長沙蒸菜

宿泊したのは、長沙市を流れる湘江の西側、岳麓山の周辺である。この辺は湖南大学、湖南師範大学、中南大学と三つの大学が集中している文教エリアである。当然のことながら往来には若い学生の姿を多く目にする。また学生達の食欲に応じるべく、さまざまな飲食店が軒を連ねていた。夕食時になると若いひとたちの往き来が増え、屋台や小さな飲食店の掛け声も活発になってくる。
長沙の第一泊目に、湖南大学に通うYさんが夕食に案内してくれたのは、このような学生街にある小さな食堂であった。
長沙蒸菜店頭には引き戸の戸棚を寝かせたような、アルミ製の大きなケースがある。蓋をあけると、わずかにやわらかい蒸気が立ち上る。中にはいろいろな料理が少しづつ盛られた円い小さな皿が、二段から三段に重ねて置かれている。ケースの底部は小さな穴が等間隔であけられており、そこからゆるく蒸気があがっている。この蒸気によって皿の料理が蒸され、保温されているのである。
平面に円い皿をなるべく隙間なく敷き詰めると、小皿同士の中心を結ぶ線が連続した三角形になるが、隣り合う皿と皿の間に間隙が出来る。その隙間に上段の皿の中心が重なるように敷き詰めると、蒸気は隙間を通過して上の皿を温めることになるわけだ。
長沙蒸菜長沙蒸菜店の名前は「蒸好吃」とある......おそらくは「蒸(zheng)」を「真(zhen)」にかけて「真好吃(ホントに美味しい)」ということなのだろう。

小皿に盛られているのは、野菜料理、肉料理、豆腐料理、卵料理、炒め物に煮物、実に色彩豊かである。ざっと見渡すと、目になじんだ家庭料理、蕃茄炒蛋(トマトと蛋の炒め物)がある。魚香茄子(茄子の炒め物)がある。剁椒蒸金針?(エノキと唐辛子の蒸し物) がある。黄瓜炒鶏蛋(きゅうりと蛋の炒め物)がある。炒藕片(レンコンの炒め物)がある。脆皮日本豆腐(卵豆腐の揚煮)がある。鶏蛋豆腐(茶碗蒸し)がある。西芹炒肉(セロリと肉の炒め物)、豆干炒肉(押し豆腐と豚肉の炒め物)がある。冬瓜のスープがある。小白菜や青梗菜の炒め物、黒く煮あがった三枚肉は”扣肉干菜”か.....緑や黄色の濃淡の合間に、唐辛子の鮮やかな赤..........迷うところである。
長沙蒸菜料理を選ぶと、店の人は「何人?」と聞く。「二人」と答えると、別のケースから浅い器に”すりきり”一杯盛られたご飯を四つ取り出し、料理と一緒にポンポンと無造作にトレーに乗せ、店の奥のテーブルへと運んで行った。
「初めからごはん二杯づつとは、よく食べるな。」と思ったのであるが、どうもこういった店のご飯は一人前二杯が基本のようだ。一杯の量はさほどに多くは無い。先にお勘定をするのであるいが、ここはYさんが払うという。学生さんに御馳走になるのは恐縮なのであるが、長沙っ子のYさんとしては、遠来の客人との一回目の食事なのでここは譲れないのである。
このような形式で、「蒸飯、蒸菜」を看板にする店は長沙市のいたるところにある。
上海を中心とする江南諸都市や、あるいは北京などの都会では「盒飯」ないし「快餐」という店がある。「盒飯」は「盒(はこ)」「飯」ということで、要は弁当屋である。「快餐」は「快(はや)い」「餐(食事)」。これらの食堂は給食形式、ないし学食形式とでもうべきか、選択した料理を皿やトレーに盛ってもらう簡易な食堂である。長沙ではこの「盒飯」ないし「快餐」にあたるのが「長沙蒸菜」の店なのかもしれない。逆に「盒飯」や「快餐」式の店は、はて何処かにあっただろうか?今回の訪問では見当たらなかった。

この「長沙蒸菜」は、もとは長沙市東方の山間部にある県級都市「瀏陽(りゅうよう)」が発祥と言われる。
瀏陽を含む長沙一帯は、”楚国”と呼ばれた昔から、ざっと2500年の歴史がある。しかし南宋の滅亡期には元軍の侵攻に抗戦して破れ、多くの住民が殺戮に遭っている。また明初期には朱元璋に抵抗する陳友諒を支持して破れ、この時は「人稀にして炊煙を見ず」というほどに徹底的な弾圧をうけた。その後周辺地域からの移民によって、人口を回復したという。また明末には倭寇の乱を避けた福建人が移り住み、明の滅亡時には清軍に追われた人々がこの周辺の山間部に隠れ住んだ。数々の動乱を経て、広東、江西や福建などからの移民が流入し、多種多様な料理がまじりあったという。
また侵入軍に抵抗して山間部に隠れた人々は、炊事の際に発見されないよう、炊煙を出来るだけ小さくすることを考えた。そこで少ない火で湯を沸かし、米と材料を一緒に蒸して調理したという。こうする事で、炊事の烟から敵に発見される事を防ぎ、燃料を節約し、また調理時間をも節約したという。食材としては保存、携行に便利な干し菜や塩漬けの干し肉を多く用いられたが、これも「蒸す」ことによって水で戻す手間なしに調理することが出来るというわけである。

現在の長沙市内で見られる「長沙蒸菜」というと、特に干し菜や干し肉などの乾燥食材を多用したものが主流というわけではないようだ。その料理も「魚香茹子」や「蕃茄炒蛋」「炒青菜」というように、大陸全土どこでも見られるような「家常菜(家庭料理)」が多くを占めているようである。またこういった「蒸菜」の店における「蒸」は、調理の為というよりも、別途調理した料理を冷めない様に保温しておくのが目的なのだろう。
長沙蒸菜長沙蒸菜それはそうと「長沙蒸菜」は見た目にも面白く、また小綺麗な感じがある。小皿に盛ってあるだけで丁寧な感じがするものだ。上海や江南周辺都市の適当な「盒飯」ないし「快餐」の店で食事すると、簡易な食堂だけにやむを得ないことであるが、盛り付けが美しいとは言えない。また大きなステンレスバットに少しだけ残った料理というのは、いかにも”残り物”といった感があって、好きな料理であっても敬遠してしまいがちである。
「長沙蒸菜」のように小皿に盛っていると、ただそれだけのことでも、一品料理を少しづつ注文しているかのような面白さがある。また必ずしも熱々ではないのだが、適度に暖かいのも良い。
作り置きの料理が冷めている事が多い「盒飯」が気が進まない時には、やはり「現炒(都度料理した)」の店で食べたくなるのだが、これも多くの場合は量が多過ぎる。”長沙蒸菜”のようなスタイルであると”少しづついくつか”を選ぶことが出来るのである。
この「蒸飯、蒸菜」の店であるが、広東で少し見かける他、知る限りでは見たことが無い。しかし「死亡遊戯」の”ブルース・リー”をロゴ・マークにした「真功夫(ジェン・クンフー:真実のカンフー)」というチェーン店が全国的に展開しており、これは「蒸菜」「蒸飯」を”売り”にしている。もっとも「真功夫」は広東省の東莞が発祥なのであるが。この「真」も「蒸」にかけていることは想像に難くない。
長沙蒸菜今回の夕食のメインは「剁椒魚頭(トウジャオユイトウ)」であった。これは魚の頭部を開いて、唐辛子の漬物を載せて蒸し上げた、湖南省を代表する料理である。魚の頭ではなく、胴体や尾も使う時は単に「剁椒魚(トウジャオユイ)」という。
「剁椒魚頭」は四川省の「水煮魚」とともに全国的に流行している料理で、上海で食べた経験がある。もっとも上海では「剁椒魚頭麺」と言い、魚を適当に食べた後に茹でた麺を入れて食べていた。しかしそういった食べ方は、おそらく北方で魚の煮汁に麺や焼餅を浸して食べるやり方と融合したものだという。長沙市民のYさん曰く「長沙では剁椒魚頭に麺を入れるのは今まで見たことありません。」という事だ。
「剁椒」の「剁(ドゥ)」は「ぶったぎる」という意味で、「椒(ジャオ)」はすなわち唐辛子。「剁椒」は生の唐辛子の乱切りに塩と白酒(蒸留酒)を加え、寝かせて造られた調味料である。にんにくや生姜等を加えることもある。唐辛子は赤唐辛子のものと、青唐辛子のものがあり、青唐辛子の方が辛みが数倍(数十倍?)強い。
剁椒魚頭は剁椒の鮮烈な香りが食欲をそそる料理である。湖南料理の店では赤唐辛子と青唐辛子の剁椒がきれいに二色に分けられて乗っていたが、ここ地元の小さな蒸菜店では家庭的な作り方で、赤も青も混ぜてある。乗っている剁椒の量はさほど多くない。淡水の魚だが淡水魚特有のクセもなく、剁椒の香りが良い......と思って食べていたらやはり辛い。今まで上海や広東で四川料理、湖南料理を食べた経験に照らせば、辛い物には弱い方ではない、という自負はあったが、この辛さというのは、上海や広東あたりの湖南料理の店の辛さではないと思った。
唐辛子の量は、大都会の湖南料理の店ほど多くは無いのだが、辛さが強烈である。あるいは唐辛子の種類が違うのではないだろうか。赤い方はさほどでもないのであるが、青い唐辛子の辛さが痛烈。唐辛子を避けて食べても、魚の煮汁に辛さが溶け込んでいるのでやはり辛い。他の料理はあまり辛くない料理を選んでくれているのだが、何故だかどれも辛いような感覚になる。
長沙蒸菜さすがに口の中が熱くなってきたので、小生だけ水代わりにビールを頼むことにした........Yさんはお酒を全く飲めないし、そもそもこの程度の辛さは普通なので水も何もいらないという。お酒を飲むことが目的の店ではないのだが、「雪花」という全国ブランドのビールが置いてあった。「雪花」は数ある大陸ビールの中でも味が薄い方なのであるが、ここのビールは特に薄く感じた。裏のラベルを見ると酒精度(アルコール度)が「≧2.5」とある。つまり度数が2.5度(以上)という事であるが、ほぼ2.5度だろう。(大陸ではこのような表記をする)同じ銘柄のビールでも、地域によってアルコール度数が違うのである。内陸の地方都市へ行くほど、ビールの度数は低くなってゆくような印象がある。これではほとんどお酒を飲んでいるという感覚ではないが、水代わりにはこの程度でいい。

ともあれそれまで経験していた湖南料理というと、辛い他にも「味が濃い、油濃い」というイメージがあったが、長沙の「蒸菜」の店の料理は総じて味付けがあっさりしているし、油濃くもない...........現在の大陸各地に流行している湖南料理の店は、毛沢東時代への郷愁が背景にあるという。長沙近郊の農村出身の毛沢東は、辛く、味付けが濃く、脂濃い料理を好んだという。農村の料理は総じてそうかもしれない。しかし長沙は長い歴史を誇る都会であり、蘇州や杭州がそうであるように、都会の料理は味が”清淡(あっさり)”する傾向がある。あるいは都会と農村の味の違いかもしれない。また”長沙蒸菜”の店は、極日常的な食堂であり、毎日食べても体に負担にならない調味になっているのだろう。
ともかく総じて薄味で油濃くない長沙の湖南料理は好ましいものあったが、やはりこの辛さは尋常ではない......少なくとも小さいころから慣れていないといけないのかもしれない。長沙蒸菜長沙蒸菜ただし”長沙蒸菜”の店には、全く辛くないかさほど辛くない料理も多くあるので、辛そうな料理を選ばなければ滞在中の食生活も困らない.......湖南省の料理の印象は?と聞かれると、”辛い”という他に、あの幾何学模様のように並べられた小皿の山と、色彩豊かな家庭料理の数々を想い出すのである。
落款印01


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