「天硯」 〜(明)張岱「陶庵夢憶」より

だいぶん、ご無沙汰しておりました。実は祝允明の書いた唐寅の墓誌銘、「唐子畏墓誌並銘」を解釈の際、難読の箇所があって少し時間がかかっているところ。そこで先に別の一文をご高覧に呈します。


明末清初の張岱に「陶庵夢憶」という、随筆集がある。日本でも抜粋したものが松枝茂夫の訳で岩波文庫から出ている。
張岱は紹興の名門一族に生まれた。前半生は富貴の中にあって、若いころから放蕩三昧、芝居から歌舞音曲に惑溺し、詩書画骨董通じぬものとてなく、茶を好んで名水と茶葉の産地を能く飲み分けたという。しかし明朝が滅亡に向かう後半生にあっては、戦費と兵乱で資産をすっかり失い、山中に乱を避けて飢餓に苦しみながら著述に勤しみつつ、明の遺民として生涯を終えた。

紹興というのは、現在の浙江省にあってはすっかり地方都市の地位に甘んじてしまっているが、文化水準の高い相当に繁華な都会であった。張岱の張家はその紹興屈指の名門貴族で、張岱の曽祖父の張元忭は徐渭の良き庇護者としても知られる。妻を殺害して投獄された徐渭を、奔走して赦免させたのも張元忭であった。張岱も若いころから徐渭の詩文に傾倒したと述べている。
張家は書画骨董の大収蔵家でもある。手元の法帖集でもふとみると、趙子昴の「道徳経」に張元忭の蔵識が款せられている。古書画の名品の蔵印に、張元忭の名はまま見られるものである。

張岱の後半生は自ら述べるように、兵乱を避けて山中にこもり、老身でわずかな土地を耕作しながら飢えをしのぐ凄惨な生活であった。しかし伯夷叔斉にも比すべき晩年を送った張岱を支えたのは、著述であった。張岱が生涯をかけた明代の通史「石匱書」は、清朝に編纂された「明史」も多くを参照している。
その一方で、昔の栄華の日々の思い出話を徒然に綴ったのが「陶庵夢憶」である。老齢を迎え悲惨な生活のうちにあるのは、若いころに富貴の身でろくなことをしてこなかったからと、その韜晦のきいた諧謔味のある文章には、読むべき味わいがある。やはり万巻の読書によって積み上げた、深い教養に裏打ちされた精神の強さだろうか。ただ過去の栄華と追憶に浸るだけの老人ではなかった、ということなのである。

この「陶庵夢憶」のうちの一編、「天硯」の意訳を試みた。登場人物が張岱以外に二人出てくる。燕客こと張燕客は張岱の従弟で、一生こと秦一生は張岱の友人である。しかし「天硯」の文中、燕客は一生の甥、とあるから遠近の親戚関係にあるのだろう。燕客は張岱が別に伝を立てて述べるに、母親に甘やかされて育った挙句、粗暴で権勢をかさに横暴を極めたろくでもない人物であるが、最後は明朝に殉じている、とある。秦一生についてもまた伝を立てているが、あらゆる遊びを張岱と共にした仲間である。


「天硯」


少年視硯、不得硯醜。徽州汪硯伯至、以古款廢硯、立得重價、越中藏石俱盡。閱硯多、硯理出。曾托友人秦一生為余覓石、遍城中無有。

少年(しょうねん)硯を視るに、硯醜を得ず。徽州(きしゅう)汪硯伯(おうけんはく)至り、古款を以て硯を廢(はい)し、立(たちま)ち重價(じゅうか)を得る、越(えつ)中藏石俱(ことごと)く盡(つき)る。閱硯多かれば、硯理(けんり)出ず。曾(かつ)て友人秦一生に托して余が為に石を覓(もと)むるに、城中遍(あまねく)く有る無し。

若いころに硯をみても、硯の良し悪しはわからなかった。徽州の作硯家の汪硯伯が紹興に来て、古い落款銘を入れて硯を荒らし、たちどころに大金を手に入れ、紹興でめぼしい硯石の収蔵はことごとく尽きてしまった。
(歳を経て)硯を多く見てきたので、硯を視る目がついてきた。かつて友人の秦一生に依頼して私の為に硯を探させたが、紹興の城内をあまねく探しても(私が見るべきほどの)硯石はないという有様であった。

山陰獄中大盜出一石、璞耳、索銀二斤。余適往武林、一生造次不能辨、持示燕客。燕客指石中白眼曰:“黃牙臭口、堪留支桌。”賺一生還盜。燕客夜以三十金攫去。

山陰(さんいん)獄中の大盜(だいとう)一石を出す、璞(あらたま)耳(の)み、銀二斤を索(もと)む。余(よ)適(たまた)ま武林に往き、一生(いっせい)造次(ぞうじ)辨(べん)ずる能わず、持して燕客に示す。燕客(えんきゃく)石中の白眼(はくがん)を指し曰く“黃牙臭口、桌を支え留めるに堪えん。”一生を賺(すか)して盜(とう)に還(かえ)す。燕客夜に三十金を以て攫(さら)い去る。

紹興の獄中の大泥棒が、一つの硯石を出してきたが、まったく玉の原石のような硯石で、銀二斤を要求してきた。私はたまたま武林(杭州)に行って留守であり、秦一生はすぐには鑑別出来なかったので、持っていって張燕客に見せた。燕客は石の中に瞳の無い白眼があるのを指して「これは”黄牙臭口(歯が黄色く口が臭い)”というべきもので、テーブルの脚を支えるのに使えるくらいのもんだ。」と、一生を説いて盗人に還(かえ)させた。(ところが)燕客は夜に金三十両をもって(盗人の手からその石を)さらいとってしまったのである。

命硯伯制一天硯、上五小星一大星、譜曰“五星拱月”。燕客恐一生見、鏟去大小二星、止留三小星。一生知之、大懊恨、向余言。余笑曰:“猶子比兒。”亟往索看。

硯伯に命じ一天硯を制せしむ、上に五小星一大星、譜に曰く“五星拱月(ごせいきょうげつ)”。燕客(えんきゃく)一生(いっせい)の見るを恐れ、大小二星を鏟(けず)り去り、三小星を留め止む。一生之を知り、大いに懊恨(おうへん)し、余に向かいて言う。余笑って曰く“猶子(ゆうし:甥)兒に比す。”亟(すみや)かに往きて看るを索(もと)める。

(そして燕客は)汪硯伯に命じて、一つの天然硯を作らせた。上に五つの小さな星に大きな星がひとつあり、硯譜に曰く「五星拱月」。燕客は一生が見て露見するのを恐れ、大小の二つの星を削りとってしまい、三つの小さな星だけを残した。一生はこの(燕客が自分を騙して出し抜いた)ことを知って、大いに恨み後悔し、私に向かって言ってきた。私は笑って言うに「甥っ子は我が子のようなもの(というじゃないか)。」
そしてすぐに(燕客のもとへ)行って硯を見せるように求めた。

燕客捧出、赤比馬肝、酥潤如玉、背隱白絲類瑪瑙、指螺細篆、面三星墳起如弩眼、著墨無聲而墨沈煙起、一生癡瘛、口張而不能翕。燕客屬余銘、

女媧煉天、不分玉石
鰲血蘆灰、烹霞鑄日
星河混擾、參毀ф

燕客捧げ出ず、赤きこと馬肝に比し、酥潤(すじゅん)玉の如く、背に白絲の瑪瑙指螺(しら)細篆(さいてん)に類(に)たるを隠し、面に三星墳起(ふんき)し弩眼(どがん)の如く、著墨(ちゃくぼく)無聲(むせい)而して墨沈み煙起つ、一生癡瘛(ぎきつ)し、口張り而(しこう)して翕(わ)する能わず。燕客余に銘を屬す、銘に曰く

女媧(じょか)煉天(れんてん)、玉石を分けず
鰲血(ごうけつ)蘆灰(ろばい)、霞を烹(に)、日を鑄(い)る
星河(せいが)混擾(こんゆう)し、參(しん)箕(き)翕(ごう)して横たわる。

燕客は硯を奉げて出してきたが、その赤いことは馬の肝(きも)のようで、滋潤(じじゅん)なること玉の如く、硯背に瑪瑙か指紋か小篆の模様のような細かい白線を隠し、面には三星が墳墓のように盛り上がりまた怒った眼のようである。墨を磨れば音もせず、墨がなめらかに沈み込むそばから烟立つように墨水が広がる様である。秦一生はたいそう悔しがり、口をあけたまま、仲直りをしようとしなかった。

燕客は私に銘を依頼したが、その銘に曰く

女媧が天を補修した時、玉と石ころを区別しなかった。
女媧が洪水をせき止めるために使った蘆(あし)の灰に大海亀の血を注ぎ、霞を煮て、太陽を鋳造した。
天の川が混濁して、參(しん)や箕(き)といった星座が合わさって天に横たわった。
(そのような硯である)


(補足)

