扇と筆墨

省エネ、ということで今年の夏は「扇子」が流行るんじゃないかと言われている。じゃあ小生も.....と行きたいところだが、扇面に使用する加工紙は試作が終わったばかりである。「古今奇観」に出てくる男ではないが、商品を準備しているうちに夏は過ぎてしまうだろう。
金陵扇に書く金陵(南京)の王氏のつくった金陵扇をもって老師のところへ行き「ひとつ涼しそうなのを.....」と揮毫をねだった。この金陵扇も良い扇であるが、扇面に使用されている加工紙を、もう少し良い紙が出来ないか考えている。無論、金陵扇に使用されている紙も、当代では吟味された特注品なのではあるが。
酒宴においてさりげなく開かれた扇面、その表の筆跡が祝枝山、しかも新作の詩であり、また裏には唐寅の画でも描かれていたら、それだけで、都の人士の耳目をそばだてずにはいられなかったことだろう。あるいはそれが名妓の筆跡ということもあったであろうし、陰士や高僧のそれであっても、自らの交際を雄弁に物語るのである。
士大夫の社会において、扇面が社交や交際のメディアとして果たした役割は重要であっただろう。扇面が書画の様式のひとつとして、定着している事実からもそれがわかる。また扇面にかけられた、並々ならぬ工芸上の工夫の数々がそれを感じさせるのである。
扇面に使用される紙は、ある程度の丈夫さが要求される。また湿気や多少の水滴などでは、破れたりしないことも必要だっただろう。吸水性の抑制した、加工紙が使用されなければならなかったのである。また揮毫に使用する墨や顔料も、開閉や湿気によって剥落しないものが求められただろう。吸水性がほとんど無い紙にしっかりと定着するには、かなり強力な媒材、ここでは膠を使用する必要がある。鉱物を粉砕した顔料に混ぜる膠にしても、墨に使用される膠にしても、精選されたものが使用されたであろう。
金陵扇に書く扇面に書くには、相当に墨を濃く磨らなければならない。充分に磨った後、しばらく置いて水分を蒸発させ、さらに濃度を高めることもある。艷や定着を強めるために、膠を磨り足してやっても良いだろう。やや粘りを感じるくらいの墨でも、扇面に使用されている加工紙では筆を取られることがない。
扇面を書く事は、詩文をこととする士大夫の仕業といっても、工芸的にも相当に繊細な技術が要求されていることがわかる。職人仕事を軽視したという、儒教倫理の価値観があったにせよ、工芸技術とまったく無縁のところで扇面を書いていたわけではないのである。
明代を通じて折扇が流行し、明代後期にはその最盛期を迎えたが、なかでも洒金箋や金箋を貼った扇面は貴ばれている。金があれば銀を、ということで銀箔を貼った扇面も作られたかもしれないが、いかんせん銀は黒く酸化してしまう。そこで雲母箋がある。
雲母は紙の上に撒いただけでも、文字通り「キラキラ」とした華奢な光彩が加わる。しかし雲母を何層にも繰り返し紙に塗布し、満遍なく敷き詰めることで、白銀色に近い光沢を帯びるようになる。ちょうど金箋と対になるような、銀色の紙になる。しかも雲母は酸化退色することがないのである。
雲母を敷いた紙は、金箔を貼った紙と同様、吸水性が著しく抑制される。また紙の表面は極めて滑らかである。この雲母箋に油烟墨を用いた場合、紙そのものの光沢が、墨を通じて表に表れるようになる。いわば墨の艷を背面から紙が支持するのである。

扇面に濃墨で書くときは、よくよく乾燥するまで扇を閉じてはいけないのはもちろんである。濃い墨というのは乾きにくい。折扇に書くと、谷のところにどうしても墨溜りが出来てしまう。短気を起こして閉じたら最後である。1日くらいは置いた方が良いだろう。また充分に乾いた後も、湿気の多い日などは、時折開いて風を入れた方が良い。
精良な加工紙に用いられた濃墨というのは、その墨色の良否がよく現れるものである。扇子自体が、人間の顔に近づけて使用するものである。勢い、その墨色を真近くでみることになる。またかざしたり、すかしたり、斜めに見るなどして、あらゆる角度から墨色は吟味される。墨色における、いわゆる紫光や青光なども、このような状態で詮議されたのではないだろうか。
明代後期、程君房や方于魯が活躍した時代は、優れた墨匠の墨であれば、たとえ非常に小さな墨であっても、金や銀の何倍もの価格で取引されたといわれる。実際のところ、扇面1枚を書くのにそれほど多くの墨は要しない。そのような墨が必要とされる用途が、当時存在したことを考え合わせなければ、その墨の価格も理解されないだろう。金箋や雲母箋など、高価な加工紙の上で用いられるのであるから、少量の墨が高価であるのは理解出来ないことではない。

さて国を挙げて省エネの夏である。現代の人も扇子を持たぬわけではないが、いわゆる書画を書かれた「扇面」ではなく、絹に彩色を施したものや、予め絵柄がプリントされているものが大半であろう。見た目にお洒落であり、あおいで涼をとる実用性があればそれで良いのかもしれない。しかし折角、筆を執る身であるのなら「扇面」に挑戦してみるのも面白いかと思われる。表を自分が書き、裏を他の人に書いてもらっても良い。落款印も是非欲しいところである。扇面という小さな平面を眺め渡すと、書、画、印、そして詩文が、不可分の関係にあることが実感せらるるかもしれない。またそれらを支えたのが、精良な筆墨硯紙であった。そしてそれらを使いこなす技能は、最終的には社交生活に必要だった時代があったということである。
落款印01


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