AI雑感
日本も、今更ながらにデジタル庁が創設され、国を挙げてデジタル化に取り組んでいるが.....正直なところ周回遅れではないだろうか。極言すれば、デジタルの世界、あるいはデジタル化できる世界では、人間は生産性においてAIには勝てないからである。
しかし考えてみれば、日本で家庭用パソコンが普及し始めてから40年くらいではないだろうか。1995年にウインドウズ95が発売されて、パソコン通信からインターネットの時代が始まり、いやおうなしに学校や職場でもパソコンを導入するようになっていったと記憶している。
いずれAIの進化と深化により、パソコンに入力し、デジタルの世界で行われる仕事のほとんどの領域から人間が駆逐されるのではないだろうか。
SFで出てくるように、マザー・コンピューターに音声で質問し、音声で答えをもらう、というような世界はすでに現実化している。ほとんどの企業では、業務に沿って適切な回答を用意する.....LLMを構築する......ことが企業経営者の仕事になるのかもしれない。
ちょっと歴史家的な視点でみれば「20世紀末から21世紀初頭にかけて、人類はデジタルデータをキーボードで入力し、学習や仕事をしていた。」というように記述されるのかもしれない。
正直なところ、そういう世界に早くなって欲しい、いやなって欲しかったくらいである。この文章もキーボードで入力しているのであるが、正直、キーボードは嫌いである。できればペンや鉛筆でカリカリ書く方が良いのであるが、生産性を考えるといかんともしがたいので使っているだけである。
効率化の為に人間がデジタル依存し、見方によっては従属していた時代が、AIの進化によって終わるのかもしれないし、そう期待している。AIがデジタルの世界から人間を解放してくれる、といえば楽観的に過ぎるだろうか。
対話型AIや生成AIは、今や驚くような結果を出力してくれるが、専門家の視点で見れば、まだまだ未熟なところが見える事もあるという。ただ、それも人間の予想以上にAIが早く進化することで、解決してしまうだろう。なぜそう思うかといえば、かつて将棋の世界における人工知能の発達がそうだったからである。専門家の大半がまだまだ遠く及ばないと思っていたら、ある日あっという間に人間を越えてしまうのである。そういう事は、デジタル化されたデータを介して行われていた、あるいはデジタル化が可能な、あらゆる分野に及ぶだろう。
そうなってくると、ほとんどの人間の仕事はデジタルから離れてゆき、いずれフィジカルを通じてリアルな世界に働きかける事にしか、価値が見いだされなくなるだろう。振り返れば、コンピューターが発明され、日常に浸透するようになったのも半世紀くらいの間の出来事である。人類史的に見ればこれはAI出現の前段階だったと、みなされるのではないだろうか。やがてAIが社会に浸透して後は、ごく少数の専門家を除けば、コンピューター出現以前のアナログとフィジカルの世界の活動に、人間が戻ってゆくのかもしれない。
いささか我田引水的に考えると、生成AIの進化によってデジタルアート全盛の時代が終焉し、ふたたび書画や水彩、油彩画に価値がある時代に戻るのではないだろうか。というのは、その予兆のようなものが、僅かであるが、始まっている事が感ぜられるからである。これはパソコンの画面を開いて検索をかけているだけではキャチできない、街を歩いているとわかるごくわずかな変化なのであるが.....今のところうまく言語化することが出来ていない。
インターネットの登場がそうであったように、好むと好まざるとにかかわらず、生成AIがもたらすインパクトはアートの世界を激変させるだろう。むろん、デジタルのみならず、アナログの世界も変化せざる得ない。
とはいえ、目下の関心は文房四寶の世界に集約されるのであるが、そこでは今まで見られなかった事が起きている。これは生成AI登場の少し前からの現象であるが、おそらく生成AIがその変化を加速させるだろう。手遅れにならないうちに対策を講じなければならないと、日々考えている次第である。
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