まず贋物よりはじめよ?

先日、香港で行われた”クリスティーズ”のオークションに「蘇軾木石図」が出品され、邦貨にして68億円で落札された。これは東洋の絵画としては史上最高の落札価格だそうだ。敬愛する東坡翁の作品とて、多少の関心はあった。この絵は1930年代から行方不明であったが、今年になって日本で発見され、今回のオークションに出品されたという事だ。
また日本から文物が流出したと、これを嘆く向きもあるようである。しかし私が不可解におもうのは、なにゆえこのような疎漏だらけの(せいぜい清朝あたりに作られたであろう)贋作が、アジア古美術品市場、史上最高値で落札されたのか?という点である。

日本の報道では、確実に蘇軾の絵と断定できる、数少ない作品のひとつと、オークション会社の紹介をそのまま流しているような内容ばかりで、それ以上突っ込んだ解説はない。仔細は省略するが、この絵が蘇軾の画であることを、断定できるような証拠は絵の上にどこにもないのである。これは科学的な分析とか、絵画に関する知識以前の問題で、最初の跋文を読んで、ほんの少し考えれば「蘇軾の真筆と断定できる」という命題が”偽”ということは、わかるのである。初歩的な論理学の問題とさえいえるのであるが。
落札したのは、個人ではなく何らかの機関であろうけれど、それにしてもお世辞にも名品とはいいがたい、参考にもならないような作品をよくぞ落としたものである。「蘇軾木石図」が真筆であるということに客観的な証拠は存在しないのであるから、68億円という大金は、誰ぞの主観に対して支払われた、という意味になる。
もっとも、落札者は未詳であるし、本当にお金が支払われたかもわからない。ともあれ、作品の真贋は同時に、鑑定した人物や組織の真贋を明らかにしてしまうのである。
もし本当に落札者がいて、お金が支払われたのだとすれば、これをどう考えるべきであろう.........と考えていて「まず隗より始めよ」という、戦国策に出てくる故事を思い出した。燕の昭王に郭隗が就職面接の際にひいた、たとえ話である。

君主に一日に千里を走る名馬をさがすように命令された家臣が、死んだ一日千里の名馬の骨を五百金で買って戻ってきた。君主が激怒すると「千里の名馬なら、その骨さえ五百金で買うのならば、まして生きていれば。」とその家臣はこたえる。はたして一年の間に、三頭もの千里の馬がやってきた、という話である。
有能な家臣を求める昭王に、郭隗が「まず私を採用してください。この私ごときが採用されると聞いたら、能力のあるものが次々と燕国にあらわれるでしょう。」というわけである。果たして楽毅が魏から、鄒衍が齊から、劇辛が趙から燕国にいたり、多士済々となった燕は富国強兵に成功し、大国斉を打ち破ったのである。

...........贋作すら買う、まして本物であれば、いったい幾らで落札されるのだろう?「まず贋物よりはじめよ」というわけで、本物の名品が陸続と出品されることを期待しての”自作自演”だったのかもしれない。とすれば多少は腑に落ちるのである。もっとも「あの程度でも通るのか。」と、現実にはコマシな贋物が、続々と現れてきそうではあるのだが.......千里の馬のたとえにしても実際は「骨が売れるのか?」と言うわけで、大量の馬の骨をかついで来るものが絶えなかったのかもしれない。むろん、どこの馬の骨なのか?わかったものではない。
落款印01


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