斉雲山の梨

.......徽州の斉雲山に登った時の事。麓から山林にはいってしばらくし登ったころ、山中の小集落を過ぎようかというところの路傍で、ちょこなんと腰を下ろした痩せた老婆がいる。老婆の前にはいくつかの籠がおいてあり、野菜や果物がはいっている。日焼けした肌に蓬髪を束ねている。山中で暮らす農婦なのであろう。小生の姿をみとめると、手招きして籠の中身を見せるのである。じつのところ、きつい方言としわがれた声で何を言っているのか聞き取れなかったのであるが、言わんとすることはわかる。
斉雲山の梨
水以外に何も携帯しないまま登り始めてしまていたので、ここで何か食べ物を買っておくのもいいだろうと、籠の中を見た。見ると、不ぞろいな恰好の胡瓜がいくらか。またよく使いこまれた、きれいに編まれた竹籠の中にスモモがある。それに梨、があるのであるが、これがなんとも小さい梨である。ほぼスモモと同じくらいの大きさである。
おそらくは斉雲山に登る人の、喉を潤す食べ物を売っているのであろう。胡瓜もいわば飲料の代わりなのである。
斉雲山の梨
山奥のスモモはさすがに酸っぱい、あるいは渋みを強いかもしれない。無難に見えた小さな梨をいくつかほしいというと、老婆はひと籠全部を袋に入れようとする。さすがにそんなにいらないと言うのだが、耳が遠いのかなかなか伝わらない。ともあれ10個ほどを買って袋に入れてもらう。お代はひと籠10元、ということなので10個で幾らになるか、老婆は少し困った顔していたのであるが、かまわず10元を渡すと、再び山道を登り始めた。ひとつ梨を取り出してかじると、少し皮が厚く、ガリガリとした歯触りである。しかし香りがよく、甘みもなかなか強い。

中国の梨は、日本原産のいわゆる和梨とやや違っている。鴨梨という、少しとがった皮の薄い、酸味のある梨を見ることが多い。日本の梨でいえば、二十世紀梨に近いような味である。
しかしこの小さな梨は、日本で昔良く出回っていた、長十郎を小さくしたような梨である。そういえば長十郎梨は、よりやわらかく果汁の多い、豊水や新水のような梨にとってかわられたのか、最近は姿をみない。その意味では懐かしい味である。
斉雲山の梨
登山中に2〜3個ほども食べたであろうか。夕方下山して屯溪に戻り、朋友に梨を見せると、屯溪にずっと住んでいる朋友もこんなに小さな梨は見たことが無いという。「へえ斉雲山の梨?きっと霊験あるわよ。」というので、残りは朋友に進呈した。斉雲山の稜線上の集落では、やはり小さな霊芝も売られていた。この不思議なほど小さな梨も、なるほど霊芝が採れるほどの山中ならではなのかもしれない。

盛夏の時候に登った斉雲山へは、また季節を選んで登ってみたいと考えている。しかし山道で、再びあの老婆に会うことが出来るであろうか。あの小さな、甘い梨をまた食べてみたいと思っても、おそらく二度と目にすることは無いのではないだろうか。概して不思議な果実とはそうしたものであろう。
落款印01


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