鮑瑞駿「造墨歌」

清朝の鮑瑞駿(ほう・ずいしゅん)という人物がつくった、「造墨歌」という面白い歌がある。鮑瑞駿は字(あざな)を桐舟といい、歙県の人である。勤勉で詩文もよくした文章家としてしられた。道光癸卯(1843)に挙人となる。また同治年間に軍功を賞され山東省館陶県令、同じく山東省黄県令、ついで擢候補知府にのぼった。「桐華舸詩鈔」という詩集があり、「造墨歌」もこれに収録されている。
「造墨歌」はその名の通り、製墨についてうたわれた歌謡であるが、製墨史を概観した内容になっている。概観とはいえ、随所の記述は実に具体的であり、歙県出身の鮑瑞駿が、製墨にも深い理解をもっていたことが窺える。あるいは鮑瑞駿自身も製墨に親しんだことも考えられる。鮑姓もまた徽州に多い姓であり、清朝末期には鮑乾元(ほう・けんげん)という名の製墨家が知られている。
まず原文を掲載し、書き下し分を添えた。「歌」だけに、原文は軽快な節回しで吟ずることが出来るようになっている。書き下し分も調子を整えるために、あえて省略した文字もある。ともあれその全文を。

「造墨歌」

昔人造墨焼古松,今之焚膏毋乃同。
板屋松陰跨幽澗,下有流水鳴淙淙。
壁如蜂窠紙如幔,参差鐙影紗籠中。
承鐙以碗碗注水,水與火済凝烟濃。
液融鹿角香噴麝,陰房疑搗紅守宮。
塗脂从印燥不滓,槍金細字蟠虬龍。
程方遺制効奚李,厥貢后数曹家工。
家伝古井清且冽,雲與易水霊源通。
烟軽膠旧井華孕,紫玉一笏隃麋空。
荒唐誰説十万杵,杵以万杵堅于銅。
尤其偽者滲以漆,光則黝然不可礲。
羅家銀墨広陵散,色如碧葉秋来紅。
紫雪之精鬱霊気,西陂小景撫呉淞。
再和之法亦一瞬,几人犹弆呉綾封。
龍賓十二落誰手,磨人磨墨倶怱怱。

○ 昔人造墨焼古松,今之焚膏毋乃同
「昔人(せきじん)造墨(ぞうぼく)古松(こしょう)を焼き、今の焚膏(ふんこう)同じからん。」
かつては松を焼いて松烟を採っていたが、この際は樹齢を重ねた“老松“が良いとされていた。老いた松は溜まりたまった樹液が堆積しているから、高温でよく燃え、こまかい煤が大量に取れるからであろうか。
現在は膏(こう)、すなわち油脂を焚(た)いて煤をとっていることを言っている。「毋乃」は「非莫(あらざるなし)」とおなじ二重否定であるから、強い肯定であり「同じこと」と言っている。

○ 板屋松陰跨幽澗,下有流水鳴淙淙
「板屋(はんおく)松陰(しょういん)幽澗(ゆうかん)跨(また)ぎ、下に流水(りゅうすい)鳴きて淙淙(そうそう)」
これは山中に分け入って、松烟墨を取る方法である。「板屋(はんおく)」は板で作った急造の山小屋である。きちんとした家であれば專(せん:レンガ)と漆喰でつくる。作業小屋、山小屋ということになる。「幽澗(ゆうかん)」は山奥の水の流れる細い谷間。そこへ松が枝を伸ばして覆っており、「淙淙(そうそう)」と水が流れている様子である。
古代の松烟の精製はこうして山中に老いた松を求め、その場で焚いて煤を採ったというが、これらのことは明代の宋応星(そう・おうせい)の著した「天工開物(てんこうかいぶつ)」などに記載がある。

○ 壁如蜂窠紙如幔,参差鐙影紗籠中
「壁は蜂窠(ほうそう)の如く紙は幔(とばり)の如く、参差(さんさ)の鐙(とう)は紗篭(さろう)の中」
「蜂窠(ほうそう)」はすなわち「蜂巣」で、蜂の巣である。壁にたくさんの穴が開いている様子であるが、もちろん内部で火を焚いて煤をとるので、その換気のためである。その内部に、幔幕(まんまく)のように紙で覆った空間を作る。通気を良くしつつも、風が吹き込むことを遮断するためである。これは前の松烟を採る内容の句と異なり、一転して油烟を採る方法を述べているのである。
「参差(さんさ)」は不ぞろいな様。「紗籠」は「紗(さ:うすぎぬ)」で造った籠であり、すなわち燈籠(とうろう)である。鐙(とう)は馬の鞍にとりつける“あぶみ”ではなく、古代の三足のついた食器という意味がある。また古くは“灯”と同義である。すなわち紗籠の中で油を満たし、灯心を置いた容器ということになる。燈籠の中でこの鐙(とう)の影が不ぞろいに揺れている様であろう。

○承鐙以碗碗注水,水與火済凝烟濃
「碗を以って鐙(とう)を承(う)け、碗(わん)に水(みず)注(そそ)ぎ、水と火済(そろ)いて凝烟(ぎょうえん)濃く」
すなわち、灯心を燃やした上部に、椀状の容器をかぶせて煤を付着させるのである。また椀に付着した煤は、水で洗い流してあつめる。
日本の製墨法では金属製の器から刷毛を使って煤を集めているが、中国では陶製の器を用い、水で洗い流し、同時に水分をくわえるのである。この煤に水分を加えるということは、製墨では重要な工程である。いきなり膠とあわせようとしても、うまく混ざらないのである。
火と水という二つの相反する要素がそろって、はじめて“凝烟(ぎょうえん)“すなわち濃い煤がとれるということである。

○ 液融鹿角香噴麝,陰房疑搗紅守宮
「液は鹿角(ろくかく)を融(ゆう)し香は麝(じゃ)を噴(ふん)し、陰房(いんぼう)に紅守宮(こうしゅきゅう)を搗(つ)くを疑う」
すなわち膠を交ぜて、よく搗きこむところである。鹿の角を溶かし、麝香と煤を混ぜて捏ね上げる。
「陰房疑搗紅守宮」であるが、これは唐代の詩人李賀の「宮娃歌(きゅうけいか)」にある“蝋光高懸照紗室,花房夜搗紅守宮”をもじっている。すなわち女性たちが夜半に花房内で蝋燭をともし、鳳仙花(ほうせんか)から採った染料を搗き、爪を染める…つまりはマニキュアを作っているところである。この場合の染料は油脂と混ぜて赤い餅状になっているものである。しかし造墨歌では、煤けて真っ黒な部屋で、紅守宮ならぬ墨を搗いているのであり、その杵音が聞こえるというわけである。

○ 塗脂从印燥不滓,槍金細字蟠虬龍
「脂を塗り印に従い燥(そう)して滓(そう)せず、槍金(そうきん)の細字(さいじ)、蟠(ばん)の虬(こう)龍」
“从印”は“従印”ということで、印に従うということであるが、ここで言う“印”は墨型のことである。それが“不滓“ということであるが、”滓(かす)”がつかない、綺麗に型から取り出すという意味に読める。しかし「塗脂」の意味は若干不可解である。現在では墨を型入れするときに、型に油脂を塗るようなことはしないからである。ともかく脂を型に塗るかすれば、取り出すときには都合が良さそうではある。
“槍金(そうきん)”は漆工芸にみられる金属象嵌(ぞうがん)であり、ここでは象嵌のように細かく端整な文字が刻まれるということであろう。また「虬」であるが「虬」は日本語の音がないので仮に「こう」とした。小さな龍である。ここでは蛟(みずち)と同義としていいだろう。蟠(ばん)はとぐろを巻くことであるから、とぐろを巻いた蛟や龍ということである。蟠龍(ばんりゅう)とも言うが、墨の意匠を代表している。
ちなみに“泥蟠不滓”という詞がある。志が得られずとも節操を喪ってはならないという意味であるが、これは「三国志・蜀书・秦宓(しんひつ)伝」に“有補于事,泥蟠不滓,行参聖師“からきている。つまり龍であれば濁った泥の中に潜んでいても、その身に泥滓がつくことはないのだ、というところである。よってこの二句では”蟠龍”を墨の意匠として引き合いにしていることがわかる。

○ 程方遺制効奚李,厥貢后数曹家工
「程方の遺制は奚李を效(なら)い、厥(そ)れ貢后(こうこう)の数(すう)は曹家(そうか)の工」
ここでいう“程方”はもちろん程君房と方于魯を指す。“奚李“は奚超と李廷珪である。奚超は李廷珪の父親であり、李廷珪もはじめは奚姓を名乗っていたが、のちに南唐の李公主から李姓を賜ったのである。「效」には”模倣”の意味がある。つまりは程君房や方于魯も、李廷珪の製墨法に倣ったのだ、というところである。
また二句目の「貢后」は献上すること。「曹家」はもちろん曹素功の一族である。それが“工”であったというのは、“工(たく)み”であったということと、功績・業績があったということをかけている。清朝における献上墨の代表格である曹素功に言及しているのだが、この二句全体で歴代の名墨匠にふれているのである。

○ 家伝古井清且冽,雲與易水霊源通
「家伝の古井(こせい)は清(せい)且(か)つ冽(れつ)、雲と易水(えきすい)霊源(れいげん)通(つう)ず。」
“古井(こせい)“は古い井戸であるが、生活上の重要性から井戸は神聖なものとされており、また。”清(せい)且(か)つ冽”はすなわち井戸の水が“清冽(せいれつ:冷たく清らか)“といところである。
また”雲與易水霊源通“は、”易水”は徽州製墨の発祥地であるが、易水という黄河の支流域でもある。これが“雲”と“霊源が通じる“というのは、”雲“すなわち”天”であり、“易水”はすなわち“地”上の河である。易水を流れる河の水も元は天の雲から降り下った雨であり、ともに“水”という同一の元素からできていることを言う。
もちろん、ここで“水”に象徴されているのは製墨法である。家伝の古い製墨法は時を経ても濁ることはなく、そもそも“易水法“の名に残る徽州古来の製墨法は天来のものである、という自負がうかがえる。

○ 烟軽膠旧井華孕,紫玉一笏隃麋空
「烟は軽(けい)に膠(こう)は旧(きゅう)に華孕(かよう)を井(せい)し、紫玉(しぎょく)一笏(いっこつ)隃麋(ゆび)は空(くう)」
つまり、烟(煤)は軽いものがよく、膠は古いものが良いということである。が、気をつけなければならないのは「膠が古い」というのは、作ってから年数の経過した膠がいいということではなく、古い製法で膠が作られている、ということである。
すなわち項元汴(1525—1590)の「蕉窓九録(しょうそうきゅうろく)」のうちの“墨録”には「烟細膠新」とある。「烟細」は煤が細かい、つまりは軽いことである。「膠新」というのは、膠が出来てからまだ新しいことを言う。また「古之妙工,皆自制膠」と、古代の名人はみな膠を自分で作り、それは綺麗に処理した牛革を煮てつくり、その煮汁がまだ冷えかたまらないうちに烟と混ぜたという。
すなわち新しい膠を用いるのが、古い膠の用法であり、「膠旧」はこの膠の用法のことを指していると考えられるのである。この項元汴の文は後代、たびたび引用されている文であり、鮑瑞駿も当然知っていたであろう。また何十年も寝かせた膠を用いた方が良い、という文は見当たらないのである。
「華孕(かよう)」は「花孕」あるいは「孕花」ともいい、受粉して結実した花房である。“井(せい)“には整斉と周囲を取り囲む、という意味があり、ここでは墨を型入れするときの様子をいうのであろう。製墨の工程を見ているとわかるのであるが、墨匠は墨の原料の大きな塊から重さを図ってひとつかみの材料を取り、それを手の平で転がし、適当な円筒ないし紡錘にまとめる。これを木型にいれて圧迫するのである。すなわち型入れ直前の墨の材料を、受粉した花の子房にたとえたのであると考えられる。
次の「紫玉」は端溪紫石の形容にも使われるが、”一笏“とあるのでやはり「紫玉光」としての墨を意味すると考えられる。また”隃麋”は古代の官製の墨の名称であり、墨、特に古い墨の代名詞である。ここでは新旧の佳墨を対比させていると考えられる。すなわち今は一笏の紫玉光があるが、古(いにしえ)の隃麋はすでに「空(ない)」と。

