加工紙からわかること 〜天津松竹斎監製紙
天津松竹斎監製紙である。だいぶ前に天津の朋友経由で入手した紙だ。熟紙、すなわち加工紙ということはわかるのだが、具体的になんという紙かわからなかった。加工紙にも色々あるが、現代の市場で同様の紙がなかったり、あるいは同じ名称でもまったく違う紙になってしまっている場合がある。
斜視すると綺羅が多く塗布されていることがわかるので、雲母箋の一種かとも考えていた。今回、煮硾宣を試験的に購入し、使い比べたのだが、この天津松竹斎監製紙も同様な煮硾宣であるということは、ほぼ間違いないと思われる。
「天津松竹斎」だが、民国時代に天津に存在した南紙店で、出版なども手がけていたようだ。詳しいことはわからない。有名な北京の荣豊齋の前身も「松竹斎」といい、天津にも分店があったことがわかっている。が、こちらは清朝末期、光緒20年(1894)に名を荣豊齋に改め、民国時代には荣豊齋の分店が天津にあったというから、関連があるかどうかはわからない。
単宣なみに薄くかつまた丈夫な紙であり、表面は均(なら)したように滑らかである。紙を漉くときの簀(すのこ)の漉き目の凹凸がまったく無い。
当初は半熟半生の加工紙として、玉版宣を中心に蒐集していた。玉版宣は、発見できる古い紙の中では高価な部類に入る。無地の紙の中では一番高いという印象がある。見つかるときも、2枚、3枚という場合が多い。その点熟紙は束になって見つかり、一枚あたりの価格も玉版宣ほど高価ではないようだ。それで軽視していたわけではないが、玉版宣に集中していたため、熟紙のことは疎かになっていた。今回、煮硾宣を扱い始めたので、あらためて古い熟紙をひっぱりだし、比較材料とした。
もったいないので一番外側の焼けた紙の端っこを使い、テストを重ねた。
たっぷり目に水を使って描いても、ほとんど横広がりには滲まない。時間の経過とともに、わずかに紙に浸透するが、完全に裏側まで墨が浸透することはない。ゆっくりとした運筆が可能であると同時に、濃淡の変化がはっきりとでる。とくに淡い色調がどこまでも伸びるようである。
この紙の特徴は、試験的に仕入れた煮硾宣に酷似している。よってこの紙も、煮硾宣か類似した加工紙であると推測される。
一方、この紙は書に用いても良いものである。中国の紙はそもそも書の為に改良工夫されたもので、画はそれを転用してきた歴史がある。
苦手な小楷だが、滲まず、筆がとられないので、ゆっくりと沈着な運筆が可能である。ただし、墨はかなり濃い目に磨らないといけない。一般に、真新しい墨や、膠が重い墨だと墨が粘って筆が紙に取られやすくなり、書きにくいものである。だが、この煮硾宣は墨がゆっくりと紙に浸透するので、筆と紙の間に水分が保持され、筆の滑りが良い。また表面が滑らかに均されているので、抵抗を感じることが少ない。
滲まず、滑らかな紙といえば、ケント紙や上質紙などの西洋紙も同様な性質を持っている。しかし墨の発色が悪い。煮硾宣は、墨がわずかに紙に入り込んで定着し、美しい墨色が発揮されるのである。
「負喧野録」の「論筆墨硯」には『墨貴黒光,筆貴易熟而耐久,然二者毎交相為病。惟墨能用膠得宜,筆能択毫不苟,斯可兼尽其善。』とある。
『墨は黒く艶やかなものを貴び、筆は熟(な)れ易く、また久しく耐えるものを貴ぶ。しかしながらこの二つのものは、互いに関連して欠点ともなる。ただ墨は膠の用い方がよく、筆は毛の選び方がよくて大雑把でなければ、そのいいところをことごと兼ねるであろう。』とでも訳せようか。
ここの表現は非常に微妙で注意を要するところである。とくに「然二者毎交相為病」は矛盾する二つの性質について述べているが、なんのことなのか、正直なところ少し以前は意味がわからなかった。
一般的に墨は膠の量が多いほうが艶がいいものである。しかし膠の量が多いと、墨液は粘るものである。また筆は「熟れやすい」、つまり墨を含んで軟らかくなりやすいものがいいといっているが、自由な運筆には必要な性質である。かといって書いているうちに毛がコシを失ってしまうものは良くないというのである。毛は水分を吸収して弾性が失われる。であるから「耐久」でなくてはならないと言っている。
