新老坑小硯三面

時々中国語を見てもらっている、四川省からの留学生のQさんがいる。この前のレッスンの折りに曰く、

「最近、絵を描き始めました。」

といって、パソコンを開いて水墨画........のような画像を見せてくれる。漫画やアニメではなかったのでホッとしたが、画面では、なにやら不思議な墨の滲み方をしている。筆線も何か不自然?

「これ、墨と紙はどんなのを使ったの?」

と聞いたら、

「これです。」

といって、タブレット・コンピューターと、タッチペンを取り出してきた。
タブレットの画面をペンでなぞると、ペン先の動きに合わせて、なるほど毛筆のタッチのような線が液晶画面に描かれる..........絶句。

「にじみやかすれなど、効果は色々と調整できます。墨の色も濃いのから淡いのとか......」
「うーん、不好(よくない)。ちゃんと墨を磨って毛筆で描いたほうが.......」
「いや〜、今の若い人はみんなこれ使ってますよ。」

といって、著名なCG水墨画(?)作家の作品をみせてくれた.........うーむ。大陸も今やこんな時代か。中国の古典文学の素養豊かなQさんも、毛筆の扱いには習熟していなかったか。

「墨や筆を使って水墨画を描けるようになるには時間がかかるでしょう?だからこういう道具を使うんです。」

とサラリという.......Qさんには以前「古典風の現代詩」というのを教唆してもらったわけであるが、今度は「水墨画風のCG」か......。これを入口に、毛筆を使った画の習得に関心を持つようになるのだろうか?

詩は文字情報であるから、究極、それが手書きによってなされたかどうかは問われない。しかし画の観賞というのは質感、素材感も大切なのであるが、CGではそれを出すことが出来ない。CGで描いている場合、黒はたとえばデータ的にはR00:G00:B00という数値でしか表現されないだろう。そういうものが純粋な”黒”と認識しているうちは、「黒は黒でも黒さが違う」というような事はわからないだろう。これは決定的な違いなのである。しかし現代社会でCGが必要なのもわからなくもない。それはそれでいいのだが.........

たまに行く日本の筆匠の店で、面白い話を聞いた。

「今の若い人は、手書きに戻ってきていますよ。」

という。

「CGだと結局みんな同じになってしまうんで、プロとして食えなくなるんですよ。」


ということだ。なるほど。現代中国語でいうところの「有道理!(ごもっとも)」。違いを出さなければ埋もれてしまうクリエイターにとっては、そういうものかもしれない。そう、「人と違う道具を使う」という事の大切さに、若いうちから気付いてほしいものだ。
CGを描くにしても、自分でソフトウェアの効果をプログラミングできる人は稀で、大抵はソフトウェアで提供された効果を組み合わせて画を描くのだろう。それはさまざまなツールが用意されているのだろうが、自分で工夫する余地が狭いのは致し方ないところだ。
趣味でやるなら”CGで水墨画”も良いかもしれない。しかしそれこそ趣味でやるなら”筆墨で水墨画”でもいいのでは?と思うのであるが、今の人にはそれが”面倒”なのだろうか。
「簡単に楽しめるもの」が悪いわけではない。が、ひとつだけいえるのは、簡単なものは飽きるのも早いのである。飽きの来ないモノゴト、というのはやはりそれなりの”奥行き”を有しているものである。奥行きが深いだけに、習得し、楽しめるようになるまでは時間がかかる。そう、難しいから面白いし、飽きのこない物なのだ。
昔に比べて難しい事が簡単になったのも事実かもしれないが、飽きる事も多くなったのではないだろうか。飽きてくれないと消費が先に進まないので、経済的にはそれでもいいのかもしれないが.......

前置きが長くなったが、新老坑。
以下が今回リリースした(のびのびになってしまったが)の新老坑小硯三面。
新老坑小硯三面新老坑の優秀な事については、改めて述べるまでもないだろう。”新老坑”と分類しているのは、日本の一部の厳しい業者だけで、平凡な書道用品店や大陸では”老坑”でもちろん通る。墨を選ぶ老坑水巌と違い、唐墨から和墨まで、幅広い墨に対応している。
唐墨は、墨の下りが悪いので使わない、という話を時折耳にするのであるが、どのような硯を使っているのかな?という事は気になるところである。日本に産する硯材で出来た硯、いわゆる和硯と唐墨の相性は、あまり良くないのは致し方ないところである。墨匠は磨れない墨は作らない。日本の硯に合わせて唐墨が作られているわけではないからである。
また硯が和墨と兼用で、かつあまり手入れが良くない場合、硯の鋒鋩が駄目になってしまっていることがある。和墨の多くは膠の粘性が高いので、使用後よく硯を洗浄しておかないと、硯の鋒鋩を膠の被膜が蔽ってしまい、墨が滑って下りにくくなる.......とここまで書いて、そういえば中国では唐墨(=中国の墨)をマトモに磨れる硯を使っている人が、現在どれくらいいるのだろうか?ということも考えてしまう。

