睡り足りて.... 〜紅楼夢十七回より?

大勢の門客とともに、賈政について大観園を見てまわり、次々と題や對聯をものす宝玉であったが、調子に乗ったとみるや、賈政は激しく罵倒したり叱責を加えるなどする。

庭園の中に、一軒の農家をあつらえ、農村風に作られた一隅があった。そこを見て賈政はすっかり気に入ってしまうのであるが、宝玉は田野を装っただけであり、作為的であると批判する。「天然」という語句の意味をひいて、
「此処置一田庄,分明見得人力穿鑿扭捏而成。遠无隣村,近不負郭,背山山无脈,臨水水无源,高无隠寺之塔,下无通市之橋,峭然孤出,似非大観。」
『ここに農村をしつらえたところで、人力でもってむりやりにでっちあげたのは見え透いているのです。遠くに隣村があるわけではなく、近くに城郭があるわけでもありません。背後に山並みを背負っているわけではなく、前に池沼に臨んでいるわけでもなく、高みに仏塔を隠しているわけでもありません。下には市に通じる橋があるわけでもなく、さびしく孤立した様は、とても“大観”の名に似つかわしいものではないでしょう。』
さらに続けて「争似先処有自然之理,得自然之気,雖種竹引泉,亦不傷于穿鑿。古人云‘天然図画’四字,正畏非其地而強為其地,非其山而強為其山,雖百般精而終不相宜……」『こことちがって、先ほどの場所は、まさに自然の理(ことわり)がありました。自然の気を得ており、竹を植えて泉を引いたといえど、ごちゃごちゃと手を加えた跡がみられません。古人が云う“天然図画”の四字は、まさにその地に非ずを強いてその地になし、その山に非ずを強いてその山となすならば、百般の精妙を尽くしたところでついに似つかわしい風情が失われる、ということをいましてめいるのであって…』と、理路整然と論じる宝玉であるいが、カッとなった賈政に「出て行け」罵倒され、出て行こうとすると「もどれ!すぐに對聯をつくれ。出来なければぶちのめすぞ!」と脅される。このとき宝玉が作ったのが次の對聯である。

新漲緑添浣葛処。
好雲香護採芥人。

新たなる漲緑(ちょうりょく)は葛(くず)を浣(あら)う処(ところ)に添え。
好(よ)き雲香(うんこう)は芥(からし)を採る人を護れり。

対になる語句を、細かく見てゆくと「“新”と“好”」「“漲緑”と“雲香”」「“添(そえ)”ると“護(まも)る”」「“浣葛”と“採芥”」「“処(場所)”と“人”」と、ここでも実に綺麗に対句になっている。
上の句の「漲緑」とは草木の緑で満たされることもいうが、ここでは春の河水をさすのだろう。次の「浣葛(かんかつ)」は「葛を浣(あら)う」ことで、葛の根を叩いて水にさらし、でんぷんをとることである。春に収穫した葛の根を、春の小川で水にさらす光景である。
下の句「雲香」は茶の名である。芥(かい)は種をとって磨り潰し、マスタードになるいわゆる“からし”である。“芥子(からし)”を植えた畑の周りに茶樹が植えてあり、茶樹の影で農夫が芥子を摘んでいるのであろう。その茶樹も今当に新芽を吹きだし、新茶の収穫を待つ風情である。
「漲緑」は春の河水であり、雲香が春の新茶であれば、茶に水はつきものということになる。また葛と芥(からし)が対になっているのは、葛は山で採れる野草であり、芥子は畑で栽培する作物である。また葛はさらせばでんぷんの白い粉が取れるが、芥子は種子を乾燥させて磨り潰し、黄色い粉になる。これもイメージの上で対になっている。
ただ初春のこの情景ではその葉を食する、いわゆる芥子菜を摘んでいるのであろう。意味を考えすぎ?と思われる方もおられるやもしれないが、春に摘むのは何も芥子菜だけではないのであり、芥子(菜)をここで選んだのにも理由があるはずなのである。
岩波文庫の訳では、”芥”が”芹”になっており、”好雲香”は「好(よ)き雲の香り」となっている。芹を摘む人を霧が包んで隠しているという解釈になっているのだが、これはさすがにどうか。
ともあれ初春の農事をうたった對聯であるが、もちろん父親にこの場所の農村風の作為を批判した、宝玉の主張の続きである。水を引き込み、茶樹を植えたとしても、そういった風物は実際に葛を洗ったり、芥子を摘むといった季節の農事を行っている農村にこそふさわしいのであると。金殿玉楼の中に農家に倣った庭をしつらえ、それで百姓家の生活にあこがれるというのは、俗のきわみであるといったところか。ここにも宝玉の美意識と同時に、意固地な性格が現れている。なかなか痛烈であり筋が通っているだけに、子供にそれを指摘された大人はカッとなるかもしれない。

このとき展開している宝玉の庭園の造成論は、そのまま山水画論にあてはまる。紅楼夢の作者である(諸説あり)曹雪芹は、宮廷画家に推薦されたたほどの画の造形に深い人物であった。また幼いとき「芥子園畫傳(かいしえんがでん)」を入手し、熱心に画を学んだという。ここで宝玉が論じている論の多くは、芥子園画傳の山水編における画論の影響が濃厚である。「芥子園畫傳」は日本においてはもっぱら粉本(下絵)や手本として扱われてきたが、そこに展開されている画論は明末清初に盛んになった山水画論の集大成である。ちなみに「芥子園畫傳」に収録されている画稿の多くは、明末新安派の一人、李流芳の手によるが、李流芳は西溪南が原籍であると言われる。

ともあれ都会の大貴族であるからこそ、農村の風物に憧れを抱くのである。江南の士大夫(に限らないが)の多くには、常に「帰農」の心があった。いつか官界での栄達から退き、田舎で晴耕雨読の生活を送りたいという心情は、複雑な官界での保身をまっとうし、終わりを良くしたいという願望の現われでもある。歴とした高級官僚である賈政は、その心情の吐露を息子に理路整然と反論されたのだから、怒るまいことか。内心は息子に一本取られた嬉しさもあったのかもしれないが、門客の手前は言いたい放題にさせておくわけには行かないところだ。

一行はやがて珍しい花々が咲き、草花の馥郁たる香りで満たされた園内にはいる。皆が花の名前について話し始めたとき、宝玉が横から口を挟んで、花の名についての講釈を始める。賢しらな!と思った賈政は「誰がお前に尋ねたか!」と一喝する。
すっかりびっくりして宝玉は口を閉ざしてしまう。また一行は別の見所に差し掛かり、門客たちはそれぞれ對聯を作り始める。賈政は自分でもひとつ作ってみよう思って頭をひねっていたが、宝玉がすっかり黙り込んでいるのを見て「お前は言わねばならぬときに黙っているとは!人から聞かれるのをまっているのか!?」と叱責する。
まあ理不尽めいた賈政の叱り方であるが、いずれ官界や複雑な宮廷生活を送るのであればともかく「口は災いの元」なのである。話の内容の理非や是非ではなく、目上の人の意向を汲んで時宜に適った発言をする素養が求められるのである。ともあれ、賈政にせかされた宝玉が直ちに作った對聯は、

吟成豆蔻才犹艶。
睡足荼蘼夢亦香。

吟(ぎん)成(な)りて豆蔻(ずこう)の才は犹(な)を艶やかに。
睡り足りて荼蘼(どび)の夢は亦(ま)た香(こう)ばし。

である。
ここでは「“吟(ぎん)成る“と”睡(ねむり)足る“」「豆蔻と荼蘼(どび)」「才と夢」「犹と亦」「艶と香」が綺麗に対になっている。
上の句「吟成豆蔻才犹艶」の豆蔻(ずこう)は豆のことであるが、十三、四歳の女の子を指し、また年端のいかない子供のことを言う。對聯を吟じおわって、しかし子供(=宝玉)の詩藻はなお尽きてはいませんよ、というところである。
「睡足荼蘼夢亦香」の「荼蘼(どび)」はバラ科の植物である。「睡り足る」であるが、花が咲いてわずかに花弁を傾ける様は古来「睡り」に喩えられる。また楊貴妃の寝起きをうたった「未だ海棠の睡たらざるに」のように、美女の睡りを暗示する。

「豆蔻才」は「豆蔻詩」とつくるテキストもある。岩波では後者に拠っているが、古いテキストでは「才」だという。「詩」でも「夢」と対にならないといえなくもないが、この場合は「才」の方がしっくりゆくようだ。
魏の曹丕は謀反の嫌疑のかかった弟の曹植を召還し、理由をつけて殺してしまうつもりであった。このとき即興で曹植が作った詩が「七歩の才」として有名な「煮豆持作羹,漉豉以為汁、煮豆燃豆箕、豆在釜中泣。本是同根生、相煎何太急:豆を煮て羹(あつもの:スープ)を作る、味噌を漉して汁となす、豆を煮に豆がらを燃やす、豆は釜の中で泣く、我々はもと同じ根から生じた(兄弟である)のに、互いに責め合うことのなんと急なことであろうか。」である。普通「七歩詩」というとこの豆の詩が知られているが、この詩は二作目で、その前に「二牛斗墻下,一牛墜井死」という題を与えられ、これも七歩を歩く間に一首をつくっている。つまり曹丕は曹植に重ねて詩を作らせ、出来なければ殺すと責め立てたのである。
賈政はいくつもの題や對聯を宝玉に命じ、先の「新たに漲れる緑は….」の對聯を作った際も、對聯が出来なければ折檻する、という脅しをかけていた。宝玉は見事に即興で對聯をつくり、この難を逃れたのであるが、兄弟ではない親子関係であるが骨肉に違いは無く、その責めの理不尽さと自分の詩才を暗に「七歩の才」の故事にかけているのであろう。
曹丕が試したのも曹植の詩才であり、また賈政も宝玉の詩才を試しているのであり「吟(ぎん)成(な)り」にはその難題を切り抜けた気持ちがこめられているようだ。
また下の句の「荼蘼」の「香り」についてうたった句は、先に芳しい花の名を講釈して叱責を受けた時の仕返しと採れる。この荼蘼という花は春の終わりに花を咲かせ、この花が枯れると初春から続いた花の季節が終わる。故に“完結”を暗示する花である。

すなわち宋の王淇「春暮游小園」に

一从梅粉褪残妝,塗抹新紅上海棠。
開到荼縻花事了,絲絲夭棘出莓墻。

散り敷いた梅の花の残滓の上を、新たに海棠の赤い花びらが染めてゆく。
荼縻の花が咲き終われば、細かく若い棘が薔薇の垣根を覆う。

がある。荼蘼の花が咲き終わる晩春の頃には、そろそろ豆も実が大きくなってくるころであり、荼蘼も豆蔻も春の終わりを暗示している。こたこの“終わり”は一連の對聯の“終わり“をも意味していると考えられ、この「大観園」での宝玉の對聯はこれをもって最後になるのである。

実はここに挙げた對聯は、その場面場面での宝玉の所作のほかに、いずれも紅楼夢の物語世界における未来を暗示しているというが、小生如きでは到底それをすべて解説する能力はない。未読の方の楽しみを奪うことにもなるので、駄文を書き連ねるのもこのあたりまでとしたい。宝玉の文才は「子供にしてはなかなかのもの」と紅楼夢の中では言われているが、作者の曹雪芹は当時一級の教養人である。
紅楼夢は登場する人名や物や建物、庭の名前がすべて何かを暗示していると言われ、出てくる對聯や詩句もまた、物語世界やあるいは同時代の現実を暗喩しているといわれる。その意味の解釈をめぐっては、「紅学」とよばれる研究分野が成立し、諸説紛々たるものがある。そういった謎解きの面白さにはまりこむと、大の大人も夢中になってしまう。古来から「紅迷(フォンミン)」と呼ばれる、数多の愛読者をひきつけてきただけのことはあるものだ。
ともあれ、この紅楼夢の十七回に見られるように、景観や建物、部屋、あるいは身近なモノに適切な題や對聯をつくるというのは、宝玉達のような大貴族のみの習慣だけではなかった。たとえ貧しい読書人の家庭であっても、小さな庭や書斎、あるいは身近な本や硯や筆などに、題や對聯を作って賞玩したのである。対象に詩句を書き入れることによって、初めて”しっくり”とした心地を覚えるというのが、当時の教養人共通の感覚であり、この点は無地を好む日本人との趣味の相違があるかもしれない。
このように生活の中で”對聯”を作って二聯の書幅を書く必要から生まれ、工夫が重ねられてきたのが”對聯”筆である。歴代の筆匠がその技を競った筆であり、また読書人必携の筆であったといえるだろう。
落款印01


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