墨にしても、筆にしても、その良い性質というのは過剰であれば欠点にもつながるものであると言うことを述べているのだろう。それを避けるには、墨は膠の用い方が適当であり、筆は毛の選び方が良くなければならないとしているのである。
濃墨の艶を生かしたいときは、墨の濃度を高めるのは当然であるが、墨液の濃度が高いと粘性が高くなることは避けられない。それによって筆の復元力が衰え、自由な運筆が出来ないものである。その墨の粘性に負けない、精良な筆を使うことをここでは勧めているのである。
もうひとつ、墨液が粘ると筆鋒が紙に粘着し、抵抗が大きくなって、運筆が滞り線がカスレやすくなる。「負喧野録」では「春膏箋」などが紹介されているが、優れた紙として紹介されている紙は、滲まず、表面が滑らかな紙である。この天津松竹齋監製紙も、基本的にそのような性質を目指した紙である。
以上のように考えて行くと、宋代の人々が良い書を書くために、どのような道具や材料を揃えていたか、おぼろげながらに見えてくる。
弾性のしっかりした筆、滲まず滑らかな紙、膠が多くかつ軽い墨、そして硯は.........
近年滲み易い紙、柔らかい筆が多勢を占めている。中国の書法の本にも「初学者は表面が滑らかな紙は避けよ」と書いてあるものがある。現在多くの人が手本と仰ぐ古代の法帖は、本当にそのような道具や材料で、書かれたものなのだろうか?また初学者には忠実な臨模を推奨しているが、まったく性質の異なった材料で同じ結果を求められたとき、運筆法もまた変化するものであろう。
天津の松竹齋は、民国ぐらいには存在した南紙店である。当時作られたこのような性質の紙は、現在はあまり見られないか、使用も限定されている。わずか100年経過しない間に、使われる用具の性質も大きく変化しているようだ。
試験的に販売しようと考えている煮硾宣であるが、販売時期を少し先に延期しているのは、その性質を充分に試験しきれていないからである。優秀な煮硾宣であるということだが、過去の材料と比較して、その性能を判断する必要がある。
ともかくも、かつてそのような道具や材料が作られたのには、必ず理由があるはずである。興味は尽きない。
斜視すると綺羅が多く塗布されていることがわかるので、雲母箋の一種かとも考えていた。今回、煮硾宣を試験的に購入し、使い比べたのだが、この天津松竹斎監製紙も同様な煮硾宣であるということは、ほぼ間違いないと思われる。
「天津松竹斎」だが、民国時代に天津に存在した南紙店で、出版なども手がけていたようだ。詳しいことはわからない。有名な北京の荣豊齋の前身も「松竹斎」といい、天津にも分店があったことがわかっている。が、こちらは清朝末期、光緒20年(1894)に名を荣豊齋に改め、民国時代には荣豊齋の分店が天津にあったというから、関連があるかどうかはわからない。
単宣なみに薄くかつまた丈夫な紙であり、表面は均(なら)したように滑らかである。紙を漉くときの簀(すのこ)の漉き目の凹凸がまったく無い。
当初は半熟半生の加工紙として、玉版宣を中心に蒐集していた。玉版宣は、発見できる古い紙の中では高価な部類に入る。無地の紙の中では一番高いという印象がある。見つかるときも、2枚、3枚という場合が多い。その点熟紙は束になって見つかり、一枚あたりの価格も玉版宣ほど高価ではないようだ。それで軽視していたわけではないが、玉版宣に集中していたため、熟紙のことは疎かになっていた。今回、煮硾宣を扱い始めたので、あらためて古い熟紙をひっぱりだし、比較材料とした。
もったいないので一番外側の焼けた紙の端っこを使い、テストを重ねた。
たっぷり目に水を使って描いても、ほとんど横広がりには滲まない。時間の経過とともに、わずかに紙に浸透するが、完全に裏側まで墨が浸透することはない。ゆっくりとした運筆が可能であると同時に、濃淡の変化がはっきりとでる。とくに淡い色調がどこまでも伸びるようである。
この紙の特徴は、試験的に仕入れた煮硾宣に酷似している。よってこの紙も、煮硾宣か類似した加工紙であると推測される。
一方、この紙は書に用いても良いものである。中国の紙はそもそも書の為に改良工夫されたもので、画はそれを転用してきた歴史がある。
苦手な小楷だが、滲まず、筆がとられないので、ゆっくりと沈着な運筆が可能である。ただし、墨はかなり濃い目に磨らないといけない。一般に、真新しい墨や、膠が重い墨だと墨が粘って筆が紙に取られやすくなり、書きにくいものである。だが、この煮硾宣は墨がゆっくりと紙に浸透するので、筆と紙の間に水分が保持され、筆の滑りが良い。また表面が滑らかに均されているので、抵抗を感じることが少ない。
滲まず、滑らかな紙といえば、ケント紙や上質紙などの西洋紙も同様な性質を持っている。しかし墨の発色が悪い。煮硾宣は、墨がわずかに紙に入り込んで定着し、美しい墨色が発揮されるのである。
「負喧野録」の「論筆墨硯」には『墨貴黒光,筆貴易熟而耐久,然二者毎交相為病。惟墨能用膠得宜,筆能択毫不苟,斯可兼尽其善。』とある。
『墨は黒く艶やかなものを貴び、筆は熟(な)れ易く、また久しく耐えるものを貴ぶ。しかしながらこの二つのものは、互いに関連して欠点ともなる。ただ墨は膠の用い方がよく、筆は毛の選び方がよくて大雑把でなければ、そのいいところをことごと兼ねるであろう。』とでも訳せようか。
ここの表現は非常に微妙で注意を要するところである。とくに「然二者毎交相為病」は矛盾する二つの性質について述べているが、なんのことなのか、正直なところ少し以前は意味がわからなかった。
一般的に墨は膠の量が多いほうが艶がいいものである。しかし膠の量が多いと、墨液は粘るものである。また筆は「熟れやすい」、つまり墨を含んで軟らかくなりやすいものがいいといっているが、自由な運筆には必要な性質である。かといって書いているうちに毛がコシを失ってしまうものは良くないというのである。毛は水分を吸収して弾性が失われる。であるから「耐久」でなくてはならないと言っている。
墨にしても、筆にしても、その良い性質というのは過剰であれば欠点にもつながるものであると言うことを述べているのだろう。それを避けるには、墨は膠の用い方が適当であり、筆は毛の選び方が良くなければならないとしているのである。
濃墨の艶を生かしたいときは、墨の濃度を高めるのは当然であるが、墨液の濃度が高いと粘性が高くなることは避けられない。それによって筆の復元力が衰え、自由な運筆が出来ないものである。その墨の粘性に負けない、精良な筆を使うことをここでは勧めているのである。
もうひとつ、墨液が粘ると筆鋒が紙に粘着し、抵抗が大きくなって、運筆が滞り線がカスレやすくなる。「負喧野録」では「春膏箋」などが紹介されているが、優れた紙として紹介されている紙は、滲まず、表面が滑らかな紙である。この天津松竹齋監製紙も、基本的にそのような性質を目指した紙である。
以上のように考えて行くと、宋代の人々が良い書を書くために、どのような道具や材料を揃えていたか、おぼろげながらに見えてくる。
弾性のしっかりした筆、滲まず滑らかな紙、膠が多くかつ軽い墨、そして硯は.........
近年滲み易い紙、柔らかい筆が多勢を占めている。中国の書法の本にも「初学者は表面が滑らかな紙は避けよ」と書いてあるものがある。現在多くの人が手本と仰ぐ古代の法帖は、本当にそのような道具や材料で、書かれたものなのだろうか?また初学者には忠実な臨模を推奨しているが、まったく性質の異なった材料で同じ結果を求められたとき、運筆法もまた変化するものであろう。
天津の松竹齋は、民国ぐらいには存在した南紙店である。当時作られたこのような性質の紙は、現在はあまり見られないか、使用も限定されている。わずか100年経過しない間に、使われる用具の性質も大きく変化しているようだ。
試験的に販売しようと考えている煮硾宣であるが、販売時期を少し先に延期しているのは、その性質を充分に試験しきれていないからである。優秀な煮硾宣であるということだが、過去の材料と比較して、その性能を判断する必要がある。
ともかくも、かつてそのような道具や材料が作られたのには、必ず理由があるはずである。興味は尽きない。
お店:http://www.sousokou.jp BlueSkye:鑑璞斎