美人すぎる作硯家? 〜蘇州博物館「顧二娘硯」

蘇州博物館には、わずかだが硯が展示されている。少ないとはいえ、中国の博物館の中で文房四寶が展示されているところというのは、言うほど多くないのである。
蘇州博物館の硯蘇州博物館の硯
ガラスケース越しで、照明の関係もあり、良い写真が撮れなかったので参考程度に。いやこれでは参考にもならないか。左の赤い蓋のついた硯は顧二娘(グ・アールニャン:こ・じじょう)、右は陳端友(ちん・たんゆう)の作といわれる硯である。
「といわれる」と断ったのは、近代の作硯家である陳端友はまだしも、”顧二娘作”と言われる倣古硯は本当に数が多いからである。円形で硯背に彫刻がほどこされた厚みのない小硯であれば、すぐに顧二娘の名が冠せられるといった具合である。
「呉門補乗」に拠れば、顧二娘は原姓を鄒(すう)氏と言うそうだ。「娘(ニャン)」は少女の意味ではなく、既婚の女性を呼ぶのである。「二娘」ということは、夫は顧家の次男であると察せられるのである。
彼女の舅(しゅうと)は順治年間における蘇州の名作硯家である顧徳麟、号して顧道人という人物であった。彼は超絶技巧を駆使した、精細な彫刻を施した作硯を得意としていた。その技術は顧二娘の夫に継承されたが、不幸にしてこの夫は早くに亡くなってしまう。そこで嫁であった顧二娘が、家伝の技芸を継承したのである。
中国は歴史的に夫婦別姓であるから、結婚しても本来は鄒氏と呼ばれるはずである。あえて「顧」姓を冠した呼称となったのは、顧家伝来の作硯技法を受け継いだためであろう。
円形の硯というのは古くから作られてきたが、顧二娘の硯の特徴である円硯は、女性の使う丸い手鏡を意識した意匠であるとされる。硯背に細かい線で彫刻を入れるのも、鏡の背面に紋様が施されていることを意識しているのだろう。
顧二娘は硯石の弁別にも優れ、そのつま先でコツコツと硯石を小突くだけで、その硯石の良否がわかったという。この場合の硯石の良否と言うのは、中に石傷がないかどうかということであろう。内部に空隙のある硯石は、彼女の作硯の特徴である、精細な彫刻を妨げるからであろう。このことから世人は彼女を”顧小足”とも呼んだが、”小足”はもちろん纏足(てんそく)された小さな足のことである。当時は小さな足は美人を想起させるから、この呼称は顧二娘の美貌を暗示してもいる。また「玉指金蓮為底忙,墨花犹帯粉花香」ともうたわれた。”玉指”は玉のような白く滑らかな足指であり、”金蓮”とは蓮(はす)の花びらの一枚のような、先の尖った小さな足をいう。それが「底忙」というのは、忙しく動くさまである。
ただし当時の男性というのは、つま先の尖った小さな女性用の靴を見ただけで美女を想起したというから、現代的な意味での美人かどうかまでは定かではない。纏足された尖った足で硯石をちょんちょんと突いて良否を見分けると言うのは、いかにも神秘的な話だが、当時の女性が人前で素足を見せるということはありえない。さすがに「玉指」とまでいうのは、多分に妄想のきらいもある。ともかくそれだけ当時の士大夫の間で、彼女の硯がもてはやされたということだろう。
顧二娘が”美人すぎる作硯家”であったかどうかはともかく、女性的な感性が発揮された顧二娘の作硯は、長らく男性中心の持ち物であった硯の世界に新風を吹き込んだようだ。当時の士大夫、特に書画を能くするものは競って彼女の硯を求めたのである。小さな硯板状の硯というのは、少しだけ墨を磨って用いるのに都合が良いのである。昔の画人、特にほんのわずかしか墨を消費しない工筆画を描く者には、都合が良い形状であっただろう。また蘇州といえば、工筆仕女図が著名であり、仕女図(日本風に言えば美人画)を描く画人が多かった。美貌の作硯家が刻したという、手鏡のようないかにも女性的な硯というのは、こうした画人達であればぜひとも所有したい硯であっただろう。
とはいえ顧二娘は粗製濫造を好まず、めったなことでは硯を造らなかった。「非端渓老坑佳石不奏刀(端渓老坑の良い石でなければ作りません)」か「生平所制硯不及百方(生涯で作った硯は百面に及びません)」などという話が伝わっている。

