黄山図墨 〜丹霞峯

黄山図墨の一つである。黄山は、言うまでもなく安徽省南部に位置する中国の名山であり、徽州一帯のシンボル的な霊山である。現在は国際的な観光地となり、内外の観光客を集めている。(参考サイト)
黄山図墨墨匠銘が無いため、この黄山図墨を制作した墨匠は未詳である。三十六景や十八景は、初めと最後の墨だけ、側面に墨匠銘が記してある場合が多いのである。しかし造作と墨質からいって、汪近聖か曹素功と考えているがいかがなものだろう。実際、黄山図墨は、徽州の主要な墨匠が競って造っている。過眼しただけでも汪近聖、汪節庵、曹素功、胡開文の造った黄山図墨がある。しかし各墨匠にしても、使用している型は一定ではなく、数パターンがあったそうだ。黄山図墨背面には「丹霞峰」の由来の五言絶句が刻まれている。
黄山図墨は普通三十六景や十八景よりなる。三十六景といった場合、黄山の主峰三十六峰が題材に選ばれるが、三十六峰の選定には諸説あって一定しない。この墨ももともと18本一組か、36本一組のセット墨であったのだろう。黄山図墨微細な彫刻が見事であるが、これは徽派彫刻の技術の高さの一端を如実に示している。「丹霞峯」は黄山三十六峰のひとつで、海抜1664mに位置し、その岸壁が赤く、夕日に照り映えて峯にかかる霞を赤く染めるということでこの名称がついたという。墨の肌には木目が見え、うっすらと青みを帯びた油膜がみてとれる。
黄山図墨頂面には「頂煙」とある。こういった意匠に凝ったセット墨は、現在ではお土産品に見られるように、劣った材料を使用していると考えられがちである。しかしやはり清朝のそれなりの墨匠となれば、磨られたときにその名声を失うような墨は作らないものである。この墨はわずかに磨墨してあるが、墨質は硬く稠密で、墨色も上々である。黄山図墨側面に、白いペイントでナンバーが振ってある。これは一説には文化大革命のときに、没収された品物が文物局の手で博物館に保管された際につけられたものだという。上海の趙正範氏はそのように語っているが、諸説あり真偽の程は未詳である。
文革終了後、目録を元にもとの持ち主へ返却されたということだが、所有者が死亡していたり、所在不明になっていた場合、そのまま博物館に収蔵されたままになった。また一部は市場に流出したという。
この墨がいかなる経路で市場に出てきたかは今となっては確かめるすべもない。が、こうしたセット墨がバラで手に入ると、一度完全に揃ったところを見てみたかったと、いつも思うのである。また彫刻が見事なので、やはり磨ってしまうには惜しい墨である。まして18本ないし36本が箱に全て揃っていたら、とても手をつける気には私はならないだろう。ただ、素晴らしいセット墨でも時代の流れの中、人手を渡り歩きながらいつしか散逸して行くのである。
偶々一つが私の手元にある。その運命を想うとあだやおろそかには出来ないものである。
落款印01


calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM