婺源 農村の料理店

今年一月に訪れた、江西省は婺源県のとある村。黄山市屯溪区から、婺源県へ向かう途上、屯溪から峠を越えて平野に出たところに位置している。遅くとも唐代から悠久に続く、街道沿いの小村落である。

村の道端に肉屋の露店が開かれている。徽州の田舎では、今なおよく目にする光景である。お昼時であったせいか、肉屋の主の姿はそこには見えない。品物も道具おも置きっぱなしである。小さな村の事、さしたる心配も無いのだろう。丸太を皮付きのまま、縦に厚切りにして脚に横たえただけの長机が露店のすべてである。これは全体が巨大なまな板でもある。その上に厳冬の山間の冷気にさらされて固まった、大きな白い豚の脂身が横たわっている。その横には光沢のある深い小豆色の肝臓が、これも形よく並べられている。脂身の下に敷かれているのは、骨をも断ち切れそうな、手斧のような肉包丁である。ここに場合によっては豚の頭部がそのまま置かれていたりもするのであるが、今日は売れてしまったのであろうか、目にしない。豚の頭部は農村部では人気の食材なのである。また脂身の多い豚肉というと、日本ではかならずしも珍重されないが、大陸、とくに田舎の方ではよく肥えて脂肪の厚い肉が好まれる。季節は1月、昼間の気温も数度までしか上がらない。新鮮な豚肉を空気にさらしていても大丈夫、というわけであろう。そのおこぼれにいくらかでも預かろうという魂胆か、あるいは店の留守番なのか、日本の犬に似た犬が寝そべっている。
この時、例によって知友の作硯家の家を訪ねたのである。ちょうどお昼時で、近くの“農家菜(田舎料理)“の店に行く事になった。いつもは奥さんが自家栽培の野菜をつかった、美味しい田舎の家庭料理をふるまってくれるのであるが、今日は子供の塾通いのために留守にしていたからである。
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江南の場合、小さな村であっても、たいていはそれなりの料理屋はある。たとえ専業の農家でなくとも、自分の家で食べるくらいの野菜は、このあたりであればどこの家でも作っているから、このあたりの家庭料理はすべて“農家菜”なのである、といえばそうである。とはいえ食事が重要な社交の場である大陸の事、それとはまた別に地元料理のお店もある、というわけだ。
作硯家の家から車で数分の村の外れに、その料理屋はある。庭の前には、青菜が栽培されている、よく整理された畑が広がっている。料理屋というよりも、村はずれの農家の、やや大きな納屋そのものといった風情である。
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店の周りには鶏が駆け回り、時折犬がけたたましく吠えている。何度か訪れているこの小さな村で、この店に案内されるのは今日が初めてであるが、なんでも最近開業したそうである。大陸も自家用車が増え、田舎の方にドライブに行く都会の人もだいぶん増えている。そこで街道筋に、こうした料理店がちらほらと見受けられるようになったのである。
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料理のオーダーは、直接広い厨房に入り込んで、食材をみながら適当に頼むのであるが、要はたべたい食材を指示すれば、あとは適当に料理してくれるのである。調理法まで指定したければ出来るのであるが、お任せにしておけば、調理法や味が重なることがない。料理が出来るまでは、食卓に着かずに適当に庭でくつろいでいればいい。
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店の横には建築を途中でやめたかのような、がらんとした徽州建築風の大きな建物がある。ウダツをあげた白い漆喰の壁を残し、あとは屋根以外は柱と骨組みだけである。二匹の犬の吠える声が、屋根に反響してよく響いてくる。その傍らを、恐れる気配もなく数羽のニワトリが歩き回っている。
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料理屋の前庭は農家の庭そのもので、つるされた皮つきの褐色の豚の足や、よく肥えた塩漬けのガチョウの干物が、黄色い脂身をみせている。
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ほのかに燻製の烟の香が漂っている。ここでも先ほどの露店の肉屋ではないが、なかなかもって生生しい光景を目にするものである。また厨房の裏手には大きな水槽がいくつもおかれ、観賞魚の店さながらに、淡水の様々な生き物が泳いでいる。
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さて、料理が出来ると「料理が出来たよ。」と声がかかる。それから円卓を中央に置いた小部屋に通され、食事が運ばれるのを待つ。テーブルの上にはたいてい、各自、箸、小椀と小皿と湯のみが一緒になってセットされ、回転式の円卓の縁に等間隔に、ひまわりの種や落花生、漬物などが載っている。
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今回、うっかりしてあまり料理の写真は撮っていなかったのであるが、おしなべて質朴な料理である。野生の豚肉、というが、たぶん猪のことではないだろうか。これはしっかりした歯ごたえがある。もちろん野菜はとりわけ新鮮で、簡単な調理であるが、上海や北京の街の料理屋ではこれは味わえない。
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徽州では固形燃料をたいた小さなコンロの上に鉄の小鍋がおかれ、肉や小魚を煮た料理が2〜3出てくることが多い。この日も、渓流の小魚の醤油炒め、鴨肉、タケノコとハムといった三種類の小鍋料理が登場した。特に徽州の農家で自家製された硬いハムの塩味がしみ込んだ、厳冬の孟宗竹のタケノコはサクサクとして甘く、同行した上海や屯溪の友人等も、続けて箸を伸ばさない人はいない。また干したマダケを水で戻し、野菜といためた料理も徽州の定番である。
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寒さしのぎに、温めて刻んだショウガを入れた紹興酒(紹興産ではないが)を頼むと、小さなやかんに入って出てくる。

明朝初期に成立した水滸伝には、よく居酒屋に入る場面がある。旅をしていると居酒屋の旗がたなびくのが見え、居酒屋に入った豪傑が注文するのはたいていは酒、そして数斤の牛肉だけなのである。野菜や豆腐を使った惣菜や、漬物、あるいは米飯の類などは酒と肉を注文しさえすれば一緒についてくる、という事になっている。
その昔、大陸の牛は原則労働力なのであって、屠られるのは働けなくなった老牛である。肉の硬い老牛を美味しく食べようとおもえば良く煮込むしかなく、それでも硬く筋っぽいので、煮込んで冷えたところを薄く切って出すよりない。水滸伝にはそこまで書かれていないけれど、水煮にした牛肉を薄く切った料理というのは、いまでも中国各地に存在している。
話がそれたが、大陸全土をまたにかけた豪傑達が旅の道々で立ち寄るのは、やはりこのような農家が兼業していたような居酒屋だったのではないだろうか。晩唐の杜牧が「水村山郭酒旗風」とうたったように、そうした農家兼業の居酒屋はかなり昔から点在していたのであろう。

たっぷり時間をかけて食事を終えると、作硯家の家に戻り、休憩しながらの硯石選びである。真冬の歙州硯は、その色沢のせいであろうか、夏場に目にするよりもこころなしか冴え冴えとしている。寒い時期は膠が固まってうまく墨が磨れないものであるが、その寒さの中でもしっかりと硬い墨が溌墨する硯石こそ、まことに得難いものなのである。
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