また清朝初中期の蔵硯家に、黄任という人物がいた。黄任(1683-1768)はあざなを干あるいは田といい、福建永福(現在の永泰)人の人である。日本の愛硯家の間では、黄あるいは黄田という名で特に知られた人物である。
黄任は代々官僚を輩出した家に生まれ、幼い頃より詩書画を能くし、特に詩にたくみであったという。康煕四十一年(1702)に郷試に受かって挙人となるが、以後ついに進士には及第しなかった。官吏として広東四会県令に任じられ、ついで高要県事務を兼務した。
この広東省の高要県ということであるが、図らずも端溪石の産地をその管轄に納める地域である。彼はもともと裕福な家庭にうまれたようであるが、さらに衣食を節約して硯石の蒐集につとめ、端溪の良材を百面ばかり得る事が出来たのである。
後に小人の嫉視に遭い、弾劾によって職を免ぜられる。「小人の嫉視」というが、これは官職にある者の間で役得を巡ってよくある話であり、この際の黄任の理非も今となっては定かではない。
ともかく黄任は職を辞するにあたって、自身の集めた硯石から最も好い材を十個選び、端溪の良工に依頼して硯を作らせた。そして郷里の書斎であった香草斎(現在の福州市南后街光禄坊早題巷)を改修し、「十硯軒」という建物を作ってそこに収蔵し自ら十硯老人と号したという。
この「十硯」には異説があり、黄任は旧家を訪ねまわって古硯を求め、十ばかりの古硯を2000両という大金で購い傍らに置いて賞玩したという。ゆえに屋号に“十硯軒”とつけ、また自ら“十硯老人”と号したのであるという。康煕年間の貴族の家庭生活を描いた紅楼夢では、屋敷で使われている一流どころの女中の給与が一月に2両であるとされているから、これを参考にすれば2000両というのは大変な金額であることがわかる。
しかし古硯を大金で集め回った、というのはいささか俗な話であり、王朝時代の教養豊かな硯の玄人の逸話としては説得力に欠けるものである。端溪を管轄下に置く高要県で役職にあったとき、職権を生かして老坑の佳材を集めていた、というのが本当のところではないだろうか。「高要県事務」などという兼務しなくても良さそうな職も、自ら運動して獲得したのではなかろうか。
弾劾によって官職を失ったというのだから、士大夫としては失意のうちにあったはずであるが、黄任は昼間は十硯軒の中で坐臥し、絶えず硯を撫でて賞玩して日を送った。晩は晩でそのいずれかの一面を、彼の妻に抱かせて眠ったという。
女性に硯石を抱かせると言うのは、そもそも女性の気は陰に属するものであり、この陰気が同じく陰に属する硯石に作用することで、硯材がさらに潤って滑らかになるというのである。妻女が冷え性の女性であれば辛かったのではないだろうか。当時の常識を勘案したとしても、いささか度を越した執着振りである。
また彼の精選した十硯にはそれぞれ「美无度」「古硯軒」「十二星」「天然」「生春紅」「著述」「風月」「写裙」「青花」「蕉石」という名があったという。
こう述べてしまうとまったくの変人のようであるが、やはり当時は相当に名の聞こえた詩人でもあり、その詩文集「香草斋集」「秋江诗集」が今に伝わっている。また地方志の編纂にも参与し、「永春州志」「泉州府志」また「鼓山志」の編者として名を連ねるなど、深遠な学識を持った読書人としての地道なつとめも果たしている。官界を退いて後は売文売画をもっぱらとしたが、無論のこと家産は硯の為に傾いて、晩年は貧窮のうちに過ごしたという。
浙江銭塘人の杭世駿が彼を称して“工書法,好賓客,詼諧談笑,一座尽傾(書にたくみで、客を好み、諧謔を交えて談笑し、一座の人々はみな傾聴した)”という言葉を残している。またあるとき客の一人が「あなたは三年も広東にいたのに、どうして今の清貧のご様子なのでしょう?」と問うた。黄任は硯を指差し「私にはこの硯があります。どうして広東に行った甲斐が無かったといえましょう。」と答えたという。

さてこの黄任であるが、蘇州で顧二娘が高名であるという事で、硯石を抱えてはるばる蘇州を訪れた。端溪老坑の佳石でなければ作硯しないと言われた顧二娘であったが、黄任が携えてきた硯石を見るなり顔をほころばし、黄任のために精魂を傾けて硯を刻した。
彼女が刻んだ硯には、現在は北京故宮博物院に収蔵されている「青花硯」があるが、これは「飛鳳流雲紋図(鳳凰と雲紋)」を雕し、これが硯池を取り巻いている。また「洞天一品硯」があり、これは天然楕円形をしており、上部に長方形の墨池が穿たれ、また中部は硯堂をなし、これも硯池の外縁を竜盤繞紋図がとりまいている。硯池の一側に“呉門顧二娘造”と篆文で款しているのである。
黄任は果たして噂に違わぬ顧二娘の技量に感激し、彼女のために詩を贈って謝意をしめしている。すなわち青花硯の硯背に残る黄任の詩であるが、黄任は自ら硯銘を刻したというから、この硯背の詩も黄任の手で刻したものであろう。(1,2,4句目末尾の語のピンインを記して韻を示す)

一寸干将切紫泥(ni:ニイ)
専諸門巷日初西(xi:シイ)
如何軋軋鳴機手
割遍端州十里渓(xi:シイ)

とある。
一句目の「干将(かんしょう)」は春秋時代の呉(すなわち蘇州)の伝説的な名刀工であり、また名刀を意味する。「一寸干将」とは鋭利な小刀であり、ここではもちろん顧二娘の作硯刀である。「紫泥」は端溪石であるが、「泥」としたのは「泥のように切れる」という名刀の切れ味の形容である。
二句目の「専諸(せんしょ)」も呉の公子光に仕えた刺客であり、呉王の僚を暗殺した。「専諸門巷」は蘇州の街のことである。三句目の「機手」は「機敏な手の動き」であり、それが「軋軋鳴」というから硯を刻する顧二娘の手の動きであろう。四句目の「割遍」は満遍なく切り回すことであり、「端州十里渓」は端溪石の採石される坑洞を意味する。すなわち端溪の硯石一面に細かい彫刻を施す顧二娘の仕事振りを活写しているのであろう。
詩の大意は「一寸の干将の名刀は紫泥(端溪石)を切り、専諸の門巷(蘇州の街)にもようやく日が西に傾いた。キシキシと鳴るのはすばやく細かい手の動きに応じたものだろうか。この小さな女性の手が、端州十里の渓谷から出た佳材に満遍なく雕を施しているのだ。」というところであろうか。
黄任が親しく顧二娘の仕事振りを実見したことがうかがわれ、その絶技を称えた詩である。
小生も作硯家には何人も会っているが、大抵は強健な男性の仕事である。特に老坑というのは固い硯材として知られており、素人が篆刻刀を当てたところで思い通りに削れるものではない。端溪硯の産地である高要県の職人も知っているであろう黄任としては、顧二娘の精緻な仕事の様子を形容するに、力なくしてモノが切れる「干将」という伝説的な名刀に喩えたのだろう。
ともあれ顧二娘も黄任に知己を見出したのだろう、彼のために多くの名作を残している。顧二娘の生卒年は未詳であるが、黄任よりも早くに亡くなったようだ。当時の蘇州の文人士大夫達は、競って彼女の死を悼む詩を献じたが、黄任の詩には、

