新老坑小硯四面

新老坑小硯を四面、近日中に販売する予定である。前回のリリースで最後かと思っていたら、もう若干数の仕入れが可能になった運びである。そういうことを毎回言っていると、実は無尽蔵にあるのではないかと思われそうだが、資源に限りがあるためそういうわけにはいかない。ただ、本当にあと何面調達可能かというと、これも定かではないというのが本当のところなのである。

新老坑小硯 

掲載した硯のうちの一面は、硯の一部が破損した状態であった。この部分の欠片がどこかにあるのではないか?と思いたいが、残念ながら行方不明ということである。しかし洗硯が終わった状態で眺めてみると、この割れた面はうっすらと黄色がかった石色が認められる。

新老坑小硯

おそらくはかつては金線のようなものが硯面から硯背にかけて走っており、その線にそって割れてしまったものなのだろう。これも自然の造作、いわゆる天工とみなし、そのままにしておいたのかもしれない。惜しむらくは、墨池や彫琢の一部が失われてしまっている。まさしく作硯が終わって後のことなのだろう。欠片があれば修復が可能なものだが、なにゆえしなかったのだろうか。ともあれ、そういう状態の硯を販売することに躊躇も覚えるが、ご理解いただける方に愛用していただければと考えた。

ところでこの四面の端溪硯をよくご覧になったうえで、以下の写真をご覧いただきたい。

 歙州小硯

これらは手元にある、歙州硯の小硯の一群である。一体、端溪と歙州とでは、硯の作風も異なった傾向がある。今回販売する四面のほか、今まで販売してきた新老坑小硯の多くは、古い硯ではないにしても、その作風は端溪硯の特徴を備えている。一目見て、端溪硯らしいフォルムをしているのである。どういうところかというと、ひとつにはおおむね硯の上辺が狭く、下辺にかけてゆるやかな広がりがある。全体を台形の角をまるめたような恰好にして、安定した印象を与えているのである。そのフォルムは直線や平面ではなく、曲線と曲面で構成されているのである。

一方、歙州硯の方といえば、長方形を基本とし、ほぼ直線的に硯石をカットしている。このような形状が、歙州硯のひとつの特徴なのである。いかにも歙州硯らしい作風であるなと、見る人が見れば思うのものである。直線ではなく曲線を大胆に用いた硯もあるが、それは写真中にもあるように、円や楕円のような、幾何的な対称性を狙って構成されている。

歙州硯と端溪硯の作風にこのような違いが表れたのは、おそらくは産出する硯材の質や量に違いがあったと考えられる。長方形や楕円形など、一定の幾何的な形状を得るためには、採掘された自然の形状の硯材について、その多くの部分を切り捨てなければならない。端溪の佳材、とくに老坑や新老坑は、もともと大きな原石を得ることが難しかった。ゆえに天然形、ないしは原石の形状に沿ったうえで、なるべくバランスの良いプロポーションを求めたと考えられる。こうした傾向は、おそらく清朝あたりに定まったのではないか?と推測している。明代末期から開採された、老坑水巌に巨材があまりとれなかったことも影響しているだろう。

 

北宋あたりの作硯を見る限りでは、端溪も歙州と同じく直線的幾何的な形状を基本としていたことがわかる。時代を経るごとに両者の作硯様式に違いが表れるのは、やはり歙州硯と端溪硯の、硯材の産出量の推移の違いに理由を求めることができるのではないだろうか。

台北の故宮博物院に収蔵される、康煕、雍正、乾隆時代につくられた官作の松花江緑石硯を見渡せば、前述の事情のごく短期的な変化を追うことが可能である。すなわち康煕年間から乾隆年間にかけて、硯はおおむね小型化している。これは採掘される硯石が徐々に乏しくなってきたことに拠る、と考えるのが自然である。加えて康煕年間は四直方形を基本とした作硯が多いのであるが、時代を下るごとに天然の不定形、ないしは不定形を基礎とした意匠が増えるのである。これも硯材が枯渇に近づき、大きな材が払底した結果、大きさを残すために天然の形状を生かす作硯が増えたためと考えられる。

 

むろん、こうした硯の特徴をめぐる議論というのは常に必要条件であって十分条件ではない。逆は必ずしも真ではない。

歙州硯であっても、天然の不定形をとった硯もある。しかしそうした不定形の歙州硯が多くみられるのは、もっぱら近年、せいぜい数十年内の硯のうちである。たとえば以下に掲げる硯のごとくである。また古い時代の端溪硯であっても、四直方形の佳硯がないわけでない。しかし稀なものであり、しいて言えば硯板状に作硯されたものがある。

歙州新硯

 

三月にニューヨークのクリスティーズ・オークションで、日本の藤田美術館から青銅器をはじめとする多くの大陸文物が出品された。2.6億米ドルという落札総額は、南宋の五龍図や、青銅器の多くが牽引した結果であるが、その中に数点ながら硯をはじめとした文房四寶も入っていた。

そのうちの一点にAN INSCRIBED SHE INK STONEという硯がある。SHEというのはのことで、すなわち歙州硯ということなのであろう。サイトの中国語表記では『清歙石七襄報章硯』となっている。この歙石、クリスティーズのサイトには表から蓋をかぶせた格好で写した一枚の写真しかないのであるが、一見して歙州硯と呼ぶには違和感のあるフォルムをしている。全体的に丸みがあり、上辺が狭く、下辺が広い。それに日本で作られたという、紫檀の上下蓋がついている。写真からでは硯面の石色がよく見えないのであるが、歙州硯という断りがなければ端溪硯、と思ってしまいそうである。これは清朝の硯ということなのであるが..........近年、歙州硯でもこうしたしもぶくれの格好をした硯も作られることがあるのだが、歙州に硯材が豊富であった清朝の硯、と言い切るには苦しい。あるいは端溪と歙州を誤認しているのであろうか........?

硯背には”qi xiang bao zhang”という字が彫られているというが、これは”棋qi 祥xiang 宝bao 重zhang”、すなわち”祺祥重宝”であろう。”祺祥”は清の同治帝の代に公布されながら施行されなかった年号であり、この年号をいれた銅銭に”祺祥重宝”、”祺祥通宝”がある。すなわちこの硯は銅銭を意識した硯、ということになる。古銭を意匠にとった作硯は、陳端友のリアリズムに富んだ作例にもみられるが、金銭を”銅臭”と蔑む文人の価値観にはそぐわないものである。

 

さらに言えば、日本で作られたという上下蓋に緑がかった玉石がはめ込まれている。上下蓋というのは、たしかに日本の唐木職人特有の仕事ではあろう。しかし日本で産出したわけでもない玉石を嵌め込んであるのには、やはり違和感を覚えるものでる。玉石を麗々しくはめ込んだ唐木の硯箱というのは確かにあるのだが、古い時代の文人の趣味では、やはりない。おそらく後からはめ込んだものだろう。

 

そもそも文人にとっては良い硯こそ無上の宝なのであり、それをわざわざ玉石でもって飾るというのは俗悪である。王朝時代の知識人にはそぐわぬ趣味、というよりない。硯の価値のわからない者でも、この玉石をもって価値を認めるかもしれない。宝石箱を宝石で飾る愚と同様、硯の良し悪しのわからない者にもよからぬ心を抱かせる元になるものであり、実際忌避すべきところである。(参照:考槃餘事)

ついでに古硯に精通した知人に言わせれば、墨池の形状位置もまったくもっておかしい、という。確かに古い時代の歙州硯であれば、墨池はもっと上辺に寄っていてほしい。また台形基調の硯に、楕円〜紡錘形の墨池はいかにも安定感を欠くものである。あるとすれば半月形ないしは方形を基本とする墨池であって然りであろう。........このような疑問百出硯というのは、玄人ならば持ちたがらないものである。しかし結局は162,500ドルで落札された。数千万ドル単位で落札された青銅器などに牽引されたとはいえ、これも時勢のなせるわざであろうか。

 

..........縁遠いオークションのことはともあれ、この新老坑の小さな硯達、である。オークションに出品されるような硯ではむろん無いのであるが、小さいながらもいかにも端溪硯らしい作風を備えている。今日日稀な品であるとはいえるだろう。ご愛用いただける方に、ご検討いただければ幸いである。

 

※訂正 クリスティーズの中国語サイトをよく見ると「qi xiang bao zhang」はすなわち「七qi 襄xiang 報bao 重zhang」なのでした。「棋qi 祥xiang 宝bao 重zhang」ではないということで、訂正します......ただ両句をかけているのかもしれない。硯背の写真もほしいところであるが。また英語サイトには記載がなかったが、明治十年に天皇が御覧ということで、事実とすればそれくらいの時代はあるのだろう。ただ硯背に足が三本あり、石眼が三つある、ともある。とすればやはり端溪なのではないか?と考えたくなる。眼が出るのは端溪だけではないが、歙州に石眼はさすがに........端溪とすれば、まあ、清末でも納得できるのであるが。

 

※追記:英語版を読むと”amidst three raised circular bosses which reveal the gold inclusions in the stone.”とあるのだが、”gold inclusions"というのは金星のようなものだろうか。しかし”three raised circular”とあるから、眼柱のように盛り上げて造っている?金星が出るなら歙州なのだろうが、しかし金星を眼柱仕立てにしている作例は寡聞にしてきかない。やはり硯背の写真もないと.....
 

 

落款印01


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