発売 筆四種

長らくお待たせいたしました。新入荷の筆を四種、リリースいたしました。どうぞご覧ください。

先月末に少し頼まれていた原稿があり、他にも諸々の所要が立て込んでしまい、準備がずいぶんと遅くなってしまった事をお詫びいたします。新老坑袖珍硯はもうしばらくお待ちください。止まっていた『三国志正史』のお話も続きがあります。

ところで三国時代というのは文房四寶の歴史を考えるうえでも重要な時代なのですが、調べるほどによくわからない時代でもあります。いや、現代から見れば”よくわかっている”時代なんか無い、と言えるのかもしれませんが、後漢から三国時代というのは、『三国志演義』で有名だけに良く知られてはいるけれど、よく分かっていない時代なのではないかと思います。

後漢から三国時代が文房四寶の歴史を考えるうえでなぜ重要かといえば、この時代から”能書家”が多く現れます。以前に”四体筆勢”の訳出を試みましたが、これが途中で止まっているのは、著者の衛瓘の生きた三国時代について、言うほど自明ではないな、と思ったからです。
有名どころでは蔡邕や鐘繇、韋誕が知られていますが諸葛孔明や息子の諸葛瞻、あるいは呉の張昭など、伝記に”隸書が巧み”というように書かれている人物は少なくないのです。能書家の出現は、それを支える道具の発達を意味します。それ以前の時代で能書家といえば、始皇帝に仕えた李斯が有名です。他、程邈、趙高、胡母敬などいずれも秦に仕えた人物の名が見られます。しかし他を見渡すと、戦国春秋時代を彩った縦横家にしても楚漢戦争で活躍した策士達にしても、水準以上の知識人であったはずなのに”書が上手”というような事が書かれていないのですね。もちろんこれは秦による文字の統一と関係があると思いますが、ともかく少ない。また前漢では蕭何、嚴延年、揚雄、陳遵、史遊が能書家という事になっていますが、やはり多いとは言えません。

後漢から三国時代に”能書家”が現れるのは、書が上手であることに技能として価値が認められた事を意味し、それは書の鑑賞が進み、また能書家それぞれが個性を発揮しうるだけの道具や材料が改良された、という事でもあります。現在からみれば書がうまいかどうかは”趣味”の範囲で語られてしまいますが、筆記が統治の根幹をなす手段であった以上、それに長けているという事は、趣味性以前の重要な意味を持っていた、と考えなければならないでしょう。

漢代に紙が発明されたといわれていますが、後漢から三国時代にかけてもおおむね木簡・竹簡が使われていた、とみてよいでしょう。くわえて石刻も重要な筆記の材料でした。しかし竹簡、木簡では重さや体積に比べて、記述できる文書量がやはり少ない。
紙の量産が可能になるという事は、今で言えば半導体産業で従来とは桁違いの容量を持つ記憶媒体が開発・製造可能になった、という事に等しいわけです。そのような意味では古代の製紙業、あるいは製墨業というのは現代の半導体産業に匹敵するような、高度な知識と技術を要する、当時としては極めて重要な産業であったわけです。


『三国志正史』には実際に紙の使用を思わせる記述が散見します。たとえば魏書の『程郭董劉蔣劉傳』には


帝納其言、卽以黃紙授放作詔


とあり、また『呉書』の「張嚴程闞薛傳」には、


居貧無資、常爲人傭書、以供紙筆。


など、後漢から三国時代には紙がある程度は使用されていた事がうかがえます。とはいえ当時の出土文物には依然として竹簡・木簡が多く、書籍と言えるほどの紙の出土例は多くないわけです。


知識が非常に貴重な時代、知識の媒体もまた貴重だったはずです。実は書きかけの”黄祖=黄承彦?”は孔明の事を調べているうちにたどり着いたのですが、孔明について調べていたのは、孔明が当時の知識人としてはかなり特異な存在だったからです。それは孔明だけではなく、当時の琅琊の諸葛氏がかなり突出した存在だったことでもあります。ある意味、魏を簒奪して晋王朝をたてた司馬氏と表裏をなす存在、と言えるほどに一種異様なほどの存在感を放っています。それには理由があったはずで、それが何であったのか?という事を考えながら、後漢から三国時代における知識人像がつかめれば、というような事を構想している次第です。
落款印01


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