墨と膠と漢方薬 ?

墨に含まれる成分については、その墨色以外にも成分の違いを感じることがある。たとえば、硯を洗う時である。
そもそも硯を洗うことは、中国でも「滌硯(じょうけん)」という詩語にもなっているくらいで、士大夫の日課とされていたものである。裕福な家庭の士大夫などは「書童(しょどう)」という助手に墨を磨らせたり、硯を洗わせるのである。しかし「滌硯」といった場合は、文字通り手ずから硯を洗うことである。すなわち書童などもおけないような、侘び暮らしにおける士大夫の毎日のつとめである。また田舎へ隠棲した後の、清貧にして文雅な生活を暗示するのである。
これとは別に、老坑水巌の石質や石品を際立たせるために「洗硯(せんけん)」という作業を行う愛好家や業者がいる。小生も老坑水巌や新老坑に対して、たびたびこれを行うことがある。愛好家や業者が行う「洗硯」の場合は、「滌硯」のように、日常の使用後に硯を洗浄するということではない。硯材を美しく見せるための、より積極的な作業である。
「洗硯」を行うためには、主に清朝の佳墨が用いられる。明代の墨はあまりにも希少であるし、民国以降の墨は洗硯に適するものがないためである。この墨を丁寧に磨墨し、その墨液を極極薄く希釈する。ガラス瓶に入れて向こうが透けて見えるほどの、非常に希薄な墨液をつくるのである。これを硯に薄く塗布し、しばし置いて乾燥させる。そして墨液が乾燥したら、再び希薄な墨液を塗りなおすという事を繰り返すのである。すなわちかつての士大夫が日常の使用の中で墨を磨り、硯を洗うといった行為を繰り返したことの再現である。これを加速度的に行うのである。
こうすることで、硯が良材であり使用する墨がよければ、いかにも使い込んだ硯の古びた風格を帯び、また石質に温潤さが現れるようになる。「石」という無機的な物質の質感が「赤子の肌合い」とも形容される、有機的な質感を帯びるようになる。この効果には、やはり墨に含まれる膠の寄与が大きいと考えられる。膠などは水で洗えば流れてしまうと思われがちであるが、一度乾燥して固着した膠は容易なことでは流れないのである。
また作硯されたばかりの新しい硯などは、洗硯を繰り返すことで鋒鋩が細かく整って行く。いわば墨によって研磨されるのであるが、耐水ペーパーや砥石による目立てでは不可能な、微細な鋒鋩に仕上げることが出来るのである。
「洗硯」は新硯に古色をつけるときに行われることがあるが、墨が硯石に作用することで硯らしい風格が増すというのは、これももっともなことである。
ただし使用する墨は厳選しなければならず、汪近聖や汪節庵、初期の曹素功などが貴ばれるのは、洗硯に使用してその効果が高いからである。
この「洗硯」をおこなう際に、すくなからぬ墨液が手指に付着することは免れない。しかし毎日のように「洗硯」を行う人が、よく言うことがある。「洗硯」を毎日していると、冬場でも手が荒れないということである。これは徽州の佳墨が持つ特別な作用として、これを行う業者や愛好家の間で不思議に思われてきた。しかしそもそも墨自体が漢方薬の塊のようなものであり、特に皮膚に良いとされる薬材が配合されているのであるから、当然と言えばそうなのかもしれない。
また「洗硯」の際に下に敷く布切れなどは、墨液を吸って洗わなくてもカビや臭いなどが出ないとも言われる。汪近聖や汪節庵のような墨は、こぼれた墨液といえどももったいなくて、それを吸った布などは何年も洗わないでそのままにしていることがある。これも墨に防腐、殺菌に効果がある薬材が含まれるためかもしれない。
もとより小生には漢方医薬の素養はないのであるし、上に述べたことは正確な漢方医薬の知識とは考えないでいただきたい。ただ、もともとは動物の皮膚や角から採れるたんぱく質が膠なのである。「皮膚」を保全するような工夫を加えることで、長い年月の間も墨や墨跡が劣化しないだろうと考えるのは、自然な発想である。
また事実として、明末清初と考えられる墨であっても、膠の効力が無くなってしまい、いくら磨っても墨液にならない墨はある。そういった墨というのは、たとえ古くてもやはり製法に問題があったと考えざるえない。外見が如何に優れていても、これを佳墨とは認めがたいものがある。

