湖州から奉天へ 〜胡魁章「文章一品」

胡魁章「文章一品」である。「胡魁章」は狼毫など、硬毫筆に特色があるが、羊毫の大筆にも精良な品が見られる。といっても、手元にあって古そうなのはこの「文章一品」だけであった。胡魁章 文章一品「文章一品」は、”一品”すなわち”逸品”というほどの意味である。「文章一品」というだけに、前に紹介した戴月軒の「一天星斗煥文章」と同じく、筆記に用いられた実用の兼毫筆である。時代はこれでもやはり戦前には遡れようか。胡魁章 文章一品筆管はいたって質朴なつくりであるが、筆銘に白と赤の顔料を使い分けている。筆管は短く、軽く出来ている。胡魁章 文章一品使われている毛は、兎の毛(紫毫)を中心に多く配合し、根元に若干の羊の毛を使った、九紫一羊ないし八紫二羊であると思われる。使用済みの状態であったが、筆鋒の損耗は少なく、鋭い切先が健在である。

清の咸豊四年(1854)、浙江人(一説に湖州人)の胡魁章は、家族を引き連れて奉天(現沈陽市)に移住し、2000銀元を投じて四平街に胡魁章筆店を開いたという。
奉天といえば、清朝の発祥地であるが、万里の長城から北は、漢民族の意識では「地の涯」である。が、胡魁章は、北京よりも北には良い筆店があまりないと考えた。また北方の野生のイタチなど、製筆に必要な優秀な毛が採取できることで、従来にない良い製品が作れると考えたのである。
道光末年には、奉天の皇陵総管であった福康阿が賞玩し、これより宮中にも名が聞こえるようになり、宮廷用の筆の製作にも携わったそうである。
宣統元年(1909)ごろは孫の胡沛然が後継し、満州国時代の1930年代には曾孫の胡風翔が経営をおこなった。満州国時代は、日本から”安価な”和筆や文房具が大量に流入し、経営は苦難を極めたという。また
1956年には”公私合営”によって、胡魁章と李湛章(これも明末から続く老筆店)を中心として、文華、吉祥、君文公などの文房具店と合併し”胡魁章筆庄”が創設される。文化大革命の時期は経営が一時中断し、1980年になってようやくもとの”胡魁章筆庄”として経営を再開している。その際に、満州時代から残留していた日本人従業員が再開に力を尽くし、海外市場の開拓に貢献したという。
また、書道好きで知られる中曽根元首相が愛用し、1991年の訪中時に特に側近に依頼して胡魁章の製品を求めさせた話が残っている。
(日本の現首相は書などされるのであろうか......?)
”胡魁章筆庄”は現在も経営を続けているが、現役の筆工は店主の張海先以下わずかに二名、その存続が危ぶまれている。2008年になって遼寧省非物質文化遺産に登録されたが、後継者がいないため、いずれ消えていってしまうかもしれない。
奉天で製筆業を営んでいた胡魁章は、良くも悪くも、日本との関係が深い筆店であった。同じ文化を共有しあうということは、国家間の抗争や対立を超えて、違う民族の間に共感をもたらす基礎となる。日本と中国の間で言えば、書画の文化と文房四寶はその最たるものかもしれない。胡魁章筆庄もまた、歴史の中で貴重な役割を果たしたといえる。しかし80年代に日本へも輸出されていたという胡魁章であるが、現在その製品を日本国内で目にすることは稀である。
この筆を前に、前世紀の日中間の歴史にしばし思いをめぐらせる。また温暖な江南から寒さ厳しい奉天まで、湖筆の伝統を伝えた胡魁章の気概を想い、改めて畏敬の念を覚えずにはおれない。
落款印01


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