筆と紙の美称 〜徐文長の「応制咏墨詞」を読む?

前回からの続きで、「応制咏墨詞」の解釈を進める。全文は1回目を参照していただければと思う。第二句目、

守兼楮郡

書き下せば、
「守(しゅ)、楮郡(ちょぐん)を兼(か)ぬ」
になろうか。

「守、楮郡を兼ぬ」はそのまま訳せば「楮郡の太守を兼ねる」というところであろう。第一句の「侯、松滋を拝し」と併せて、「松滋国を拝領し、楮郡の太守を兼任する。」というほどの意味か。この「守兼楮郡」も墨の美称である。

後唐の馮贄「雲仙雑記•墨封九錫」に“稷(薛稷)又為墨封九錫,拜松烟都護、玄香太守、兼毫州楮郡平章事。”(稷は又、墨を九錫に封じ、松煙郡を拝領し、玄香太守、毫州楮郡の平章事を兼ぬ) とある。「守兼楮郡」はこの一文を踏まえていると考えられる。

この馮贄の「墨封九錫」も、墨を高級官僚に擬した一文である。
薛稷(649〜713)は唐代の官僚・書画家で、書は欧陽詢・虞世南・褚遂良並んで初唐の四大家とされる。
「九錫」は元は九種類の礼器のことである。天子が諸侯を饗応するとき、これを用いることは最高の礼遇を意味する。転じて“位人臣を極める”という意味でも用いられる。
「薛稷が墨を九錫に封じる」というのは、墨とその墨を用い重んじた書画家の関係を示している。
「拜松烟都護」は第一句「侯、松滋を拝し」とほぼ解釈を同じくするとしていいだろう。
「玄香太守」の「玄」は前回も説明したが墨の別称である。
「毫州楮郡平章事」の「毫州」は現在の安徽省西南部にある「毫州市」をさす。「平章事」は実質的な宰相である。
「毫」は商の時代(BC.1562-1066)の都邑であり、現在の河南省商丘付近である。その南東方向、すなわち安徽省北西部は「南毫」と呼ばれた。北周(AD,556-581)末期にこの地が「毫州」とされた。「毫」はもちろん羊毫の「毫」であり、そこにかけて「毫州刺史」といえば筆の美称である。
「楮郡」は「会稽褚知白」という語がある。「会稽の人、姓は褚、名は知白」である。「会稽」と呼ばれた現在の浙江省の紹興は、古代の紙の産地で、献上紙を納めていたという。また名の「知白」は「(余)白を知る」、すなわち紙を指す。よって「会稽褚知白」というと、紙の美称となる。
「褚」は「楮(こうぞ)」と音が同じであり、「楮」はいうまでもなく、紙の原料である。今では和紙に専ら用いられると考えられがちであるが、現在の中国でも「楮」を用いた紙は作られている。
また河南省華陰県も古代紙の産地であり、「褚知白為華陰人士,字(あざなは)守玄」ともいう。いずれにせよ「楮郡」というと紙の産地をさし、紙そのもの指すと考えていい。さきほどの「毫州」は河南省に近接しているから、ここでの「楮郡」は河南省付近を指している可能性もある。
また「字(あざな)守玄」というと「玄」すなわち「墨」を「守る」ことから「紙」を指す。墨の表現効果の決め手となるのが「紙」ということであれば理解しやすいであろう。
逆に「守楮郡」というと、「楮郡」すなわち「紙」を「守る」、ということから「墨」を指すのである。

ここで少し脱線する。馮贄の「墨封九錫,拜松烟都護、玄香太守」から「九錫」と「玄香」をとって「九錫玄香」といえば、羅小華の墨として知られている。これは日本の宇野雪村氏が所蔵していることでも有名であるが、未だ過眼する機会は無い。一説には、羅小華の墨の中でも最高級品だという。
この「九錫玄香」が本当に羅小華の作った墨だとすれば、日本へもたらされたのは、やはり明代の嘉靖年間のころと考えられる。時代が下がり、万暦年間になればとてものこと、すでに伝説となった羅小華の墨が日本へ流出するチャンスはなきに等しいと考えられるからである。まして清朝に入れば、日本の江戸幕府はすでに鎖国をしいている。しかも中国でも、羅小華の墨は残墨といえど、極めて入手困難になっている時期である。
当時の中国でも非常に高価で希少な羅小華の墨が、日本へ招来されていた可能性はあるのだろうか?
少し前までは、「本物が渡来した可能性はほとんどゼロ」と考えていた。が、色々調べていると、あるいはひょっとして、と思わなくも無い。

史書にははっきり書かれていないが、羅龍文(小華)が処罰された罪状から察するに、王直や徐海が排除された後の倭寇残党の取りまとめに、羅龍文が大きく貢献していたと考えられる。かつ倭寇勢力と結合した密貿易に、羅龍文が深く関わっていたフシが見られるのである。
理由の一つが、羅龍文の”日本亡命計画”である。
処断された厳世蕃と羅龍文の罪状は、百を越えて数え上げられたというが、その中で“外投日本”という罪状がある。厳世蕃とともに、日本へ逃亡(亡命)しようとしたというのだ。(この件は別の機会に検討したい)
結局事は成らなかったが、もし、羅小華が日本へ逃げおおせていたならば、日本の文化史にそれなり以上の足跡を残したかもしれない。あるいは日本の製墨業も、いまとはずいぶん違ったものになっていたかもしれない。

「応制咏墨詞」の解釈を試みるにあたり、ここで詠われている「墨」は羅小華の墨ではないか?というぼんやりとした予測があった。読解を進めるにつれて、だんだん確信に近いものが感じられるようになった。もっといえば、この詞は、徐文長がその生涯で経験した、重大な政治事件が下敷きになっているのではないか?と考えられるのである。

(つづく)
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