筆と画蘭 〜武林邵芝巌精選「大號純狼毫蘭竹筆」

武林邵芝巌精選「大號純狼毫蘭竹筆」である。武林邵芝巌 純狼毫蘭竹筆使用済みの状態で現れ、筆鋒の毛の一部が欠損していたが、命毛が無事だったのでまだ充分に使うことが出来る。前の持ち主の手入れが良かったのか、根元の墨溜まりもあまりなく、洗浄したら綺麗になった。武林邵芝巌 純狼毫蘭竹筆「武林邵芝巌」の商号を使用していることから、時代は戦後から1957年の”公私合営”の間の時期の製品と考えられる。日本へもたらされたのは1960年代前半であろうか。この頃の唐筆には、まだその伝統の余薫が漂っている。筆銘も邵芝巌独特の、繊細で精緻な楷書体である。細いながらも筆意が横溢する刻線を、鮮烈な藍と紅の顔料が埋めている。武林邵芝巌 純狼毫蘭竹筆武林邵芝巌 純狼毫蘭竹筆
この”蘭竹筆”は、文字通り蘭竹画に用いる画筆である。特徴はなんといってもその筆管の長さで、筆鋒を含めた長さは30cmにも及ぶ。小生が持つ筆の中でも突出した筆管の長さである。私はT.H先生所蔵の、同じく邵芝巌の蘭竹筆を過眼したことがある。規格が”小號”でこの”大號”よりも細い筆であったが、両者の筆管の長さはほとんど変わらなかった。
また、どういう竹から採取したのか、これほどの長さの筆管であってもまったくゆがみが無い。机上で転がすと、筆管が滑らかに回転してくれる。
蘭画の中心は、なんといっても蘭葉にある。軸長が長いと、手首から筆先までの回転半径が大きくなり、わずかなスナップでも筆鋒が大きく運動する。蘭葉の先端を軽快かつ鋭く出鋒する際に、この筆管の長さが生きることになるのである。
筆鋒は右の写真のように、水を含むと筆の中ほどがふっくりとした紡錘形にまとまる。このふくらみのある筆鋒は、まず水を含ませたあとに濃墨を取ると、筆鋒の中心と筆鋒の側面で墨の濃度に幅が出やすい。筆線の中に自然と濃淡の変化が出るのである。
また筆鋒に使われている精良な狼毫(イタチ毛)は、多少抵抗を感じる紙面の上でも、鋭くかつ滑らかな蘭葉を描き出してくれるのである。画蘭元代の明雪窓(みんせっそう)(生卒年未詳)、名は普明(ふめい)は蘭画の名手として知られ、一時期蘇州では非常に流行した。当時の呉(現在の蘇州)の俗謡に、“家家恕斎字,戸戸雪窓蘭。春来行楽処,只説虎丘山”(家々には恕斎(班惟志)の字画があり、部屋ごとに雪窓の蘭画がある。春の行楽は皆は虎丘山へ行く。)といわれた。
が後世、流行し過ぎたせいかやや軽んじられた時期があり、中国には真跡は伝世していない。元の時代、日本人画僧の頂雲は、留学先の蘇州で雪窓に画蘭を学んだといわれる。その頂雲からもたらされたと考えられる、数点の雪窓の作品が日本に伝存しているのみだという。
また雪窓は、自らの蘭画の秘訣を記した「画蘭筆法記」を遺している。が、これも中国に伝本はなく、日本に伝わっているものが残っているのみであるという。中国では忘れられてしまった雪窓の画法は、日本の禅宗画に深い影響を与えているといわれる。
「画蘭筆法記」には蘭画法の要訣が、実に詳細に記されている。全文の内容の詳述は別所に譲るが、その冒頭の一文に
“画蘭,画花易,画叶難,必得銭塘黄于文小鶏距様筆, 方可作蘭。”とある。抄訳すれば「画蘭、花を画くのは易しく、葉は難しい。必ず銭塘の黄于文の小鶏距様筆を得よ。蘭の作画に向いている。」となろうか。
「銭塘の黄于文」は、元代の銭塘(現在の杭州市)の名筆工。その黄于文が作った「小鶏距様筆」を用いるべし、という。「鶏距様筆」はすなわち「鶏距筆」である。
「鶏距筆」は、筆鋒の先端が「鶏距」つまり鶏の爪先のように、先端が鋭く突出している筆であるという。現物はこれも中国に伝存していないが、日本の正倉院に納められている天平筆がすなわち「鶏距様筆」であるといわれている。
白居易の「鶏距筆賦」に「不得兔毫,無以成起草之用。不名鶏距,無以表入木之功。」とある。”兎の毛でなければ、文章を書くことが出来る筆は作れない。筆(の形状)は鶏の爪先のようでなくては、木片に書いて墨が木に浸透するほどの筆力は発揮しない”とでも訳せようか。
「入木之功」は、いわゆる「義之入墨三分」のことで、筆力の強さを表す。晋の王羲之が木板に題字を書いたところ、墨が板に3分の深さで浸透したという故事から来ている。この場合の「筆力」は、いわゆる「筆圧」とはやや意味が異なり、書き手の”気”が筆を通じて板に透徹することを言う。
いずれにせよ「鶏距筆」は兎の毛を使った、筆鋒の先端が鋭く突出した硬毫筆であったと考えられる。
雪窓は「鶏距筆」を画に用いているが、書に用いる筆を画に転用した例であろう。しかし画法を述べるに、使用する筆の筆工を名指しで言及している例は稀である。雪窓が詳細に蘭画を説いたためか、大いにその画風が流行り、「戸戸雪窓蘭」となったのかもしれない。
いずれにせよ、画蘭(画竹もそうだが)を描くには、まず筆の選定が肝要であることを「画蘭筆法記」は示している。

もとは筆記用の筆と画用の筆の区別は無かったが、画家からの要求の影響で、徐々に画用に構造を工夫された筆も作られたと考えられる。
現在の杭州市には中国美術学院があり、南方画壇の中心地である。宋代以降、蘇州と並ぶ江南の大都市であった杭州は画の需要も高く、歴代多くの書画家や文人画家がこの地で活躍した。したがって画筆の改良も進んだのであろう。明代の名筆工、杭州の張文貴は特に画筆で名高く、「画筆は杭の張文貴をもって首位とする」と賞された。
清朝後期に杭州に創設された邵芝巌も、精選した”北狼毫”を用いた画筆、”蘭竹”や”山水”をもって名声を博した。他にも写意、花卉、叶筋、衣紋、紅豆、小精工、鹿狼毫書画など、画のジャンルや画法を筆名に冠した製品が知られている。これらの画筆は、邵芝巌オリジナルであったかどうかは不明であるが、いずれにせよ杭州画筆の工夫の積み重ねが生かされているのであろう。
以前にも述べたが、創設者の邵芝巌は筆だけではなく、蘭の栽培の世界でも歴史に名をとどめたほどの無類の蘭癖家である。蘭竹筆には特に力を注いだのではないだろうか。この特徴的な長い筆管をもった蘭竹筆には、通常の筆の規格を思い切って逸脱した勢いが感じられる。
また小生のような凡手にも、雪窓には遠く及ばなくとも、ほどほどの蘭葉を描かせてくれるのである。けだし名工の苦心の賜物であると、思われてならない。
落款印01


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