石眼がいっぱい

端溪硯を特徴づける石品(石の紋様)の代表といえば、眼、石眼があります。しかし実際のところ、眼の出ている硯材というのは非常に少ないものです。少ないだけに、古来、眼の出た端渓硯は珍重されてきました。
近いうちに、さる蔵硯家の協力のもと、眼の特集をお店のページに掲載しようと企画しています。
端溪の石眼夏目漱石の「草枕」にも、眼を持った端溪硯が登場します。この硯、蜘蛛を象(かたど)った作硯なのですが、蜘蛛の背にひとつの眼、そして八本の足にひとつづつの鸜鵒眼(くよくがん)があると描写されています。抜粋すると、

「中央から四方に向って、八本の足が彎曲(わんきょく)して走ると見れば、先には各(おの)おの鸜鵒眼(くよくがん)を抱かえている。残る一個は背の真中に、黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく煮染(にじん)で見える。 」

また

「なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢(じゅんたく)を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸(か)けたなら、直ただちに凝(こ)って、一朶(いちだ)の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交(あいまじ)わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼(わがめ)の欺むかれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹(むしようかん)の奥に、隠元豆(いんげんまめ)を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類いはあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品をもって許さざるを得ない。」

とあります。

巷間、眼の出た硯はなかなかお目にかからなくなりました。もともと眼のある硯材が少ない上に、人気が高いからです。端溪がどんな硯石かわからない人でも「眼が出ているから端溪」というような事を言いいます。それほど、端溪といえば石眼であり、愛硯家であれば、石眼を持つ端溪硯を一面は所有したいと思うものなのです。

端溪も坑洞によって、眼の出やすさが違います。一般に旧坑系の材では坑仔巌には比較的多く眼が現れます。”比較的多く”と言っても、他の硯坑と比べてのことですが。また麻子坑や老坑水巌でもあらわれますが、これは稀です。また北嶺の端溪では、半辺巌に比較的多くあらわれます。また梅花坑という硯石は、”梅花”の由来が数多く出た石眼を梅花と形容してそう呼ばれるように、別種の硯石のように石眼が多く出ます。なので梅花坑といえば、眼が出ていて当たり前、のようなところがあります。
端溪の石眼贅沢を言えばきりがないですが、石眼といっても、良いもの悪いものいろいろなレベルがあります。色であれば、一般に濃い翡翠色、青緑のものが最も好まれます。しかしそういった美しい眼は、旧坑系の硯材にしか現れません。翡翠の色が浅い物はそれに次ぎますが、一般にはやや緑がかった、あるいは赤味のさしたような黄色が多いです。草枕にも”黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく”とありますね。

また眼というだけに、”瞳(ひとみ)”が無いとどうにも落ち着きません。しかし意外と、きれいに”瞳”の入っている眼は少ないもの。瞳の無い眼は”死眼”などと言われて、やや縁起の悪い名前で呼ばれたりもしています。対して瞳の入った眼を”活眼”とも呼びます。梅花坑の硯材には、瞳の無い眼が無数に出た材が散見されます。
端溪の石眼また瞳があったとしても、暈(うん)を巻いているかどうか?という問題があります。眼は何層にも暈を巻いたものほど珍重されるのですが、やはりそういった暈をきれいに巻いた石眼は非常に少ないものです。
さらに言えば”煮染(にじん)で見える”と草枕にあるように、輪郭がぼんやりした眼も多いもの。まわりの硯材との境界が、くっきりと明瞭に出ている眼というのは、これもまた少ないものなのです。

すなわち、色、瞳の有無、暈の数、明瞭さ、大きさ、などが眼の価値を決める場合の基準になるといえるでしょう。そもそも眼の出た硯材は少ないのに、そのうえ品評しようとなると、なかなか厳しい話です。

以上は眼そのものの鑑別の基準ですが、硯として考えた場合、さらに考えるべきポイントがあります。それは硯のどの位置に出ているか?でということです。作硯家は、硯石に眼が出た場合に、もちろんその眼を生かした作硯をします。宋代には眼柱という独特な作硯様式が生まれました。端溪の石眼また墨堂や墨池の中心にあえて眼を置くということはまずありません。墨を磨っている時には眼が隠れてしまうからです。しかし硯材に石瑕があればそれを避けたいし、形よい硯に仕上げたいという欲求もあります。そうした点からみると、眼が作硯家を悩ませる場所に出ていることもしばしばです。そして”欲しいところに眼がない”場合に、後から眼を埋め込んだ、いわゆる”嵌め眼”という技法もあります。
草枕にも「しかもその九個が整然と同距離に按排されて」とありますが、実際に蜘蛛の八本の足の位置に”おあつらえ向き”に眼があろうはずがなく、おそらくは”嵌め眼”でであると考えられます。(ちなみに草枕の硯は実在し、夏目漱石はこれを実見していたと考えられます。)
端溪の石眼端溪の硯材を採石している際に、硯にはならないが、眼の出ている小片が出ることがあります。これは嵌め眼用に取っておかれます。また硯材にも、どうにも生かしようが無い位置に眼が出ることもあり、そういう場合も削り取られ、とっておかれます。こうした嵌め眼用の材料もご紹介しようと思います。

眼の有無で端溪の価値を論じてしまうと、”木を見て森を見ず”に陥る危険性が大きいです。そもそも硯の実用性、磨墨の性能や温潤さと眼は関係がありません。大昔は、眼は忌み嫌われて削り取られていた時期もあったといわれます。また老坑水巌に眼の出た材は本当に少ないもの。眼よりも蕉葉白や青花、火捺、氷紋といったところを観たいところです。しかし端溪を鑑賞する以上、石眼は避けて通る事ができませんから、ここらで集中的に整理しておこうかと思います。乞うご期待。

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