和筆の筆匠と膠の話

和筆の筆匠との会話


お店の販売では唐筆をもっぱらとしつつも、個人的には一部は日本の筆も使用している。もっとも今の日本の市場では、和筆のような恰好の筆であっても実際は大半が大陸で作られた筆なのであるから、日本では筆を作った筆匠と直接会話できる店でしか買うことはない。
とある日本の筆匠との会話の中で、筆と墨の関係の話になった。筆匠が言うには、良い筆を使うなら絶対に墨汁は使ってくれるな、ということである。筆匠の言葉を借りれば墨汁には「ボンド」が入っており、これが筆の毛を駄目にしてしまうのだという。使ってすぐに駄目になるわけではないが、大事に使えば何年も何十年ももつはずの筆でも、墨汁を常用していると1年くらいで駄目になるという。どういうことかと言えば、筆の毛の付け根の方が痩せてくるのだそうだ。それで毛が切れやすくなり、あっという間に寿命が尽きると。「良い羊毫は、一度でも墨汁を使ったらアウト」なのだそうだ。
さらに「日本の固形の墨のなかにも、ボンドを使ったものがある」という、驚愕の事実を語ってくれた。無論、すべての和墨がもはやボンドで製せられているということではないそうだが、そもそもボンドなるもので墨を造って、磨って墨液になるというのが驚きであった。
この筆匠の店では、筆だけではなく和紙も扱っている。使用している硯も和硯であった。いささか国粋主義的なところも感ぜられるが、誇り高き和筆の職人なのだから、それはそれでいいのだと思う。しかし筆の試し書きに使用している墨は唐墨の、70年代くらいの鐵齋翁なのであった。言うには、和墨はどれが正しいのかもうわからなくなったので、古い和墨以外は使わない、ということだ。
しかし合成糊でもって、墨汁を造るというのは想像できるが、磨れる固形墨を造ってしまうあたり、恐るべきは日本の墨メーカー(どこかは知らないが)の技術力である。

墨用の膠


日本でも墨用の膠を造る職人が一人だけ残っていたのだが、十年ほど前に亡くなり、技が絶えたのだそうだ。そういえば二、三年前か、日本画などに使う三千本膠を造っていたところが店を閉めるということになり、日本画界に衝撃が走ったという話を耳にしていた。が、そのさらに前に、墨用の膠の伝承は絶えてしまっていたのである。
日本における墨用の膠も、大陸の膠の製法とはまったく同じではないだろうが、独自の伝統と工夫があったのだろう。喪われたのは残念なことである。日本の製墨業は大陸と違い、政府によって伝統工芸品として保護されているから大丈夫と考えていたのだが。
日本の墨メーカーは、大陸から輸入した阿膠(ロバの皮の膠)も使用しているという。また老舗には多量の膠の在庫もあるであろう。最近作られた日本の墨のすべてが”ボンド”で製せられていると考えるのは早計である。しかしそのような墨が作られているのであれば、メーカーはその旨は表示する義務があるだろう。筆を大切に使いたいから墨を磨る、それも和墨をもっぱら使いたい人もいるだろうが、それがかえって筆を傷める結果になるとすれば罪な話である。
大陸では80年代初頭に、墨用の膠、”広膠”を造る工場は操業をやめている。それ以降の墨のぼほ全ては、食用の膠の転用である。80年代の鐵齋翁書畫寶墨や中国書画研究院といった特製の墨が、いくら年数を経ても70年代の鐵齋翁にかなわないのはそういうわけである。
小生と付き合いのある大陸の墨匠は、長い間、墨用の膠の研究を続けている。その前は一般の膠のメーカーに指示をして特注の膠を造らせていたのだが、ここ数年は、墨用の膠を自製することも始めている。
墨匠が言うには、膠の品質や性質は、原料から膠を煮出す工程で決まってしまい、そのあと幾ら工夫しても限界があるということだ。また言うまでもなく、墨の質における膠の影響は非常に大きい。「煤は工程を踏めば誰でも同程度の品質を得られるが、膠の製法と、漢方薬の配合は微妙で、とても難しい」という。

膠に対する認識


筆匠と会話していて思いがけず膠の話になって盛り上がったのであるが、筆匠は京人形や陶磁器の絵付けの職人達の需要で多くの筆を作っており、そういうところに出入りするところから、道具や材料の話に話題が及ぶのだという。
たとえば京人形をつくる職人などは、顔料の媒材の膠は自分で作り、膠は三世代分くらいの在庫をもっているのだそうだ。良い膠が無ければ色を塗る事もできないのだから、市販に任せることはできないと。膠の製法は無論のこと、秘中の秘である。墨用の膠の製法とどう違うか興味があるところだが、固形の墨をつくる場合と、岩絵の具を溶いて人形に塗布するのでは、求められる性質が違うのかもしれない。これは日本画の世界における三千本膠などとも違うのかもしれない。また膠は製法も重要だが、原料の選別も大切なのだという。これは大陸の墨匠も同じような話をしていた。

おもえば現代、書画をやる者が、人形師ほどに墨や膠といった材料、道具に意を用いているかどうかは疑問である。これは日本に限らず、大陸においても実は同様なのであるが。
黒ければなんでも良いということであるから墨汁も可也、ということになってしまっている。供給側も需要に応じた製品しか作らない。気が付いたら、日本では膠も作れなくなってしまっている。それでもボンド入りの墨汁、固形墨で充分、ということでこの世界は続いてゆくのだろうか.......なんともうすら寒い話と感じるのは、小生だけなのであろうか。
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