武漢の花楼街

武漢に池莉という作家がいる。「生活秀」という作品が、邦題「ションヤンの酒家(みせ)」として映画化され、日本でも「生活秀」や「不談愛情」などの代表作を含む作品集の翻訳が出ているのでご存知の方も多いかもしれない。武漢を舞台に、庶民感情、とくに女性目線で代弁している作品が多い。武漢の庶民生活の細部に筆が及び、生彩富んだ描写に関心をひかれる。もっとも「生活秀」や「不談愛情」などは、70年代の終わりから80年代初頭に書かれた作品であり、現在の武漢の様子にそのまま当てはめられるものではない。
 

「不談愛情」では、主人公の若い女性は武漢の下町、「花楼街」の出身である。それがインテリ階級出身の若い医者と出会い、結婚にいたる事で起こる「家同士の付き合い」をめぐる騒動が描かれている。旧い階級社会を打倒する事で成立したはずの新中国、あるいは知識人階級を徹底弾圧した70年代を経てなお、結局のところは”階級意識”というものが根強く残っている事を感じさせるお話なのであるが、暗い結末ではない。
 
武漢の花楼街
それはそうと「花楼街」であるが、その知識人階級の若い医者の家庭から見ると、ずいぶんと見下された地域なのである。「花楼街」はその名からうかがえるように、戦前は駐在する外国人を主な顧客とした妓楼が立ち並んでいた、漢口中心部の歓楽街であった。その地域も新中国成立後は住宅として開放され、庶民が移り住んだのであるが、どうもあまり良い印象が持たれる地域ではなかったようだ。とはいえ、治安の悪いスラム街といった意味ではなく、そこには料理屋、仕立て屋から茶葉屋から、生活に必要な店が一通りそろった、歴とした生活区なのである。
 
そうではあるが、武漢という古い街の”階級社会”の中では、底辺近くに位置していたのであろう。主人公の女性はこの「花楼街」の家庭の出身である事をひどく恥じているのである。そしていつか「花楼街」から抜け出して生活する事を、固く決心し、結婚によってそれを実現するのである。また夫となる若い医者は、出身地を理由に結婚を取りやめるような事はないのであるが、それでも知った時には軽いショックを受け、また彼の家族は猛反対することになる......
武漢の花楼街
武漢の花楼街
家同士のつり合い、みたいな話は現代の日本ではもはや寡聞かもしれないが、無いこともないだろう。差別感情ないしは階級意識というのはやっかいなもので、子供のころから意識する必要もなく大きくなれればいいのであるが、たいていは周りの大人がそういった意識を植え付けるのである。さらにいえば、そのような意識から自由になれるほどの人生経験、あるいは人文の教養を積める人間というのは稀、という事なのかもしれない。
現代中国はというと、この階級意識というものが、やはりまだまだ根強く残っている、という印象がある。ここ十年の経済成長を経て、総じて豊かになったはずの社会にあっても、かえってこの意識が強化されているような気配すら感じるものである。階級という縦のベクトルと、地域という横のベクトルが交錯しながら、立体的な差別感情が形作られている、と理解される。それが今のところ深刻に見えないのは、まだ多少の流動性が残されているからなのかもしれない。

池莉の小説に描かれるところの女性達の理想は、具体的な生活像の中にあるのであって、思想や理念の中などにはない。換言すれば”自由”とは欲しい物を自由に買えることであり、”平等”とは他人が買っている不動産を自分も買える、ということである。その意味では、池莉の作品は、たしかに現代中国の庶民感情の公約数のある部分を代弁している、と言えるかもしれない。あるいは庶民に限らず、”近代化”とは近代建築を山ほど建てることだ、と思い込んでいるに違いない、本来知識人であるはずのこの国の官僚群とも、もしかすると大差ないのかもしれない。

なにがなんでも唯物論的、なのである。


別段その事を皮肉っているわけではなく、肯定的に書いているのが池莉の作品なのであるが。無論、人は理想や思想に対するよりもはるかに多く、現実生活の中で挫折を味わうものなのだろう。池莉の作品は観念としての”理想”に対しては、一貫してシニカルな姿勢をとりながら”触って、口にできる現実”に対しては、やや甘い夢を見る事が許容されている。その挫折に対する対処法もセットになっている。別の言い方をすれば、池莉作品の主人公達(多く女性は)、阿Q以来の”精神的勝利法”の現代風アレンジに長けているだけなのであるが、そのことへの問題意識は池莉には希薄なようだ。ゆえに池莉は作家として今や(政治的にも)武漢の文壇の重鎮なのも、わからなくもない。このあたりの態度が受け入れられるかどうかで、池莉文学への好みが分かれるのではないかと思う。

武漢の花楼街
武漢の花楼街
その花楼街である。江漢路という、上海の南京路を少し細くしたような通りから、少し離れた路地に位置している。その雰囲気としては、やはり上海豫園の近くの、城皇廟付近の上海老街と似た格好である。建築当時はモダンであったであろう、西洋風の古い建物に改修を重ね、人々が住み続けているような街である。上海と雰囲気が似通っているというのは、やはり早くから各国の疎開地が建設され、西洋文化の影響を受けてきた、という経緯を感じさせる。長江というのは、河川というよりも、あるいは非常に長く深い港湾、という見方も出来るのではないだろうか。いうなれば武漢もはるか内陸とはいえ、長江を経由して海外に面した港湾都市なのである。
武漢の花楼街
この花楼街のような街は、武漢特有の下町、という事でもなく、大陸の古い都市にはどこでも、一か所くらいは残っているような通りである。市街の中心部にあって、場所の価値は高いと思うのであるが、不思議と再開発などが起こらないのである。こうした下町は土地建物の権利関係が複雑過ぎる上に、古い住民はしたたかで補償の交渉もままならない。なので市の政府も手が出せない、というような事を聞いたことがある。
武漢の花楼街
武漢の花楼街
時刻は夜の10時に近かったが、飲食店、惣菜や果物を売る店、あるいは雑貨を売る店などはほとんど開いている。武漢も、中心市街の夜は遅いのだろう。路地にクツや生活雑貨などを並べて売る露店などもあり、狭い通りがさらに細くなっている。
池莉の別の作品、映画化された「生活秀」に出てくる吉慶街ものぞいてみたかったのであるが、あいにく体調を崩していたこともあって果たせなかった。もっとも、吉慶街も「生活秀」で描写されている時代からは、ずいぶんと様変わりしているという事だ。
この夜の武漢もとても暑く、長い事歩いてはいられなかったのであるが、地元の人はさすがに慣れているのか、花楼街には平然とした活気があった。溢れかえる生活の色彩と喧騒....暮しの匂い、そのものである。
武漢の花楼街
武漢に立ち寄った際は是非足を運ぶべき、というほどの場所でもないのであるが、池莉の作品を読まれたことがあれば、少し足を延ばして作品世界の一端を知るのも悪くはないのではないだろうか。
落款印01


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