材は目にしなくなるかもしれない。それはそれで、一抹の寂しさを感じなくもない。
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硯材をもとめて

とある書道用品の卸しをやっている人との会話で、こんな話を聞いた。「今の人は、日本の墨しか買わないのですよ。唐墨はなかなか濃くならないし、良い硯は買わないし。」
たしかに、和墨は唐墨にくらべて早くおりるかもしれない。しかし唐墨も、鋒鋩の整った硯ですれば、濃度をえるのにさほどの労力は必要としないものである。しかし鋒鋩の堅牢な硯は少ない。仮に鋒鋩の弱い硯でも、適度に目立てをしてやれば良いのであるが、それをやる人も少ないようだ。硯面の研ぎなおしはそれほど難しい事ではないのだが、これが専門家でなければ出来ないと思い込んでいる人も多いという。
龍尾石硯龍尾石硯また、近年まともな硯材が輸入されていない事も原因だろう。端溪は旧坑系の硯材の産出が停止し、沙浦や宋坑が市場の主流を占めている。これらもまったく使えないことはないが、鋒鋩は弱いものである。使い始めは良いかもしれないが、毎回よく洗っていないと、すぐに磨り味が悪くなる。そういう説明をしながら売られているわけではないのだから、買ってから「がっかり。端溪なんてこんなもんか。」ということになってしまう。
龍尾石硯少し前は、学生用に羅紋硯の安価な長方硯が出回っていたものであるが、これも少なくなった。羅紋硯といっても龍尾石のそれではなく、徽州周辺のほかの山域から取れる材なのであるが、これはこれで使えないことはなかった。
端溪硯は良い物は離墨、つまり洗っていてすぐに墨が落ちるのであるが、粗慢な材は墨が落ちにくく、汚れてくる。鋒鋩が目つまりをおこしやすい。しかし歙州系の材は、総じて離墨が良いので、鋒鋩が長持ちする。あまり硯の手入れなどをしたがらない人には歙州系の材の方が使い勝手が良い物であるが、近年これも適当で手頃な価格の材が無い。
弊店で取り扱っている新老坑硯はお勧めできるが、いかんせん小さい上に数が少ない。値段もそれなりになってしまっている。これら新老坑の小さな硯とて、今の大陸では探してもなかなか仕入れられる品ではなく、今後の供給にも不安がある。
龍尾石硯龍尾石硯唐墨の輸入は平安朝の昔から続いているのであるから、日本の文房四寶や墨の文化を語る上で、いまさら唐墨抜きという話もないだろう。適切な硯が無いために「早く濃くならない」という理由だけで唐墨が敬遠されているのだとしたら、それは残念なことである。
良い硯が無いわけではないが、日本の業者は仕入れない。硯材ひとつでも、十数年前の軽く数十〜百倍くらいに値段が上がっている。ちょっとした美材でも、1個何十元で買えた時代があったのである。昔は一山幾ら?だったのだが、今では1個幾ら?の世界である。業者としては利幅が取れないし、デフレの続いた日本では値上げが出来ない。そもそも硯を買う人も少ない。長い間在庫しておくのも大変なので、仕入れたくないのだろう。
唐墨を専門的に扱う身としては、硯の問題は何とかしないといけないと考えていた。老坑水巌のような希少な材は望むべくもないが、美観を抜きにして実用性の高い硯を、手頃な価格で供給する道はない物か?硯匠と相談しているところなのである。石品は抜きにして、作硯様式は少し古いものに倣うにしても、実用性があり、ほどほどにキレの良い作の硯.......これを1個1万円くらいの墨を買う人に提供する道が無いと、今後の日本における唐墨の市場も先細りだろう。和硯の方が今や安価に感じることがあるが、和硯の鋒鋩はやはり唐墨には適合しにくいのである。
龍尾石硯硯一面に十数万円〜数十万円、出さないと唐墨の良さが分からない、というのではやはりちょっと問題かもしれない。良い硯は一生使えるし、価値を減じないものであるが、さりとていきなり手を出せるものでもない。失敗のリスクもある。手頃な硯で磨墨の面白さを知ってから、でもいいのではないかと考えている。
端溪はもはや良材を新たに入手するのは絶望的なので、やるとしたら歙州だろう。さりとて龍尾石は高騰してしまっている。その周辺山域で、佳材が無いかどうか.......人工的に作れる澄泥硯や陶硯では、油烟墨にはやはり少し粗い。米芾は”硯史”で多くの硯材を挙げている。石品や石色などをやかましく言わなければ、意外な佳材が、まだどこかに潜んでいるかもしれない。
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