祝允明 愛梅述

寒さが続いているが、地域によっては梅の開花をみられるところもあるであろう。春先になると、日本の桜を観に大陸から大勢の観光客がやってくる昨今である。しかし大陸では伝統的に、初春に花開く梅花が好まれてきた。風雪に耐えて咲くところから、君子の徳性のひとつになぞらえて、蘭、竹、菊とともに”四君子”に数えられる。また画題、詩題としても古来よりおびただしい例がある。

ところで明代の祝允明に「愛梅述」という文がある。これは梅の美しさを愛でた文であると同時に、梅花に仮託して美人を文飾した文でもある。おそらくは祝允明と昵懇の仲であった”愛梅”という名の美しく聡明な妓女に与えた文なのであろう。唐寅とともに、江南きっての風流才子であった祝允明らしい文である。以下に大意をこころみた。

愛梅述 
明 祝允明


梅自含妝檐畔一點壽陽額後、遂見愛於人間。麗人唐江娘特甚、李家三郎遂賜梅姓是人可花。至如羅浮之下、乃復借貌所愛、與趙才子歌弄調笑於埓瑛邨邊屐∪Р嵋可人。

梅の含妝(がんしょう)檐畔(せんぱん)壽陽の額に一點するより後、遂(つい)に人間(じんかん)に愛せらるを見る。麗人(れいじん)唐の江娘(こうにゃん)特に甚し、李家の三郎、遂に梅姓を賜る、是れ人の花なるべし。至りて羅浮(らふ)の下(ふもと)の如く、乃ち復た貌(かたち)を借りて愛するところ、趙才子と埓院覆うせい)落月(らくげつ)の間に歌を弄(ろう)し調笑(ちょうしょう)す、是れ花の又(また)人なるべし。

梅は含章(妝)殿の軒先で、壽陽公主の額(ひたい)にひとひらの紅(くれない)を点じてより後、ついに人に愛されるようになった。紅梅粧をなす美女のうちでも、唐の江娘がとくにそれが似つかわしく、李王室の三男であった玄宗皇帝はついに梅妃という名を賜った。これは人が梅花に化した例である。
羅浮山のふもとにいたって、梅樹の精が美女の姿をかりて現れ人に愛せられることがあった。月落ちた天にいっぱいに星がまたたく夜のもと、趙才子が梅樹の精と歌をうたい、相い互いに目を合わせて笑い合ったという故事、これは梅花が人に化した例である。

含妝:すなわち含章、含章殿。
壽陽:壽陽公主。南朝劉宋の高祖劉裕の娘。
李家三郎、唐江娘:李家の三男はすなわち唐の玄宗。姓江、名采苹。唐の開元初年に入内し玄宗に愛せられ”梅妃”と呼ばれたが、楊貴妃入内の後に寵を失う。
羅浮:広東省の羅浮山。
趙才子:名は趙師雄。睢陽の人。隋朝の開皇年間(581〜600)、趙師雄は羅浮山に遊び、夢に梅樹の精と楽しんだという。


 蓋萬花在人間世、無不可愛者、然都在梅下風。菊最幽、失寒薄。桃最艷、失脂膩。蓮最香、失開露。梅幽不減菊而態腴、艷不減桃而格清、香不減蓮而體歛。

蓋(けだ)し人間(じんかん)の世に在る萬花、愛すべからざる者無し、然(しか)れど都(すべ)て梅の下風に在り。菊は最も幽なれど、寒薄(かんはく)に失す。桃は最も艷(えん)なれど、脂膩(しじ)に失す。蓮は最も香なれど、開(ひら)いて露(あら)わなるに失す。梅の幽は菊に減ぜずして態(たい)腴(こ)ゆ、艷は桃に減ぜずして格(かく)清(きよ)く、香は蓮に減ぜずして體(たい)歛(まとま)る。

おおよそ、人の世にある幾萬もの花々のうち、愛されないものとてないだろう。しかしながら、すべて梅の下風にたたねばならない。
(たとえば)菊はもっとも幽玄であるが、やや薄く寒々としている。桃はもっとも艶っぽいものであるが、いささか脂じみに過ぎた感がある。蓮はもっとも香り高いものであるが、(花開いた様が)あけっぴろげに過ぎる。
梅のかそけき事は菊に劣らずして、しかもその姿態はふくよかである。艶っぽいことは桃に劣らずして、その品格は清々しい。香は蓮に劣らずして、その体つきには慎みがある。


瓊柯瑤萼、映照嫵媚、與青姬素娥爭妍鬥姝於緋衰碧朽之外、殆將絕凡卉而上與清虛府仙樹者京。是宜嬋娟佳麗、合肺契腑、忘形而神交也。

瓊柯(けいか)瑤萼(ようがく)、映照(えいしょう)して嫵媚(ぶび)、青姬(せいき)と素娥(そが)の緋衰(ひすい)碧朽(へききゅう)の外に妍(けん)を争い姝(しゅ)を鬥(闘:たたこ)う、殆ど將に凡卉(ぼんき)を絶し、上は清虛府(せいきょふ)の仙樹の者に京(なら)ぶ。是れ宜(よろ)しく嬋娟(ぜんけん)佳麗(かれい)、合肺(ごうはい)契腑(きつふ)、忘形(ぼうけい)神交(しんこう)なり。

雪の降り積もったように白い花を咲かせた枝、萼片、それらが互いをひきたてあって、たおやかな美しさがある。その様は青(清?)姫や月の嫦娥に喩えるべき花木(かぼく)が、花衰え草枯れるということを知らず、その優美なことを争い、はなやかなることを競うようであり、平凡な草木からまったく懸絶しており、月の宮殿の仙樹に比肩するかのようである。これはなるほどあでやかで端整な美しさがあり、それは肺腑があわさるように胸中の意にかない、もはや姿かたちを忘れはてて、こころからの交歓を呼び起こすものである。

瓊柯(けいか):雪を載せた枝の意であるが、梅の花の咲いた枝も言う。
嫵媚:美女の形容。なまめかしい、しとやかな美しさ。
瑤萼:花弁のガク。
緋衰(ひすい)碧朽(へききゅう):緋は花。碧は草。花衰え、草枯る意。
青姫素嫦娥:素娥は月界の嫦娥。青姫は未詳であるが、ともに劣らぬ美女の意であり、梅樹のこと。
清虛府:月の宮殿。
合肺契腑:肺腑は胸の臓器、心のことであるが、それにぴったりと合致すること。
忘形神交:形(肉体)を忘れた精神上の交わり。


 然自唐妃、宋主之後、塵語土目、不知梅久矣。今某仙標國色、為花林錦陣冠、自以愛梅稱、倩其所來從白予”君與梅嘗擷芳偎馨、知其臭味、願文之。”

然れど唐妃より、宋主の後、塵語土目(じんごどもく)、梅を知らざる久し。今(いま)仙標(せんぴょう)國色(こくしょく)の某(なにがし)、花林(かりん)錦陣(きんじん)の冠を為す、自ら”愛梅”を以て稱し、倩(こ)いて其所(そこ)に来たりて從いて予に白(つ)ぐ“あなたは梅と嘗て芳を擷(つ)み馨(かおり)に偎(したし)み、其の臭味(しゅうみ)を知る、之に文を願う。”

しかしながら唐の江娘や壽陽公主より、俗世間の耳目は長い事”梅”を理解しなかった。今、仙姿のような風韻で一国に冠絶する某(なにがし)、一叢の花々に比すべき美女達の中より秀でた女が、自ら”愛梅”と称し、請いてそば近くまで来て並んで私に言う”あなたは梅(わたしく)とかつて(梅)花を摘み、その香に親しみ、その馨(かぐわ)しきことをご存知です。文章(文飾)をいただけないでしょうか。”

唐妃:江娘
宋主:壽陽公主
塵語土目:凡庸な衆人の耳目。
仙標:仙女のような飄逸でかろやかな様。
花林・錦陣:いずれも花の群れ。すなわち美女の群。


 嗚呼噫嘻!予因其號而玩其人、豈壽陽之後身乎?一乎二乎?予皆不得知也。雖然、以人視梅、其態、其格、其姿色、其香味、蓋莫知甲乙。至於多情解語、委附結交、則其妙又在六花、南北枝之上、予終謂人之為焉耳。嗚呼噫嘻!匪梅則愛、梅將乞愛。

嗚呼(おお)噫嘻(ああ)!予、其の號に因み其の人を玩(もてはや)す、豈に壽陽の後身や?一や二や?予皆知るを得ず也。雖然(しかりといえども)、人を以て梅と視なせば、其の態、其の格、其の姿色、其の香味、蓋し甲乙(こうおつ)知る莫(な)し。至りて多情(たじょう)解語(かいご)、委附(いふ)結交(けっこう)、則ち其の妙、又六花(りっか)、南北枝之の上に在り、予、終に人に之を謂い為す焉耳(のみ)。嗚呼(おお)噫嘻(ああ)!梅に匪(あらざ)れば則(こ)れ愛さん、梅(うめ)の將(まさ)に愛を乞わん。

おお、ああ、私は彼女の”愛梅”という号ゆえに、その人をたいそうもてはやしたものだが、あるいは壽陽公主の後身ともいうべきであろうか。あるいは人に化した花であろうか。花に化した人であろうか。私も誰もそれを知ることはできない。
そうはいっても、その人を以て梅とみなせば、その表情しぐさ、その品格、その姿態、たしかに梅花とも甲乙つけがたいものである。表情仕草にいうにいわれぬ情感を含み、またよく我が意中を解した。そこで行き来して友誼を結んだが、すなわちその妙(たえ)なることは、雪の積もる梅の枝や、梅花の咲いた枝枝にまさるものがあり、私はとうとう、人にこのことを言いおいておくだけである。
おお、ああ、梅にあらぬこの人を愛さんとすれば、梅もまた愛されんとするのである。

六花:雪、雪の結晶の事を言う。ただし梅枝に降り積もった雪、ないしは梅花そのものを言うん場合もある。
南北枝之:南北にのびて交差した梅枝。



(後記)
”紅梅粧”という化粧法がある。額の眉間のあたりに梅花をかたどった紅でかざるのである。南朝劉宋の時代、梅花の一辺が、壽陽公主の額の絶妙な位置に落ちたことにはじまるという。また玄宗皇帝が寵愛した江娘のそれが妙絶で、梅妃の称号を賜ったという。そのあたりから”梅花”と”美女”の連想が膨らんでゆくのである。”紅梅粧”の以前よりも、梅花は花として人に愛されてきたではあろうが、すなわち”紅梅粧”以降、”梅”が”人(女性”として愛されるようになった、という事である。いうなれば花びらの一片によって、梅の精が人に乗り移ったかのようだ、というところである。

菊、蘭、蓮といった諸名花よりも梅が優れている、という点については異論もあるかもしれない。
四君子のうち花を咲かせるのは菊、蘭、そして梅なのであるが、蘭との比較は避けられている。おそらく衆花の筆頭に梅を挙げる事に異論が出るとすれば、蘭が押し立てられるところであろうか。
梅の鑑賞については”梅譜”によって、古来より事細かに探求されており、宋の范成大、明の王冕、芥子園畫傳などに整理されている。文中、雪との関係が織り込まれているが、まだ花の咲く前、雪の降り積もった梅枝はあたかも白い梅花の咲き誇る枝のようであり、また梅花が満開の梅枝は、雪の降り積もった枝のようでもある、という見方がある。また梅花は小さな白玉を刺した玉かんざしにも形容される。

美文、というものにほとんど価値が認められない現代からすれば、”愛梅述”も修飾煩瑣で内容の無い文章、という一言で片付けられれてしまうかもしれない。しかし文章は美しい、という事だけでも評価された時代があり、それだけで鑑賞にたえうるという価値観が存在した、という事なのである。祝允明は思想家ではなかったとしても、当時稀有な美文家であったとはいえるだろう。
しかし花も人も、あるいは文章も、むろん美しいだけで足れりとはされない。さらに品格や徳性が求められた。ゆえに菊、桃、蓮との比較なのである。
美人の”愛梅”にしても、単に美しいだけでは四君子のひとつである梅に喩えて文にするには及ばないのであり、おそらくは聡明な女性であったのだろう。また祝允明と意気があった人物であることが想起される。
美文が廃れたのは、書き手以前に鑑賞し得る人物がいなくなったという事でもある。しかし文章世界から品位格調が排斥され、美文が駆逐されて後、では意味内容のある文章のみが通行しているかというと、まったくそうではないのは御周知のとおりである。
落款印01


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