"紅豆"の由来は?

”紅豆”という筆がある。狼毫を兎毫でまいた兼毫筆で、副毛(そえげ)の兎毫を赤く染めている。民国時代の魯迅先生が執筆活動に愛用したといわれる「金不換(きんぷかん)」という筆も、やはり副毛の兎毫を赤くそめており、構造的には”紅豆”と同じである。
狼毫を芯とし、兎毫を副毛とした筆には”蟹爪(かいそう)”という筆がある。一説にはこのような形状の兼毫筆を北方では”紅豆”、南方では”蟹爪”と呼んだといわれている。
この”紅豆”であるが、似たような筆をさかのぼって探すと、静嘉堂の蔵品「唐筆一式」に「京毫水筆」という名の筆が見られる。筆鋒のサイズはかなり異なるが、基本的に狼毫とみられる芯を、兎毫で巻いていると思しき構造である。また同様の形状で副毛を紅く染めている筆に「水筆」がある。魯迅先生愛用の「金不換」も、もとは「本京水」という名称であった。また「京水」という名の同様の兼毫筆も散見される。おそらくこれらの筆が現代の「紅豆」の原型になったのではないかと考えている。また筆鋒を赤く染めた筆は、北方に限らなかったとも考えられる。
静嘉堂の「京毫水筆」の「京」は「首都」という意味であるから、明代半ばより、北京を指すことがわかる。「水筆」は、墨液に浸したまま用いる筆記用の筆。今風日本風にいえば”東京ボールペン”くらいの意味になるが、わざわざ”京”としたのは何故だろう?

これは小生の推測の域を出ないが、やはり科挙の受験と関係があると考えている。以前にも述べたかもしれないが、紅(くれない)は、「朱閣」というように、王朝時代の官庁舎を象徴する色である。あるいは首都で行われる科挙の上級試験である「京試」ないし、宮廷での最終試験である「殿試」への合格を記念した意味があったのではないだろうか。現代風にいえば「合格鉛筆」のようなものである。またそういった筆を日常使用することで、科挙の受験勉強における、精神的な支えとしたのかもしれない。

ところで科挙は(受験したことなど無いが)端正な楷書体で答案を筆記しなくてはならない。答案作成の過程で筆鋒の調子が変化すると少し厄介である。書をされる方なら皆ご存じのことであるが、一般の純羊毫ないし純狼毫筆は、捌(さば)いてから墨液に浸し、時間が経過するほど毛が柔らかくなる。この調子の変化は、小楷や写経などをしているときには顕著に影響する。しかし水筆はもともと墨に浸しっぱなしで使うことを前提にしている筆なので、使用中に大きな弾性の変化が起こりにくいのである。

それはさておき「紅豆」であるが、昔から「紅豆」という名称が存在したのだろうか。「紅豆」に対して「緑豆」があり、これは日本でいうところの小豆と同じように使える豆であるから、紅豆はさしずめアズキのことだろうと思うと間違いである。
手元に実物が無いが、真紅に近い色をした、レンズ豆のような形状をした豆である。漢方薬としても用いられるが、古くから男女の相思相愛を祈念する豆として、また婚礼の儀式などにも用いられてきた。詩にも時折詠われるのだが、古くは韓愈(かんゆ)に


紅豆生南國
春來發幾枝
願君多采撷
此物最相思


という詩がある。「紅豆は南国に生じ、春来(きた)れば幾枝か発(ひら)く。願わくば君、多く采(つ)み撷(と)れ、此の物は最も相い思わす。」ということになる。内容はわかりやすいだろう。
他にもいろいろ紅豆にちなむ詩があるのだが、紅樓夢の第二十八回に、宝玉が琵琶にあわせて即興で詠った「紅豆歌(詞)」もよく知られている。


滴不盡相思血淚拋紅豆
開不完春柳春花滿畫樓
睡不穩紗窗風雨黃昏後
忘不了新愁與舊愁
咽不下玉粒金蒓噎滿喉
照不見菱花鏡裏形容痩
展不開的眉頭
挨不明的更漏
呀恰便似遮不住的青山隱隱
流不斷的?水悠悠


一応書き下すと、


滴(したたり)て尽(つき)ず、相思(そうし)の血淚(けつるい)は、紅豆(こうとう)を抛(なげう)つ(如く)
開(ひら)き完(おえ)ぬ春柳(しゅんりゅう)と春花(しゅんか)は畫樓(がろう)に滿ちたり
睡(ねむ)りて穩(おだやか)ならず紗窗(しゃそう)風雨(ふうう)黃昏(こうこん)の後(あと)
忘(わする)れ了(はて)ぬ新愁(しんしゅう)與(と)舊愁(きゅうしゅう)と
玉粒(ぎょくりゅう)咽(のど)を下らず、金蒓(きんじゅん)噎(む)せて喉(のど)に滿(み)つ
照(てら)せども見えず菱花(りょうか)の鏡裏(きょうり)に形容(けいよう)痩(や)せ
眉頭(びとう)は展(の)べても開(ひら)くまじき。
更漏(こうろう)は挨(ひら)いて明(あ)けじ。
呀(ああ)恰(あたか)も便(すなわ)ち似(に)たり、遮られて住(とどまら)ぬ青山(せいざん)の隱隱(いんいん)たるに、(また)?水(りょくすい)の悠悠(ゆうゆう)、流(なが)れて斷えずに。


しかしこの歌が登場するのはまだ第二十八回目で、八十回を数える物語のまだ前半である。紅樓夢では未来を暗示する詩を早くから登場人物に詠ませているが、これは宝玉と黛玉の悲劇的な運命がうたわれている。まさに黛玉を喪った後(のち)の宝玉の、尽きぬ悲嘆と深い絶望感がよく表れている歌であるのだが、これをうたったときの宝玉は、琵琶を片手に朗々と歌い上げて人々の喝さいを浴びているだけである。さながら現代のシンガーソングライターのようであるが、その歌が自らの運命を暗示していることなどは、無論この時は知る由もない.............細かく解釈していると長くなりすぎるし、筆から話がそれて行くので、関係する紅樓夢の内容を踏まえて、以下にやや踏み込んだ大意を示すにとどめたい。



わたしとあなたの、永遠に果たされることのない相愛の思いは、今なお私の心に点点と続いて尽き果てることなく、胸の内には紅豆をつかんでなげうつように(まわりの者達に打ち砕かれてしまった、わたしたちの相愛を悼む)血の淚がはらはらと落ち続ける。
幼いころからずっと一緒だったあなたとわたしの思い出は、あの絢爛たる大観園の楼閣に満ちあふれているのに。
黄昏(たそがれ)が過ぎ、薄絹(うすぎぬ)を張った窓の外では風と雨が吹き乱れているけれど、わたしの心も(風雨と同じように)千路に迷い乱れて眠りにつくことができない。
昔あなたと過ごした日々も、今あなたを永遠に喪ってしまった悲しみも、きっといつまでも、忘れてしまうことなんてできはしない。
憂愁に悶えるわたしには、珠玉(しゅぎょく)のようにつやつやした白いご飯も咽(のど)を通らないし、なめらかに光るじゅんさいのスープだって、むせてしまって喉(のど)につかえてしまうばかり。
あなたがいつも使っていた菱花鏡(りょうかきょう)は、そのほっそりとした面差を映しだすことはもうないのだけれど、在りし日のあなたの姿を、わたしはこの鏡の中に求めてやまない。でも鏡は(食事ものどを通らぬあり様の)痩せ衰えた私の姿だけを、むなしくうつしだすばかりじゃないか。
まわりの者達が心配するからと、無理に愁眉(しゅうび)をひらいてみたとしても、わたしの心はもう誰に対しても開かれることはないだろう。そして更漏(こうろう:水時計)が夜明けを告げてもけっして朝が来ることがないように、このまま時が過ぎていっても、わたしの心は孤独と絶望の深い闇の中に閉ざされ続けるのだろう。
ああ、あなたの面影が心から消え去ることはないのに、もうこの手が届くことはないなんて。まるで遠くかすかに見える山々へ、ずっと遮られてたどり着くことができないかのようだ。そして清らかな水の流れが澄みきったままゆったりと絶えることがないように、亡きあなたへの想いとこの苦しみも、今と変わらぬまま、途切れることなく永遠に続いてゆくのだろう。



ストーリーを踏まえ、大意を考えるだに落涙を禁じ得ぬほどに悲痛な詩であるが、男性が女性へむけて想いを詠っているという意味で、この歌も王朝時代の詩の中では(たぶん)珍しい部類である。実際は男性から女性へ向けた詩歌としても、女性が男性に向けた体裁に作っている詩の方が多いのである。しかし物語中の宝玉の価値観をよくあらわしてもいる。
またうたわれている情感が、現代人にも共感を呼びやすいようだ。この詩にさらに詩句が追加され「紅豆詞・南方二重唱」という歌謡曲がつくられて歌われている。が、この「南方二重唱」の追加の歌詞ときたら、まったく紅樓夢を読んだことが無い人物の作によるものなのだろうか、軽薄浅薄で聞くに堪えない。ここでは紹介しない。現代の歌曲なら王菲の歌う”紅豆”の方がいい歌詞である............話が逸れた。なんの話だったか、そうそう、何ゆえ「大京水」というような筆が、現代で「紅豆」という名に変化したかである。これはやはり「写奏」という筆銘が姿を消してもっぱら「写巻」とい筆銘に変わったように、時代背景が関係していのではないだろうか。
例によって大胆な推測を。

「京毫水筆」や「大京水」が、仮に科挙に関係しているとすれば、清朝末期に科挙が廃止されて以降、暫時姿を消していったのではないだろうか。写奏という筆銘が消えた決定的な理由は、新中国の成立ないし文革の影響があると考えられているように、科挙がなくなれば「大京水」という筆銘の意味も時代に合わなくなる。そして筆鋒を赤く染めたこの小さな兼毫筆は、試験の答案を書くよりも、むしろ叙情的な詩文に用いられるものとして、「紅豆」という名が定着していったのではないだろうか。その定着を決定付けたのもやはり新中国や文革と無関係とは思われない。なにしろ共産党は「紅軍」である。農村の労働者が主役(の建前の)新中国において、「紅い豆」と言う名は似つかわしく思える。また首領の毛沢東は紅樓夢の愛読者だったのだから、「紅豆」という名称の筆が流通するのに憚られる理由は少なそうだ。あるいは「紅豆」のほかに「紅毛」とも呼ばれるが、これが「紅(あか)い毛沢東」と関係すると考えるのは行き過ぎであろうか?ともあれ「大京水」といった筆銘が、もしわずかでも残っていたとすれば、おそらく新中国の成立、あるいは文革の時代に完全に姿を消したと考えられる........紅豆に限らないが、実用の消耗品である兼毫筆というのは、高級な大筆よりも現存する資料に乏しく、なかなかその変遷の実相をつかむことは難しい。勢い推測につぐ推測にならざるを得ないのだが、いずれまた新しい資料なり情報が得られることに期待したい。


”紅豆”は早くから扱ってきたが、小生も重宝している筆なので、欠かさぬようにしたいとは考えている。しかし質の良い品を作れる職人も減ってきている。
ついでにいうと、注文した筆が仕上がってきた。筆銘だけ公開すると「玉峰翠麓」「無無明尽」「方流圓折」である。「方流圓折」は以前別の名前で入荷し、売り切れてしまった筆のリピートであるが、今回から筆銘を変更するのである。また「玉峰翠麓」は、とある古い筆をその構造と特徴を考えながら再現を試みた筆。そして「無無明尽」は......これは名称で用途がわかるかもしれないが、今まで弊店で扱ってこなかった、ある方面の筆書専用の筆である。近日中に公開する予定であるが、それまで筆銘だけであれこれと、どんな筆か推測していただければと思う次第。
落款印01


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