しかしそれにしても、である。先日知人の篆刻家のお伴で、某書道用品店のセールに行った時の事。まあ、この店で硯を買う人はあまりいないのかもしれないが、それにしても並べられている硯がよろしくない........のはまあ、いたしかたないとして、問題は表記が間違っている事である。宋坑を宋坑として、それなりの値段を付けているのは良いとしても、やはり同じく宋坑や沙浦の硯が老坑や麻子坑として売られている。
ざっとみたところ、端溪硯といっても斧柯山の石はほとんどなく、ほぼすべてが斧柯山対岸の北嶺の硯材なのであるが、それでも老坑や麻子坑や坑仔巌として売られているのである。かなり大きな量販店であるし、スタッフもそれなりの人数がいるはずなのであるが、誰一人としてこの値札のおかしさに気が付かないのが摩訶不思議である。もっとも、ああいった店の硯は墨を磨るためではなく、墨汁を入れておく容器のようなものであり、石品があろうがなかろうが、そのうち墨液に染まって見えなくなってしまうのであろう。なので宋坑か老坑かの違いは、いずれ些細な事なのかもしれないが(値段はそれなりに違うのであるが)。

現状、本物の斧柯山の旧坑系の石を仕入れて一面数千円で売るというのは、まったくもって”不可能”なご時世になってしまった。山ほど取れる北嶺の石を仕入れるしかないわけであるが、それにしてもそれを”老坑”というのはいくらなんでも酷い気がする。骨董屋じゃないのだから、客の”目利き”に選択をゆだねきってしまうのも、これはいかがなものか。専門店の名が泣くというものではなかろうか。

書画や陶磁器の騰落に比べて、ここ数年の硯の価格上昇はゆっくりしたものだった。とはいえ端溪硯についていえば、良質な硯材の出る斧柯山の硯坑が閉じられてしまったためか、歙州硯よりも価格の上昇が著しいのは隠しようもない。
しかし日本でバブル崩壊によって硯石の値段が暴落したように、中国においても現在の資産バブルの崩壊とともに、硯の値段が凋落しないとも限らない。今買うのが正解かどうかについては、実のところ何とも言えないものがある。しかしどちらにせよ、「これからまた高くなるから、今買っておいた方が良いですよ。」というような、大陸の不動産仲介業者のような事は言いたくはないものだ。小売業者の任務は、安定した価格と品物の供給であるということは、忘れてはならない。事実、若干の値上がりを余儀なくされたものの、店を始めて以来、さほど値段を上げずに来れたのは、仕入れの妙と言うべきか、店としては自慢して良い事だと考えている。

日本はデフレで売値は下がる、大陸はインフレで仕入れ値はあがる、しかも人民元は高くなる(円は安くなる).......という状況で、大陸での安価な仕入れに依存した、従来型の書道用品店(ないし卸売業者)の経営は成り立たなくなってきている。
ここ数年、老舗の倒産が相次いでいるが、残念ながらこの流れはしばらく続くだろう。書道人口も減少傾向にあるが、業界としてある程度の規模は残るだろう。”ある程度”の規模が残った時に、問題は中身に何が残るか?なのであるが、これについてははなはだ心もとないところがある。かつて勇んで大陸へ渡り、丁々発止のやり取りを繰り広げた強者達も”老兵ただ去るのみ”な現状である。業者側の努力だけで市場は成り立たない。購入するユーザー側も、そろそろ考えていただかなくてはならない時に来ている事は、申し上げても良いのではないだろうか。

今年に入って新製品のリリースが少ないが、これには少し事情がある。たとえば新作の筆は四種類あがってきているのだが、筆銘を入れる必要のある三種類について筆匠が「筆銘を手彫りするのが難しい。」と言って来たのである。「レーザーで良いか?」と聞かれたのだが、さすがに”レーザー”は抵抗がある。「コストは構わないからやってくれ」と頼んでも、彫れる職人がいないというのである。全くいないわけではないが、高齢化して、あまりたくさんの筆銘は彫れないのだという。無理してやってもらうのも問題であるし、どうしようかと思案中なのである。筆の件だけではなく、他についてもいろいろと、用意はあるものの進めるのが難しい状況になってきているのは事実である。これをどう突破するか、対策を講じているところである。これまでもなんとかしたように、今回もなんとか出来るだろうと思っている。しかし本年中に新製品のリリースが少ないのは如何ともしがたいと、覚悟している。

とはいえ、新老坑三面、久しぶりの新商品である。ご覧いただければ幸いである。
落款印01


calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM