時事

....アメリカの大統領選は、日本のメディアの多勢にとって意外な結果に終わりましたね。イギリスの離脱投票の時もそうですが、基本的に都会にいるメディア、ジャーナリストの論調というのは、都会の多数派の意見に偏りがちなところがあります。
アメリカ、アメリカ、といっても、大多数の日本人にとってのアメリカとは、ニューヨークやワシントン、ロサンゼルスやカルフォルニアであって、カンザスやコロラド、ケンタッキーではない、というところでしょう。
アメリカの今回の選挙は、参政権を通じて、アメリカという国の現状がどうなっているのか?それを多くのアメリカ人、あるいは世界の人があらためて知る、いい機会になったのではないかと考えています。
同じような事は大陸中国にも言えるのですが、おそらく大部分の日本人の目にうつる”中国”というのは、北京か上海、それに深圳や広州といった、沿岸部の大都会に尽きるといえるのかもしれません。それはヨーロッパの多様性を、パリやロンドン、ベルリンといった諸都市だけを見て理解しようというようなものかもしれません。
東京が日本のすべてだ、と言い切るのは、東京に住む日本人でも抵抗を感じるのではないでしょうか。言ってみれば当たり前のことなのですが、往々にして、それを忘れてしまうのでしょう。しかし日本人などは、東京、あるいは京都をもって外国人に対する「日本の代表」としても、そう文句は出ないかもしれません。しかし大陸中国では「〇〇なんて中国じゃない。」的な言い方は、普段でもよく耳にします。
私が最近、”中国”という単語を使うのに躊躇するのは、別段、中国という国を認めたくないとかという事ではなく、”中国”という概念で”かの国”を理解しようとすると、やはりいろいろ見えなくなる部分があると感じるようになったからでもあります。
昔から「天下はあれど国家なし」と言われたところなので、近代に入って成立した”国家”という概念を、うっかり遡及して過去にまで適用してしまうと、大変な誤解を生むことになります。現代の価値観なりイデオロギーなりを、過去に適用して何か分かったような事を書くのは実に簡単な事で、いくらでも作文が出来てしまうものなのです。世の中、そういう情報で溢れかえっているような気もします。
一部指摘があるように、世界的にIntellectualの傲慢、というのはあると思います。知性の堕落と言ってもいいかもしれない。ソクラテスが今の状況を見たらなんというでしょう。知識人も階級化すると堕落、腐敗するのですね。大陸王朝時代の士大夫達も、王朝末期には堕落仕切ってしまうのが常でした。これはいかんともしがたいかもしれませんが、揺り戻しも起こるでしょう。今回の大統領選挙では、アメリカの若い人たちに衝撃と失望が広がっていると言いますが、ある意味、またとない良い経験になるでしょう。敗北にこそ、得るものが多いもの。そこから新たに、若い知性の覚醒を期待したいものです。
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