徽墨三派の見方について

周紹良氏は、その著書「清墨談叢」の中で、清代における徽州の墨匠を活動地域を元に大きく三つに分けて特徴を述べている。すなわち歙県(きゅうけん)を中心とする歙派、また休寧県を中心とする休寧(きゅうねい)派、そして婺源(ぶげん)県を中心とする婺源派である。なかでもその墨質の精良を歌われているのが歙派の墨であり、清朝の墨匠のうち、曹素功をはじめ、汪近聖、汪節庵などがこれに属するとされている。
見た目が華美な割には、その質がいまひとつ、といわれることが多い胡開文は休寧派ということになり、また婺源派には?大有(せんたいゆう)を筆頭とした?氏製墨がある。

「清墨談叢」が出て以来、日本の清代の墨の愛好家の間では、歙派の墨を重んじ、休寧や婺源の墨を軽んじる傾向があるように思える。
清代における歙派の領袖として曹素功が挙げられるが、たしかに初代曹素功の原籍は歙県岩寺鎮にある。しかし彼が継承したのは休寧県で墨店を開いていた呉叔大の「玄粟齋」であり、継承後もしばらく休寧県で墨を造っていた形跡がある。休寧県は「天都」という別称があり、最初期の曹素功には「天都曹素功」の銘を冠した墨がみられるのである。
この明代最末期の名墨匠である呉叔大については、呉時行の「両洲集」に記載がある。ちなみにこの両洲集は清朝においては乾隆帝の四庫全書編纂の過程で「全毀書目」つまり事実上の発禁となった書物であり、知られているのは清の徐卓「休寧砕事(きゅうねいさいじ)」の引用である。
呉時行は崇禎年間には開封府知府を勤めた人物であるが、「両洲集」は「天都呉氏」の刊行になる版が残っている。呉時行もおそらく天都、休寧県の人であったのだろう。「両洲集」の中で呉叔大を非常に高く持ち上げているところから、両者は同族であったのかもしれない。ともかく、呉叔大は一時期休寧を代表する墨匠であり、それを継承したのが曹素功なのである。
曹素功はその後、徽州府のある歙県城内に出店したのか、「徽歙曹素功」を款(かん)した墨が今日多く見られるのである。ただし完全に休寧県から離れてしまったわけではないようだ。民国時代に徽州を訪れた後藤朝太郎翁は、休寧県城内には曹素功の本家とも言うべき店があった、と述べている。実際に翁はその休寧曹素功で墨を買い、上海曹素功と使い比べて、休寧のそれが勝っているようだ、という感想を遺している。
また、後藤翁は民国当時の歙県城内を訪れている。そこで胡開文、胡同文、胡子卿、胡学文など、「胡姓」の墨匠が非常に多く、胡姓でなければ信用が無いような雰囲気であったと述べている(文房四寶参照)。休寧派の代表と見なされ、外見の華やかさの割りに実質が伴わない墨の代名詞のように言われている胡開文であるが、歙県でも相当な勢力をもっていたようだ。また、後藤翁の見聞では当時曹素功は歙県にはなかったという。
胡開文の初代の胡天柱は、もともと汪近聖と同じ績溪県の出身である。そして休寧の墨匠、汪啓茂の墨匠を継承し発展させている。休寧の墨匠を継承し、のちに歙県城内に店舗を構えたところは曹素功と同じ経緯なのである。その論理で言えば、胡開文が休寧派であれば曹素功も休寧派としてもよさそうではある。また、主たる活動地域によって曹素功を歙派とするなら、胡開文も歙派としたくなる。
曹素功からは、康煕末年に清朝を代表する名工、汪近聖が独立している。彼は独立当初から歙県城内に店を構えたとあるから、ともかく歙県派とされているのだろう。ただ汪近聖が曹素功で働いていた時期、曹素功は休寧にあったのではないだろうか。そういう意味では、汪近聖も休寧から出た墨匠と言えるかもしれない。
汪近聖と併称される汪節庵は、徽州府城(=歙県城)で開業したため、歙派の一員ということになっている。同じ汪姓であるが、徽州というよりもむしろ宣城に近い績溪尚田村出身の汪近聖とでは、宗族によるつながりは希薄である。汪節庵が継承したと考えられている方密庵は歙人であり、無論のこと歙派とされる。汪節庵については謎が多く、徽州歙県人とされるが、出身地の信行村は西溪南に近接する地域にある。
特徴はその顧客層である。当時一級の文学者であった金農と非常に親しかった方密庵は、金農のために多くの墨を製し、また方密庵自身も金石学者である。汪節庵も、在野の文学者や無官の士大夫階級に広く支持され、嘉慶年間の文人自製墨を独占した感がある(周紹良:蓄墨小言)。
これは明代後期の西溪南において、汪道昆を中心とした文芸交流の広がりの中で、方于魯の墨が草莽の士大夫の間で尊ばれたことを彷彿とさせるものである。方密庵が方于魯の後裔で、汪節庵が汪道昆の後裔と考えるのは想像が行き過ぎなのであるが、西溪南とその周辺という地域性は考えても良いかもしれない。
ただし、汪道昆が「天都外臣」と号したように、また西溪南の呉姓の富商の多くが休寧県城へ出店していたように、この地域の人々の意識が歙県と休寧県のどちらへ傾いていたかは、少し考える必要があるだろう。西溪南は歙県の県城よりは、むしろ休寧県に近いのである。