「天硯」というのは、いゆる天然の石の形をした、今で言う「天然硯」というものであろう。馬肝に喩え、眼の出ている事から普通に考えれば端溪石であるが、「赤い」と述べている点で、存外福州石の佳品かもしれない。「怒眼」というように、眼が出た場合、その部分だけを盛り上げて残すような作硯手法がある。
「山陰」とは今の紹興のことで、「越」といえば、紹興・杭州を中心として長江以南の今の浙江省くらいの地域である。
獄中の盗人から硯石を買うところが面白いが、獄中の罪人が私物を所持しているのも奇異な印象であるが、張家の権勢のなせる業か。盗人はその金で保釈を買ったかもしれない。

ちなみに岩波文庫の「陶庵夢憶」の序文では、周作人が若いころに投獄されていた祖父の元で「陶庵夢憶」を読んだ、という話を紹介している。獄中の祖父の元で孫が読書するというのもおかしな話のようだが、投獄といっても、軟禁のような恰好だったのかもしれない。周作人の祖父は科挙の不正事件に連座している。今でもそうだが、政治犯の監獄というのは、一般の監獄とは違った待遇もあったのだろう。なので獄中の盗賊が私物を所持している、という事もありえたのかもしれない。

しかし燕客は一生に自分が横取りした事が露見する事を恐れて、なんと眼を削り取ってしまったというが、所有欲を満たすためにひどい事をするものである。もっとも、そのかいもなく露見してしまっているのだが。
こういった僻(へき)の強い困った人物というのは、ままいたようだ。「浮生六記」にも、蘭の株分けを断ったところ、ひそかに熱湯をかけてその蘭を枯らせてしまうような人物が出てくる。その類であろうが、執着が強すぎるとかえってそのものを損なってしまうという事だろう。
文中、徽州の汪硯伯という作硯家が出てくる。往時も徽州からは新安江と銭塘江が運河で結ばれ、水路伝いに杭州や紹興とは連絡が盛んな地域であった。歙州硯の産地の徽州には今でも作硯家が多い。そのうちの優れたひとりなのだろう。
「古款を以て硯を廃(あら)し」は、今でもよくあることなのだが、さほどでもない硯にそれらしい銘文を入れて、古硯と偽って高値で売る、という事なのであろう。
燕客が「白眼」を指して欠点をあげつらうところがあるが、眼は一般に瞳の無いものは下等とされる。あるいはこの硯の眼がすべて「白眼」であったとすれば、やはり端溪ではなかったのかもしれない。白眼は端溪も出るが、まとまって出るのは稀である。しかし汪硯伯はそれを月と星と見立てて、「五星拱月」にうまく仕立てたのであろう。
この燕客の手口も現代でも良くみられる。たとえばオークション会社などが依頼する文物の鑑定家が、本物が出たら「偽物だ」と言って出品を取り下げさせ、自分が裏で手を回してモノにしてしまう、というようなやり口である。
燕客の「黃牙臭口」の牙は歯の事でそのまま訳せば「歯が(よごれて)黄色く、口が臭い」であるが、要はとるに足らない下等なものだ、という悪口であろう。

現在の大陸の玩物喪志連にも通じるようなお話であるが、外見や作硯はともかく、最後は墨を磨ってその優れたところを述べている。このあたりは、やはり王朝時代の知識人達である。墨を磨ることも硯の鑑賞のうちなのである。外見がすべての価値であれば、燕客もあえて星を削り取るようなことはしなかったであろう。張家ともなれば、磨った墨も明代嘉靖萬暦あたりの佳墨に違いなく、まったくもってうらやましい時代である。ちなみに端溪のまがい物が多い福州石でも、佳品となるとなかなかの鋒鋩をもつものがある。

張岱の銘では女媧の「煉石補天」をモチーフにしているが、「煉石補天」の際にこぼれおちた石である云々というのは、硯の佳品や玉石の比喩によく使われる。紅樓夢の宝玉が持つ石も「煉石補天」の落ちこぼれである。
また女媧は鰲という、大海亀の足切った血で蘆(あし)の灰を固めて洪水を防いだ、という伝説もある。つまり赤味を帯びたこの硯石をこれに喩えているのだろう。そして硯背の刷糸紋(さっしもん)のような石品を天の川にみたて、眼を參(しん)や箕(き)といった、星座に喩えているわけである。參(しん)はオリオン座の連星を指すこともあり、また箕(き)も四つくらいの少ない星で構成される星座である。これも硯の、もとは五つあり後に三つになった星の数と呼応している。

しかし考えなければならないのは、硯に対する態度である。燕客は、もとは「璞(あらたま)」つまりは原石のような硯材を大枚をはたいて購入し、著名な作硯家に依頼して硯に仕立て、最後に銘を施している。省みるに昨今、大陸で硯をもとめる者といえば、まず銘の有無や来歴を見、硯材の良否は見ない。王朝時代の知識人と今の大陸の好事家の硯識の隔たりの大きさとは、かくのごとくなのである。
落款印01


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