對聯と對筆 〜紅楼夢十七回より?

「對筆(ついひつ)」という種類の筆がある。あるい「對聯筆(ついれんひつ)」ないし「二聯筆(にれんひつ)」ともいうが、要は對聯(ついれん)を書くために丁度良いように作られた筆である。對聯は対になった一組の詩句「対(對)句」を「二聯(ふたつの同じ幅、長さの條幅の組)」の書幅に書いた書の布局(作品構成)のひとつである。そこに書かれる対になった句そのものも「對聯」という。

中国絵画、特に明代以降の絵画には、画面に題や詩文を入れることが常套化している。そもそも絵画に文字を書き入れているのではなく、景観を完成させるために字句は不可欠、という考え方がある。平面の絵画どころか、現実の庭園や風景の中にも、石碑や時には牌坊すら建てて、景観にふさわしい感情や思想を詩句で表したのである。つまり目に見える現実の光景の中に、文字による語句や文が入って初めて情趣が完成するという思想があった。その形式のひとつが、対(對)の詩句を書いた二聯の書幅である。
「對筆」はいわば普通に書簡を書いたり画に題跋を書くための筆ではなく、風景の中に文字を書き入れるための筆であるといえようか。
景観の中に文字がはいるのであるから、勢いかかれる書は雄渾さがもとめられる。また並んだ二聯が、対句であることがわかりやすいよう、多くの場合楷書、ないし隷書、あるいは篆書でかかれることが多い。「對筆」は、そのいずれの書体にも対応し、かつ雄渾で力強い筆致に適した筆の構造を持っている。そのような筆が生まれた背景には、好んで題や對聯をつくるという、中国の生活文化における伝統的な習慣がある。
たとえば庭園は天然の風景を模倣してはいても、人工であることは免れない。人工と天然の橋渡しをするのが、題や對聯(ついれん)といった語句や詩句であり、その景観の設計が目指すところの“天然の趣(おもむき)“を短い語句で要約しなければならなかった。まして絵画、とくに山水画は「造化を師とする」といって、天然自然に倣ってはいても、本質的に人間の空想の景色なのであるから、詩句が伴わないわけにはゆかないということになる。

この美意識をよく説明しているのが紅楼夢の十七回「大観園試才題対額 栄国府帰省慶元宵」である(紅楼夢のすべての回のタイトルも對聯である)。紅楼夢は清朝初期の、一級の知識人による芸術論としても読むことが出来るのである。
その前にこの回の背景を理解するのに必要な程度のあらすじを述べておきたい.......いや、冗漫な小生の駄文によるあらすじを読むくらいなら、岩波文庫から全訳が出ているので読んでいただいた方が良いかもしれない。ただし岩波には詩文に原文が併載されていない。これはいかにも残念なところで、とくに対句の面白さは訳出された文章ではややわかりにくくなってしまった部分がある。

