画蘭と董其昌

昨年販売していた熟宣、特製煮硾宣(しゃついせん)であるが、ことしも若干量の入荷を見込んでいる。2009年の春〜初夏にかけて製造された煮硾宣も、一年経過してだいぶ落ち着いてきた印象がある。入荷した当時は、撥水の効果が高く、滲まないどころか墨を撥(はじい)てしまうような気味があったのが、若干しっとりと墨が乗る感じに変化していている。書いてすぐは、墨色が薄くやや浮ついた印象を覚える紙であるが、乾くにしたがって色味が落ち着いてゆく。また表具すれば一段と生彩が引き立つのも、加工するベースとなっている紙が良質なためである。無論、書にも画にもいい紙である。
紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭「四君子」の中でも、蘭と竹は年中書いても良い、という気がしている。詩に蘭がうたわれる時には、春の季節が多く、それなら画も梅の季節の終わった晩春から初夏にかけて書かれるべきなのかもしれない。しかしもとは熱帯から亜熱帯にかけて生息する植物であり、開花時期が春にあたるのは東アジアの場合である。さらに現代では温室栽培により、年中開花した蘭が見られるものであるが。(人気があるのが胡蝶蘭であるが、小生はどうもあの丸い扁平の蘭葉に馴染めないのだが…)
「竹梅蘭菊」を四君子というが、梅と菊は厳しい寒さにも耐え抜くことができる。そもそも梅の花というのは「(君子は)風雪に耐えて咲く」という意味がある。しかし梅や菊というのは、多くは屋敷や庭園の内にあって栽培される植物であり、野生の梅や菊を愛でるという状況が想定されることはあまりない。陶淵明が東籬の下で採んだ菊も、植えられたものなのである。寒さに耐えるとはいえまったく土壌を選ばないということはなく、ある程度の人の手を必要とするのが梅と菊である。
しかし蘭や竹となると、多くは野生に自生している状態が想定されていることが多い。またどちらももとは熱帯の植物である。野性といっても、実のところ蘭の栽培にはかなり熱心であったのだが、その栽培された蘭も多くは深山に分け入って採取した株であり、どうしても蘭は山の奥深いところで咲くべきもの、という前提がある。
その姿に自分の境遇を重ねているとなると、かなり過酷な、あるいは超俗的な環境に身をおいていることを想起させるものである。同様に竹も相当に過酷な環境に耐えて自生する植物である。清初の鄭板橋が蘭竹画に専心し、また好んで詩を作ったことからは、そういった気分の表れを読み取ることが出来なくも無い。
紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭
「読書人が書く画」がどういうものかといえば、詩に言葉でもって表現された明確な主題があるように、やはり明瞭な主張を背景にもった画である。この場合の「明確さ」というのは、やはり言葉でもってある程度は説明可能な概念なり情念ということになるだろうか。
もちろん画はそのまま画として鑑賞してもかまわないと思うのであるが、当時の士大夫の思想や哲学、社会情勢や書き手の人生を考えながら、画の意味を考えるのもひとつの観方である。無論その画の意味がわかったところで、時代も社会もことなる現代の自分が共感できるかどうかは別問題であるが、すくなくとも当時の士大夫同士であれば相互に理解できたメッセージであったことは考えてみてもいいだろう。ともあれ書と画が不可分な関係にあったように、詩と画も不可分な関係にあった。詩の多くは画になりうるものであったし、画の主題もただちに詩文に転化することが可能な内容を持っていたのである。

明の董其昌に「蘭」を主題にした二首の詩がある。二首続いた詩であるが、はじめの一首に「画蘭」すなわち絵に書いた蘭をうたっている。というより、蘭を描くという行為そのものがうたわれているのである。完成された蘭の画を眺めて楽しむだけではなく、蘭画を“書く“という行為そのものが、当時の士大夫達にとっては楽しみのひとつだったのである。

緑葉青葱傍石栽(zāi)
孤根不與衆花開(kāi)
酒闌展卷山窓下
習習香从紙上来(lái)

緑葉(りょくりょう)は青葱(せいそう)にして石栽(せきさい)に傍(はべ)る
孤根(ここん)は衆花(しゅうか)とともに開(ひら)かず。
酒闌(しゅらん)にして卷(かん)を山窓(さんそう)の下に展(の)べ
習習(しゅうしゅう)の香(こう)は紙に从(したが)い上来(じょうらい)す。

○『青葱(せいそう)』は青ネギ、ではなくて翠緑色が原義。「(唐)韋応物・“游渓“詩」に“縁源不可極,遠樹但青葱。”とある。○『石栽』盆栽。とくに怪石をあしらった盆景。○『孤根』独立した根。独立した一株。「(宋)王安石・“金山寺“詩の三」に“滄江見底応无日,万丈孤根世不知。”とある。○『衆花(しゅうか)』さまざまな花。群芳。
○『酒闌(しゅらん)』すなわち酒宴が闌(たけなわ)であること。「史記・高祖本紀」には“酒闌、呂公 因目固留高祖 。”とある。○『山窓下』すなわち山荘の一室、窓のそばである。「(宋)顧逢・雷峰寺聴琴」に“尽日山窓下,松風細細吹。”とある。
○『習習(しゅうしゅう)』ここではかすかな風が吹く様「詩経・邶風・谷風」“習習谷風,以陰以雨。”○『上来』立ち上る様子。

四君子(竹梅蘭菊)のひとつに数えられる「蘭」であるが、深山にひっそりと根を下ろして咲くことから、隠逸の士の姿に重ねられることが多い。「孤根不與衆花開」というのは、「衆花」すなわち華々しさを競って咲く、さまざまな花から離れてひとり咲くということであるが、これも名利を競う俗人の群れから離れ、高い節義を持して独立するということである。
「習習香从紙上来」の「香从紙上来」とある「香」は「紙に从(した)がって」ということであるから墨の香りであるが、これを画中の蘭の香りとかけている。蘭の香りは「幽香」と表現される幽(かす)かな香りであり、「幽玄」に通じるものとされ「玄」すなわち「墨」に通じるのである。

(大意)
青く透き通るような葉は、石が置かれた盆景にこそ似つかわしいものだ。
この蘭の一株は、他のさまざまな花とともにあるよりは、ひとり咲いているほうがいい。
酒を酌んで良い気分になったところで、山荘の窓辺の机の上に、巻子をひろげようか。
墨を磨って蘭画を描くと、良い墨の香が紙から立ち上ってくるかのようだ。
紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭其二

无辺?草嫋春烟(yān)
穀雨山中叫杜鵑(juān)
多少朱門貴公子
何人消受静中縁(yuán)

无辺(むへん)の?草(ケイソウ)は春烟(しゅんえん)に嫋(たおや)ぎ
穀雨(こくう)の山中には杜鵑(とけん)叫ぶ
多少(たしょう)朱門(しゅもん)の貴公子
何人(なんぴと)ぞ静中(せいちゅう)の縁(えん)を消受(しょうず)せん

○「无(無)辺」際限の無い様子。「(唐)杜甫・登高・詩」に“无辺落木蕭蕭下,不尽長江滾滾来。”○『?草(ケイソウ)』?草といえば佩蘭(ハイラン)という意味もあるが、この佩蘭はキク科の植物である。ここでは?蘭(ケイラン)の意味にとって、蘭の一種をさすのだろう。○『春烟(しゅんえん)』春の雲烟(うんえん)嵐気(らんき)、あるいは草木の間に立ち上る水蒸気。「(元)趙孟頫・桃源春暁図詩」に“ 桃花源里得春多,洞口春烟揺緑蘿。”とある。
○『穀雨(こくう)』二十四節気のひとつ。穀雨ころは降雨が増え、稲などの農作物の生長に寄与する。ゆえにこの名がある。毎年4月19日〜21日ごろ。○『杜鵑(とけん)』すなわちホトトギス。
○『朱門(しゅもん)』赤い漆塗りの門、すなわち富貴の家柄。「(明)李攀竜・平凉詩」に“惟餘青草王孫路,不属朱門帝子家。”とある。
○『消受(しょうじゅ)』受けること。とくに享受すること。「儒林外史・第二回」に“受了十方的銭鈔,也要消受。”(ただし否定を伴うと、甘受、忍受といった意味になる)
○『静中縁』これは「静縁(せいえん)」虚静な心を持ち、同時に事物の理(ことわり)に順応すること。「(唐)張説・虚室賦」“理渉虚趣,心階静縁。室惟生白,人則思玄。”とある。

一首目は静かな山荘の一室で蘭画を楽しむ詩であるが、これをうけた二首目ではその山荘をとりまく山深い春の様相がうたわれている。そして「朱門の貴公子」つまりは都会の富貴の身分にある者たちが、どうしてこの贅沢を味わえるだろうか、という逆説的な結論で結んでいる。
先の一首は画中に独立した蘭をうたっていたが、今度は山中に群生する蘭をうたっている。一首目に現れる蘭画が自らの心境を仮託した”画中画”であるとすれば、自らも化して蘭となり、周囲の蘭とともに山水の中に溶け込んで行くのである。すなわち二首目でうたわれているのは、山水画に画かれた情景そのものである。

(大意)
窓の外を見れば、数限りなく生い茂る野生の蘭が春の烟雨に濡れている。
四月の恵みの雨が降りしきる山中、どこかでホトトギスが鋭く鳴く声がする。
すくなからぬ富貴の貴公子であっても、この自ずと心静かな境地にいたる贅沢が出来るものは、幾人といないだろう。
紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭紙・筆と画蘭
この詩は董其昌が何歳のころに作られた詩であるかはよくわからないが、この詩でうたわれていたような環境にあったのが、董其昌の生涯のいつ頃であったかは興味をおぼえるところだ。明の万暦年間における書画の大家である董其昌であるが、江南屈指の“貪官汚吏”として後世非難されることの多い人物である。
中国の伝統的な書画の見方では、書にせよ画にせよその人物の「人品骨柄」が現れるとされる。これは古代に限らず、現在でも多くの人がいうのは「アートは自分を表現するもの」なのだそうだから、特に理解しがたい考え方というわけではないだろう。よって作品の良し悪し以前に、その書き手の人物や素行というものが厳しく見られてしまうのである。
宋の書の四大家といえば、蘇軾、黄庭堅、米芾のほかにもうひとり、本来は蔡京(さい・きょう)がはいるところであった。しかし蔡京は徽宗皇帝の乱脈な政治を補佐した悪臣であるから、という理由で蔡襄になったという経緯がある。
その素行の善悪をはかる倫理観には、儒教の影響が濃厚であるから、董其昌のような人物はとかく非難の対象になりかねないのである。もし、清朝の康熙帝が董其昌の書を酷愛しなければ、現代における董其昌の評価もあるいはもっと低い位置におかれていたかもしれない。現代でも董其昌の作品を彼の倫理性の面から非難する声には根強いものがある。
そんなのはつまらない見方だ、作品は作品として鑑賞するべきだ、という考え方ももちろんある。当たり前だが、当時の中国と現代の日本あるいは中国では倫理観が同一とはいえないのである。ただし、そういった倫理性を無視して古代の書や画を見ようとしたときに、やはりどこか見落としているような気がしてならないのである。
紙・筆と画蘭「四君子」はどれをとっても難しい画題であり、このうちのひとつでも思い通りに書くことができれば、画はそれでおしまいにして良いとさえ思える。ただし書の世界で小楷や尺牘がイマドキ流行らないように、四君子も墨を使って書く画の主題としては、さほど中心的なテーマではないようだ。現代の中国画壇でも真っ向から蘭竹を書いているのは(知る限りでは)1人〜2人といった状況である。
古代の文房四寶を調べる上では、蘭が書ける筆や紙かどうか考えるというのは、重要な課題かもしれない。画というのは書ではやらないような極端な運筆を行うため、ある部分の特徴が出やすいからである.......まあ、あまり難しく考えなくても、書いていて不思議と気分が良いのが蘭である。
墨の香りを画中の蘭の香りに擬したあたり、さすがに程氏墨苑の中でも最も有名な”百年之后,无程君房,而有君房之墨。千年之后,无君房之墨,而有君房之名。”という墨賛を残した董其昌である。墨に対する造詣も相当に深かったのであろう。そうでなければ「芸苑百世の師」とまでは言われないだろう。董其昌と徽州、とくに西溪南の人士との深い交際の事実は、別の機会にのべてみたい。(しかし董其昌の画蘭といわれても、ピンとくる映像がないのであるが。)

しかし自らを蘭の姿に仮託するといっても、聖人君子にあらざる小生である。くわえて「人品骨柄」まで問われた日には、筆を置いて逃げ出したくなるものだ。
落款印01


calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM