倭豆と日本大豆

少しさかのぼって、今年の初夏の頃の話。
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五月に上海に滞在した時の事。この季節の江南の楽しみといえば、空豆(蚕豆:ソラマメ)である。上海豫園の近くの庶民の街、上海老街の市場には、山積みのそら豆を見ることができる。このそら豆、羅漢豆というような別称もあるのだが、最近上海の市場などでは「日本大豆」という名前で売られているのをよく目にする。
このそら豆、地中海が原産地だというが、中国への伝来は早く、「太平御覧」によれば漢の張騫が西域から持ち帰ったものであるという。さもありなん、三国時代には「胡豆」という名であらわれているそうな。「胡」の一時は「胡人」というように、広い意味では西域の物産に冠せられる一字であるから、やはり西方から伝来した豆なのだろう。今でも四川省では「胡豆」というそうだ。そういえば、そら豆は香り高い豆板醤には欠かせない材料である。

そら豆は、その太ったサヤがカイコを連想させるところから「蚕豆」とも書く。李時珍の「本草綱目」にも、すでにその名称が紹介されている。日本には中国から伝来しているので、この「蚕豆」の表記は今でも共通である。
しかしそのソラマメを、何故「日本大豆」というのだろうか........?屋台で”日本大豆”を売っている人に「なんで日本大豆というのか?」と聞いたらこれが「もともと日本から来た豆だからだよ。」という返事。それは明らかに認識違いである。
上海の朋友の父親は寧波出身なのであるが、話によれば寧波では古くから「倭豆」と呼んでいるそうである。「倭」は周知のとおり、やや差別的なニュアンスを含んだ、日本に対する異称でもある。何故寧波の人々が「蚕豆」を「倭豆」と呼んでいるのだろうか?
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明代後期、大陸の南方沿岸地域は倭寇が猖獗を極めていた。上海から少し南に下った地域に位置する寧波は、特にその被害を受けていたという。特に4月、5月、そら豆が熟する季節をねらって倭寇が襲来したという。これは海上の天候にもよるのだろう。すなわちそら豆が熟する時期には「倭寇に気を付けろ」という、警告の意味を込めて「倭豆」と呼ばれるようなった、ということだ。
それは北方における「天高く馬肥ゆる」秋に北方騎馬民族が襲来するから警戒せよ、という警句と同様であろうか。北では牧草を食べて馬が肥えるのが秋であり、騎兵の長距離移動が可能になる。農耕民族の秋の収穫時を狙って来襲するというわけだ。
またこの地方を荒らした倭寇達は、土地のそら豆の味が気に入って、好んで食べたともいう。そこで寧波の人はあるとき一計を案じ、そら豆を大量に集めたうえで毒を盛り、倭寇に大打撃を与えた、という話もあるそうな.........
 
ともかく、どうもこの「倭豆」がヒントになりそうである。おそらく「倭」が「日本」に転じて「日本大豆」になったのではないだろうか.......?と考えたのだが、そのような情報は見当たらない。上海の朋友に聞いても「え、日本大豆?聞いたことがありません。」という答え。確かに、小生自身の記憶に照らしても、市場で日本大豆と表記するようになったのは、最近の事ではないかと思うのである。
たしかに大陸の人は、細かい分類にあまり気を払わない気分もあって、たとえば大豆だろうがえんどう豆であろうが、そら豆であろうがピーナッツであろうが、すべて「豆」でくくって済ましてしまうような場面が多々ある。豆もいろいろなのだから「何豆ですか?」と聞きたくなるところだが、何豆かどうかなんて、そりゃあなたの目の前にあるんだから、聞くまでもないでしょう?というところである。なので「大豆?」といわれると、違和感を感じるような歴とした”そら豆”であっても、となりの店が「日本大豆」と書いて売っているのだから、うちの店もそうせねばな、というような至極ゆったりとした雰囲気で広まっていったのではないかと推測するわけである。
なのであながち、「日本大豆」における「日本」には悪い意味は込められてないのかもしれない。いつぞやと同様、「日本ナントカ」というだけで、不買運動でも起きかねまじき空気がそこにあるのだとしたら、そのような名称があえて広がらないだろうと思うのである.......しかしそう考えたところで「日本大豆」の名称の由来は今もって謎のままである。
さて、そら豆は買った。あとは紹興酒である。それも上海に多い紹興酒のブランド、「石庫門」のような琥珀色で味が軽いものではなく、このときの気分としては紹興の咸亨酒店の店先で飲めるような、醤油色をしたやや甘く濃厚なものが良い........これを甕からくみ出して量り売りにする店も、ちゃんと上海老街にはあるからありがたい。

酒を選んで計量してもらっている途中、向かいの飲食店から男がひとりやってきた。男は無言で飯茶碗大の器を突き出すや、酒屋の主は計量の手を少しとめて、その安物の白磁の器に濃褐色の酒を注いでゆく。男はお代も払わず器を手にまた向いの店に戻っていった。きっと老街の住人なのだろう。食事時に紹興酒を飲む人は、上海の人でもあまり多くはないから、あるいは紹興か寧波出身の人だったのかもしれない。良い光景である。いっそここで飲んで帰ろうか、とも考えたが.......手に下げたそら豆を茹でなければならない。紹興酒とそら豆をぶら下げながら、上海老街を後にした。
 
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