古款遺凹積墨香(xiang:シャン)
繊繊女手帯干将(jiang:ジャン)
誰傾几滴梨花泪
一洒泉台顧二娘(niang:ニャン)

とある。
「古款遺凹積墨香」という句はもちろん陸游の「古硯微凹聚墨多」を踏まえている。顧二娘が刻した硯を長らく使い込み、落款の細い刻線は墨で埋まって墨の香りが漂っている、というところである。黄任と顧二娘との短からぬ付き合いを物語っている。二句目の意味は判りやすいので良いだろう。三句目「梨花泪」とあるが、梨の花は白く小さく、その花が咲き散るのは四月である。この頃の江南には霧雨のような細い雨が降ることが多く、これを「梨花の泪」という。また「梨花」は美女の形容でもある。「几滴」はわずかな滴(しずく)であり、「傾ける」は液体をこぼすこと。「誰が」とあるが雨を降らすのは天意であり、「梨花」の意味と兼ねれば女神ということになろうか。ここでは顧二娘の死を、天の女神も悼んでいるという意味になる。
中国で天上に住む女性と言えば、普通は玉女とか仙女なのであるが、道教信仰や西洋の宗教や伝説の影響なのか、清朝あたりでは普通に「女神」と訳した方が、小生的には文意にしっくりくる存在が詩文に現れるようになる。
四句目の「泉台(臺)」は墓標、墓石である。「洒(しょう)」は洗い流すことであるから、雨が顧二娘の墓石に降り注いでいる情景であり、むろんこれには黄任の涙も含まれるのである。
すなわち詩の大意は「あなたが硯に刻んだ古い落款には、いまやその凹(くぼ)みを墨が埋め、その香りが漂っている。細くか弱い女の手であっても、その手には干将の名刀を帯びていたものだ。誰がこの梨花の泪(なみだ)のような雨の滴(しずく)を傾けているのだろう?(天もあなたの死を悼んでいる)顧二娘よ、あなたの墓をこの春の細雨が洗っているではないか。」というところだろうか。知己を失った悲しみを、美しい情景の中にうたっている。
ともあれ、王朝時代の愛硯家というものは、もっぱら古硯を集めるばかりではなかったということである。良い硯材を求め、それを良工に依頼して作硯し、さらに自ら銘を刻むなどして硯を愛玩したのである。今日見られる「古硯」の多くというのも、作られた当時は新しい硯だったのであり、良硯とは第一に良い硯材ということであった。また清朝初中期にかけて、老坑水巌の佳材が多く採石された史実も考え合わせる必要があるだろう。
さて、”グ・アールニャン”についてはこれくらいにして隣の陳端友(ちん・たんゆう)についてであるが、近代の名作硯家である陳端友もまた精細な彫刻を施した作硯を得意とした。しかし二面を見比べて、何かお気づきにならないであろうか?あまり良い写真ではないが、ふたつとも円形の硯である。
沈端友こそ、その超絶技巧を駆使して数多の倣古硯を生み出した近代の恐るべき名作硯家であり、市場に見られる顧二娘硯の多くも、彼か彼の弟子の作が多いと言われている。また彼独特のリアリズムに徹した作風もあり、近代の作硯様式に大きな影響を与えている。
あるいはこの蘇州博物館の顧二娘硯も、陳端友の手によるものであっても、全く不思議はない。いや、この程度なら陳端友の弟子でも充分かもしれないというところだ。
長くなったので沈端友については、いずれ機会を改めて述べようと思う。
落款印01


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