三折寒膠

寒膠


”寒膠”という語がある。寒い時期の膠、という意味であるが、冬ではなく秋ごろの膠を指す語である。また大陸北方地域を前提としている。
墨の性質にも表れているが、膠は乾燥を好み、湿気を嫌う。夏の高温多湿では、膠も湿りがちで弾性が弱くなる。これが気温、湿度ともに下がる秋になると、乾いて強度が増してくるのである。古代においては、膠は接着剤、樹脂材として重要な役割を果たしていた。特に強い弓を作る材料として、膠は不可欠であった。
漢代以前より、繰り返し中原に侵入を図ってきた北方の騎馬民族は、騎兵の機動力と、強力な”弓”が軍事力の頼みである。彼らが馬上でひく、軽くて強靭な弓の制作に強い膠が必要とされた。当時の弓は、木材を芯として、動物の角や骨を薄く削ったもの、また乾燥したアキレス腱など、弾性の強い材を何層にも張り合わせて作られている。この接着に膠が用いられるのである。そして膠自体の弾性も弓の強弱に影響するのである。
弓の材料を貼り合わせている接着剤が湿度によってゆるむと、弓の張りや復元力にも影響する。湿度と温度が高い夏場の時期は、膠も幾分緩んで、射程距離や命中精度も悪くなるとされた。ゆえに”寒膠”はより直截的には”強い弓”を意味する語でもある。

北齊の樊遜「禍福報應對」に“三折寒膠,再遊金馬”という句があるが、”三折”というのは”折れる”ことではなく、弓のしなりかたである。すなわちこの”三折寒膠”は強い弓を指しているのである。
また唐の駱賓王にも”虜地寒膠折,邊城夜柝聞”とある。この”虜地”とは、異民族の住む北方辺境を指す。また夜柝は警戒を喚起する打楽器の音であり、”寒膠”の季節の北方の緊張感がうたわれている。

秋にはいわゆる”秋高肥馬(秋の空は高く、馬は肥える)”という語もあるが、これは秋になると北方異民族の馬が肥えて、長距離移動が可能になる、ということを指している。すなわち秋は北方異民族の活動が盛んになる時期であるから、大陸北辺の国境地帯は緊張したのである。それと併せて「寒膠」は、異民族の弓の威力が増すということで、その武力が警戒される時期でもある。
騎馬民族の用いる弓の製法というのは複雑で、なかなかまねることが難しかったようである。ひとつには膠の製法に要領を得なかったのかもしれない。膠は材料を煮出して作る工程も大切だが、材料の選別も重要である。日本でも伝統的な弓の制作には、接着剤として膠、それも鹿皮の膠が用いられるという。弓用の膠の製法にかけては、動物の扱いに長けていた北方異民族が優位に立っていたのかもしれない。対する漢族の方は、より機械的に威力をたかめた”弩”と歩兵戦術で対抗するのだが、馬の品種改良と弩の強化により、漢代の武帝の頃には北方の脅威を払いのけることに成功している。

膠と筆書


この”寒膠”という語が示すように、古代から膠は接着剤として重要な役割を担ってきた。松の樹液から製した”松脂”と並んで、人が身近に扱える樹脂のひとつであったのだろう。膠は乾燥すれば固く軽くなるので、持ち運びにも便利である。
古く漢代は、墨液を得るのに媒材として”漆”が用いられた、という説がある。しかし漆はもともと南方の植物であり、膠のように固形で持ち運んで再度溶解して用いるようなことはできない。漢代の皇族の墓からは優れた漆器が出土しているから、塗料の媒材として漆が使われていたのは間違いないが、筆書にもちいられていたのかどうか。楼蘭や敦煌周辺では、木片に記された筆書、いわゆる木簡が出土する。このような北方で、膠をさしおいて漆が用いられたというのは、少し考えにくいことである。木簡ないし竹簡の書の成分を分析すれば、膠成分がわずかに残っている事が確認できると思うのであるが、そのような分析調査はまだ聞いたことが無い。

膠と製薬


膠を溶解させるためには常に煮溶かさなければならないわけではなく、固体の膠を硯で磨っても溶解する。最初期の墨は”墨丸”といって、松烟を丸めただけのもので、それを石板の上ですりつぶして用いたという。そこへ溶かした膠を混ぜて用いるのは、それほど手間を要することではない。また墨丸をまるめるてカタチを保つための材料に、すでに膠が用いられていたとも考えられる。
膠は製薬業においても重要な材料であるが、膠自身に薬効が認められていた上に、丸薬を固めておく材料として、遅くとも漢代にはすでに用いられている。また松烟そのものが漢方の材料であったことと考え合わせると、最初期の墨丸という墨の形状の成り立ちにも説明が与えられそうである。松烟は止血に効果があるとされ、戦地には欠かせない物資でもあった。清朝においても”薬墨”が作られ、現在も散見されるが、製墨業は歴史的に製薬業と密接なかかわりをもっていたことをうかがわせる。

再び墨用の膠


ある日本の筆匠から聞いた話であるが、日本で墨専用の膠を作る職人は10年くらい前に最後の一人が亡くなり、絶えてしまったのだという。老舗は多量の在庫があるので当面は大丈夫だろうが、作れる数にも制限が出てくるだろう。これも心細い話である。
大陸でも墨専用の膠は、広東膠、いわゆる”広膠”と呼ばれる膠があった。”広膠”は明代の程君房も程氏墨苑の自序文で触れているから、昔から墨用の膠の主原料として知られていたのだろう。また”広膠”は墨の原料であると同時に、やはり薬材でもあったという。
この”広膠”の製造は、70年代末に一度途絶えている。ゆえにどう頑張っても、80年代の上海墨廠の墨は70年代の墨にはその墨質が及ばない。何年寝かせても同じである。70年代で比較しても、初頭と末年では質に開きがあるのだが、80年代との差は隔絶としたものがある。

数年前から墨匠自身が墨用の膠の製造に着手している。墨匠が言うには、良い墨をつくるには、やはり膠の製法が良くなければいけない、という。乾燥した膠は、溶解して煮詰めればどのようにも性質が変わるように思えるが、実はそうではなく、原材料から作る過程で膠の品質が決まるのだという。ゆえに悪い製法で作られた膠では、その後どんなに手を加えても、良い墨にはならないのだそうだ。なので墨用に造られていない膠を使った場合、どう頑張っても限界があるのだそうだ。膠の製法を喪った日本の墨の伝統の先行きにも不安なものがある。仮に大陸から墨用の膠を輸入したとしても、和墨の性質は従来とは違ったものになるだろう。
”膠”すなわちゼラチンであるが、現代では食用のゼリーが身近である。他に膠の性質の違いについては、現代人はあまり意識する機会はないだろう。現代においてさまざまな合成樹脂が研究されている如く、古代においては膠の製法や性質が深く研究され、それぞれの方面で様々な製法があったようである。しかし墨用の膠と同様、時代の変化とともに継承されることなく消えていったのだろう。

ともあれ、強い弓矢と同様、墨も膠が重要であることは、これを強調して過ぎることはない。また季節によって膠の性質が変化し、これが墨に影響するのも同様である。墨を磨ることを通じて、季節の変化を知ることも出来るというわけである。
”寒膠”は古代北方の荒涼とした風景と、戦いが想起される殺伐とした語であるが、”寒膠”の秋は同時に墨を磨るのに良い季節でもあるわけである。戦時と平時の対比を想いながら、秋の夜長にゆっくりと墨を磨り、墨戯に興じるのも、また楽しい過ごし方ではないだろうか。
落款印01


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