黛玉と李商隱

紅樓夢の「第三十八回」に、黛玉が李商隱の詩に言及する箇所がある。

秋になり大観園中の池の蓮(ハス)が枯れ、使用人たちはこれをみな引き抜いてしまっていた。この情景を見た黛玉が「我最不喜歡李義山的詩、只喜他這一句‘留得殘荷聽雨聲’,偏你們又不留著殘荷了」と言っている。つまり「私は李義山(李商隱)の詩が一番嫌いなのですが、ただ彼の”残荷を留めて雨聲を聴く”という一句は好きですわ。それなのにあなた方ときたら、枯れたハスをまったく残していないとは。」と言っているのである。

これは李義山こと李商隱の「宿駱氏亭寄懐崔雍崔袞」における

秋陰不散霜飛晩
留得枯荷聽雨聲

という詩の句である。すなわち枯れたハスの葉に雨がおちて、おそらくはポタポタと乾いた音を立てているのを聴く、という侘しい情景である。

黛玉はここで「李義山の詩は最も好みませんけど」と、わざわざ断った上でその詩に触れている。しかし、黛玉の言葉を言葉通りに受け取ってしまうと、紅樓夢に登場する彼女の詩歌や、紅樓夢の世界観を理解しにくくなるかもしれない。黛玉と李商隱、さらには紅樓夢と李商隱との関係については、大陸に多くの研究がある。全部に目を通したわけではないものの、別段ここで述べるのは目新しい見解でも何でもない。今の日本では唐詩は流行らないし、まして李商隱の詩は教科書にも出てこない。加えて紅樓夢を読む人が多くないという事を踏まえて、簡単に触れておこうかという次第。
 

晩唐における詩の大家、李商隱についてはここでくだくだしく述べるまでもないだろう。また物語中の黛玉の詩歌を詠めば、李商隱への深い傾倒がうかがえるのである。さらに紅樓夢の情景演出においても、李商隱の詩に頻出するさまざまなモチーフが繰り返し現れる。おそらくは黛玉だけではなく、紅樓夢の作者自身も李商隱を愛誦していたのではないだろうか。

そもそも紅樓夢の「紅樓」は、李商隱の「春雨」にある、「紅樓隔雨相望冷(紅樓、雨を隔てて相い望めば冷ややかなり)」から採られているといわれる。
「紅樓」は朱塗りの建物の事であるが、厳しい身分制度の時代、建物を朱塗りにできたのは寺院や官舎でなければ上流階級に限られている。なので「紅樓」はもともと「紅樓夢」の舞台である、大邸宅を表す語なのである。李商隱に限らず、さまざまな詩詞に使われるが、李商隱の「春雨」の一句に使われている「紅樓」こそが、「紅樓夢」の主題に沿った「紅樓」と言われている。付け加えれば「夢」というのも李商隱の詩に頻出する。夢にもいろいろあるだろうが、唐詩の世界で「夢」といえば、屈原の弟子の宋玉の「高唐賦」において楚の懐王が巫山の仙女との逢瀬を夢に見た、とうたって以来、多く男女の逢瀬を暗示するのである。
 

大観園の少年少女の詩人達の中で、いうなれば黛玉の作風は李商隱そのものである、といえば言い過ぎだろうか。紅樓夢をより深く読み味わおうと思えば、李商隱について理解を深めることは無駄ではないように思われる。
しかし李商隱の詩と紅樓夢中の黛玉の詩を比較して、その共通点を探る、というのはいささか専門的に過ぎるので、その道の人に任せよう。たとえば黛玉の「秋窗風雨夕」などの詩詞に現れる「黄昏」「夢」「涙」「蝋燭」「水時計」「雨」「風」といったモチーフは、李商隱も好んで繰り返し用いているところである、と言うにとどめたい。
 

それとは別に、第四十二回のエピソードには、黛玉の作詩感覚が現れている。第四十回における詩の競作の際に、黛玉が元代の戯曲集「西廂記」と、明代の戯曲「牡丹亭」の中の語彙をうっかり詩中に使ってしまう。これを宝釵にたしなめられる場面がある。黛玉は第二十三回で宝玉と「西廂記」を読んで、すっかりハマってしまっていたのである。
ちなみに「西廂」の「廂」は部屋のことで、すなわち女性の部屋を暗示する。女性の部屋は西の方角にあったからなのであるが、同じ意味で「西窗(まど)」も女性の部屋を暗示する。「西廂記」は今風に言えば自由恋愛をうたった戯曲なのであり、牡丹亭もまた然りである。当然のことながら、封建社会においてはキチンとしたオウチの子女が読むべきものではないとされた。
物語中で宝玉が「四書五経以外は本じゃない!」との叫んだように、科挙の必修科目である四書五経ないしその注釈、解説書、あるいは史書以外は、正当な知識人の教養の範囲外なのである。もっとも、宝玉がそう叫んだのは「四書五経なんて焼き捨ててしまいたい。」という、逆の心情の表れなのであるが。宝玉に限らず、また当時の知識人にしても、芝居や戯曲には熱中していたに違いない。黛玉の詩に”ピン”ときた宝釵も実は読んでいる、ということでもある。........日本でも明治の昔、「小説なんか読んでいたら不良になる」と言われた時代があった。私小説などは、隠れて読むものだったのである。漱石などは、子供の目に触れるところには置いておけなかった..........歴とした家の子女が、戯曲など読みふけるものではないとされていたのである。そういうわけで、自分の詩にそうした本の語彙を使うというのは、宝釵にしてみれば、黛玉の女性としての評価に傷がつく事も心配したものかもしれない。またそういう文学から詩句を引用するなどは、もっての外、というわけだ。
 

こうした事は紅樓夢の物語世界に限った話ではなく、作詩論においても、古典からの引用、すなわち典故についてはやかましく言う向きがある。いわゆる”正統的”な唐詩の作詩論においては、たとえば故事をモチーフにする場合でも、史記や漢書など、古代から評価の定まった詩賦や書籍に現れるような事柄に限るべき、という考え方があった。つまり、出典が定かではないような伝承や説話集の類、あるいは戯曲の創作的な場面を典故とするのは慎むべき、ということになる........
 

話はそれるが、日本におけるいわゆる”漢詩”の作詩論は、ほとんどそういった”正統的”な作詩論の範疇を、伝統的に出ていないようなところがある。極端に言えば、典故どころか、古代の詩でよく使われている詩句のみを使って詩を作るべし、というような主張も見受けられる。なので日本における漢詩の作詩法というと、季節ごとの詩語をパズルのように組み合わせて、それでも押韻平仄だけは合うように並べるだけ、というような事が解説されている本が、実のところ昔から多いものである。もちろんそれは、いわゆる”漢語”を母語としていない人が、”漢語”そのものをマスターしないままに”漢詩”の体裁をした作詩を行えるようになるための、ひとつの方法ではあっただろう。しかし、それでは作詩そのものが面白いはずがない。かつて盛んだった漢詩の作詩が、俳句や和歌ほどに現代では行われていないのは、ひとつは型にはまりすぎた作詩法にあるのではないかというのが、最近考えていることである。
また昔から知られた典拠、典故を用いるべし、というこの論も、少々の問題は指摘できる。たとえば先に述べた宋玉の賦にうたわれている、楚の懐王の夢の中での神女との邂逅にしたところで、おおもとは伝承伝説の類には違いないからである。宋玉が楚の地方伝承や民謡をモチーフとしたかもしれないといっても、宋玉の「高唐賦」がそれをもって貶められることはない。さらにいえば、杜牧や蘇軾がうたうところの「赤壁の戦い」などの三国志世界は、ほとんど「演義」すなわち史実が戯曲化された世界を典故としている........古典化していたらそれでいい、という事なのかもしれないが、線引きはむろん厳密なものにはなりえない。あやふやな典拠、典故から引けば引くほど「格調」が損なわれるといったような価値観があったのであろう。
 

それはさておき話を戻せば、黛玉が戯曲であっても妙句であれば作詩に取り込んだように、晩唐において、典故・典拠に関する”約束”をほとんど無視して作詩に耽ったのが李商隱なのである。李商隱の作詩においては、典拠・典故の確からしさに関するところはかなり自由なのである。晩唐の当時流行していたかもしれないが、現在はまったく喪われたような小説類にも典故を求めている形跡が多々ある。これは出典を調べる後世の研究者を悩ませることになるのであるが、それが李商隱を晩唐、いや唐代の詩人の中でも際立った存在にしているともいえるだろう。

いわゆる”名の通った”書籍や作品に「典故を求めよ」というのは、あくまで同時代人から見て”昔”の、という、いわば時間軸上の話になる。しかしそれを時代時代で厳格に守りすぎると、詩詞の世界に広がりも生まれないことになる。やはりどこかで李商隱のような、わりと近い時代の説話や伝承の類に典故を求めるような詩人が現れることも必要といえるだろう。李商隱の時代には手に取ることができた書籍の多くも、後に亡失してしまって今に伝わっていないことが、李商隱の詩を一層難解にしているにしても、である。李商隱からすれば、後世の人が理解できるかどうか?という事は、あまり念頭におかず、純粋に詩的表現を追求したのかもしれない。その点、明快さをもとめた白居易などとは対照的である。
 

黛玉は「西廂記」や「牡丹亭」に典故を求めたわけではないが、戯曲であっても良い語句であれば取り込む事を躊躇しないところなど、やはりどこか李商隱を思わせるところがある。詩のモチーフばかりではなく、作風からみても、黛玉は李商隱的、と考えたくなるのである。また李商隱がそうであるように、文学性という意味においては宝釵等の価値観よりも、際立って現代的である。

さて、ハスがすっかり抜かれてしまった池に落胆した黛玉である。自分が好きな詩の情景に出会うのは、詩を愛好する者にとって大きな楽しみなのである。それを奪われた黛玉に「李義山は一番嫌い」と言わせているのは、やはり黛玉の李商隱の傾倒ぶりを表す場面である、とはいえるだろう。
 

落款印01


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