科挙制度と墨汁の誕生 〜墨汁の歴史?

前回からの続き。墨汁の考案者にして一得閣の創設者は謝?岱である。徽州は歙県の人(原籍は湖南省であったが、徽州で学んだようである)。同治二年に挙人となる。同治三年、北京で会試に挑むが失敗。科挙制度の詳しい解説は他所へ譲るが、会試は三年に一度、北京で開かれる試験である。会試に合格すると、晴れて進士となり、高級官僚への道が開けるのである。再掲になるが、科挙の答案用紙を掲載する。(時代は不明)
科挙答案科挙答案
科挙の答案は濃く明瞭な墨色で、かつ端整な楷書体で書かなければならない。特に清朝では、“翰林体”と呼ばれる、官界特有の書体が求められた。墨色が薄ければ不合格である。滲んでいてもカスレていてもいけない。また答案用紙を汚してももちろん不合格である。
答案用紙は配布されるが、墨や硯、筆は各自持ち込むのである。無論のこと、質の精良なものが求められた。

宋代から清朝にかけての王朝時代は、個性的な書体を創出した文人書画家を多数輩出したが、そのほぼすべての者は、多かれ少なかれ、幼少期から科挙の受験勉強に多大な時間を費やしていた。よって、どれほど奔放な書風を生み出した者であっても、幼少期からキッチリとした答案作成を叩き込まれているということは、当時の学書がどのようなものであったかを考える上で忘れてはならない。
また、古い墨を鑑別するうえで、その墨銘が「翰林体」に近い端整な書体で書かれているか、あるいは文人風の個性的な書体であるか、あるいはフォーマルな篆書体であるかは、その墨を注文した人物や時代、目的を推定する上で極めて重要な情報である。

話がそれたが、同治三年の会試で謝?岱、試験終了間際にに墨が尽きてしまい、あわてて墨を磨ろうとしたら答案用紙を汚してしまう。書き直そうとして焦れば焦るほど筆先が乱れ、答案が作れない。結局、答案を書き切ることが出来ずに試験時間が終了し、しばし茫然自失の状態であったという。
謝?岱は試験勉強の際、磨墨に多大な時間を費やしたことを思い、墨を磨らなくても良い液体墨の開発を思い立った。またこれは、時間制限のある試験に際しても有効であると考えた。謝?岱は弟の謝松梁と協力し、液体墨製造の研究にとりかかる。
謝?岱は歴代の製墨法を丹念に研究した。そして一室を密閉し、内部で数百の灯心をもって油脂を燃焼させ、室内に層毎に設けた鉄板上に煤を付着させる採煙法を考案する。その際、最上層の鉄板に着いた煤を“雲煙”とし、中ほどの煤は“中煙”また床に落ちた煤を“落地煙”として等級を区別した。高品質の油煙の量産が可能になった事は、墨汁の生産と品質の安定に大きな意味を持つことになる。
そして固形墨を水中で溶かすことにより、史上初の“墨汁”の開発に成功する。そして1865年、北京瑠璃廠44号に墨汁専売の墨廠を創設し、“一芸足供天下用,得法多自古人書。”(一芸をもって天下の用に供するに足る。古人の書より多く法を得る)という対句をつくり、その両句の頭一文字をとって墨廠名を“一得閣”とした。この対句には、この墨汁があれば従来の固形墨は必要が無くなること、またこの墨汁の開発には従来の墨の製法を研究した成果を反映している、という気持ちが込められているようである。当時の製品には最高級品の「云頭艶」他、「蘭烟」、「亮光」、「桐烟」、「大単童」、「双童」などがあった。
この墨汁は科挙に挑む受験生に大いに支持され、空前の成功を収める。
謝?岱は、製墨研究の成果を「南学制墨札記」にまとめ、又後に「論墨絶句詩」を残している。科挙答案また清朝宮廷内での御墨の製法を記した、「内務府墨作則例」を編集したのも彼だという説がある。歴代の墨の製法を相当に研究していることが、これらの著作から伺えるのである。科挙答案「論墨絶句詩」には、墨汁が普及し、固形墨が駆逐されてゆく様が記されている。墨汁の普及につれて、硯に代わって使用されるようになったのが「墨盒」である。「墨盒」は、もともとは、磨った墨液を腐敗・乾燥しないように保存しておくための道具であった。腐敗を防ぐため殺菌効果のある銅(白銅または黄銅)で出来ており、乾燥を防ぐために蓋の付いた箱の形をしている。「論墨絶句詩」には、学校やあるいは試験に臨んで硯を持ち込まず、この墨盒のみを携える者が増えていったことが述べられており、墨汁の普及が物語られている。
また謝?岱の弟子に河北省深県人の徐潔濱という者がいた。彼には経営の才があり、生産設備を拡大し、本格的な墨汁製造工場を北京の宣武区南新華街25号に開設した。また彼の代で「一得閣」は天津市や鄭州市、そして上海、西安へと分店や代理店を増やしていくことになる。

科挙制度が廃止されるのは「一得閣」創設後よりわずかに40年後の光緒31年(1905)である。隋唐に制定され、1300年の歴史を持つ科挙の受験者の中で、不合格の原因を墨と硯に求めたのは謝?岱くらいかもしれない。必要は発明の母というが、非凡な発想と言えるだろう。いずれにせよ、墨汁の成功と普及に、終焉間際の科挙制度が深く関係していたことは興味深いことである。

(つづく)
落款印01


calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM