新老坑硯五面
先日、京セラ美術館に『竹内栖鳳展』を観に行った。栖鳳が使用していたという硯が展示されていた。かなり使い込まれていて、表面を宿墨が厚く覆ったままなので、石質はよくわからなかったが、ともあれあまり大きな硯ではない。むろん、ほかにも大きな硯を所有していて、大作に用いていたかもしれないが、大作ばかりを描いていたわけでもないだろう。宿墨が遺る硯面は、それが画の制作に使用されていた事を想像させる(洗った方が良いとは思うが)。
竹内栖鳳は早くから洋行し、西洋画の技法や主題、構図を取り入れ、バラエティに富んだ作品群を遺しているが、どうも本領はやはり水墨画だったのではないか?というように感じられる。南画、あるいは近代の大陸の山水画の技法を取り入れた水墨による風景画に伸びやかさがあって、楽しんで書いていたように思われた。
竹内栖鳳は墨の蒐集にも凝っていて、かなりの数の明墨を所有していた事が伝わっている。その一部を実見したことはあるが、今の目線で見れば、本当に明代の唐墨だったのかは、正直なところ疑問が残る。むろんその事が、画家としての評価に影響するものではない。
明治大正昭和に生きた大家の一人は「明墨に非ずんば墨の非ず」とまで言い切ったとかいないとか。そういう時代だった、というよりない。明代の墨に関しては、徳川美術館の収蔵品が基準になっているところがあるが、このあたりもそろそろ再検討が必要なのかもしれない。
「骨董は、欲しい人の数だけある。」という古人の言は、古い時代のものを求めるときは常に念頭に置くべきであろうし、日本では明墨が長く茶道具の文房飾りとして需要があった事も注意すべきところだろう。
それはさておき。
硯を集めるのも難しい時代になってきた。特に端溪は、旧坑がすべて閉鎖されてかれこれ20年は経過した。沙浦など、あまり質の良くない北嶺の硯石は依然として採掘されているものの、新老坑や坑仔巌、麻子坑といった旧坑系の硯石は、硯匠のもとにある在庫ないし流通在庫以外にないわけである。
むろん、硯が必ず端溪である必要はないかもしれないが、石硯の歴史とともに続いてきた端溪硯を求める声は、絶えることがないものである。しかしながら、そろそろ歙州硯も考えていかなければならないだろう。それほどまでに、端溪の良材は払底している。
今回お出しする硯は、期せずして、類似したモチーフの硯がそろってしまった。梅花や青鸞は、古典的な吉祥図案である。ほぼ同様の主題が並ぶと、硯の意匠に関する解説も同じようになってしまうかもしれないが、そこはご了承いただきたい。
日本だと「梅に鶯」という事になる。大陸でも時代が下ると「梅に鶯」という事になってしまうのであるが、梅花に戯れる小さな鳥は必ずしも鶯とは限らない。おそらく古代において大樹をめぐる小さな鳥は青鸞であり、梅も桃樹だったのだろう。すなわち、西王母の使者である青鸞が桃を運ぶ「青鸞献壽」が、もともとの主題であったと考えられる。それが時代を経るごとに、より身近なモチーフにイメージが置き換わる、という事も、珍しくはない。
また竹との組み合わせもあるが、これは梅花が四君子のひとつであることから生じたバリエーションで、やはり四君子の竹に添わせたものであると考えられる。
ただ意匠だけではなく、石品にも見どころのある硯たちで、それぞれ特徴がある。また荷葉硯を除くと、まずまずの深さの墨堂と墨池を備えているから、半紙、条幅などの作品作りや、やや大きめの水墨画の制作にも適しているであろう。
ちなみに硯の写真を撮るときは、すべて自然光で撮る事を心掛けている。太陽光も晴天と曇天、午前と午後では光線のスペクトルが変わるものであるから、晴天の午前中に撮るようにしている。
現代は昔のように白熱電球が普及していた時代ではなく、LED照明が広く使用されている。このLED照明は、白熱電球に比べて消費電力が格段に小さいから、省エネに大きく寄与している。また紫外線を100%カットした光を作り出すことが出来るから、文物の保護という観点では非常に優れた面がある。(白熱電球、蛍光灯は紫外線が出ている)
ただLED照明にも欠点があり、それは製品によって色味にばらつきが大きい、ということだ。特に安価なLED照明は色味が貧弱で、明るい事は明るいが、青に偏った見え方をしてしまう。色味を改善したLED照明もあるにはあるが、それは黄色、ないしややオレンジがかった、昔のエジソン電球に近い色になる。その色味には温かみはあり、青に偏った電球よりはいいが、やはり必要以上に赤味が出てしまうのも問題である。
人工照明の場合、選び方によっては、必要以上に石品を良く見せる事も可能だ。しかし、所有される方が皆々、同じ条件の光源を用意できる事を期待する、というのは無理な話で、悪い言い方をすれば「写真に騙された」という事も起こりうる。。。イメージキャラクターに起用されたタレントなら、いくら美しく撮ってもそれが商品というわけではないから問題ないが、商品写真、しかも外観もポイントになる品物であれば、良く見せすぎるのも問題ではないだろうか。
昔から「硯は陽の下で観よ」と言われるように、太陽の光がベストであり、もっとも公平な光源である。必ずしも石品を明瞭に見せるわけではないかもしれないが、もっとも嘘が少ない、という事は言えるだろう。現実に、太陽の光はあらゆる光の波長がバランス良く分布しているから、これ以上の光源はないのである。
(むろん、カメラのイメージセンサーの性能も関係するのであるが)
この光源の問題に関しては、実は10年以上前にLED照明が普及し始めた時から考えていて、試行錯誤を繰り返してきた(自分自身は実は工学系の出身なので、墨や硯の事よりも、むしろ専門に近いといえば近いかもしれない)。最近ようやく成果が出そうなのだが、その件についてはまた機会を改めたい。
お店:http://www.sousokou.jp BlueSkye:鑑璞斎