主人公である賈宝玉の実姉であり、栄国府(えいこくふ:主人公の一族が住む)から皇室に嫁いだ元春であるが、皇帝の許しを得て帰省することになった。普通、宮廷にあがったら最後、勝手に宿下がりするというわけにはゆかない。しかし皇帝の特別のおぼし召しにより、妃や女官達も、日時を決めて実家に帰省することが許されるようになったのである。ちなみにこのときの「皇帝」とは康熙帝がモデルである。
元春は主人公の賈宝玉の実姉であるが、皇帝に嫁いで后となった上は、庶民の娘が里帰りするような簡単なわけにはゆかず、迎える方の実家でもさまざまに容儀を整えなくてはならないのであった。
なんと栄国府では、わずか半日程度里帰りする娘のために、巨費を投じてあらたに大庭園をひとつ造営するのであった。それが紅楼夢の表舞台となる「大観園(たいかんえん)」である。もちろん帰省する娘のために親馬鹿でそんな大庭園を造るのではなく、妃となった上は親といえども身分は下であり、主君の妃を拝跪(はいき:ひざまづく)して迎えなければならない立場なのである。それにふさわしいだけの別邸を、あらたに作るというのだから大変なことである。
その「大観園」がほぼ出来上がりかけたとき、栄国府の主人である賈政(かせい)は、その庭園の各所にふさわしい「題」や「對聯」をつくらなければならないことに、頭を悩ませていた。
この場合微妙なのは、そもそもこの「大観園」は元春を迎えるために新たに造営したのであるから、題や對聯は元春につけてもらうのが身分の尊重の上からも必要なのである。とはいえ、元春が帰省してこの庭を見たときに、なんの題もなければいかにも未完成のようで、かえって味気ない思いをさせてしまう恐れがあった。
賈政は食客の先生方........栄国府ほどの大貴族になると、詩人、学者、画人など、大勢の“食客”を抱えている。彼等は俸禄を貰って屋敷に滞在し、詩文や手紙の代筆代作、画の作成、子弟の教育などにあたっていた......の進言に従い、完成した庭に仮にでも題をつけ、あるいは似つかわしい對聯を飾るなどして、元春を迎えたときに改めて賛否を伺い、あるいはあらためて題をつけてもらうなりしようという配慮をしたのであった。
庭園に題や詩句がなければ、なんとも味気ない、未完成のようだ、と思ってしまう感覚こそ、当時の知識人階級の属する人々の美意識なのである。この感覚というのは、現代中国でも薄れてしまっているかもしれない。まして漢字が読めない外国人などは、そもそも何が書かれているかもわからないのであるから、奇異な印象しか受けないかもしれない。しかし現代の外国人がどう思おうが、それがその国の文化なのである。
賈政は食客の先生達を連れて、完成しかけている庭園を見回りながら、その仕上がりを視察すると同時に、随所にふさわしい詩句を考えさせようとはかったのである。しかし賈政は、息子の宝玉が通う家塾の先生が、宝玉は受験勉強は怠けてばかりいるが、何故か「對聯(ついれん)」を作ることにかけては非常に巧みであると聞いていた。
皇帝に嫁いだ元春は、母親以上にこの弟の宝玉を溺愛していたのである。賈政は息子宝玉の詩才を試すと同時に、元春を喜ばせるだろうと思い、宝玉にも一緒に完成間際の大観園の視察に同行させたのであった。
賈政は非常に厳格な父親であった。あえて史実と対照すると、賈家のモデルである豐潤曹家は、もともと武人の家なのである。
この賈政は、自分の母親、つまりは宝玉の祖母を筆頭に、屋敷中の女たちが宝玉を甘やかしたために、どうしようもない道楽者に育った息子をいつも苦苦しく思っていたのである。賈宝玉が勉強を怠けているのを知ると、死なんばかりに厳しく折檻し、ために屋敷中が大騒動になるのであった。姉妹や従姉妹や侍女達は、賈政が宝玉を折檻すると、この屋敷の一番の権力者である祖母がひどく嘆き悲しみ、自分たちにも責任が降りかかるのをおそれていた。なので宝玉にはなるべく賈政の意向に逆らわぬよう、フリだけでも勉強をしてくれと、いつも諌めているのであった。
この賈政に呼ばれるというので、宝玉は内心びくびくものであったが、庭を回りながらその景観にふさわしい題や対句を食客たちと議論しながらつくりあげてゆくのである。
賈政は内心息子の詩才に感心する気持ちもあったことは態度からして明らかなのであるが、普段から厳しく接している上に、食客の手前もあってあえて手厳しい態度をとる。世慣れた食客たちはもちろん盛んにお追従するが、内心舌を巻いたものも多かっただろう。
厳父の賈政にどつきまわされながらも、この回で宝玉がものした対句は四つあるが、見事なものである。

繞堤柳借三篙翠
隔岸花分一脈香

堤(つつみ)を繞(めぐり)て柳は三篙(こう)の翠(みどり)を借り
岸を隔(へだ)てて花は一脈(いちみゃく)に香(かおり)を分(わ)かつ

この場合「“繞(めぐ)る“と”隔(へだ)てる“」「”堤(つつみ)“と”岸(きし)“」「”柳”と”花”」「“借(か)りる”と“分(わ)かつ”」「三篙と一脈」「翠(みどり)と香」が対になっている。
「三篙(こう)と一脈(みゃく)」がなんで対なの?というところだが、「篙」は竹のことで、竹節によって管(くだ)を隔てた竹と、脈々と流れる水流の意の「脈」の対称である。あるいは「水辺に竹」という連想も兼ねている。また「翠と香」は「香翠」いう語があり「香=花」「翠(緑)=葉」というわけで、樹木や草花をいう。ペアになった字句は、かならずしも厳密に反対、対称の意味になっている必要はなく、連想や類義語、古詩からの引用であっても良いのである。
季節は杏の花が咲く頃、中国では明前(清明節の前)とよばれる三月の末から四月の初めである。堤(つつみ)はこの場合は河川の堤防などというものではなく、「繞(めぐ)る」のであるから、池を取り囲んだ土手である。堤(つつみ)には柳がつきものであり、その柳の淡い緑のなかに三本だけ竹の緑が混じっている。その新緑の柳のけぶるような淡い緑のなかにわずかに別の緑が混じった、色彩のアクセントをうたっている。
下の句の「隔岸花分一脈香」というのはこの対句がうたわれる前の文を読まなくてはわからないのだが「一带清流、従花木」とある。つまり庭園に引き込まれた細い清流の両岸に、花をつけた木々が立ち並んでいる光景をうたっている。
全体の情景を考えると、上の句は池の周りの景色であり、下の句は小川の景観をうたっている。これもイメージの上で対象をなしている。また上句は“葉の色彩”が主題であり、下の句は“花の香り“が主題である。葉と花、色と香、というように草木を愛でる際のポイント、また視覚と嗅覚といった人間の感覚の上でも対になっているのである。