○ 荒唐誰説十万杵,杵以万杵堅于銅
「荒唐(こうとう)誰(だれ)説く十万杵(じゅうまんしょう)、杵(しょう)は万杵(まんしょう)堅きは銅」
ここも面白いところで、かつ鮑瑞駿が製墨に精通していたことをうかがわせる一句である。つまり「誰が言ったのか、墨をつくこと十万杵などと。荒唐無稽な話だ。」と言い切っているのである。そして「万杵(まんしょう)」すなわち一万回もつけば、墨は銅のような固さになってしまう、と言っているのである。
「十万杵」は李廷珪の製墨法にうたわれている。あるいは後漢の韋誕(い・たん)は自ら「三万杵」と延べ、曹素功の次代の曹永錫(そうえいしゃく)も「三万杵の技」を誇ったと言う。しかしこの鮑瑞駿の説に従えば、一万回でも行き過ぎということになる。
やはり清朝初期の名墨匠にして傑出した学者である程瑶田(てい・ようでん)の製墨法を、同時代人の姚が詩にうたっているが、“我愛瑶田善論琴,博聞思攬好深淇。才伝墨法五千杵,已失家財十万金。”とある。ここでは「才伝墨法五千杵」とうたわれているが、あるいはこのあたりが真実に近いのかもしれない。

○ 尤其偽者滲以漆,光則黝然不可礲
「尤(もっと)も其(そ)の偽者(ぎしゃ)漆(うるし)が滲(にじ)む、光は則ち黝(くろ)きも礲(ろう)せず」
この“漆が滲む”というのは墨の鑑別法のひとつで、良い墨はその磨った面に漆をたらしても滲むことはないが、わるい墨は漆が滲んでしまうというのである。粗悪な墨は、質が粗慢で漆すら浸透してしまうということである。
「礲(ろう)」は、磨くという意味があるが光沢をいうのであろう。そういう偽者の墨は、色は墨色が黝(黒)くとも磨いたような艶がないと言っているのである。

○ 羅家銀墨広陵散,色如碧叶秋来紅
「羅家の銀墨(ぎんぼく)広陵散(こうりょうさん)、色(いろ)は碧葉(へきよう)秋来紅(しゅうらいこう)」
“羅家”はもちろん羅小華のことである。“銀墨“はおなじ重さの銀にも等しい墨、というほどの意味であろう。文献では金と等しいとされた羅氏の墨であるが「金(jīn)」とするとこれは平声であり、平仄が合わないので三声の「銀(yín)」としたのであろう。
さて「広陵散(こうりょうさん)」であるが、これは中国の古い楽曲で「十大古曲」のひとつ、通常は琴によって奏する。完成者は晋の嵇康(けいこう)と言われるが、嵇康は司馬昭によって罪に着せられ処刑されることになった。刑場には嵇康の助命を嘆願する、三千人の人士が詰め掛けたという。嵇康は彼等を前にして最後の「広陵散」を演奏し、曲が終わるとともに嵇康の首は地に落ちたという。つまり嵇康の「広陵散」は今に伝わっていない。
現存するもっとも古い「広陵散」は、はるか後代の明代にその断片を記した楽譜がある。すなわち「広陵散」は喪われて伝わらないものの代名詞でもある。羅小華もやはり最後は厳世蕃とともに刑に処されるが、その製墨法もともに喪われてしまった、というところであろう。
「色如碧叶秋来紅」であるが、「碧叶(葉)」は緑の葉。これが「秋(あき)来(き)たりて紅(くれない)」ということであるが、つまりは紅葉である。「碧叶」は若々しい葉をさすが、同時に秋が来れば赤く染まり、いずれは散って土中に埋もれることを暗示している。やはり羅小華の運命を比喩していると読める。

○ 紫雪之精鬱霊気,西陂小景撫呉淞
「紫雪(しせつ)の精は霊気を鬱(うつ)し、西陂(せいは)の小景(しょうけい)呉淞(ごしょう)を撫(ぶ)す」
ここでいう「紫雪」とは煤のことであり、その精粋は霊気が内に籠もっている、というところであろう。
宋犖(1635−1714)は、字(あざな)を牧仲といい、漫堂あるいは緜津山人と号した。晩年には西陂老人または西陂放鴨翁という号を用いた。康熙年間の大蔵墨家であり、その収蔵をしるした「漫堂墨品」をのこしている。官界でも立身し、江蘇巡撫、吏部尚書、加太子少保にいたり、資産も権勢も有していた。その墨癖を傾けて墨を特注したが、すべて精品であったという。後代の「百十二家墨録」にはそのうちの一笏“西陂珍賞之墨”が掲載されている。実は「造墨歌」の注釈にはこの“西陂珍賞”が国朝の第一品であるという文が記載されている。ゆえにここでうたわれている「西陂小景」は宋犖の造らせた墨ということになる。
「呉淞(ごしょう)」とは「呉淞江」であり、上海、蘇州一帯を流れる河である。また「呉淞」はこの地域を指す名称である。すなわち「呉淞を橅(ぶ)す」とは、江蘇巡撫であった宋犖をいうのである。また「橅(ぶ)」とは「模倣」あるいは「模写」という意味があり、すなわち墨の精品をもって、山水を描く意味をもかけているのであろう。

○ 再和之法亦一瞬,几人犹弆呉綾封
「再和(さいわ)の法も亦(ま)た一瞬、几人(きじん)は弆(しま)うに呉綾(ごりょう)に封ず」
“再和”の法ということであるが、これは再和墨のことを言っているのであろう。すなわち一度造った墨を砕いて墨を造る手法である。
宋代の蘇軾は、“雪堂”で三十六丸の墨を試墨し、また残墨を再び搗き砕いて再和墨を造ったといわれている。いわゆる「雪堂儀墨(せつどうぎぼく)」である。
几人(きじん)は「机人」であり、机(つくえ)の人はすなわち読書人ということになる。また「呉綾」はすなわち「呉(蘇州)」の綾錦である。「錦」で包むということは、つまりは大切に収蔵するという意味であるが、やや過度であるというニュアンスがある。
すなわち古の文豪である蘇軾は、墨を砕いてさらに良い墨を造ろうとしたが、今の読書人たちは墨が割れることをおそれて過度に大切に扱っている、と皮肉っているところであろう。「机人」という言葉には、頭でっかちの学者先生、それも中途半端な、という揶揄を含んでいる。
再和墨については「(宋)何遠(かえん)・春渚紀聞」に記載がある、対膠(ついこう)法と関連のある伝承があるが、ここでは次の句の意味を考え蘇軾の雪堂墨品の故事をとるところだ。

○ 龍賓十二落誰手,磨人磨墨倶怱怱
「龍賓十二(りゅうひんじゅうに)誰(た)が手に落つ、人(ひと)磨り墨磨り倶に怱怱(こつこつ)」
まず“龍賓十二“であるが「(唐)馮贄・雲仙雑記・墨松使者」にある、墨の精が唐の玄宗帝に万歳を叫んで述べた”凡世人有文者,其墨上皆有龍賓十二(およそこの世の文才のある者は、皆その墨の上に龍賓が十二いるのです)“という口上である。つまりは墨、それも皇帝の面前に出されるような佳墨の代名詞であり、容易に得ることは出来ない墨である。
また「(元)泰不華・桐花烟為呉国良賦(桐花烟は桐油烟墨、つまりは呉国良の造った墨をうたった)」には“龍賓十二吾何用,不意龍文入吾手。(龍賓十二なんていう希少な墨をどうして私なんぞが使えようか、と思っていたら不意に(呉国良のつくった)龍文(佳墨)が吾が手にはいった)”とある。「落誰手(誰の手に落ちたのだろう)」というのは、この詩句に対応したものであろう。
次に“磨人磨墨”であるが、これも蘇軾の「次韵答舒教授観余所蔵墨」のなかの「非人磨墨墨磨人(人が墨を磨るに非ず、墨が人を磨るのだ)」に拠っている。この「非人磨墨墨磨人」は「非」と「人磨墨墨磨人」にわけると、後ろの「人磨墨墨磨人」は真ん中で分けて「人磨墨」と「墨磨人」の左右対称になっている。また発音すると「非(fēi)人 (rén) 磨(mó) 墨(mò) 墨(mò) 磨(mó)人 (rén)」となって、無理にカタカナにすれば「フェイ、レン・モー・モー・モー・モー・レン」となる。もちろん、カタカナでは同じ「モー」でも「磨(mó)」は二声、「墨(mò)」は四声で聞き分けることが出来る。しかし蘇軾の狙いとしては、文字も左右対称にし、音も似通った配列になることで、まったく「人が墨を磨っているのか、墨が人を磨っているのかわかりゃしない」という気持ちを強調しているところである。
これは「舒教授」という人が、蘇軾の収蔵していた墨を観て作った詩に対し、韻を合わせて蘇軾が答えた詩である。長いのでこの詩の解説は別の機会したいが、詩の中には蘇軾が三十年の間少しづつ集め、また使っていた墨達が出てくるのである。同時に蘇軾は髪も薄くなり、歯も弱くなった老境の自分を自嘲まじりにうたっている。磨り減った墨達と老いた我が身を重ね、「墨を磨る」つまりは詩作や作文、あるいは官僚としての実務に明け暮れるうちに、一生が過ぎ去ってしまったなあ、というところである。このとき蘇軾は左遷されて、小さな畑を耕し細々と生活していたころであるが、この詠嘆には同時に文事に明け暮れた生涯に対する、深い充実感も感ぜられるところである。
「怱怱(こつこつ)」であるが、「怱(こつ)」はたちどころに消え去る、という意味で「怱怱」というのは人の一生も、墨を磨り潰すのもあっというまだよ、というところである。

長くなったが、最後に大意をまとめて付したい。もともとが節回しの良い歌謡であるから、日本語でもそれなりの調子がでるように意訳したのでご了承いただきたい。小生如きでは随分と品格の下がる、俗な調子になってしまうものであるが。

(大意)
昔の人は老いた松、焼いて煤(すす)採(と)り墨造(つく)る。今じゃ脂(あぶら)を焼くけれど、もともと同じ墨造(づく)り。
山に分け入り松の陰(かげ)、ちょいとばかりの小屋を建て、谷川越えて松探す、耳を澄ませば水の音。
壁は蜂の巣(す)穴だらけ、紙で作った蚊帳(かや)の内、薄絹(うすぎぬ)造りの籠(かご)の中、灯火(ともしび)ゆらゆら揺れている。
椀(わん)を被(かぶ)せて煤(すす)を受け、水を注(そそ)いで煤洗う。水火(すいか)そろったそのときに、煤は集まり黒くなる。
膠(にかわ)造るにゃ鹿の角、麝香(じゃこう)の匂いもぷんぷんと、黒く煤(すす)けた奥の部屋、なぜか不思議と紅(べに)を搗(つ)く。
脂を塗って型に入れ、乾いたあとでも滓(かす)はなし。象嵌(ぞうがん)見紛う細かい字、とぐろを巻いた蛟(みずち)や龍(りゅう)。
程氏も方氏もその墨は、奚李(けいり)の親子を真似たもの。今じゃお上に納めるは、曹家(そうけ)の貢墨(こうぼく)これ一番。
代々伝わる古い井戸、いまも冷たく澄んでいる。雲から易水(えきすい)同(おな)じ水、秘伝の製法廃(すた)れない。
煤(すす)は軽いし膠(にかわ)良し、墨を握って型に入れ、紫玉が一笏(いっこつ)隃麋(ゆび)は無し。
誰が言ったか出鱈目よ、杵(きね)で搗(つ)くこと十万回。万も搗いたら銅になる。
もっとも偽者(にせもの)漆(うるし)が滲(にじ)む、黒いは黒いが艶がない。
羅小華(らしょうか)造(つく)るは銀の墨、あわれ仕置(しお)きの露(つゆ)と消え、これ春秋(しゅんじゅう)の理(ことわり)か、夏には緑の山の葉も、秋が来たなら紅(あか)くなる。
煤の上物(じょうもの)霊気が籠(こ)もる、西陂(せいは)の大臣佳(い)い墨造り、呉淞(ごしょう)の山水これで描(か)く。
文豪(ぶんごう)東坡(とうば)は墨(すみ)を和(わ)し、今の先生墨を得りゃ、後生大事にお蚕(かいこ)ぐるみ。
龍賓十二(りゅうひんじゅうに)は誰(だれ)のもの?考えたって仕方無い、墨を磨ってりゃそのうちに、書生の一生すぐ終わる。

(ああコリャコリャ)
落款印01


calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM