潜口で見つけた印譜 〜徽派篆刻簡介

呈坎鎮からの帰路、「潜口故民居」へ立ち寄った際に、小さな骨董屋で古い印譜をみつけた。表紙がカビて一部腐りかけていて、かなり汚い印象であったが、中の紙は綺麗であった。はじめの数ページに印が押してある。
古い印譜いつの時代かは判然としない。雁皮紙か、上質な竹紙のような雰囲気である。古い紙のサンプルまでに、安かったので購入してみた。帰国してから改めてみると、押してある印は古雅で味わいがあり、使われている印泥の色も良い。
徽州は、篆刻が興隆した土地である。宋代から学術が盛んな徽州では、特に金石学(古代文字、言語の研究)においては全国でもその研究の中心地であった。徽州の学祖とも言うべき朱熹(朱子)以来の伝統と、明代、清朝と朱子学が国学とされたため、特に儒教教育が重んじられたことが背景にある。古い印譜明代中期以降、従来の印工による刻印に代わって、文人による刻印、いわゆる篆刻が発展していったといわれる。この時期に篆刻で名を成した「文人」の多くは金石学の研究者達であった。(現在でも、杭州の西冷印社は中国における金石学の中心地と自負しているように)金石学の中心であった徽州は、文人による篆刻の発祥の地とも言え、”徽派”あるいは”新安派”などとも呼ばれる。古い印譜古代文字を研究する金石学者達は、印についても古代の印章を蒐集、研究しながらその印の書体に反映させていった。

古印を研究する際に、重要な資料として「秦漢印統」がある。この編纂に羅小華の息子、羅王常がかかわっているらしい。「らしい」というのは、本当に羅小華の息子なのか、判然としないところがあるからである。
罪を犯して一族処刑されたはずの羅小華の息子が、なぜ生き残っているのか?まったくもって謎である。羅王常は、連座を免れるために改名までしているというが、改名程度で逃れえたのか。
この古印研究の必須の書である「秦漢印統」の成り立ちを追ってゆくと、実は羅小華の運命やその子孫のその後について、明らかになってくるだが、それはまた別の機会に述べたいと思う。古い印譜日本では、篆刻といえば、北の斉白石か南の呉昌碩か、あるいは呉熙載(1799〜1870 )かといったところであるが、その源流をたどると(斉白石を除いて)みな徽派篆刻にさかのぼることが出来る。
呉昌碩や呉熙載、また特に呉大徴(1835〜1902)はみな金石学の研究者であったことを思い合わせていただければと思う。古い印譜この印譜、印風がそろっているので、持ち主が刻した印を集めたものかもしれない。ひとつひとつ調べながら、あれこれと推理するのも楽しみである。
落款印01


calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM