長方挿手硯である。様式から判断すると南宋ということになる。材質は竜尾石の普通”魚子紋”と呼ばれる材である。浅い緑色の地色に黒い小さな胡麻粒のような斑点が覆っているが、これを魚群にみたたてこう呼ばれる。伝世の品ではなく、出土文物であると考えられる。
出土硯としてもさほど程度の高い品では無いが、状態もよく、実用として愛用している硯の一つである。鋒鋩が極めて強く、下墨効果が高いため、やや膠の重い近代の鉄斎などをサッサッと磨墨して使うときには便利である。膠の重い墨を鋒鋩の繊細な硯材....たとえば端渓老坑のような硯で使うと、膠がすぐにぬめってうまく溌墨してくれなくなる。老坑のような硯材は、充分に乾燥し、膠が軽く、かつ硬質な清朝の古墨を溌墨させる時にはいい。
が、いつもそんな古墨をつかっているわけにもいかない。並の墨に合う硯もあると便利である。少し前、数年ほど前はまだ中国で手ごろな値段で出土硯が入手できたものである。しかし中国でも出土硯に関する本が何冊か出版され、価値が認識されるようになり価格が高騰している。
出土硯に関しては、ここ数年丹念なレクチャーを受けているが、その方が言うにも謎が未だ多いということである。しかし宋代の様式はかなり明確になってきたと思われる。
宋硯のよさはその実用性にあると教えられた。実際に使うようになってみると実に機能的で、使いやすい。そのまま普通に使えるカタチをしている。「機能性を追及すれば形態は美しくなる」というのは近代の工業デザインの底流にある思想だが、およそ1000年前に中国で作られた宋硯を使っているとこの思想に通じるものを感じる。
硯に純粋に装飾としての彫拓が多くなったのは明代後期からで、顕著なのは清朝の乾隆時代である。ただし、この時期はデコラティブといっても、硯としての機能性は十二分に保たれていたのである。まったく石の彫刻と化してしまったのは、文房四宝が実用の道具としての地位を追われ、骨董趣味や懐古趣味の対象になったここ100年内の出来事である。
宋硯は簡素で機能的な造型に惹かれるが、細かく観察すると実に複雑な線と面で構成されていることがわかる。特徴の一つが硯面から墨池へ落ち込む、落潮部分の微妙な曲線である。また墨池の底面も中央から左右にゆるく落ち込みながらえぐられている。写真のこの硯ではその辺りの解説資料としては特徴がやや弱いのであるが。
そういった微妙な曲面、曲線がいかにたくみに折り合わされているかが、宋硯の作の鑑賞のポイントであり、価値の高下を決めるのであると教えられたものである。
宋硯の形状の決め手の一つは後側面から見た際に、硯の側面が上から下にすぼんでいることである。さらに樽のようにゆったりと外側へ張った曲面になっている硯もある。こういう硯は手の込んだ造作である。現代の歙州硯の作硯家の話では、このような微妙な曲面を硯の側面に彫り上げるのは非常に手間だということだ。このすぼみの持つ意味は、上から手で持ち上げたときに指に引っかかり、落としにくくなるということだと考えられている。平面ですぼませても機能的には充分だが、あえてゆるい曲面にすることで力強い印象を与えている。
「挿手」という意味は、文字通り、硯の後ろから手を差し込んで持つことが出来るというこの形状を指す。
硯背の前方から後方にかけて絶妙な傾斜で削りこみ、表の墨池との重さのバランスをとっているのである。実際に、手を差し入れて持ち上げると、片手でかならずバランスが取れるようになっている。
今述べたような宋硯の様式面での特徴は、すべてその道の専門家にレクチャーを受けて習得してきた内容であり、その方が数百面を比較検討した結果である。レクチャーを受け始めた頃は、無論出土硯なんて一面も所有していなかったのである。その後入手することが出来、持って使うようになってあらためて認識が深くなったと思う。
「道具は使うことによって鑑賞する」である。
およそ1000年前に作られた道具で、今も尚、当時と同じ目的で使用することが可能であり、実際に使用されている文物というのが果たしてあるかどうか。この石で作られた宋硯は、少なくとも数百年から千年の歳月を経て今ここにある。しかしながら道具としての役割は変わることなく、今日も机上で使われるのである。