窮屈さを増す大陸旅

昨年の10月末の事。深圳から香港に移動する際の羅湖の入管で、中国に渡航を始めて以来、実に初めて指紋をとられたのである。これは原則、入国する外国人全員に原則義務付けられるようになったようである。
その昔の1980年代、日本でも一部の外国人への、指紋押捺の義務に対する反対運動が巻き起こったことがあった。その運動の是非はともかく、たしかに指紋をとられるというのは、正直あまりいい気分ではない。
むろん、いまでは民間企業が提供するシステムにも、”指紋認証”が普及しているのであって、そのデータもどこでどう管理しているかはわからない。要は悪いことをしなければいい、悪いことをするつもりがないならいいではないか?というのも確かにその通りなのである。しかしそうはいっても、ある組織や権力機構に、自分の身体のプロファイルが採られてゆくという事に、心の奥底の不快感はぬぐえない。

そもそも”悪いこと”が、ルールに違反しない、という明確な定義づけがあるなら良いし、処罰についても客観的な証拠に基づいて審理するという過程を経るなら、まあ良いのである。しかし時に政権の”恣意”に拠ることがあるのなら、話は全く別である。
品物などから簡単に指紋をスキャンすることが出来るセンサーを使い、あらゆる場所から指紋を採取できるようになれば、その情報を使って行動をトレースすることも容易になるのである。防犯カメラの顔認識の技術とあわせて、現代では、いつどこで誰がだれと会っているのか?という事も、比較的簡単に割り出せるようになった、ということでもある。それは犯罪捜査や、犯罪を未然に防ぐことに使われるのは結構なことではあるが、それ以外の事には使用しないでほしいと、切に願うものである。

それとは別に、11月に上海に渡航した際。上海の浦東の入管での出来事。入国カードの記載内容についてとがめられたのである。大陸では入国、出国の際に黄色いカードの記載事項を記入するが、これとていままではいい加減なものであった。生年月日とパスポート番号、サインがあればそれでOK、のようなものである。パスポート番号を間違えていても通った、という話も聞く。
”入国カード”には、入国時と出国時では記入内容に違いがある。入国時にはやや事項が詳細にわたり、宿泊先などを書く欄がある。この箇所などは書くのが面倒なので、いつも斜め線を引くだけで”未定”のような体裁で出していた。これでなんの問題も無かったものである。
それが今回、入管の女性の審査官に「宿泊先はどこですか?」と聞かれたのである。実のところ、この時点で宿泊先は確定していなかった。そういう事はままあるもので、とりあえず上海について、その日の宿は適当に朋友に予約を入れてもらう、という事もあるのだ。「今は決まっていません。」と中国語でいうと、女性の審査員は冷たく「宿泊先を書かないといけません。」という。それが書けない場合は一体どうするのだ?という感じであるが「これから友達に会う。友達が手配してくれているが、今は知らない。」というと「友達に電話で聞けませんか?」という。あいにく、携帯電話が充電されていない。そもそも大陸を訪れる外国人の大半は、中国で通じる携帯電話など持っていないだろう。それも出来ないというと「友達の住所は?」と聞くので、思い出す限りで適当に書いてやったらやっと通ったのである。面倒になったものである。
今でもそうだが、入国ゲートに「〇〇先生」とか「Mr.〇〇」と書いたカードを持った迎えの人がいて、それからホテルに案内する場合もあるであろうし、そのホテル名を事前に知らない、などという他人任せな話もあるだろう。宿泊先が突然変更になることだってあるし、今回は上海のほかに揚州で一泊している。昔、旅行にもビザが必要だった時は、日程と宿泊先ホテルを詳細に申告しなければならない時代もあったものであるが、その時代に逆行してゆくのだろうか。
上海の浦東では、簡易なビジネスホテルに宿をとってもらったのであるが、ここでも何やら顔を認証すると思しき機械を使い、パスポートの顔写真と照会していたようである。おそらくこのシステムはオンラインでデータが集められ、いつどこのホテルに、何者が泊ったか、即座に情報が届く仕組みになっているのであろう。むろん、今までも、宿泊の際はパスポートを見せ、番号を控えるなどしている。それは公安に報告されるのであるが、紙ベースでの作業であり、おそらく後でまとめて報告していたのであろう。それが現在はチェックイン時に即座に、である。どうも情報がどこかに送られ、当局のOKが出て初めて宿泊が許される、ような雰囲気である。
しかしそう考えると、大陸で最近増えている民泊などは、依然として適当なものである。宿帳に姓名とパスポート番号を書いてオシマイ、という形態が一般的である。これなども、今後は厳しくなってゆくのかもしれない。

地下鉄に乗る際の荷物検査も、近頃ではちゃんと検査機に荷物を通さないと通してくれない。少し前などは、みんな無視して通っていたものである。それがきちんと荷物を通さないと通過できなくなっただけではなく、実際に中身を改められるようなことが数度あった。
たくさんの筆を持って乗ろうとしたときなどは、爆竹の束を持ち歩いているかと疑われたし、数個の硯を持ち歩いたときなどもバッグをあけられて「これは何ですか?」と聞かれたものである。何ですか?って硯ですよ、と言っても通じない人もいるのである。墨、についても同様な事があったが、これらはX線の検査機には固体の爆薬にでも見えるのだろうか。真鍮製の筆帽をたくさん持ち歩いたときは、弾丸かなにかと勘違いしたらしい。
空港のセキュリティであれば致し方ないとも割り切れる。高速鉄道の駅でも、致し方ないとは思う。しかし日常乗る地下鉄でこれをやられると、これはたいそう難儀な思いがする。昔に比べて交通の便が良くなったはずなのに、なぜだか移動のストレスが高くなっているようなのは、気のせいばかりなのだろうか。自動改札の存在を打ち消して余りある。それは煩わしさ、である。
上海の朋友に言わせれば「比較的安全な上海で警戒を厳しくする理由はなんだと思いますか?犯罪ではないですよね?テロを警戒してのことだと思います。」という。
もちろん、実際に地下鉄で有毒ガスを使ったテロを経験した国の人間からすれば、起こりえない事ではないというのもわかる。場合によっては、航空機のテロ以上の犠牲者が出かねないわけである。

大陸政府では、個人の行動履歴を蓄積するシステムを構築し、特定個人に法令違反などがあれば銀行口座を開設できない、また航空券や列車のチケットを買えなくなるなどの、行動の制限を設けようとしている。これを”档案”制度というが、この制度は今に始まったことではない。古くは王朝時代に起源がある。しかし王朝時代の”档案”は一定身分の者が対象として限られていたが、中華人民共和国成立後ほどなくして実施されたのは、すべての人民が登録される国民管理制度である。
しかし書類で管理されてきた牧歌的な”档案”の情報を、データ化してオンラインで照会できるとなると、全く違った威力をもつシステムになる。飛行機や列車での移動にも身分証が必要なのが大陸の旅であるが、IDと档案を紐づければ、問題のある人物への乗車券、搭乗券の発券を止めること事が出来る。それは移動の自由だけではなく、さまざまな行政サービス、銀行、あるいは就業などの、あらゆる生活面に影響を及ぼすことが、原則として可能になるのである。

こうした管理の強化は、人民の総意を経たものではむろんないし、人々が反対か賛成かにかかわらず、政府の意思によってどんどんと進行してしまうのが、かの国の体制が民主国家ではない所以でもある。
このような国民総管理システムの構築は、犯罪捜査や、犯罪抑止、またはテロの抑止にも、たしかにある一定の効力はあるだろう。シンガポールが公共のマナー違反にこと細かく罰金を科していった結果、街が美しくなっていったごとくである。そういえば現主席は、シンガポールの統治を大いに称揚していたものである。

しかし当然、専制独裁国家におけるその種の制度は、国民の健康安全のためではなく、体制維持が主目的である。個人的な予測であるが、今後、この”档案システム”は、さらに広範に、精緻に構築が進むと考えている。人民は今までより一層、体制に従順であることを強いられるだろう。”档案システム”の強化は、逆の面から考えると、それだけ人民の体制への不満の高まりを、政府自身が予測している事実の表れであるともいえる。人民の不満の原因は、いつの時代も変わらず、経済、経済政策、である。
実際の所、昨年の大陸の経済情勢は思わしくないし、数々の施策によっても、劇的な改善はほとんど見込めそうにもない。どこを見渡しても過剰設備が山積しており、投資効果が著しく低下している。金融や財政出動の手段を講じても、もはや有効なカネの使い道が乏しいのである。各地の不動産価格は下落傾向を強めているが、大陸政府はきたるべき不動産バブルの本格的な崩壊に、身構えているようにさえ見える............

日本でも”マイナンバー制度”が施行されたが、どうもうまく普及が進んでいないようである。運用面でも疎漏が多いというが、本質的には、番号で個人が特定され、あらゆる情報と紐づけられることへの、本能的な忌避の感覚があるように思える。そうはいっても、現在はクレジットカード番号、電話番号、パスポート番号、運転免許証、そのほか生活上必要な様々な番号やデータで、個人情報の特定や関連付けは、可能といえば可能な時代である。それでもそれが(縦割り行政等等のおかげで)分散管理されて(いるとはおもうのだが)、しかも個人の意思で改変や離脱が出来るのと、それが出来ないというのは大きな違いがある。
番号で国家に一元管理される事への嫌悪感というのは、民主主義の社会の住人の感覚としては、至極真っ当とはいえまいか。
ある日突然、銀行口座も電話もカードもすべて解約放棄し、住民票を離脱し、見知らぬ土地に越してしまえば、追跡は実際上は少し困難である。自由主義を標榜するのであれば、行方知れずになる自由も、どこかに少しあってもいいのではないか?くらいに思うのである。制度とはすべて、便利な反面、弊害もあることは、忘れてはならないだろう。
落款印01


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