八寶印泥(一得閣八寶印泥) 〜墨汁の歴史?

北京製墨廠「八寶印泥」である。七宝の愛らしい印盒(いんごう)に入っている。1970年代の製造であるから、さほど古いものではない。八寶印泥この印盒、中身を使い切った後は印泥を足して使い続けることが出来る。「八寶印泥」の空になった印盒は、骨董屋でも稀にみかけることがある。この時代の北京製墨廠「八寶印泥」は、七宝のほかに堆朱で出来た印盒もあるが、悪い作りではない。この程度の七宝の印盒も、骨董屋で買えば100元や200元では済まなくなってしまった。
近年の印盒は総じて安物の白磁青花で、図柄も龍がうねっているような、中国趣味を勘違いしたようなものが多い。八寶印泥あまり使っていないのであるが、この当時の印泥の色はまだ良いものであるし、30年以上経過しても鮮やかな色合いを保っている。印泥は硫化水銀である朱砂などの化合物を原料にしており、比較的安定した顔料である。本来は金と同じく、経年による退色が少ないはずである。実際に、数百年を経過しても、書画の落款印や収蔵印の朱は鮮やかな生彩を保っている。
が、篆刻をされている方ならお分かりと思うが、最近の印泥は質のよくないものが増えた。色合いそのものが悪くなったこともあるが、押した後何年かすると色が黒ずんでくるものもある。

何ゆえ「墨汁の歴史」という副題なのか?この印泥を造った「北京製墨廠」も、1956年の”公私合営”によっていくつかの店舗が合併し出来た国営企業である。その前身の中核となった店は、瑠璃廠の”一得閣”といった。1980年代の改革開放経済下で、再び”一得閣”に名を戻し、現在も”一得閣”の名で営業をおこなっている。
この”一得閣”こそ、”一得閣墨汁”で知られる、史上はじめて墨汁を作り出し、その墨汁をもって創業した店なのである。
創業者は安徽省歙県出身(原籍は湖南省)の謝?岱。創業は清朝も末期の同治四年(1865)にまで遡るから、墨汁の歴史もはや140年ということになる。創業者の謝?岱は、実は歙県出身というだけあって、非常に墨の製造に詳しく、製墨の歴史を語る上で欠かすことが出来ない研究者なのである。が、この謝?岱の経歴と一得閣の成立については次回に譲るとしよう。

この「八寶印泥」は、もともとは「珍珠(真珠)、瑪瑙、珊瑚、麝香、梅片、金箔、琥珀、猴」などの八種類の珍奇な香料や薬剤を混ぜて製せられることからいう。康煕十二年(1673)、[さんずい+章]州の魏長安(ぎちょうあん)が経営する、麗華斎(れいかさい)という薬剤商が販売を始めたのが最初である。
冬でも凝固せず、夏でも油が分離せず、水に数日漬けても使うことが出来、また印を押した紙を焼いても、その印影のみは残るといった性質を持っていたといわれ、非常な好評を博し、宮中にも納められることとなる。
魏長安ははじめ、「源豊斎」という商号の薬剤商をいとなんでいた。彼は薬剤の研究に非常に熱心で、さまざまな材料から「八寶膏薬」という万能外傷薬を作り出したが、材料費があまりに高価で、販売は不振であったという。外傷薬を必要とする人々の多くは庶民であるはずだから、高価な「八寶膏薬」はあまり売れなかったのかもしれない。
魏長安はまた書画を非常に愛好しており、薬剤研究の基礎の上にたって印泥を作ったところ、こちらのほうが評判を呼ぶことになる。そこで「麗華斎」という印泥販売用の商号を、新たに創始したというわけである。
印泥は仙薬にも使われる「朱砂」を用いるため、当時としても非常に高価なものであった。が、書画を愛好し、収蔵印などの用途に優れた印泥を必要とする人々は、それなりの経済力をもっていた階層である。貴重な書帖や絵画に使うのであるから、良い印泥であれば価格の高下は問わなかったのであろう。
収蔵家や蔵書家にとって、低劣な色の印を書画の上に遺すのは、他の収蔵家や具眼の士に、その見識を疑われかねない行為である。まして劣化退色するような印泥であれば、書画の風采を著しく損なうことになるのである。印影とともに自分の雅号が残ることになれば、それこそ永遠の恥である。
落款印は、書画作品を構成する重要な要素である。しかし、書画の鑑定の際に、落款印を重視しすぎる鑑定士(のような人)も良く見かける。が、これはこれでやや見当違いである。書画の真贋判別には、やはり作品そのものを見なくてはいけない。落款などは、幾らでも偽作されるものである。
ただし、低劣な印泥が押されている作品は、それなりの収蔵家の手にあったとは、まず考えられない。そういった意味では、印泥の色の良し悪しや、時代による色合いの好みは、ある程度の手がかりとなるだろう。

話がそれたが、「麗華斎」の八寶印泥の製法は無論のこと、秘中の秘であった。が、その名は広く喧伝され、さまざまな業者が「八寶」を冠した印泥をつくりだす。配合はそれぞれ違っていたが、一得閣の「八寶印泥」はすなわち「紅宝石、紅珊瑚、珍珠、金箔、朱砂、麝香、冰片、百年以上貯蔵したヒマシ油」という「八寶」で作られているということになっている。(サンゴや宝石というのは、多分に疑問が残るのであるが。)この「八寶印泥」すぐれた品質で評判をよび、墨汁とともに一得閣を支える主力商品となった。その製法、「特制八宝印泥制作技芸」は、北京の「宣武区級非物質文化遺産」に指定されている。

「八寶印泥」を作った一得閣とその墨汁、そして創設者の謝?岱については、また回を改めてということで。

(つづく)
落款印01


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