徽州の高山茶

徽州は休寧県の斉雲山(白岳)に登った時のこと。こんな山奥にも小さな茶畠が点在していた。さまで広くはない山域ではあるが、稜線を少し下ったわずかな平地に集落があり、耕作も営まれている。斉雲山では、”白岳黄芽”という銘茶を産するという。
烏龍茶に高山烏龍茶、という種類がある。台湾の基準では、海抜1000メートル以上の高所の茶畠で採れた茶葉で作られた烏龍茶を高山烏龍、ないし高山茶、というそうだ。
斉雲山の茶畑
”高山”は地名ではなく文字通り高い山、ということなのであるが、高山茶は烏龍茶に限った話ではない。およそ、大陸で日常的に飲まれている茶の大半、一説には8割以上は緑茶に分類される茶なのであるが、緑茶にも”高山”を冠する茶は多い。
斉雲山は海抜600mに満たないが、これくらいの高所で作られる茶も徽州では高山茶、と呼ばれることがある。
茶は基本的に同じチャノキの葉から作られるというが、産地や製法によって千差万別である。
日本の煎茶の場合は、つんだ茶葉を蒸してからよく揉み、しかる後に乾燥させて作られる。日本茶はこの茶葉を”揉む”工程を念入りにすることで、うまみと色を出しており、これが日本の煎茶を特徴づけている製法ではないかと思う。
大陸の緑茶の場合は、龍井茶のように摘んだ新芽をそのまま釜で焙煎してつくる製法が良く知られている。他にも日本茶のように、茶葉を”揉む”工程を取り入れている種類もある。
印象として、杭州の龍井茶や、あるいは湖州の白茶のように、沿岸部の大都市圏で飲まれているのは生の茶葉をそのまま焙煎し、乾燥させて作られているものが多いように感じる。蘇州の碧螺春は炒った後に揉んで乾燥させている。日本人にも愛好家が多い龍井は、焙煎の工程で釜に茶葉を押し付けるようにしてつくるが、これが多少は”揉む”効果を兼ねているのかもしれない。また徽州に行くと、揉む工程を含んだ多くの茶がある。ただ、徽州の緑茶は、日本のように蒸してから”揉む”のではなく、生の茶葉の状態で”揉む”のである。

ところで徽州には祁門(チーメン)という、紅茶の古い産地がある。一説には、紅茶の製法は江西省に始まるといわれている。江西省の婺源は昔は徽州に含まれる地域であり、祁門での紅茶の製造も江西から早い時期に伝播したのかもしれない。
紅茶にも茶葉を”揉む”という工程がはいる。”揉む”ことで、茶葉の繊維組織を破壊し、酵素成分を外気に触れさせ、発酵を促進するということである。徽州の緑茶は”揉む”工程の後に、釜で炒って発酵させないことで緑茶の色と香りを保っている。紅茶に製法は、もとは緑茶のそれから派生したのかもしれない。
斉雲山の茶畑
徽州は茶の名産地として古くから知られていたようで、明代末期の張岱も「陶庵夢憶」の中で、わざわざ歙県から人を招聘して茶を製造させた話を残している。徽州は山がちで稲作に適した平地が少ないため、山間で栽培される茶葉は貴重な現金収入源であった。王朝時代にもてはやされた徽州の茶葉は、清朝末期には屯溪から水路伝いに広州に運ばれ、英国をはじめとする欧州に盛んに輸出されていた。
近年、中国経済の過熱に伴って茶葉も異常なまでに高騰し、いったんは落ち着いた様子だが、銘柄によっては高止まりしている種類もある。1斤の価格でいえば、下は数元のものから、上は数千元、数万元の品も珍しくはない。むかし杭州の龍井山で、茶農家から1斤600元で買った明前龍井は大変おいしかったが、今ではその値段ではとても手が届かなくなってしまった。当時も龍井のどこの村のどこの畠であるとかないとか、うるさく言われたものであるが、今ではそんなことを言っていたら手に入らない。ひとくちに”明前”つまりは清明節の前につまれた龍井茶といっても、三月初めの出初めの新芽を摘んだものが良く、清明節の直前に摘まれたものは、味も香りも薄くなるのは否めない。

中国では茶は嗜好品である以前に必需品であり、あらゆる階層の人々が飲むため、茶葉の価格の格差はかの国の所得格差の反映ともいえる。あるいは社会の階級化の表れか。それは現代に限った話ではないのだが、王朝時代でも”茶淫”とも称される茶狂いの一群がおり、それこそ金に糸目をつけずに茶葉や名水、茶器を求めて飽くことを知らぬありさまであった。そこにはそれでも趣味の追求があった。前述の張岱も明代末期の傑出した一人であるといえるだろう。
しかし現代中国の茶葉の幾何級数的な暴騰ぶりは、それだけの趣味性が伴っているかというといささか疑問ではある。ワインでも、あるいは文房四寶や書画骨董でもそうかもしれないが、あまりに”スノッブ”な話が幅を利かせ始めると、いただけないことになる。

良いお茶というのはたしかにあり、悪いお茶というのも確かにある。よいお茶を飲むと、悪い茶はのどに苦く感じるようになってしまう。しかし良い茶葉が必ずしも高いかというとそうではない。徽州の農村では農家でなくとも自分の家で飲む茶は自家製造していたりするのであるが、頼んでおいて分けてもらったような、そうした緑茶には悪いものはなかった。そうしたお茶にはとくに銘柄もなかったりするのであるが、聞くと「高山茶だ。」と言われることがある。あるいは「高山雲霧」などという、銘というべきか採れた場所の情景そのままなのか、わからないような名がついている。要は徽州の山間部で採れた茶葉、ということである。

徽州の山間には放置された茶畠や、半ば野生化した茶樹が山中に点在している。それは所有権も曖昧に、摘みたい物好きは摘んでいい、というような話なのである。そうした茶葉を摘んできて、自家製造したお茶は、毎年同じ味、香というわけにはいかない。このバラつきが大きいためか、銘をつけて流通させるには至らないのであるが、出来のいいものに当たるとうなるようなお茶がある。
徽州の緑茶は生の茶葉を”揉む”せいか、かすかな発酵香を感じることがある。その加減がうまいぐあいに入った茶は、凍頂烏龍茶などとも違う、青々とした、果実を感じさせるような、なんとも清々しい香りがするのである。同じ緑茶に分類されている日本の煎茶とは、かなり違った風味の飲み物である。しかし茶葉がこうした状態をたもっているのは製せられてからのわずかな期間で、日が経つと芳香が薄まってしまう。あの香りをまた味わいたいと思って同じ人に頼んでも、翌年同じような味と香りの茶が手に入るとは限らない。そういうものと、思うよりないのである。
そこで来年は何斤か買うから余分につくっておいてくれと頼んでおくと、翌年の茶は「あれ?こんなお茶だったかなあ」という事が通例なのである。不味いとか、悪いというわけではない。何か別の茶葉のような味なのである。しかし徽州の農村の人にとっては、日常の、しかも自家用の必需品なのであるからバラつきがあろうがあまり気にしていない様子なのである。そこに以前との細かな違いや、繰り返し同じものを求めるというのは、所詮は現代の都会の消費者の意識というものかもしれない。

その昔、婺源の作硯家にわけてもらった茶は、北宋の献上茶にもなった「金竹峯」という茶なのであるが、翌年の茶を頼んだら入手できなかった。山奥の廃寺の前庭に茶樹があるというのだが、道が悪くなって人が入れなくなってしまったという。残念なことである。
茶葉は同一の産地であっても、茶畠によって個性がある。山間の傾斜につくられた茶畠は、日照も異なる。日本の茶畠に比べるとかなり自由に栽培されており、細かく言えば茶樹によっても違いがある。こうした緑茶をもし輸入して日本で販売しようとしても、茶葉ごとに食品検疫を通す必要があり、検査コストを考えればとてもわりに合わない。強いてするならブレンドして、ある程度の量で検疫を通すしかない。小さな茶畠の茶葉ではとても量はとれないから、複数の茶畠の茶を混ぜるよりない。そうしてしまうと個性も損なわれる。良くも悪くも平均的なお茶にしかならない。そうなると面白くない。なので特徴のあるお茶などは、お土産の域を出ないのである。
それは大陸で流通している茶葉もそうで、市場に集まって流通する過程で産地ごとに複数の畠の茶が混ぜられてゆく。品質は均一になるが、そのぶん個性も薄まってしまっている。

現在の大陸では高級な茶葉としては烏龍茶やプーアル茶が流行しており、緑茶はむしろ大衆的で、龍井や碧螺春、徽州なら太平猴魁などの一部の高級品種を除くと、さまでの評価は得られていないような雰囲気である。銘茶としてもてはやされないと高い値段はつかず、省みられることがない、ということでもある。それはそれで、気軽に飲めるのでありがたいことなのではある。
屯溪の朋友の父方の本家は山上で茶業を営んでいるのだが、いつか訪問したことがある。山の上だけに新茶の季節はこれからなのだそうだ。少しばかり頼んでみたが、どのようなお茶が出来ているのか?楽しみにしている。
落款印01


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