宝鼎茶閑烟尚緑。
幽窓棋罷指犹凉。

宝鼎(ほうてい)の茶は閑(しず)かに烟は尚(な)を緑(みどり)
幽窓(ゆうそう)は棋を罷(や)め指は犹(な)を凉(すず)し

この場合は「“宝鼎”と“幽窓”」「“茶”と“棋”」「“閑”と“罷”」「“烟尚緑”と“指犹凉”」が対になっている。
上の句の「宝鼎」すなわち「鼎(かなえ)」はいうまでもなく三足の金属製の容器で、煮炊きの道具である。ここでは茶を煮立てる道具としているのであるが、昔は茶は煮出すものであった。それが「閑(しず)か」というのは、すでに火は落ちているのだが、まだなお蒸気が緑色に立ち上っている、というのである。いくら茶を煮立ているからといって、蒸気が緑色に着色するわけがない。また当時は必ずしも茶の色から緑色は連想しない。これも本文に描写があるのだが、この部屋は竹林で囲まれており、まだ温かい白い蒸気の向こうで濃い緑色の竹林の影がみえているという情景である。竹林の深いところにこの庵室のあることをうたっている。
さらに下の句に「幽窓(ゆうそう)」とあるが、「幽(かす)かな窓」とは壁の破れ目から室内が覗かれる意である。壁の崩れかけた庵室ということになるが、その庵室の中「棋(き)を罷(や)む」とは囲碁の勝負が付いたところである。それでも「指犹凉」とは、指先がまだ碁石の冷たい感触を覚えているということで、いままさに丁度勝負がおわった、というところである。

対になった箇所を考えてみる。
「“宝鼎”と“幽窓”」であるが、上の句の「鼎(かなえ)」はもともと王者がもつ祭器であり、とくに「宝鼎」といえば富貴と権勢を象徴している。これが壁の崩れかけた、隠者の住処である「幽窓」と対になっているのである。
「“茶”と“棋”」はともに隠棲した士大夫の生活に欠かせない楽しみである。また当然、碁をうつのであるから、主と客の対がある。また上の句では三足の金属製の鼎で茶を煮ることが主題であり、下の句では四足の木製の碁盤で囲碁を打つことが主題であり、これも道具と所作が対を成している。
「“閑”と“罷”」はそれぞれ“閑静“、“罷免“の意味を暗示し、意味の上で対を成すと同時に、身近に鼎のあるような宮廷政治の生活を罷(や)めて、粗末な庵室で閑静な隠遁生活にはいったという、対称的な生き方を暗示しているのだろう。
「“烟尚緑”と“指犹凉”」であるが、“烟が尚(な)を緑“とあるが、上の句では未だ冷め切らぬ温かい茶があり、下の句での碁石の冷たい感触と対になっている。ここでも視覚だけではなく、温感と冷感という皮膚感覚の対称を織り込んでいる。
さらにいえば、「茶を飲む」あるいは「茶を煮る」というのは、当時の一種の時間表現であり、紅楼夢の中でも「お茶を一杯飲み終わるほどの時間」というような表現がしばしば用いられる。ここでは囲碁を囲む前に茶を煮立てはじめ、鼎の下で焚いた炭が尽きて火が消えるほどの時間をかけて、囲碁に打ち興じている様をうたっている。すなわち茶を煮立てる比較的短い時間と、長考を戦わせた後に対局が終わる長い時間との対比である。またさらに鼎から茶の烟が未だに立ち上っている様子と、ちょうど今対局が終わったばかりという一瞬を対比させているのである......小生が読み解けるのはこの程度だが、他にもあるかもしれない。
ともかくこれでもかこれでもかと、語句の意味やイメージ、感覚の対称を重ね合わせ、即興で對聯を作り上げる賈宝玉の才能というのは、たしかに科挙の試験に向く性質のものではないのかもしれない(最後には進士及第するのではあるが)。しかし父親の賈政にとっては、多少はこの頭の痛い息子を見直す気にもなったのか、珍しく宝玉のために上機嫌になるのであった。

この回にはあとふたつ、宝玉が作った對聯があるのだが、長くなったのでここで一度区切りたい。
落款印01


calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM