再び半熟箋

当世、諸式高くなり....


知り合いの書道用品店の親父と話をしていた時の事。「最近は、大陸からの仕入れが何でも高くなって.....」というのは、ここ数年のあいさつ言葉のようなものだ。とりわけ「紙、宣紙が本当に高くなってしまった。」ということである。「仕入れても利益が出せるような値段じゃないし、高かったら誰も買わないし。」という。
宣紙に限らないが、大陸の筆墨硯紙はここ10年で値上がりを続けている。ただ、硯は多少高くなっても消耗しないので数は必要ないし、日本では硯自体を使わなくなってきている。消耗品であるところの筆墨紙の値上がりが特に痛いわけであるが、なかでも紙の価格高騰は、日本の書道用品業界の経営を直撃しているようだ。
実は日本の書道用品の問屋や小売店は、紙の販売に依存してきた部分が大きいのである。大陸からの紙の卸値があがる一方で、日本国内はデフレでなかなか値上げが難しい。紙で利益を上げられなくなると苦しいのである。ここ数年、全国各地で、老舗の書道用品店の倒産が相次いでいるが、紙の価格高騰も要因のひとつではないかと考えている。

良い品は高い


近年、大陸の文房四寶についても、”二極化”が進んでいるようだ。北京や上海の市中の文房具店で扱われている紙や墨、筆の多くは粗悪な品が多くなった。一方で、一般の店頭で流通していない品については、良い物もある。ただし価格は高い。こういった特別な製品は一部の書画家や愛好家が直接購入したり、ごく一部の専門店で扱われているのみなのである。ちょっと観光がてらに探したくらいでは、なかなか見つけるのが難しいかもしれない。
良い品でかつ売れるのなら、大陸の街の小売店が扱ってもよさそうに思える。しかし工場出荷の価格自体が相当に高いので、余程良い客層を持っていないとさばきにくい。高価な品を長期間在庫しておくのは苦しいものである。
大陸の小売店ですらそうなのであるから、日本の問屋や小売店ではなおさらである。昔の小売店はいい品を一度に買っておいて、ゆっくり売る、というスタイルが一般的であった。その代りセールや値引きもあまりしない。しかし今や書道用品業界も、在庫を多く持つことを嫌うようになった。特に高くてゆっくりしか出ない商品は、持ちたくないというのが本音ではないだろうか。
また今の書道のスタイルは、あまりに多くの紙を消耗するようになっている。高くて良い紙は使いたくとも使えない、という事情もあるのだろう.......

再び加工紙を


”熟箋(じゅくせん)”、”半熟箋(はんじゅくせん)”といった”加工紙”があるが、これも日本にはあまり入ってこない紙の一つである。半熟箋の代表格である”煮捶宣”は、今ではそういった紙があることもあまり知られていないかもしれない。
熟箋ないし半熟箋は、漉いたままの生箋に加工を施した紙である。紋様や色彩が加わることもあるが、滲みを調整する、というのが加工の主要な眼目でもある。”熟”というのは、紙の滲みの程度を表わしていると言っていいだろう。ほぼ完全に滲みをとめた”熟箋”はいわば”完熟箋”であり、滲みを適度に残したのが”半熟箋”ということになる。
”熟箋”は文字通りほとんど滲まないことを目指した紙であるから、その効果は比較的わかりやすい。ところが半熟箋というと、その”成熟度”には幅があり、効果も異なってくる。
半熟箋の代表である”煮捶宣”は、以前に熟度が30%のものと、50%のものを入荷した。ぞれぞれ効果が違うのであるが、もう少し熟度が進んだ紙として、今回は熟度が30%から90%の紙を入荷することにした。
この煮捶宣のにじみ止めは、漢方薬を配合した薬液に紙を浸すことで得られるのであるが、熟度が30%の紙と50%の紙とでは無論のこと薬材の配合が異なっている。単純に薬液の濃度が高ければ熟度が高く、薄ければ熟度が低い、ということではないという。なのでたとえば熟度70%の紙も、30%や50%の紙とはまた違った風合いである。また30%、50%、70%というのは、あくまで感覚的な印象を数値化したものであって、厳密な測定法があるわけではない。

墨の性質と滲み


紙から話がそれるが、墨の製法でも”滲み”は問題になる。墨匠は墨を評価する際に、いくつかの指標を持っている。たとえば黒さ、光沢、透明感、定着性、といった指標がある。”黒さ”と”透明感”は相反しそうだが、濁った黒と澄んだ黒では、見える印象がちがうのである。”定着性”は、紙に定着する強さ、である。またこのほかにも”浸透性”という点も重視される。浸透性というのは、紙に墨液が浸透する性質を言う。墨は漢方薬の配合によって、浸透性が調整されているのである(もっとも、市販の墨の多くはそこまで考えて作られていないが)。
単純に”浸透性”を少なくすると濃墨で滲みにくい墨ができるが、淡墨で水墨画を描く場合などに、墨色の変化が乏しくなる。それでは面白くないので、適度に”浸透性”を調整するのであるが、その際に古い時代の墨の効果を参考にしている。”浸透性”の違う墨を使うと、同じように描いているつもりでも、確かに効果が変わってくるものである。
この墨の”浸透性”という性質、紙の側から見れば”熟度”ということになるだろうか。墨匠が言うには、墨の製法由来の”浸透性”も、実際の浸透の程度は紙に大きく依存するそうだ。なので紙の側から見れば、同じ紙でも使う墨によって”熟度”は違ってみえるし、墨の側からみれば”浸透性”が異なって見える。このあたりは墨と紙の組み合わせと用い方で千差万別、ということになり「その変化は微妙でとても語りつくせない」というところになろうか。そこが紙と墨の表現の奥深いところであり、また楽しみの尽きないところでもある........博物館で王朝時代の書画をみるときに、どのような紙と墨の組み合わせによれば、このような表現が可能か?考えてみるのも面白いかもしれない。

煮捶宣と豆腐箋


それはさておき、今回は半熟箋の代表格である煮捶宣を二種類(羅紋、蝉衣)と、豆腐箋を二種類入荷した。上海博印堂直轄工房の特製紙である。どちらも今までの煮捶宣、豆腐箋とは製法が違い、得られる効果も微妙に異なっている。この違いと言うのは、実際に使ってみないとわからないものである。伝統製法の加工紙というのは、たとえ同じ製法、材料の配合で作ったとしても、前と全く同じというわけにはゆかないという。”前と同じ紙が良い”と思っても、これがなかなか難しい。伝統的な加工紙とは本来そうしたものと割り切って、使い方を考えてゆくしかないのかもしれない。
万言を尽くしても、いろいろと写真に撮ってみても、なかなか伝わりにくいのである。なので印泥と同じく、ご希望の方にはサンプルをご提供したい。こればかりは、使っていただくしか無いのである。

現在、70年代、80年代に日本に入荷した紙や墨が、すさまじい勢いで大陸に還流している。それも結構な値段がついている場合が多い。これは、70年代、80年代に中国で生産された紙や墨(筆も)の最上級のものは、ほとんどが日本へ輸出されたためである。70年代の紅星牌クラスの紙や油烟101の鐵齋翁書畫寶墨などは、大陸の一般の文房具店ではほとんど流通していなかったのである。実のところ80年代に入ると墨や宣紙の質は平均的に大きく低下するのであるが、そのような品でも大陸の人は競って求めているようだ。
一方で宣紙は粗悪品の大量生産の一方で、実は質の高い物も作られている。加工紙の製法も研究している小さな工房がないわけではない。墨も同様である。しかしこのような品は、ほとんど日本へ渡ってこないという現実がある。問屋や販売店側からすれば、仕入れ値が高すぎるし、買う顧客も限られているからであろう。いや、ひと昔前の店の親父というのは、客に納得させるだけの造詣を有していた人物もいたものだが..........工芸品や文化財にお金をつかう習慣が、日本社会から喪われていったのは残念なことである。
「某国はとにかく安く作れ、安い物を、と言う。面白くないから商売したくなくなった。」という話を以前に墨匠から聞いている。「最近の日本人は安い物しか買わない」と言われるようになったら、それこそおしまいのような気がしてならないのである。
落款印01


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