朱自清「冬天」の湯豆腐

揚州の治春茶社の近くでは、骨董や玉石や水石、盆栽や観賞魚の市が開かれている。鳥かごを売る老人、古銭を売る初老の男.......実にいろいろな商品が集まってくるのであるが、こういった市で扱われる玉石や骨董の類に良い物はない。ふとみると、路傍で淡水真珠を売る男が真珠貝を地面に並べている。
揚州
とある古本屋の屋台で「朱自清散文全編」(浙江文芸出版社)が目に留まった。何気なく手に取って開いていると、眼鏡をかけた、意外に若い店主が顔をあげて「10元でいいよ。」と言う。かなりの厚さで、少し荷物になるが買う事にした。店主は気のせいか嬉しそうに本を紙に包んで、名刺も渡してくれたのである。10元ほどの売り上げがどうということではなく、外国人が揚州が誇る朱自清先生の本を手に取ったからであろうか。もとは23元の古書が10元で高いか安いか、という事もあるが、5元やそこらではいくらんでも朱自清先生に失礼、ということかもしれない。ともあれ揚州人には本好きが多いようで好ましい。
鎮江から上海へ帰る高速鉄道の車内で、ふとこの「散文全集」をめくってみる。なかに「新華書局 顧高」という蔵書印があり、文中に時折書き込みも見られる。パラパラと目を通していると、「冬天」という文の冒頭、「豆腐」の文字がある。

说起冬天、忽然想到豆腐。是“小洋锅”(铝锅)白煮豆腐,热腾腾的。水滚着,象好些鱼眼睛,一小块一小块豆腐养在里面,嫩而滑,仿佛反穿的白狐大衣。
锅在“洋炉子”,(煤油不打气炉)上,和炉子都熏得乌乌遏け显出豆腐的白。这是晚上,屋子老了,虽点着“洋灯”,也还是阴暗。围着桌子坐的是父亲跟我们哥儿三个。
“洋炉子”太高了,父亲得常常站起来,微微地仰着脸,觑着眼睛,从氤氲的热气里伸进筷子,夹起豆腐,一一地放在我们的酱油碟里。
我们有时也自己动手,但炉子实在太高了,总还是坐享其成的多。这并不是吃饭只是玩儿。父亲说晚上冷,吃了大家暖和些。我们都喜欢这种白水豆腐、一上桌就眼巴巴望着那锅,等着那热气,等着热气里从父亲筷子上掉下来的豆腐。


(以下略)

 
(大意)
冬の日といえば、忽然と豆腐のことを思い起いだす。それは小さな西洋鍋(アルミ鍋)で湯で煮ただけの豆腐で、ふつふつと熱い。あぶくがちょっと魚の目玉のように煮えたぎっているところに、ひとつひとつ小さくきった豆腐があつらえてあり、それは柔らかくなめらかで、まるで白狐のオーバーを裏返しに羽織ったようである。鍋は”西洋コンロ(空気を送り込まなくていいコンロ)”の上にあり、コンロはすっかりまっくろにいぶされていて、それが豆腐の白さを際立たせているのであった。
そのような晩、家はふるびていたから、西洋ランプをつけてはいるが、それでも陰ったように暗かった。円卓を囲んで座っているのは父親と我々兄弟三人である。西洋コンロは(位置が)高すぎたので、父親はときどき立ち上がり、すこし顔をあげて目を細めながら、たちこめた湯気の中に箸をいれ、豆腐を挟むとひとつひとつ、我々の醤油を入れた小皿にいれてくれた。我々もときには自分で手を動かすことがあるが、じっさいにコンロはとても高いところにあったので、いつもこのようにして座ったまま、出来上がったものをもらうほうが多かった。これは食事というようなものではなく、まったくの遊びなのである。父親は寒い夜だから、これを食べてみんなで暖まろう、と言うのであった。我々はみなこのような”白水豆腐”が大好きで、テーブルにつきながら鍋をみつめて、熱気の中で父の箸から落とされる豆腐をまちわびているのだった。
揚州
「白煮豆腐」とあるが........これはどう考えても、日本の湯豆腐の事ではないだろうか。現代中国では知る限り、豆腐を湯で煮て、生醤油につけてたべるような料理が無い。かつて豆腐が大陸から日本に伝来したことを考えると不思議であるが、すくなくとも現代中国の人は湯豆腐は日本の料理だと思っているのである。”火鍋”の具材として豆腐は用いられるが、あくまでスープの中で具材として煮られるのである。もっとも一般的な食べ方は、肉や野菜と共に炒めた”家常豆腐”である。朱自清先生の小さな頃、民国時代もこの”湯豆腐”のような料理が庶民の家庭で一般的に行われていたかどうか。


朱自清先生にしても、そもそもこういった豆腐の食べ方が、当時の中国でもありふれたものではないからこそ印象に残り、文章にしたのであろう。西洋鍋や西洋コンロを持ち出しているところからも、やはり少し特別な行事であった事が伺える。別の機会には、朱家でも”火鍋”をやることはあったのだろうし、そうした場合に椅子から立ち上がらないと鍋の内側に箸が届かないような、背の高い西洋コンロを卓上に置いたとは考えにくい。通常の火鍋であれば、練炭を燃やす七輪と、”砂鍋”、すなわち土鍋を使ったのではないだろうか。こうした道具は今でも庶民の家庭や飲食店よく見られるものである。しかしちょっとしたおやつがわりの料理に、七輪の火を起こすのは大袈裟であるから、察するにサッと点火して火が起こせる、西洋式の卓上コンロを使ったのかもしれない。
 
この文を読んでふと、揚州の朱自清故居に展示されていた朱自清先生のノートに、明らかに日本語で記述されていた箇所が認められることを思い出した。朱自清先生は英国へ留学しているが、日本へ留学した経験はない。しかしどこかで日本語や日本の文化に触れる機会があったのかもしれない。
かつて東西交通の大動脈である揚子江、それに南北をつらぬく大運河が交わる、大陸の水上交通と物流の大要衝であった揚州も、清末に上海や広東が開港して以来、徐々に経済的な地位が後退して行った。それでも揚州には相当量の海外の文化文物が入ってきた形跡があり、古都でありながら、どことなく”ハイカラ”な雰囲気も感ぜられるところがある。
揚州
「冬天」に出てくるアルミの西洋鍋であるが、大陸でアルミニウムの精錬工場が建設されるのは、1950年代を待たなければならない。朱自清先生の家にあったこのアルミの西洋鍋は、文字通りの輸入品であろう。西洋鍋や西式コンロが出てくるあたり、やはりかつては読書人家庭としてそれなりの経済力があったことを伺わせる。


朱自清先生が揚州で過ごした幼いころ、父親が一時失職し、母親は病身で家計は困窮していた。部屋が暗い、というのも照明の節約のためであろう。父親としては、寒い冬の夜に廉価な豆腐をつかった、子供たちのためのちょっとしたレクレーションだったのだろう。
落款印01


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