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さて、「例年」という言葉がありますが、今年はあらゆる方面で極めて”異例”な年となりそうです。
好天の下で部屋に閉じこもるのはなんとも気鬱なことではありますが、硯に向かって墨を磨っていると不思議と気分が落ち着きます。寫經や小楷など、しばらく遠ざかっていた手本に立ち返って臨書を繰り返すのも、外出できない連休のひとつの過ごし方かもしれません。
”松麝”という言葉があり、これは墨を磨ったときに立ち上る松煙の香りの事です。好みは分かれるかもしれませんが、純粋で良質な松煙にはたしかに特有の芳香があります。
また先の見えない時こそ、過去に立ち返るということで、じっくりと歴史に取り組んでもいいのかもしれません。

以前に訪れた武漢の事を調べていたのですが、武漢はかつて江夏と呼ばれた大陸南部における戦略上の要衝にあたる地域です。三国時代は”黄祖”という人物がこの地を守り、孫堅・孫策・孫権と三代にわたる”孫家”と戦いを繰り広げました。史料では野戦で度々敗北を喫していますが、結局黄祖の守る江夏は孫家によって攻略されることはありませんでした。
この黄祖は、三国志に登場する武将の中でもおそらくは人気の無い武将のひとりでしょう。孫堅を射殺し、名士の禰衡を処刑し、最後は甘寧に見限られて敗死しています。そんな黄祖ですが、実は諸葛亮の舅なのではないか?というような面白い話を見つけました。

諸葛亮は襄陽の名士の黄承彦という人物の娘を嫁にもらうのですが、この黄承彦が黄祖、すなわち黄承彦=黄祖、という事なのです。ちなみに黄承彦の承彦は字(あざな)であると考えられますが、名はわかりません。一方の黄祖の祖は名ですが、黄祖の字(あざな)はわかっていません。つまりは黄祖、字は承彦、という事で黄祖と黄承彦は同一人物ではないか?という事なのです。
「そんな、まさか!」と三国志を愛読する人は思うかもしれませんし、私も初めはそう思いましたが、中国のネットで見つけた文章の論拠を読む限り、あながちな話でもないな、と思うようになりました。
これは 南城太守(ペンネーム)という人が書いた「大爆料!諸葛亮的嶽父黃承彥其實就是黃祖」という文章なのですが、興味のある方は”百度検索”などで調べると出てくるので読んでみてください。
アウトラインはこの「大爆料!諸葛亮的嶽父黃承彥其實就是黃祖」を参照しながら自分なりの解釈も交えた文章を作っているところです。

『演義』では孔明こと諸葛亮は歴史の舞台に忽然と現れ、劉備に仕えるや大車輪の活躍を始めます。しかし晴耕雨読に日を送っていた人物が、何の経験もなしに行政や軍事に手腕を発揮するということは、現実的にはあり得ないことです。
前に「読留候論」で、劉邦の軍師張良が世に出る前の、いわば修業時代に関する蘇軾の考察を紹介しました。要は不思議な兵法書を学んだぐらいで天下の軍師になどなれるはずがない、という事を蘇軾は指摘していいます。それは三国時代の諸葛亮についても言えるでしょう。
襄陽の郊外で隠者のような青年時代を過ごしながら、とつぜん戦乱の表舞台に立って天下に采配をふるう姿には、『演義』やその元となった戯作の作者である読書人の夢と願望が色濃く投影されている、と考えられます。むろん、それは戯作の観衆や年若い読者の期待に沿うものでもあったでしょう。
しかし現実的には、孔明が行政や軍事について経験を積む機会や、力をふるう事が出来た背景があったことでしょう。
黄祖=黄承彦、という図式がもし成立するのであれば、当時の荊州の情勢や、その中での孔明の行動の理由が腑に落ちる点が多々出てくるのです。

ともあれ今は我慢の時期。ひとつ”臥竜”の心境で、そう遠くないであろう回復の時を、ここに雌伏して待つことにしたいと思います。
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