端溪の高騰

端溪硯が高騰している。原因は良質な硯材の払底である。すでに老坑や麻子坑、坑仔巌といった、旧坑系の坑洞はすべて閉坑になっている。現在も採石されているのは、老坑などのある斧柯山の対岸でとれる、宋坑や沙浦といったいわゆる”北嶺(ペーリン)”の石である。
そういった事情は当然のことながら大陸の市場でも広く知れ渡っており、端溪硯が無いわけではないが「良い端溪硯は少ない」という認識が浸透しているようだ。
一方の歙州系の硯は、10数年前と比べると原石の価格はほぼ100倍になるまで高騰した。ただし、小生の印象ではここ3〜4年は価格は横這いである。もっとも、有名作家の硯は高い値段がついているのであるが、それも天井が見えた感がある。また歙州硯の硯材、すなわち龍尾石に関していえば、値段が高止まりする一方で、さほどモノが動いていない印象がある。

天然の硯のように、規格化が難しい品物には、ほんらい定価がつけられるものではない。その時々の相場があるのみである。値札が一応ついていたとしても、実際は売りたい人、買いたい人の間でモノが動いた時にはじめて値段が決まるのである。そういった取引が繰り返されることで、価格の情報が流通して”相場”が形成される。取引が不活発になると、値札だけが張り付いたままモノが動かなくなり、ある日突然”暴落”なんてことが起こりかねない。これは硯に限った話ではないだろう。
別段、歙州が「暴落」するなどと言うつもりはないのであるが、10年前に比べて高くなりすぎた感のある歙州硯にたいしては、ここ3年ばかりは模様眺めをしている。

反面、端溪は「越來越貴(だんだん高くなっている)」状況である。
上海で硯を扱う、とある店があった。古硯はほとんどなく、大半が現代作家の新硯である。しかし材が良くて作行きが良ければ新硯もいいものである。(材が悪く作行きも悪いのに、古硯というだけでありがたがる向きもあるが、これはどうかというところである)。
どうも徽州の作硯家とつながりのある店のようで、歙州硯が多かったのであるが、端溪硯も何面か置いていた。おにぎりくらいの大きさの小さな端溪硯があり、小さいながらも氷紋が出ていた。新硯であるが作行きもなかなか良い。しかし値段を聞くと、1万元を軽く超えている。”氷紋”が出ているという事だけで、これは”老坑”ということなのかもしれない。が、それにしてもいい値段を付けている。
この店につながる作硯家は徽州の出身らしく、龍尾石の硯に作行きも材質も良い品が散見される。値段を聞くと、これが思いのほか高くはない。端溪と比較した場合、である。厳密な比較は出来ないから、これは全般的な印象であるが、龍尾石でも滅多にないような佳材と、”老坑”と認定される端溪硯とでは、値段が3倍か4倍は端溪が高い雰囲気である。
どうなっているのだろう?と思って店の主人に聞くと「良い端溪硯は年々少なくなっている。」ということである。
おそらく「良い端溪硯」というのがポイントで、要は沙浦や宋坑のような粗慢な材ではなく、斧柯山で採れる旧坑系の硯材が「年々少なくなっている。」ということであろう。端溪硯であれば何でも高いということではないようだ。それはたしかにそうあるべきなのであるが、佳材が貴重なのはなにも端溪に限らない。歙州とのこの格差はなんだろう?と少し考えてしまった。

端溪の佳材の極め付きといえば”老坑水巌”に尽きるのであるが、そのせいかやたらと”氷紋”の出た硯をありがたがる傾向がある。”氷紋”すなわち”老坑”ではない.......”氷紋”は”老坑”の”必要十分条件”ではない.......のであるが、いまの大陸の鑑別の世界ではそういう事になっているようだ。そういうわけで、日本へ硯を買いにくる大陸の人が求めるのも”氷紋”のある端溪なのである。
実際は”氷紋”があっても老坑ではない硯材は多くあるし、また”氷紋”の出ない老坑の佳材もたくさんある。石品で珍重すべきはひとり”氷紋”のみにあらず、古人は”青花”や”蕉葉白”、”魚脳凍”といった石品も大層珍重したものである。ただしこういった代表的な石品は、沙浦のような粗慢な硯材にも盛大に出るのである。また日本に硯を買いに来るのは大半は”バイヤー”であって愛好家ではない。転売目的で”仕入れる”のであるから、”老坑”で通りやすい”氷紋”の出た端溪硯を買うのも致しかたないのかもしれない。

何はともあれ、端溪の良い硯、優れた硯材は高くなっている。天然石だけに、採石されないとなると、市場には品物が無くなる一方なのであろう。しかしもはや採石されないという点では、実は歙州龍尾石もそうなのである。なのでひとり端溪の高騰ぶりには疑問もなくはない。

ここ10年、大陸ではさまざまな文物が騰落を繰り返してきたが、端溪の高騰も一過性のモノで終わるのであろうか.......?。ただし少し注意しておくべきこととして、大陸での「国学」の振興がある。「国粋」発揚の一環として、古典文化に目が向けられているという。小学校では書法(日本でいう書道)が必修になったという。そういえば、最近知り合う若い人の中に、書画や古典文学に関心を持つ人が増えているような印象がある。また60歳以上の書画家は墨を磨らないが、20代〜40代くらいの若手は再び墨を磨るようになっているという。あるいはそういった傾向が、硯市場全体を底上げしてゆくのかもしれない。また現在はもっぱら”氷紋”に目が向いているとしても、将来的には硯材の質の違いに目覚め、氷紋の無い佳材が再評価されるかもしれない。
一方で、戦後大量に日本へ輸入された端溪硯は、日本に於ける文房四寶業界の凋落と歩をあわせて、大量に大陸へ帰還している。いずれ日本国内では端溪の佳材は目にしなくなるかもしれない。それはそれで、一抹の寂しさを感じなくもない。
落款印01


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