徽州府城、あるいは歙県城は、徽州一帯を治める徽州府が置かれており、徽州における政治の中心である。また明代から清代にかけての徽州一帯は、王朝の副首都である南京へ隷属していたことを考える必要がある。徽州府城内に出店するということは、現代で言えばオフィス街の文房具店の如く.....PCと通販の普及でだいぶ減ったが.....製墨業を営む者にとってはごく当然の商略であったことだろう。
歙県は徽州において政治と文化の中心であり、歙派の墨は献上墨を筆頭に、文学者、士大夫に顧客を持つ良質な墨であるという。また商業が盛んであった休寧県では、商人達が商業事務に使う墨や、商用の贈答品の墨の需要が高かったとも言われる......これらの見方はどうか。
既に見てきたように、徽州では商人と官僚を目指す士大夫とで、異なる階級社会を形成していたのではない。同じ一族に官吏となる者もいれば、官界を諦めて商業を行う者もあった。また商業で成した富を教育や文化事業に投資し、富商の家から官吏が出ることも珍しいことではなかったのである。そして、詩文や書画骨董といった趣味は、専業の別に関わらず、素養として共有されていたのである。
「華美だが質がさほどでもない商人の墨」と「外観は質朴だが墨質に優れた士大夫の墨」という区別は、暗に商業従事者への蔑視が透けて見える。しかし徽州という地域の歴史的な経緯を考えると、どうも適切な分け方とも思えない。”分類”は便利だが、現実を無理に”分類”に当てはめようとするとわけがわからなくなることがある。
徽州製墨における歙派と休派の区別も、とらわれすぎるのはどうか、と思わなくも無い。両者の間に明確な違いがあったかどうかも、考える必要があるだろう。
また、現代人の墨色の評価の仕方も考え直す必要がある。現代では高価な古墨はもっぱら画に用いられるが、王朝時代においては圧倒的に文書作成に使われたのである。無論のこと、文書は濃墨で書かれなければならない。現代水墨画のように、滲みの強い生宣に淡墨で用いて墨色を云々していたのではないということは、決して間違えてはならないところである。
一般の商人や人士が仕事や文学研究、詩文書簡のやり取りに使っていたのは、便箋詩箋の類である。竹紙を主な原料とするそれらの紙には、油烟に松烟を混ぜた「油松烟」墨が適していたと考えられる。油松烟墨は純油烟墨に比べて光沢が少ないが、不透明で黒味が良く出る。竹紙のような吸水性の少ない紙にも、よく「乗る」墨なのである。材料原価も安くまた製造過程で割れにくいため、比較的安価に作ることができる。
精良な純油烟墨は光沢が非常に強い分、膠を多く含んで透明度が高く、手早く濃墨を作るのにはやや向いていない。竹紙で出来た詩箋の上で、濃墨を出すのも実は容易ではない。また歩留まりも悪く(製造過程で割れやすく)、価格も高価である。しかしここ一番の試験や、官僚が宮廷、あるいは上級機関に奏文を書くときは、濃墨で用いて光沢の強い油煙墨を用いないわけにはゆかなかったのではないだろうか。
であれば、高価な純油煙墨が、政治の中心である徽州府で多く流通したのも、わからない話ではない。歙県と休寧県で、あるいは墨の市場が異なっていた可能性は考えられる。だが、両県のどちらにその墨匠が出店していたかで、その墨匠の優劣まで論断できるかどうか。二県にまたがって店舗を構えていた墨店も多かったからである。
結果論的に、優れた墨匠として曹素功、汪近聖、汪節庵などを歙派とし、胡開文その他を休寧派に置くといった見方が定着しつつあるが、この考え方は少し注意したいところである。
最近では、汪近聖と胡開文が績溪県の出身であることから、”績溪派”である、というような見方まである。これはさすがにどうかと思うが、出身地ないし活動地域による派閥分けも考えものである。

一方で婺源(ぶげん)の製墨なのであるが、これはあるいは地域による明確な特色が存在するのではないかと考えている。同じ徽州ではあるが、婺源と休寧、歙県はかなりの距離がある。さらに婺源派の墨匠達が製墨を行っていたのは、現在の婺源県市街から相当に離れた山間の村であり、同じ宗族である?一族の占めるところなのである。この?一族の製墨については、別の機会に述べることが出来ればとおもう。

落款印01


calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM