書と焼き物 〜民国の青花

以前に現代詩の「青花瓷」を解釈していて、書法と陶磁器のかかわりについて現在どの程度認識されているのだろう、とふと思った。陶磁器の世界における「青花」とは、日本で言う「染付け」の焼き物の事であるが、染付けにおける”絵付け”という作業が絵画を基礎とする以上、書法と絵画が緊密なかかわりを持つ大陸に於いては、書法が陶磁器とかかわりが無いと考えてはいけない。
「青花瓷」の詩には「在瓶底書漢隸倣前朝的飄逸」とあったが、この箇所と「臨摹宋體落款時卻惦記著你」だけは、ちょっと疑問を感じなくもない。「瓶底」に”書”を入れるなら落款であろうが、普通は下のような篆書の印文であろう。書と焼き物”漢隸”は”漢代の隸書”、ということであろうけれど、漢代の隸書を代表するのは礼器碑や曹全碑などの”漢碑”の隸書といってよいだろう。石碑の書体は基本的にフォーマルな、整ったものであり、”飄逸”に書くものではない。”飄逸”の”飄”はもとは風が気ままに吹きすさぶ様の形容で、書でいえば”手の赴くまま”といった雰囲気である。”逸”は”逸(はや)る”、つまり格式を超えようとする気概である。隸書は楷書が出来るまでは、公文書用の正式書体であって、気ままに書く書体ではない。あるいは隸書を崩した草書や、木簡、竹簡における早書きが想起されるが、”前朝的飄逸”が指すところはそこであろうか。

また「臨摹宋體落款時」も、疑問の出るところで、「落款」の対象が書画であろうと、陶磁器であろうと、「落款」に印刷書体が使われた例は寡聞である。単に「宋體」を「臨模」と読むと、印刷書体を「臨模」する意味が通らない。これらの二か所については、詩の作者の書や陶磁器の造詣について、若干の疑問を感じてしまうところである。とはいえまあ、これ以上の詮議立てが必要な事でもないであろうけれど。
書と焼き物書と焼き物話は変わる。屯溪老街に硯好きの、硯のお店を開いている老板娘(お店の女主人、女社長の意味)がいるという話は......書いた事が無かったかもしれない。実際のところ、硯が本当に好きな女性というのはあまりいないのであるが、僅少なうちの一人がいる。本当に好きかどうかは、それが好きな者同士であればすぐにわかるものだ。しばらく前まで老街でカフェをやっていた。老街の家賃の値上がりをうけてカフェは店じまいして、今は硯を置いた小さな店を開いている。
書と焼き物書と焼き物この老板娘がどれくらい硯好きかという事は今はさておき、硯以外にも陶磁器が好きで、いくつか店に飾っている。ほとんど非売品である。実はここに掲載している品がその一部なのである。意図的に筆跡の部分を拡大して掲げている。
ざっと見るとなかなかいい趣味をしているなあ、と思うのは、それらが今出来の倣古品ではなく、少なくとも民国以前はあるだろう古いモノという事もあるが、もうひとつは選ぶ視点である。目を引くのは、”絵付け”の中の書法である。「前朝的飄逸」と言えば、こういう書風が目に浮かぶ。
書と焼き物書と焼き物徽州では民国時代にこういった文人画を図案にとった染付が流行する。陶工が文人画の素養を持ったというよりは、文人がそのまま陶工となって製作に関わった、と考えた方が理解しやすい。
一般に、儒教的な価値観では、知識人は職人仕事に手を染めないもの、というものがある。清朝〜民国くらいの上流階級の人士は、爪を長く長く伸ばし.......つまりは手を使った仕事はしていませんよ、という事を誇示するような習慣があった。
しかしそれは、北京などの大都市の富豪や貴族階級の習慣であり、徽州ではかならずしも職人の手仕事は程度の低いものとみなされてはいなかった。明代の名墨匠、程君房などは、製墨という仕事に勤しむことを卑下するような文章を書いているが、それとて当時の”タテマエ”沿ってそう述べてみたまでの事である。
ともあれ、徽州では、製墨にせよ、木彫にせよ、知識人としての素養を備えた人々が製作に関わっている。土地の狭い徽州では、農業生産で完全に人口を賄う事が出来ない。そこで子弟の教育に力を入れ、科挙に挑ませる。しかし難関の科挙に及第できるものはごく一部であり、能力の問題や、経済的な理由で学業を継続できない者の多くは、他郷へ交易の旅に出る。その際に、徽州の優れた工芸品が、いわば有力な輸出品になるのである。書と焼き物その輸出品も、ともかくも科挙に挑むための基礎教育を受けた者達で造られる。教育だけではなく、日常生活の中でも、教養人としての趣味性が磨かれる。ゆえに彼らが製する品物も、顧客である知識人階級の嗜好を満足させるような、格調高い物に仕上がっているのである。陶磁器というと「字も読めない人間が作ってきた」というような偏った事をいう人が多いものだが、必ずしもそうではないのである。
書と焼き物収蔵品の中の有名どころとしては”汪友棠”の名が目を引く。汪友棠は徽州の黟県出身、号を柳村、室号を”修竹軒”、齊号を”修竹山房”といった。清朝末期における景徳鎮官窯、また袁世凱の帝政復僻期の御製窯の画師である。老板娘のこの収蔵は......汪友棠と落款があるものの、絵付けがやや漫然としている。あるいはその弟子あたりの作だろうか。しかし経年した白磁特有の釉色を見る限り、今出来のものではないと知れる。
民国時代と称される焼き物の中には、現代焼かれた偽物も多いのであるが、大抵は書が下手なところで見分けることができる。陶工のみならず、書家に限ったとしても、このような書を書ける人はもう何人もいないかもしれない。
もっとも、筆跡の良し悪しをもって真贋を完全に鑑別できるわけではない。現代のプリント技術をもってすれば、プロの陶工ですら手書きの筆致と見誤る。過去の作品の筆跡や絵付けを、そのまま転写できるのである。それほどまでの機械的な絵付けが可能な時代ということは、これも注意を要する事実なのである。

徽州で陶磁器、特に”青花”、染付の類の本当に古いモノを買うのは難しい。近くに景徳鎮があり、歴代陸続と焼かれて運ばれてきているからである。また明代の顔をした染付けでも、清朝以降に倣古として作られたものであるかもしれないし、清朝の様式の品でも、民国、現代に真似て造られた焼き物はたくさんある。北京、上海などの古玩城が占めているのも99%(もっと?)はまったくの”現代”の倣古であり、1%くらいは民国以前の倣古かもしれないが、”青花瓷”がうたうところの「傳世的青花瓷」なんて徽州に限らず、市井にほとんどないのが現実である。
辛うじて「古いという点で言えば確かに古い」陶磁器であっても、無論、”名品”というほどのものはまずない。そもそも陶磁器の名品を、大陸の骨董街で”掘り出そう”という事自体が已(す)でに”お伽話”である。あっても朝廷御用達の”官窯”のはずがなく、普及品を焼く”民窯”なのであるが、”民窯”であっても良い物はもちろん少ない。骨董街には”官窯”写しの偽物もあれば、”民窯”写しもしっかり広範にわたって作られているからである。”官窯”があるはずないということがわかっていても、”まさかこの程度の民窯の偽物は作らないだろう”と思って、民窯風の陶磁器に手を出していると際限がないものである......陶磁器も愛さぬではないが、いまひとつ集める気になれないのは、いうなれば硯における老坑水巌に匹敵するほどの美麗な陶磁器となると、とてものこと、手が出せる値段ではないからでもある..........まあ、それはそれとして、それなりの楽しみ方もあろうというものであるが、この老板娘の収蔵などは好例と言っていいのではないだろうか。無理のない範囲で見どころのある品を集めている。屯溪の老街に骨董店は数多存在するが、ちょっと例を見ない収蔵ではある。
書と焼き物書と焼き物老板娘がカフェを開いていた時は、秘蔵の硯を取り出してきて、墨を磨りながら硯談義に耽ったものである。今は小さな硯のお店で、績渓県の銘茶......老板娘は績溪の人である........”金山時雨”を淹れてもらいながら、最近の徽州の硯石市場の事や、作硯家の評判等等に耳を傾ける。10年ほど前、台湾の墨匠が徽州で墨を造っていたことなども、この老板娘が教えてくれるまでは知らなかった。その墨匠はもともと上海墨匠の職人で、文革を避けて台湾へ渡ったという事だ。彼が造らせたという墨は、無論、大陸では流通していないし、台湾でも一般の市場には出回っていないそうだ。ちょっと磨らせてもらったのであるが、70年代の鐵齋翁書畫寶墨を思わせる、カチッとした墨であった。
時折、若い作硯家が店を訪れては、新作の硯を見せに来る。お茶を飲みながら彼らの硯をあれこれと論評しているうちに、老街の夜は更けてゆくのである。
落款印01


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