君山 〜湘妃の島

タクシーを拾い、嶽陽樓から君山へ向かう。李白の(秋を詠んだ詩だが)

淡掃明湖開玉鏡
丹青畫出是君山

淡く明湖(めいこ)を掃いて玉鏡(ぎょくきょう)を開けば
丹青(たんせい)畫き出だすが是れ君山(くんざん)

この詩に詠われているように、君山は嶽陽樓から望む洞庭湖の水平線上に、サッとひと刷毛、淡く眉をひいたように浮かんでいる小さな島である。
この日はすでに午後の三時を回り、陽の長い五月初旬とて、日没まであまり時間が無い。が、嶽陽樓からはタクシーで30分ほどの距離である。この時同行してくれていたYさんは、湖南省の長沙市出身であるのに、嶽陽樓も洞庭湖畔も初めて見るのだという..........Yさんは日本での一年間の留学中、北海道を旅行した。広大な雪原を見て非常に感動したという........湖南省の人ならぜひ君山から洞庭湖畔の景観を見ておくべきではないかと、同じく初めてここを訪問する日本人が思うのもおかしなところであるが、ともあれ急ぎ君山へ向かったのである。それにしても、わずか半日で嶽陽樓から君山を周遊できるのは、やはり現代ならではというところだろう。

洞庭湖は歴史上、絶えずその形を変えている。君山は独立した湖中の島であるが、水位の下がる乾季のみ道が通って陸路で渡ることができる。雨季の六月から九月までは、南岳または嶽陽樓から船が出ているということであるが、乾季のこの時期は船の往来がないのだという。
岳陽市街を抜け、君山区に入る。途中、長大な洞庭湖大橋を渡るが、この橋は洞庭湖が長江に接続する水路上にある。総延長10キロ以上。橋梁部分は5.7キロ。明石海峡大橋の4キロ弱を凌ぐ長さである。車窓から見える広大な河岸は、蘆(アシ)のような植物によって緑色に埋め尽くされている。タクシーの運転手の話では、”蘆葦”、日本で言うところの”アシ”ないし”ヨシ”なのであるという。自生しているのではなく、これは紙の原料として栽培されているのだという。
水辺の”アシ”を原料とした紙というと、どことなくエジプトの”パピルス紙”を想起させる。ちなみに現代中国語で”蘆葦紙”というと、エジプトの”パピルス紙”の事である。まさかここで”パピルス紙”を大々的に生産していることでないだろうが、どのような紙か、機会があれば入手したいものだと思った。

乾季は、君山は湿地を挟んで陸続きになる。背の高い”蘆葦”の海をかき分けるように続く細い道を15分ほど走ると、君山の入り口に到着した。
湖南省 君山 洞天福地

君山は現在は公園として整備されている。入園料を払って中に入ると、暇そうに数台の電動カートが待っている。時間があれば歩いて周遊しても良いのであるが、この時はまず島の西端へカートで移動し、そこで降りて徒歩で入口まで戻ることにした。この時は20人乗りの車両に、乗客は小生とYさんのふたりだけであった。
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五分ほどで島の西端に到る。池が穿たれ、柳の木々が緑色の池水に陰を落としている。
清の光緒年間の「巴陵県志」に拠れば、君山には四つの井戸、五つの高台、三十六の亭(あずまや)、四十八の廟堂があったという。君山は南岳(衡山)を中心とする道教上の聖地”洞天福地”のひとつであり、さまざまな道教信仰上の建物があったのだろう。その中心を成すのが”湘君”を祀る”湘妃祀”である。”君山”の名は”湘君”を祀られることに由来しているという。
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現在は公園としていくつかの史蹟が再建され、島全体が広大な苑林になっている。”洞天”は、仙人の住む”仙山”を意味する語であるが、湖南地方においては古来から南岳を中心とした”洞天”世界が構想されており、君山は十一番目の洞天福地である。周囲を”洞天”の山々で囲まれた洞庭湖は、すなわち”洞天の庭の湖”という意味である。
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”君山”は”洞庭山”とも呼ばれるが、それぞれ”山”と呼ばれるだけに、島の中央部が小高い丘陵になっている。
石段を登り、高みから洞庭湖をながめやる。君山の湖岸から洞庭湖の縁辺までは、蘆葦の生い茂る広大な湿地が続いている。洞庭湖の静かな湖水が透き通った青色を見せている。湿地のところどころにうずくまるように生えている、灌木の樹容も美しい。湖水を隔てた対岸には、先ほど訪れた岳陽の街が見える。

君山三十六園亭
緑蔭登高南水青
柳岸畫楼香徑繞
斜陽尽照洞天庭



君山に祀(まつ)られる”湘妃”ないし”湘君”は、一般的には”娥皇”、”女英”という堯帝の二人の娘の事である。それぞれ”湘君”、”湘夫人”との呼称されることもある。この姉妹は堯の後継者である舜帝の二人の妃であるとされる。
通俗的な伝説では.........舜帝は南巡の途上、湖南地方の蒼梧で崩御し、九嶷山に葬られた。二人の妃は舜の後を追って湘水に到ったが、崩御の知らせを聞いて深く悲しみ、涙を流し続けた後に湘水に身を投げた。この時、湘妃の涙が青竹に降り注ぎ、涙の痕が斑点として残り、斑竹(はんちく:まだらたけ)となったという。製筆材料として貴重な斑竹は、福建省と並んで、湖南省も主要な産地である。
姉妹の皇女、”二妃”に関しては、もっとも古い記述は漢代以前の書物、「山海経」の”中山経”にそれと思われる記述がある。しかしこの「山海経」の記述においては「東南一百二十里曰洞庭之山」という地域に、「帝之二女居之」とあるだけで、堯の娘、舜の妃という記述はない。山海経で「帝」といえば普通は”天帝”を指すのであり、堯帝とは限らないのである。
湖南省 君山 洞天福地また「山海経」の記述では、「出入必以飄風暴雨」と、その出没に際しては強風と暴雨を伴うとされる。さらに「是多怪神狀如人」とあり、姿は人のようであっても、「而載蛇」すなわち頭に蛇を載(の)せ、「左右手操蛇多怪鳥」左右の手に多くの蛇や怪鳥を操る、とある。さしずめ荒ぶる河神といったところで、貞淑な聖天子の妃、という後の”湘妃”のイメージには程遠い。
「詩経」とならぶ最古の詩編「楚辞」の中にも、屈原の作と言われる「湘君」という詩賦がある。しかし「湘君」では河神である男神と女神の間での思慕の念が詠われるのみであり、堯帝の二人の娘が、夫である舜帝の死に殉じた云々、という内容は見られないから、舜帝の二妃と楚辞の「湘君」は直接結びつかない。
舜帝の二妃に関する明確な記述としては、前漢の劉向によるとされる「列女傳」に「有虞二妃」としてあらわれる。そこには「長、娥皇。次、女英」とある。長女が娥皇で、妹が女英である。「有虞」とはすなわち堯(有虞氏)の事であるから、堯の娘、舜の妃、ということである。
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「列女傳」の内容では、舜はその父母と弟に疎まれて幾度も殺されそうになる。おそらくその母は舜にとっては継母であり、弟はその子なのであろう。舜はこの父母と弟によって何度も謀殺されそうになるが、そのたびに舜は娥皇と女英に相談し、二人の妻の策によって助かるのである。
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「列女傳」では、堯に帝位を譲られた舜が洞庭湖南畔の蒼梧(そうご)で崩御した後に「二妃死於江湘之間」とある。しかしここでは「湘江」ではなく「江湘」と記述されている。「湘」は一文字で河川を意味する文字である。すなわち「江湘」は固有の地名ではなく「河川」や「沼沢」というように、地形を意味する一般名詞であり、かならずしも現代の湖南省の湘江を指すとは限らない。これは「漢」が、やはり元来は河川を意味する一般名詞であり、「河漢」といえば「河川」を意味するのと同様である。
また「列女傳」の記述では、これに続いて「俗謂之湘君君子」とあり、「俗にこれを湘君君子と謂(い)う」とあるように、この二妃の伝説がどこかで「山海経」の天帝の”二妃”や「楚辞」の”湘君”と結びついたのかもしれない。
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四庫全書「列女傳」の注釈には、始皇帝がその御幸(みゆき)に際し、湘江に差し掛かった時に暴風に遭い、傍らの博士に「湘君はなんという神か?」と尋ねたところ、その博士曰く「堯の二人の娘にして、舜の妃。ここに葬られました。」と答えた、とある。始皇帝の頃には、あるいは山海経の”二妃”を、楚辞の「湘君」と、さらに舜帝の”二妃”がすでに結びついていたのかもしれない。
「列女傳」は前漢の劉向によるとされるが、実際の成立は後漢であるという。舜の妃である”女皇”と”女英”はすなわち”湘君”と”湘夫人”であり、蒼悟で崩御した舜の死を嘆き悲しみ、姉妹は湘江に入水してその後を追った、という伝説は、後漢の頃には定着していたのかもしれない。

”湘妃”の故事を踏襲した詩文は少なくない。紅樓夢における林黛玉の雅号は「瀟湘妃子」であり、その居館は瀟湘館というが、これも湘君、湘夫人の伝説に由来している。泣きに泣いて、最後は自ら命を絶つという湘君の伝説が、物語中の黛玉の運命を暗示しているのである。また瀟湘館は竹林に覆われているのも、湘妃の「斑竹」を想起させるものである。
”瀟湘”は湖南省一帯の地域を指す語でもあるが、”瀟湘”の”瀟”には、もともと”暴風雨”という意味がある。「山海経」における二妃が、出現に当たって暴風雨を伴う、というイメージにも一致する。作中の黛玉の作である「秋窗風雨夕」における「風雨」は、「瀟湘」の暴風雨としての「瀟」が、またこの詩の主要なモチーフである「泪(なみだ)」には湘君の泪が重ねられている、とも読むことができる。
湖南省 君山 洞天福地湖南省 君山 洞天福地よく整備された樹木の中に、塚のような建築物が現れた。墳墓かとおもったが、君山にある四つの井戸のひとつ、「柳毅井」であった。柳毅(りゅうき)とは、唐代の伝奇小説「柳毅傳」の主人公の名である。
「柳毅傳」は、日本では岩波文庫から「唐宋伝奇集」に収録されているものが読みやすいかもしれない。およそ以下のような話である。

.......湖北省の柳毅という男が、長安に試験を受けに行く途上、?陽の近くで羊を放牧しながら、嘆き悲しむ女性と出会う。彼女は洞庭湖の龍王の三公女であったが、?水龍王の第十王子に嫁いでいた。しかし王子は浮気性で頻繁に家を留守にし、かつ姑にも虐められ、今は?陽でひとり牧羊を命じられていたのであった。周囲の魚や亀の類は三公女に同情するも、?水龍王の威勢を恐れて助けようとしない。柳毅は義憤を発して、科挙の機会を放り投げ、洞庭湖へ引き返すと、龍宮に三公女の窮状を知らせたのであった。これを聞いた三公女の弟、銭塘江の龍王は大いに怒り、暴風を巻き起こしながら、水軍を発して三公女を奪い返し、?水の十王子を討ち取って龍宮に凱旋したのである。銭塘龍王は柳毅と意気投合し、ぜひとも姉の三公女を娶るよう勧めるが、柳毅は毅然としてこれを固辞した。故郷に帰ってから柳毅は三公女を忘れがたいものの、母親の勧めで二度妻を娶ることになる。が、二人とも早くに死別してしまう。後に三公女は姿を変え、媒酌人を通じて柳毅の妻となり、晴れて互いに来し方を語り合ったのである.............

”柳毅井”は、柳毅が降りて行ったとされる、龍宮への入り口という井戸であるという。
柳毅と結ばれる龍妃については、やはり嘆きの涙が湘妃を彷彿とさせるところであるし、銭塘江の河神である弟についても、その登場に暴風雨を伴う描写などは、「山海経」における”河神”のイメージを下敷きにしているとも考えられる。
「柳毅傳」は、あるいは原型となるような伝承があったのかもしれないが、戯曲をもとにしたまったくの伝奇小説である。架空の物語でありながら、”洞天福地”の世界に組み入れてしまうあたりが、”なんでもあり”の”ちゃんぽん宗教”である道教の道教的なところではないだろうか。
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”柳毅井”を通り過ぎながら、Yさんが「”白蛇傳”、を知っていますか?」と聞く.....
「......どんな話でしたっけ?」
「書生があるとき、捕まって苛められている白蛇を助けました。その白蛇は美しい女性となって再び現れ、書生と愛し合います。」
「へえ。」
「しかし、神通力のある和尚が女の正体を見破り、和尚によって、白蛇は塔に閉じ込められてしまいます。」
「”因果”な話ですねえ........」
確か”聊斎志異”の中にも、美女に化ける白蛇の話があったと思うが、憑(と)りついて相手を殺したと記憶していた。美しいと言っても、所詮は異形異類の化け物であり、いうなれば蛇は憑りついた人間の妄念、邪心そのものなのである。人間の邪悪な心が、時に美しい姿をかりて自らの前に現れ、自身を滅ぼすこともある、という怖い怖い話である。
「.........でも、その白蛇は百年の間修行を重ねて、ついに本当の人間の女性に生まれ変わります。そして二人は再び結ばれました。」
「えええ??........うーむ、その”ハッピーエンド”は、後世の”付け足し”ではないですか?」
「そうかもしれません........。」
優等生の揚げ足を取るでもないが.......まあ邪悪な心も修行によって、より良い人間性に転化する、という事だろうか......?
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”龍”のイメージの原型とされる動物は、”蛇”ではなく、現代で言うところの”ワニ”であると言われる。獏(バク)や象が現実の動物であると同時に空想上の動物でもあるように、普通に「龍」といえばワニの事を指す。ワニは河中で最強の動物だけに、河神の化身にふさわしい、とも考えられる。とすれば龍王の三公女は、さしずめワニの精、というところだろうか。今は絶滅の危機に瀕しているが、揚子江にもかつてはたくさんのワニが生息していたのである。洞庭湖畔にいても不思議ではない。
古代エジプトでも、ワニはナイル川そのものを象徴し、河神の化身でもある。とすれば「ナイルのワニの涙」も、どこか湘妃のイメージにつながるような........まさか”そら涙”ではあるまいが。また「山海経」に記述されるところの、二妃が頭に蛇を戴く姿は、エジプトの多くの女神が頭部にコブラを戴く姿に通じるものがある......というような事を考えているうちに、湘妃祀の階下まで来た。石段の上に、湘妃祀がある。君山を訪れた目的は、半ば以上が湘妃祀に詣でるためである。
「斑竹は水辺に生える竹で、水に漬かっている部分に菌が付着し、それが斑点になって斑竹となるのです。洞庭湖や湘江の水辺が産地なのです。」という講釈をYさんに垂れながら、石段を登って湘妃祀に向かう。
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湘妃祀は東に向いて建てられており、この時夕陽は背後の山影に遮られている。湘妃祀の赤い門扉が、黄昏の中に沈んだ色を見せていた。湘妃祀の背後には竹林が築かれている。これがもしやと思って近づいてみると.......やはり”斑竹”、いわゆる”湘妃竹”なのであった。
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「しかし、これらの竹は水辺に生えていませんね?」とYさんが言う。鋭いご指摘。
「うーむ、これはわたしの思い違いであったかもしれません。」
斑竹の生態は、水辺の蘆(アシ)のごとく密生した竹藪が水につかっているものだと考えていたのだが、丘の上のこれらの竹が水につかるはずがない。何か勘違いしていたようである。あるいは湘江の畔(ほとり)で湘妃が流した涙の痕が竹に残って.....という伝承をそのまま信じ込んでいたのかもしれない。菌が付着して斑点が出来たというのは.........はてどこで聞きかじったのやら。これはさすがに痴愚が過ぎたようである。
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今や湘妃竹も希少で高価である。美しい斑竹の筆管も、なかなか入手できなくなったご時勢である。また竹は”琅玕(ろうかん)”という、青い玉石に喩えられる。この湘妃祀を守る斑竹の地色の透き通るような深い緑色は、なるほど美玉に比すべきものである。青い竹の上の黒い斑点は、よく見ると暈(かさ)を巻いている。乾燥すると地色が象牙色に、斑点は褐色に変じるのであろう。翡翠色の竹管の上に点々と散らされた黒い斑点は、なるほど未だ乾かぬ涙痕を思わせる。
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湘妃祀からは、洞庭湖畔をみはるかすことができる。眼前の景物に自らの、あるいは過去の人物の心象を投影するという手法は、詩文の世界ではよく使われる。
李白が”秋浦”で詠んだ「白髪三千丈」は、より直接的には眼前に横たわる長大な長江の景観であり、水の流れを時間の流れにたとえる古典的な詩句の慣用をふまえて、老いの愁いを詠んでいる........高みにある湘妃祀から見下ろす洞庭湖の広大無辺は、湘妃の尽き果てぬ悲しみを思わせる。
湖南省 君山 洞天福地

香魂赴水還不歸
碧翠琅玕泪未晞
渺渺湖邊無限恨
君山日晩弔湘妃



舜帝の死を嘆くあまり、入水自殺を遂げた王妃の姉妹は神となった。人の悲しみには限りがあるが、湘妃の絶望の嘆きは神の嘆きであるが故に、いつ果てることも無いものとなった。古来、”湘妃”の伝説とともに、無窮を思わせる洞庭湖とその畔(ほとり)は、失意と絶望、彷徨(ほうこう)と悲嘆の末の死といった、悲壮な詩的情景に彩られる事になる。
詩人に限っても、政治生命を断たれた楚の屈原は、洞庭湖周辺をさまよった末に、汨羅(べきら)で身を投げた。杜甫はもっとも窮迫した時期、洞庭湖周辺を彷徨い、杜甫の墓は汨羅江畔にある。杜甫はあるいは屈原の故事を追ったものかもしれない。李白も不遇をかこつ晩年近い数年間を、洞庭湖畔で放浪のうちに過ごしたのである。
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果たして、湘妃祀も湘妃竹も見た。帰りの車が心配だったので公園の出入り口に急いだのだが、途中で大きなバラの園があらわれた。花は已に盛りを過ぎた頃であったが、Yさんが夢中で花の写真を撮り始めたので、止めるわけにもゆかず、公園を出たときには最

終バスの時刻は過ぎていた.......。湖南省 君山 洞天福地

 

が、幸いまだ二台の車が客待ちをしていた。まさにわたりに船、ではなく車である。岳陽の駅まで80元で良いという。こちらは帰れなくては困るわけだが、先方も空の車で帰りたくはない..........適当な妥協点である。葦の海原に開けた一本の道を、小さな車は走ってゆく。
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ほどなく、日没の時刻である。ただ通り過ぎてしまうには、実に惜しい佳景である。たまらずYさんに「車を途中で止めてもらってください。」と頼むと、Yさんに通訳された運転手は心得たように「夕陽を見るなら、ちょうど、このあたりが良いよ。」と言って、狭い道の路辺に車を停めてくれた。
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西に傾いた陽の光が湖面に溶けて、蘆原に黄金を流したような水路が伸びている。
Yさんに「どうです、北海道の原野もきれいだったかもしれませんが、洞庭湖の景観も美しいではないですか?」と聞くと、
「はい。大変素晴らしいです。」
何か役割が逆のような会話をしながら、洞庭湖の夕陽の前にしばし立ち尽くしていた。

もうじき水位が上がって、この一面の”アシ”の中洲もほとんどが没してしまうのだろう......”蒼海桑田”という語がある。仙女の麻姑が”お久しぶり”と挨拶するときに、”東海が三度、桑田になるのを見た”と、その”久しい”の時間の実に悠久なること、あるいはこの世の変化の壮大であることをそう言い表したのである。海が陸地になって桑畑になり、また海に没したのち再び陸地になり、という事を三度繰り返したというわけである。
洞庭湖の周辺の陸地も、たえず浮沈を繰り返しながら、さまざまに形を変えてきたのだろう。君山はその移り変わりのすべてを見てきたという意味では、確かに神仙の棲む湖中の島のようである。
湖南省 君山 洞天福地

 

薄暮君山忽蒼茫
停車微徑望瀟湘
蘆洲似欲淪滄海
落日融金流水光
 

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