墨の製法に仮託して 〜徐文長の「応制咏墨詞」を読む?

前回まで一句一句訳していたが、以下は5句まとめて解釈を試みる。そうしないと意味が通りにくいのである。

・龍剤犀膠
龍香剤に犀(さい)の角の膠

・收来共伴灯烟因。
收め来たり共に伴う灯の烟因

・煉修依法
煉修すること法に依り

・印証随人
印証、人に随ふ

・才成老氏之玄。
才(わづか)に成す老氏の玄。

まず「龍剤犀膠」であるが、唐代の馮贄(ふうさん)の「雲仙雑記」(うんせんざっき)が下敷きになっている。
「雲仙雑記」には『唐玄宗御案上有墨。有一天,玄宗看見墨上有一个小道士如蝿而行,当即叱之。小道士呼万歳,自称是“墨精”。并説凡世人有文者,其墨上皆有竜賓。以后竜賓就成為墨之代称。玄宗御墨是用油烟入脳麝金簿(即竜香剤)制成的。』とある。
意訳すれば、「唐の玄宗の机の上に墨があった。ある日、玄宗は墨の上を蝿のように小さな道士が行くのをみた。玄宗がこれを叱りつけると、道士は「万歳」を叫んだ。「墨の精」であると自(みず)から称し、
『およそこの世の文才のある者には、(使う)墨の上に皆“龍賓”がいるのです』と言った。
このことがあって以後、“龍賓”は墨の代名詞となった。また玄宗は油煙に龍脳、麝香、金箔をいれて(すなわち龍香剤)御墨をつくった。」となろうか。
ここで言う「犀膠」は犀の角から作った膠のことである。もちろん、当時の中国に犀が生息していたわけではない。東南アジア・インド方面から、珍貴な薬材としてもたらされたものである。漢方薬における犀の角は、インドのサイということになっている。
ただし実際問題、本当の犀の角かどうかは疑わしい面もある。「説文解字」には「犀、水牛に似る」とあるのだが、それこそ水牛の角で代用したということも充分に考えられる。現代おける印鑑用の犀角の多くが実際は水牛の角であるのと同じような事情で有る。
また“麒麟”が“キリン”ではなく、“獏”が“バク”ではないように、“犀”もいわゆる野生動物の“サイ”ではなく、空想上の動物を指していることも考えられる。「龍剤」の「龍」と並ぶためである。
現在の中国の製墨においては、使われる膠は牛の皮から生成したものが主流である。しかし、かつては鹿の角の膠も作られたようである。墨の側款に、「鹿角膠」を明記した古墨も見ること出来る。(清墨鑑賞図譜参照)
次の「收め来たり共に伴う灯の烟因」の「灯の烟因」は、油脂を灯(とも)して採取された“煙(烟)“を指す。油煙墨の原料である油煙である。すなわち「龍剤犀膠」と「灯の烟因」を「收め来たり共に」であるから、共に混ぜ合わせるのである。まさに製墨の工程における原料の配合である。
「練修すること法に依り」は、その油煙と龍香剤を、「法に依り」つまり製法に則って「練り」「修める」のである。油煙と膠、各種香料を練り合わせ、叩きに叩き、墨型に入れて墨をカタチ造る、ここも墨の製法そのものである。
「印証随人」は印証は字義通り「印」であろうが、製造した墨に墨匠の名を記すことであろうか。
「才(わづか)に成す老氏の玄」の「老氏の玄」はすなわち墨の美称であり、前段のような手間暇をかけ、「やっと墨が出来る」あるいは「わずかな墨が出来る」という意味だろう。
まとめると「龍剤犀膠」から「老氏の玄」までで、油煙墨の製造の様子を詠っていることになり、
「龍脳に犀の角の膠、それに油煙を混ぜ合わせ、製法に則って練り、型に入れる。それに墨匠の印を施し、ようやく素晴らしい墨が出来るのである。」とでも訳せようか。

ここで使われている「玄」にはもう一つの意味がある。「雲仙雑記」に出てくるのは唐の玄宗皇帝であるが、まさに「玄宗」の「玄」であり、端的には「皇帝」を意味しているとも解釈できる。そのばあい、前段ももう一つ、別の意味で解釈しなくてはならない。
まず「龍剤犀膠」であるが、「龍剤」も「犀膠」ともに中国の物産ではなく、外来の高貴薬であり、主に周辺国からの献上品としてもたらされるものである。
また「灯の烟因」であるが、「灯」は、街や村落の家家の「灯」であり、「烟因」は庶民の家の炊煙と読むことが出来き、民の活力そのものをあらわしていると解釈できる。それを「収める」のであるから、収税を意味していると読める。
また「煉修すること法に依り」であるが、「龍賓」の「賓」は発音が「兵」と同じであり「墨(龍賓)を練(煉)る」を「兵を練る」と解釈でき、「軍法に則って練兵する」と読めようか。
「印証随人」もまた別の意味として解釈しなくてはならなくなる。ここは古代の中国社会における「印」が、どのようなものであったかを考える必要がある。
「印証」すなわち「印」は、官僚や貴族に太守や郡守などの役職を与える際に、君主から授与されるものである。任命された者は、その役職にある限りは、印紐にヒモを通してその印を首にぶら下げておくものである。
「印を置く」「印を外す」はそのまま辞任を意味し、「印を奪う」というのは権限を剥奪することを意味した。古代中国における印は、現代よりも濃厚に決裁権(=権力)の象徴であったといえる。すなわち「印証人に随う」は人材に応じて(適材適所に)役職を任命する、と理解することができる。
まとめると「朝廷への献上品とともに、庶民から税を納めさせ、その財力を法に基づいて行政(や軍事)に用い、また印証を与えて官僚を任命する」墨の製法に仮託して、封建時代の王朝の統治の姿そのものが述べられていることが読めてくる。

「応制咏墨詞」の冒頭からまとめると、
「松滋国を(荘園として)拝領し、褚郡の太守を兼任する。そして宮廷に召致され、さまざまな宮廷内の役職をつとめる(経験を積んだ後、皇帝になった)。朝廷には珍貴な品が献上され、庶民からは税が納められる。そうやってもたらされた国家の財力を、法に基づいて軍事に使用し、また印を授けて人材に役職を任命するのである。そしてようやく皇帝の権力というのは維持されるのである。」とでも読めようか。
字句の解釈にはまだほかに色々な意味があると思うが、「老氏の玄」を「皇帝」と解釈することによって、これより前段の詞の内容が墨に事寄せて、王朝の統治そのものを詠ったものであると読むことが出来る。またそう読むことによって、以降の詞の意味も明らかになってくるのである。
「応制詞」は、皇帝から出された「御題」にしたがって詞を作り、献上された詞である。単に「墨の製法」を詠った詞であるとは、考えてはいけないだろう。

(つづく)
落款印01


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