「墨と膠と漢方薬」の後編に行く前に、やや脱線気味に「程氏墨苑自序文」の大意を掲載した理由は、そこには明代の優れた製墨法に関するかなり具体的な記述が見えるからである。もとより、書かれていることが全てではないだろう。しかし油烟の採取についてはかなり詳細な解説がされており、また膠についても「鹿角膠」ではなく「広膠」、すなわち広東や福建からよいものを選んだとしている。また添加している香料については、麝香、龍脳(氷片)、沈香に触れており、何れも非常に高価な香料を使っていることがわかる。ここで香料は同時に漢方の薬材であるということにも、注意しなければならない。
徽州の墨には、発達した漢方薬学の知識が投入されており、非常に高価な薬材が用いられていた。もっとも「麝香、龍脳(氷片)、金箔、真珠、熊胆、鹿角膠」を入れたとうたっているだけで、実際にはそれほど高価な材料を使用していない墨もあったのだろう。程君房が程氏墨苑の自序文で批判するように、そういった高価な材料の使用をうたって価格を偽る、という墨も多かったに違いない。あるいは一部には用いておいて、多く造る分には添加しないなどということも、あったであろう。
しかしながら、実際に使用した墨も作られたことも事実である。そうではあるが、墨というのはどういった材料を使っていたかまでを、外観で判別するのは難しい。どのようにその違いを見分けたのだろうか。
当時の士大夫であれば、香料や漢方薬に関する知識も持ち合わせていた人物も珍しくはなかった。「香合」という用具があるが、複数の種類の香料を練り合わせて楽しむようなことも、広く行われていたのである。墨に添加した香料は、経年によってその香りが失われるが、同時代の人にはまだその香りを判別することが出来たようである。磨った墨液から立ち上る香りを嗅ぎ分けるような、鑑別の仕方があったようだ。
明の邢侗(けいどう)は「程氏墨苑」に数編の賛文を寄せているが、程君房と方于魯の確執を目の当たりにした人物と考えられるが。その著「墨談」には方于魯の墨は香気が強く(が、墨気が無いと述べ)、程君房の墨には香が少ないといい、程君房の墨を方于魯の上に置いている。すなわち程君房は余計な添加剤をあまり使わず、煤と膠だけで墨の本色を追求したのであると述べているのである。
また舐めてみることも行われていたようである。方于魯の真品には熊胆が使われており、舐めると苦いことで見分けられる、とも言われる。
程君房が「程氏墨苑自序」で羅小華の墨を評して「奢侈に過ぎる」と述べているのも、多量の薬材、真珠や金箔などによって墨色を調整している点を批判していると考えられる。逆に言えば墨に香料や薬材を加えることが、普通に行われていたということであろう。

ところで清朝初期の曹素功には十八品の銘墨があり、たとえば「蒼龍珠」なら「蒼龍珠」の配合、「紫玉光」なら「紫玉光」の配合と、それぞれの配合が異なっていたといわれている。また品種によって、その価格もそれぞれ違いがあったことが分かっている。その価格の違いが何から生じるかを考えると、単純には材料原価が違うということになる。
ひとつには灯心を減らして収率を悪くながらも、高品位の油烟を採取したことも影響しているだろう。また、ひとつには微量であっても原価に大きく影響するような、高価な香料や薬材の使用があったのではないだろうか。
墨の品種によって使われる材料の配合が異なったとしても、それは明示的に墨色に表れるものばかりではなかったであろう。香料やその墨の品質の永続性を担保する、薬材の使用にも相当な違いがあったと考えられる。しかしながら現在となっては「曹素功十八品」のそれぞれの墨について、どういった配合であったかは(一部を除き)謎である。
また「墨銘」は必ずしも墨の配合と対応していない。曹素功が作った紫玉光と、汪節庵や胡開文といった墨匠の紫玉光とでは、配合が同じであったとは限らない。また初代曹素功と後世の曹素功では、同じ墨銘であっても、材料や製法が異なることは明らかである。材料の種類は同じでも、高価な材料を減らしていることは、充分に考えられる。近代における鐵齋翁書畫寶墨などは、70年代にくらべて80年代の作例では、使用されている金箔の枚数が大きく減らされたといわれる。

顔料としての「墨」そのものは中国全土で作られていたのである。しかし数百年の時間を経ても、墨あるいは墨跡までも優れた状態を保ち続けたのは徽墨であり、それが格別の名声の由縁であろう。
もともと徽州の製墨業は、唐代末期に河北の易水の墨匠達が戦乱を避け、徽州へ移り住んだところから始まっているとされる。この易水は南宋時代には「金」の支配領域であったが、ここから張元素という人物を始祖として、漢方医学における一流派「易水学派」が生まれている。もちろん金代(南宋)以前から、易水は医学や薬学についてはかなり進んだ地域であったに違いない。徽州は漢方医学の先進地域であったが、その源流は墨と同じく「易水」に求められるのかもしれない。そして医学が盛んな徽州にあっても、特に歴代名医を多く輩出したのが槐塘であった。清朝初期には、また程正通(敬通、松崖)という名医がおり、とくに眼科に優れその著作は清朝の眼科医療の世界で著名である。
ちなみに墨に用いられる龍脳(氷片)は、漢方薬では止痒防腐の効果があるとされており、目の充血を抑える目薬の材料としても処方されていた。また漢方の「生肌(しょうき)」今で言う“スキンケア”の医薬品としても効果があることが、古くから知られていた。冬場の手指の乾燥やささくれなどを防ぐのである。墨に使用される膠の原材料が、牛の皮であることを考えれば、その防腐や保全に氷片の配合を試みても不思議は無いところである。
槐塘は唐模と隣接し、岩寺鎮にも近い地域である。また槐塘には「程氏」宗族が集まり住んでおり、歴代の名医もこの「程氏」から輩出している。岩寺鎮出身とされる程君房であるが、彼の書簡集からは、この槐塘の「程氏」とのつながりが伺える。また清初の名墨匠、程正路は槐塘の出身である。その程正路に学んだ初代胡開文こと胡天柱は、当初藥墨で名を馳せたのである。徽州の製墨業と進んだ漢方医学の関係については以前にも触れているが、やはり密接な関係があったことが伺える。また徽州以外の地域の製墨においては、ただ単に膠と言う媒材に煤を雑ぜた顔料、という発想以上の墨が、遂につくられなかったのかもしれない。

ところで程君房は羅小華の墨を凌ごうと研鑽を重ね、結果的に非常に優れた墨を作り上げている。その初期の製法の秘訣の全ては、方于魯にも分かち与えたところであろう。時代は下って清初の曹素功は母親の程氏が程君房の後裔一族の出身であり、曹素功の製墨は程君房から大きな影響を受けていると考えられる。また曹素功によって洗練された製法は、後に汪近聖によって継承されているのである。
また方于魯の製墨においては、実務面で大きな役割を果たしたのは息子の方子封(ほうしほう)である。方子封は「方氏墨譜」にも墨賛を残しているが、程君房と決別した後の方家の墨業にあっては、方于魯がプロデューサーであれば、チーフ・ディレクターが方子封であった。この方子封は方于魯亡き後も墨業を続け、父親の文友との交際も絶えなかったようである。方子封の墨に対して、方于魯の親友であった大泌山人こと李維?が懇切な評を与えている。
また同じく方于魯の友人であった潘方凱は、数寄が昂じて製墨に手を染めている。北宋の名墨匠潘谷の後裔を自称し、蘇軾の詩にちなんだ「開天容」を創案した潘方凱であるが、その製墨には方子封の協力があったと考えられる。潘方凱の墨で現存するものは少ないが、文献に残る作例には「九玄三極」や「非烟」など、方于魯と創案した墨銘が見られるのである。また「開天容」という墨銘は後に方密庵が継承しているが、方密庵を受け継いだのが汪節庵というセンがいまのところ濃厚なのである。
以上はかなりラフな関連付けであり、まだ裏づけが充分に進んでいない。しかしおぼろげながら明代後期から清朝初期にかけての、名墨匠の系譜のようなものが見えてくるようである。ここに清朝における汪近聖と汪節庵の造る墨の格別な点を、説明することが出来るかもしれないという期待がある。
清朝における「二汪」の墨というのは、同時代のあまたの墨匠の追随を許さないものがあり、何より違うのが墨質であり、すなわち膠の質感なのである。「墨質」を追求できた背景には、やはり墨をただ黒いだけの顔料ととらえるだけでは、及ばないような感覚を有する人々の存在があったのだろう。またその感覚を製法に反映できたのは、製墨業以外の産業.......医学、薬学.......の発展を下地に持っていたからではないだろうか。
製墨における重要な材料である膠について考えたとき、そこにはかなり高度な漢方薬学の知識が応用されていることがわかってきた。それゆえ容易なことでは、その模倣が難しかったのではないかと推察されるのである。

......墨をそのままの形として後世に遺したい、あるいは磨り去って墨跡となっても、その墨跡をいつまでも美しいままでこの世にとどめたい、そういう願いがなければ何も高価な香料や薬材を添加する理由は無いのである。経済性を考えると、不可思議に思えるほどに高価な材料を使った背景には、当時の社会の倫理観、死生観も含めて考えなければ理解することは出来ない。
単に「黒ければ良い」のであれば、墨の製法は二千年の昔から変化する必要はなかった。明代後期に羅小華を初め、程君房や方于魯が製法に洗練を重ねたのは、やはり相応の意味があったのである。しかしどうも、現代に於いては墨は「黒ければ良い」ということのようだ。色はもとより、その耐久性、永続性には考慮が払われない。所詮は現世利益、自分が生きている間だけのことだから、という考え方だからだろうか?
しかし千年は優に墨跡の生彩が保たれる墨を使うからこそ、すくなくともその書き手の生きている間はずっと光彩を放ち続けるのである。たかが半世紀で寿命が尽きてしまう墨や、表具に耐えないような墨汁を無造作に使うようでは、後世はおろか10年後もおぼつかないであろう........過去と現代に生きる人々の価値観の変容を、墨の製法は物語っているかのようである。
落款印01


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